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樫山・5


 都城内に聳える建物の中でもかなりの高さを誇りながらも、その細身で簡素な外観のためかひっそりと目立つ事無く佇む一基の塔。
 その内壁に沿って延々と続く螺旋階段を一定の速度で昇り続けた樫山は、漸く辿り着いた最上階の扉を前に、乱れてもいない息を一つ整えた。
 そっと扉を開ける。
 東側、つまり海側を望む様に開けられた窓から外を眺める男の後ろ姿を認め、小さく安堵の息を吐いた。
「陛下」
 驚かさない様にと静かに声を掛けると、男――天帝はゆっくりと振り返った。
「ああ、樫山か」
 にっこりと笑う主の邪気の無い笑みに、樫山は困った様な溜息を吐く。
「先程から護衛官達が必死になって探していますよ?」
「なんだ、そうなのか?‥‥あ、本当だ」
 窓から真下を覗き込むようにした天帝は、眼下を走る護衛官を見付けたらしい。おかしいなと首を傾げた。
「一応、『ちょっと出掛けてくる』と断りは入れたんだけどねえ」
 振り返ると苦笑しながら肩を竦める天帝に、樫山は再び溜息を吐く。
 どうやらこの主は頃合いを見計らって、忠実な御付の人々を撒いて来たらしい。
 とは言え天帝が姿をくらます事は時々ある為、「豪剣様、陛下は此方にいらっしゃいませんか?」と護衛官が詰所へ探しに来た時も、それほど慌てている様子は無かった。
 少々驚かされる事はあっても、陛下は本当に危険な事はされないですから。――樫山とはまた違った形ではあるが、彼等と天帝の間にもまた、確かな信頼関係がある様だ。
 そんなわけで、さほど急ぎの用が無かった樫山も天帝探しの手伝いをする事になったのだが、彼には一つ心当たりがあった。
 ‥‥何故なら今日は、短夜祭の後に吹く最初の追い風の日。
 祭の為に東雲へ一時帰港していた船が海に「戻る」のは、この追い風の日であるのが通例となっている。
「‥‥」
 黙したまま扉を閉めると、樫山は天帝の許へと歩み寄る。
 そのまま隣に並び立つと、同じ様に窓の外へと視線を向けた。
 城下に栄える街々と多くの人々が行き交う港、そして彼方まで広がる碧い海。
 その広大な海の中に、ともすれば見落としそうになる程の小さな点が、かろうじて見て取れた。
 少しずつではあるが、港から――この東雲から遠ざかって行くのが分かる。
「――あれがそうですか」
「ああ」
 噛み締める様に頷いた天帝は、再びじっと小点へを見詰め始める。



 それはただの点では無い。
 東の剣の剣士達が乗り込む警戒船であり、短い休暇を終え今まさに再び海賊退治へと繰り出していく所だった。
 そして‥‥正式に東の剣の一員として任命された天帝の二男である皇子の、剣士としての初航海でもある。
 愛しい我が子の門出を、父として静かに見守っていたのだろう。



「そう言えば、昔はこうやってよく二人でこの塔に昇ったよな、樫山」
 なおも海へと視線を向けながら、天帝は懐かしむ様に呟く。
「ええ、こうやって海を見たものでした」
 その横に佇みながら、樫山もまた昔を思い出しながら頷いた。
 まだ天帝が皇子だった頃の学舎時代、都城内に押し込められていた彼が自由に出歩ける数少ない場所の一つが、この塔だった。
 隙を見付けては最上階まで駆け上がり、こうやって窓から海を眺めては他愛の無い話で盛り上がったものだった。
 自分達は見ているだけだった海原に、同じ年頃に成長した息子と甥が今、飛び出して行こうとしている。
「お寂しいですか?」
「まあ、少しね。‥‥でも、嬉しくもあるさ」
「そうですね」
 主の横顔を改めて見遣りながら、樫山は小さく微笑んだ。



 そう、若者とは何時の時代でも大人を追い越して行くものだ。
 例えそれがどんなに険しい道程に見えても、大人はそれを遮っては行けない。
 ただ黙って、駆け去って行く若者の背中を見守るだけだ。



「――さて、そろそろ帰ろうか」
 暫くの間、遠ざかって行く船を見ていた天帝だったが、やがて一つ大きく頷くと窓へと背を向けた。
「もう宜しいのですか?」
「ああ。いつまでも行方不明でいる訳にはいかないからね」
 彼等もそろそろ探し疲れただろうし、と窓の下を指差しながら天帝は苦笑する。
 そのまま扉へと向かう主の後を、樫山はゆっくりと追い掛ける。
「お気をつけて陛下。階段は降りる時が一番危ないのですから」
「分かってるよ。――樫山は相変わらず心配性だな」
「ええ。この先も一生、そうでありたいと思っております」
 心の赴くままに何物にも縛られずに、仲間達と共に海へと乗り出して行くのも、一つの人生ならば。
 何度もこの都城から飛び出す事を考え、悩み、そして最終的に留まる事を決めたこの主の選択もまた、一つの人生なのだ。
 ならば樫山は、その選択に最後まで付き従うだけ。
 その強靭ながらも繊細な背中を、最期まで守り抜くだけだ。
「しかし、まだまだ暑いな」
「ええ、朝晩は幾らか涼しくなってきたのですが」
 何時もの様にのんびりと語らいながら。
 二人はゆっくりと螺旋階段を下って行った。


◆◇◆◇◆

 息子を見送る天帝と、そんな天帝を見守る樫山、でありました。
 天帝には、良いお父さんでいて欲しいなあと思っております。

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