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幼馴染・2
 学舎から出された共通課題の最後の問題を解き終えると、麻乃は筆を机の上へと置いた。
 用紙を捲りながら手早く見直しを済ますと、ようやっと一つ深く息を吐く。
 図書館司書に、しかも都城内にある国立図書館の司書になる為には、いくら勉強してもし足りない。
 司書としての一級の知識は勿論、自分の得意とする専門分野の習得も必須である。
 幼少の頃から薬草に興味のある麻乃は、薬師の免状を取得するつもりだった。
 共通課題は一旦机の脇へと寄せると、今度は専門課題の冊子を取り出し、分厚い参考書を捲り始める。
 窓の外は既にとっぷりと日が暮れていたが、麻乃の手と脳はまだまだ止まりそうに無かった。




「、」
 ふと足元に気配を感じ、麻乃は手元の本から顔を上げた。
 椅子の下を覗き込み、その正体を目に留めると頬を緩ませる。
「椿」
 名を呼びながら抱き上げたのは、一匹の小さな黒猫。
 猫好きな両親が友人知人から貰ったり預かったりする為、麻乃の家には常時数匹の猫が闊歩している状態だった。
 その中でもこの黒猫・椿は一番の新顔である。何故か麻乃の部屋が気に入ったらしく、時々こうやって椅子の下に潜り込んで来るのだった。
 その艶やかな黒い背中を、麻乃はそっと撫でる。
 凝り固まってしまった首を左右にゆっくりと振り、血行を良くしようと試みていると、ふと窓の外から小さな音が聞こえたような気がした。
「・・・・」
 もしやと思い、窓の外を覗いてみる。
 はたして隣家の庭では、月の光を浴びながら一人の少年が熱心に木刀を振っている姿が見えた。
 ――桜木、こんな時間まで。
 その一心不乱な様子に、麻乃は思わず心の中で呟く。
 確かに幼馴染の桜木は三度の飯より剣術が好きな少年だ。東雲中の憧れの的である「東の剣」へ入る為に、稽古に励む毎日である。
 ――だからと言って、こんな暗い中で・・・・
 そこまで思った時、そう言えば今日は剣術試合の日であった事を麻乃は思い出した。
 出場者は城下や近隣の住人が主だが、中には国境付近から腕試しに来る者もあり、なかなか大きな試合だったらしい。
 生憎その時間、麻乃は講義がある為に見に行く事が出来なかったが、母によると「桜木がぶっちぎりに強かった」という事であった。
 ――では、何故?
 何故、その試合の後に?
「・・・・」
 暫く窓越しに幼馴染を眺めていた麻乃であったが、やがて机上の燭台へと手を伸ばす。
「おいで、椿」
 仔猫を懐に抱えると、麻乃は椅子から立ち上がった。





 視界の隅に灯りが入り、桜木は木刀を止めると振り返った。
「こんばんは、桜木」
「・・・・麻乃」
 燭台を片手に微笑む幼馴染の姿に、隣家との間にある低い垣根へと近付く。
「どうしたんだこんな時間に・・・・って、なんだ椿も一緒か」
 黒い毛並みに指を伸ばすと、つんと首を振って逃げられた。
「うわ、酷いぞ椿っ」
「桜木、黒猫にはいつも嫌われますね」
「そう言えばそうだよな。なんでだろう?」
「さあ?そのうち懐く黒猫が現れますよ、きっと」
 くすくすと笑いながら言う麻乃に、本当か?と些か疑い深い視線を投げる桜木である。
「それで、どうしたんだ麻乃」
「それはこちらの台詞ですよ、桜木。こんな遅い時間にどうしたんです、灯りもつけないで」
「いやでも、今日は満月だから充分明るいぞ」
「そういう事を言っているのではありません」
 誤魔化さないで下さいと、じっと薄紫色の瞳に見詰められ、思わずたじろぐ桜木。――ああ、この幼馴染の目にはどうにも弱い。
「今日の試合で何かありました?母からは優勝したと聞きましたが」
「うん。優勝は、した」
「では、どうして」


「・・・・居たんだ」


「え?」
「凄く強い奴が、居たんだ」
「でも貴方が優勝したのでしょう?」
「そう、俺は優勝したよ。――『長剣部門』ではね」
「違う武器、ですか」
「うん。そいつは『双剣』だったんだ。だから試合はしなかった。・・・・いや、させて貰えなかったんだ」
「・・・・」
 そっと、麻乃は桜木の顔を伺う。燭台が照らす俯き加減の顔は、どこか焦燥感を湛えていた。
「やりたいっていった。あの強い奴と試合をしたいって。でも駄目だった。『大人になったら』ってあしらわれただけだった」
「確かに異種試合は青年になってからですね。子供は危ないからと」
「でも、俺はやりたかったんだ」
「、」
 桜木の抑えた様な声に、思わず麻乃は息を呑む。
 普段は暢気で騒がしい幼馴染が、こんなに悔しさを滲ませるのを、麻乃は今まで見た事が無かった。
 押し殺した、搾り出す様な声。
「・・・・悔しかったのですね?桜木」
 そっと静かに問い掛けると、桜木は素直にこくりと頷いた。
「相手の方はどうでした?」
「・・・・あいつもじっと俺の事を見てた。多分同じ事思っていたと、思う」
 こんなに近くに居るのに。
 でも、出来ない。
 やらせてもらえない。
 自分達はまだ、大人ではないから。
「では、大人になりましょう、桜木。鍛錬して、腕を磨いて、勉強もして・・・・大丈夫、直ぐですよ」
「・・・・」
 再びこくりと桜木は頷く。
「だから桜木、今日はもうお休みなさい。ゆっくり寝て、明日に備えましょう」
「・・・・」
「桜木?」
「・・・・ずるいぞ麻乃。お前、俺より年下のくせに」
 呟く様な声と共に漸く上げられた桜木の顔からは、しかし先程の焦りは消えていた。
 麻乃の顔を見詰め、表情を和らげる。
「分かった、麻乃。今日はもう寝る。だからお前も、勉強ほどほどにな」
「ええ、私も今日はもう寝ます」
 互いに微笑みあい、それじゃあと手を振る。



 また、明日。



「・・・・あ、でも桜木、その双剣の少年なのですが、」
 家へと向かいかけた麻乃だったが、ふと桜木の方へと振り返った。「――顔は覚えているのですか?」
「?なんで?」
「なんでって、再会した時に分からないではないですか」
「ああ、大丈夫大丈夫。あんなに速く剣を振るう奴、あいつ以外にはいないから」
「本当に速かったのですね」
「ああ、凄かった。本当に凄かったんだから」
 その剣技に相当に惹き付けられたのだろう、眼を輝かせて語る幼馴染の様子に、麻乃も微笑みながら頷く。
「それに髪の色がさ、銀色だったんだ」
「では、群島出身の?」
「多分な。眼の色も緑色っぽかったし『銀髪』の一族だと思うよ」
 じゃあな、と屈託無く笑うと、そのまま家へと駆け込んで行く幼馴染の背中を見送りながら。
「・・・・良い好敵手が見付かったみたいですね」
 私も負けていられません。
 懐の中の椿をそっと抱え上げると、麻乃も自室へ戻るべく踵を返した。



◆◇◆◇◆
幼い頃の幼馴染二人、でありました。
麻乃の方が年下ですが、大人びていると良いなあと。桜木は歳相応に子供っぽい感じで。
・・・あ、桜木は大人になっても子供っぽいですね(笑)

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