過去拍手
若者達・1
ふっと。
一瞬、手元に影が差した。
「?」
訝しげに思いながら頭上を振り仰ぐ。
目の痛くなる程に高く澄んだ青空に、鳥影がひらりと舞った。
――白い鳥。
「‥‥どうした」
どれぐらいの間、そうしていたのだろう。
横合いから声を掛けられ、少年はゆっくりと視線を船上へ戻した。
遥か高みへと惹かれていた心を現実へ馴染ませるように、一度小さく瞬きをする。
「どうした、ぼんやりして」
そんな少年の仕草に苦笑しながら、傍らに腰掛けた友人は同じ質問を繰り返した。
「鳥がいる」
「鳥?」
「ほら」
少年の指差す先を、友人もじっと見詰める。
やがて青一色の空の中に小さな影を見つけると、あれかと頷いた。
「よく見付けたな。相変わらず目が良い」
「そうかな」
「俺一人じゃ見付けられないよ」
島が近くにあるのかもしれないな。
呟くようにそう言うと友人は手元へと視線を戻し、作業を再開する。――言い忘れていたが、彼等は厨房から言い付かった野菜の皮剥きの真っ最中であった。
やんごとない生まれではあるが庶民的な母親の手伝いを幼い頃からさせれていた為、少年の包丁を操る手際はなかなかのものである。
一方の友人も剣技の鍛錬に明け暮れる毎日だったが元来の器用さを発揮し、するすると皮の山を築いていく。
先だって様子を覗きに来た厨房長からも「お、やるもんじゃねえか」と軽く頭を小突かれていた。
山と積まれた雑多な野菜達も、この分では程無く綺麗に剥かれる事となるであろう。
「‥‥なんで、島?」
暫く皮剥きに没頭していた少年だったが、先程の遣り取りを思い出したらしい、不思議そうな表情を浮かべると傍らの友人を振り返った。
「鳥がいただろう?よく見たら、他にも何羽か飛んでいた。大空を羽ばたく鳥も飛んでばかりではいられない、必ずどこか休む場所がいる。木なり草なりの生える地面が必要だ。でもこの辺りには大陸がない。という事は、」
「島がある、って事?」
「ああ」
良く出来ました、と言う風に友人はまた小さく笑った。
「そっか。‥‥何でも知ってるな」
「そうでもない。知らない事ばかりだよ」
「剣だって強いし」
「叔父上には遠く及ばないさ」
もっと鍛錬しないとな、と呟くように言う。
‥‥出会った当初は畏まった口調で話していた友人も、少年の再三の頼みを聞きいれ徐々に態度を軟化し、年上である事も手伝ってか今ではすっかり年長風の語りとなっている。
とは言え、それはあくまで二人だけの限定された空間でのみ。
公の場に出ればすぐさま臣下の構えに切り替える友人の姿を、少年は感心半分寂しさ半分で眺めていたものだった。
それが候補生として肩を並べている今は、何の制限も後ろめたさも無く同じ目線の高さに立って話す事が出来る。
周囲の誰からも特別扱いされず、同じ様に叱られたり褒められたり。仲間達と笑ったり口論したり大騒ぎをしたり。
‥‥例え其れが、限りある時間の中であっても。
少年にとっては、かけがえの無い大切な瞬間だった。
初めて触れた『自由』という時間。
「‥‥」
少年は再び空を見上げる。
頭上を舞っていた鳥の姿は既に無く、どこまでも続く青が広がっているだけだった。
他の空へと飛んでいったのか。
それとも、自分の巣へと戻ったのか。
「‥‥『飛んでばかりではいられない』か」
友人の言葉を思い出し、小さく繰り返してみる。
「どうした?」
「いや、なんでも」
聞き咎めた傍らの声に首を振ると、新しい野菜を手に取った。
「‥‥」
そっと匂いを嗅いでみる。
南波国から物々交換で手に入れたと厨房長が自慢していたその野菜は、微かな土の匂いと共にふんわりと甘い香りがした。
初めて見る物。
初めて嗅ぐ香り。
兄弟の中では比較的世の中の物事を知っている方だと思っていた。
それでも世界は、まだまだ『初めて』で満ちている。
「――ほら、さっさと剥いてしまおう」
ふいに伸びてきた友人の手が、くしゃりと少年の髪を撫でた。
幼い頃より叔父から剣技を叩き込まれてきたというその手は、硬く節くれ立っているにも拘らずひどく優しい。
初めて感じた。
いやきっと、初めて会った時から感じていたのだろう。
「‥‥うん」
少年も笑いながら頷くと、手の中の野菜を友人へと放り投げた。
‥‥『側にいたい』という感情。
◆◇◆◇◆
候補生として頑張っている若者二人、でありました。
この次男と甥っ子の二人は、父親&叔父とはまた違う関係を築いていく予定であります。
彼等の成長記をいつか書けると良いなあと思います。
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