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副官ず・4

「――おや」
 都城内にある、従業員用食堂。
 いつもの「連絡会」へ出席する為に露台へと足を向けた静剣副官・氷見は、定位置である卓が空である事に気付き、軽く首を傾げた。
 丁度其処へ顔見知りの店員が通り掛り、いらっしゃいませ!と笑顔で近付いてい来る。
「まだ他の皆さんはいらっしゃってないですよ。先に何か飲みます?」
「いえ、もう少し待つ事にします」
「では冷たい水でもお持ちしますね。今日はまた殊更暑かったですし」
「ええ、本当に」
 ありがとうと氷見が微笑むと、店員も再び笑みを見せ厨房の方へと歩み去って行く。
「‥‥」
 その後姿を見送りながら氷見は椅子へと腰掛け、ふうっと一つ息を吐いた。
 陽が長くなるに従い徐々に気温も上昇している東雲だが、崖下から吹き上がる海風が吹き抜ける為に、都城を含む沿岸部は比較的過ごし易い。
 とは言え炎天下に延々と歩き回っていれば、体力も消耗すると言うもの。
 今日は丸一日、城壁の修理工事の指揮を取っていた氷見は、些か疲労を感じていた。
 椅子に深く腰掛け目を閉じる。湿り気を帯びた夜風が、火照った首筋に心地良い。
 すう、と引き込まれる様に、周囲のざわめきが遠ざかって行く。
 どうやら氷見自身が思っていた以上に、陽射しと暑さにやられていたらしい。
 このままでは寝てしまう――ちらりと心の隅でそう思ったのを最後に、氷見の意識は途切れた。







 一人の少女が佇んでいた。
 柔らかな薄茶色の髪と、同色の大きな瞳。
 顔を上げ氷見の姿を認めると、愛らしい顔に零れる様な笑みが浮ぶ。

 氷見。

 幼くも威厳を含む声に、氷見は急ぎ片膝をつくと深く頭を下げる。
 ひんやりと冷たく滑らかな床に敷き詰められているのは、季の大地で一番の白さを誇る北雪特産の真雪石だ。
 そう、ここは北雪の王城。
 氷と山に傅かれた、雪の女王の統べる国‥‥
 ――いや、違う。
 はっと我に返り、氷見は自身の剣を見下ろす。
 本来であれば誇らしげに輝いているはずの菫青石は、今はきっちりと捲かれた布の下に隠されたままだ。
 そうだ。
 そんな筈は無い。
 もう自分は女王に仕える身ではない。
 全てから逃げ出す様に、あの城を出たのだ。
 この剣だけを抱えて‥‥

 氷見?

 問い掛ける様な少女の声に、氷見は顔を上げる。
 だがしかし、彼女が見詰めているのは氷見では無い。
 その背後にぽっかりと大きく開いた、真っ暗な闇の向こう側。
 ――駄目です。
 慌てて制止の声を上げようとする。
 だがしかし、氷見の喉からは声どころか何の音も漏れる事は無かった。
 ――駄目です、そちらへ行かれては。
 立ち上がろうとするが、膝は凍りついた様に床に着いたまま。
 ならば腕だけでも差し伸べようとするが、何かに押え付けられているかの様にぴくりとも動かない。

 氷見‥‥

 必死にもがく氷見の目の前で、少女の姿は徐々に闇の中へと消えていく。
 ――いけません!そちらは!
 鉛の様に重い腕を、有らん限りの力で持ち上げる。
 伸ばした指の先は、もう少しで少女の肘に届きそうで。
 駄目です!
 駄目です!
 声にならない声を絞り上げる。
 ――行かないで‥‥!!







「氷見!!」
 耳元で名前を呼ばれ、はっと目を開けた。
 視界一杯に広がるのは、柔らかな薄茶色の髪と同色の大きな瞳。
 ――じょ‥‥
 一瞬呼びかけそうになった声は、しかし直前で何とか喉の奥に押し込める事が出来た。
 違う。
 あの方ではない。
 あの方はもう居ない。
 これは、
「ちょっと氷見、ねえ大丈夫?」
「‥‥沢渡」
「なんかうなされてたけど、変な夢でも見た?」
「ええ、‥‥はい」
 心配げな問い掛けに、のろのろと頷く。
 頷きながら、自分の指が沢渡の手首を掴んでいる事に気付き、氷見はそっと腕を下ろした。
「疲れてるんじゃない?氷見がうたた寝するなんて珍しいし」
「‥‥そうですね、今日は暑かったので」
「そう言えば、城壁修理につきっきりだったんだっけ」
「ええ、陽射しを一日浴びてましたから。――流石にちょっと堪えました」
 話しているうちに、夢の中から抜け出す事に成功したらしい。
 何とか何時もの様に微笑んで見せると、強張っていた沢渡の表情も少し和らいだ。
「まあ水でも飲みなよ。ちょっと温くなっちゃったみたいだけど」
 そう言いながら沢渡が差し出したのは、先程の店員が持って来てくれたのだろう、澄んだ水で満たされた杯。
 ありがたく受け取りながら、一口含む。
 沢渡の言った通り幾分温まった水は、しかしこの地が凍て付いた懐かしき国では無く、今自分の住まう温かき国である事を思い出させてくれた。
 ‥‥そう、自分はもうあの国には居ない。
 この国の人間なのだ。
「さてと、どうしようか。広重はまだ港から帰って来ないし、宮古は華剣と会議中だったし。先に始めちゃう?」
「そうですね。お腹も空きましたし、とりあえず幾つか注文しましょうか」
「先に乾杯、しちゃおうか」
「しましょうか」
 よしと頷き合うと、すみませーん!と沢渡は通りがかった店員へと元気良く手を挙げた。








「‥‥?何をしているんだ?広重」
 まるで隠れる様に、そして覗き見をする様に柱の影から露台の方を伺っている広重の肩を、宮古は訝しげに叩いた。
 その瞬間、広重の大きな背中が面白いぐらいに飛び跳ねる。
「、み、み、みやこっ??」
「どうした?沢渡達はまだ来てないのか?」
「あ、いや、もう来てるっ、氷見も来てるっ」
「じゃあそこで固まってないで、行けばいいじゃないか」
「いや、‥‥まあ、そうなんだけど、」
 ごにょごにょと口の中で呟く広重をもう一度訝しげに眺めた宮古は、ほら行くぞとその腕を掴みさっさと露台へと足を踏み入れる。
「わ、ちょ、ちょっと待った、宮古!」
「だから何なんだ、さっきから」
「‥‥いや、それが俺も、いまいちよく分かんなくて」
 相変わらず歯切れが悪く呟きながら、広重は首を傾げる。



 なんでだろう?
 なんで俺はあの時、沢渡と氷見のいる卓へ行く事が出来なかったんだろう?
 氷見が沢渡の手首を掴んでいる場面が、こんなに目に焼きついて離れないんだろう‥‥



◆◇◆◇◆

というわけで、こっそりシリーズ化な「副官ず」です。
今回は氷見の過去話をちょびっと入れてみました。
そして広重は一体どこへ行くのだろう・・・・

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