過去拍手 樫山・3 かしん。 かしん、と。 剣を合わせる澄んだ金属音が、星砂の光る濃紺の夜空へ静かに響いていた。 「樫山」 「‥‥」 「かしやま」 「‥‥」 「かーしーやーまー」 返事しやがれ、とばかりに手にした練習剣で斬りかかられ、漸く樫山は動きを止めると主の方へと顔を向けた。 「何でしょう、陛下」 「聞こえているなら返事をしろ」 「申し訳ありません」 「それにお前、さっきから顔が恐いぞ」 「元からこんな造作ですよ」 「‥‥怒っているだろ」 「何をでしょう」 「ほら、やっぱり怒ってる」 皺が寄ってるぞ、と剣先で眉間を示され、樫山は溜息を吐く。 ‥‥二人が居るのは天帝の私邸宮の中庭、やや空間の開けた一角である。 先日候補生の前で剣型を披露したのが引き金となったらしい、久し振りに剣の稽古を再開した天帝だったのだが。 「何か言いたい事があるなら言ってみろ、樫山」 今日は師範役である樫山の様子が些か気になるようで、一向に剣型の練習は進んでいなかった。 「いいえ、特には」 「本当か?」 「陛下のお決めになった事に、何の異存がございましょう」 「‥‥ほら、やっぱり本当は言いたいんじゃないか」 拗ねたような口調で言うと、手にした練習剣を鞘に仕舞い腕を組んで睨み付けて来る主に、再び樫山は溜息を吐いた。 「‥‥殿下の事、です」 「ああ、海へ出す事か」 「本気でいらっしゃいますか?」 「ああ、本気だ」 「‥‥」 あっさりと頷いた主に、樫山は思わず頭に手を当てる。 定例会議での舞剣・蒼川との遣り取りには、横で聞いていた樫山も――表情には一切出さなかったが――大いに驚いていたのである。 次男とは言えこの東雲国の正式な第二継承者なのだ。候補生として訓練を行っている分には何とか許容範囲だったが、実戦配備となると流石に話は違ってくる。 軽傷ならばまだしも万一重傷でも負った日にはどうするのだ。それに何かのきっかけで正体が明かされないとも限らない。 「それともあの子は、海賊共に負けそうな程弱いのか?」 「いえ、そんな事はございません」 主の問い掛けに、樫山は大きく首を横に振る。 もともと素質がある上に幼い頃から樫山がみっちりと仕込み、さらに蒼川が磨きをかけた逸材である。 弱いどころか、むしろ候補生の中では一・二を争う腕前だろう‥‥しかし、「――しかし、私が申し上げているのは、そういう意味ではありません」 「そうかそうか、それなり育っているのか。それは良かった」 「‥‥陛下、私の話を聞いてらっしゃいますか?」 「樫山、あの子は剣士になりたいそうだ」 「!しかしそれは、」 「樫山。――俺はな、あの子が望むなら、このまま東の剣にいても良いと思っているんだ」 「、な、」 人の話を聞かないどころか飄々と爆弾発言を述べた主に、流石の樫山も思わず目を剥いた。 「ご冗談を」 「俺は本気だ」 「最前線へ放り込まれるのですよ?」 「ああ、承知だ」 「駄目です、そんな危険な所へはお連れ出来ません」 「でも、お前は行っている。桜木も蒼川もお前の甥も、何人もの若者が」 「私達と殿下では違います」 「何が違うんだ?」 「陛下、」 窘める様な口調の樫山に、主は分かっているよと少し寂しげに笑った。 「分かってるよ、お前の言いたい事は。‥‥しかし、出来るだけ生きたいように生きて貰いたいんだ」 「‥‥」 押し黙った樫山を横に、主は一度しまった練習剣をゆっくりと鞘から抜き放った。 外灯の明かりを受け仄かに光る刃を、慈しむ様に目を細めて見詰める。 「幸い、長男と三男には治世の素質も興味もある。それならばいっそ、あの子は『武』の道に進んでも良いんじゃないかってね。‥‥他に心を奪われたまま治世を行っても、本人も国民も双方が不幸になるだけだ‥‥」 最後の方は独り言の様に呟いていた主だったが、やがて樫山の方を振り向いた時には何時もの鷹揚な表情に戻っていた。 樫山に向かい、悪戯っぽく微笑む。「――それにほら、言うじゃないか。『職業選択の自由』って」 「それとこれとでは意味が違います、陛下」 成り行きを見守っていた樫山も、肩を竦めて言うと苦笑する。 「ま、とりあえずは、海から帰ってきてからだな」 「はい」 「それにな、樫山。どうやらあの子は見つけたらしいぞ」 「?何をですか?」 「お前だよ」 「え?」 思わず首をかしげた樫山に、主はにっこりと微笑んだ。 「俺にとってのお前さ、樫山。――あの子も見つけたんだよ」 唯一無二の存在を。 「‥‥そうですか」 「ああ」 晴れやかに頷いた後、主は真剣な表情を浮かべるとすっと練習剣を構えた。促すように樫山へ剣先を向ける。 「さて樫山。夜は短いぞ、練習再開だ」 「はい、陛下」 深く頷くと、樫山もゆっくりと練習剣を構える。 共に生きる喜びを。 ‥‥途絶えていた金属音は、やがて深け往く夜空へと再び静かに響いていった。 ◆◇◆◇◆ こっそり剣術に勤しむその後の天帝と樫山、でありました。 若かりし頃はそこそこ剣が扱えた天帝ですが、最近はさっぱりであります。 [*前へ][次へ#] [戻る] |