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副官ず・3

 その日、練習場へ向かおうとしていた二人の若い剣士は、詰所へと向かう一人の護衛女官のとすれ違った。
「こんにちは」
 品良くお辞儀をする女官の可愛らしい顔立ちと微笑に、剣士達は一瞬見惚れた後、我に返り慌てて礼を返す。
「あの、護衛女官殿、どちらへ?」
 それは、剣士の勤めとして当然行うべき見知らぬ来訪者への誰何というよりもむしろ、うら若き魅力的な女性へと向けられた若者の純粋な好奇心から出た言葉だった。


「護衛女官長より静剣様への言付を預かって参りました」
「お役目ご苦労様です。二階におられますよ」
「ご親切にありがとうございます」
 再び笑みを浮かべながら女官は丁寧に礼を述べ、詰所の中へと入っていく。
 優美な女官服の裾を柔らかに風に靡かせながら歩み去る後ろ姿を、剣士二人はどちらともなしに見送った。


「‥‥可愛い子だったなあ」
 やがて女官が詰所内に姿を消したのを潮に、剣士の一人が溜息混じりに呟いた。
「ああ、静剣様が羨ましいよ」
「護衛女官だったら、またお目にかかれるかも」
「是非ともお近づきになりたいよな‥‥しかし、」
 ふと剣士は言葉を切ると、何かを思い出そうとするかのように首を傾げた。「――あの子、誰かに似ていなかったか?」







 こつこつと軽く扉を叩く音に、静剣・清水は書類から顔を上げた。
「はい、どうぞ」
 すぐ隣で同じ様に書類を検分していた副官・氷見が、代わりに返事をする。
「――失礼します」
 やがて扉が開くと、一人の護衛女官が部屋内にするりと姿を現した。
 服の裾を摘まみ優雅に一礼した後、二人に向かって微笑みかける。


「ええと‥‥?」
 手にしていた書類を机に置き、礼儀正しく返礼しながらも、清水は些か困った様な表情を浮かべる。
――ええと誰だっけ、どこかで見た事はあるんだけど。
「これはまた、お見事ですね」
 しかし、隣に座っていた氷見が愉しげにそう言ったのを聞いて、ああ!と手を叩いた。
「分かった!沢渡だね」
「御名答です、静剣」
 声の調子を元の高さに戻した護衛女官、もとい豪剣副官・沢渡は、被っていた鬘を帽子のように少し掲げると、悪戯っぽく笑った。


「どうですか?これ。今度の野盗討伐の時の格好なんですけど」
「上手く化けるもんだねえ。女の子にしか見えない」
「本当ですか?良かったあ」
「うん、一瞬誰だか分からなかったよ」
「入口ですれ違った奴等は、最後まで気付かなかったですよ。会話もしたのに」
「おや、それはいけないね。都城内で勤務するからには、変装ぐらい見破れないと。――って、俺もちょっと時間がかかったんだけどね」
 まだまだ精進が足りないね、と清水は至極真面目な表情で頷いた。


「しかし、氷見はすぐに分かったんだよね?すごいなあ」
「あーあ、氷見には見破られたかあ。結構自信あったんだけど」
「ねえ氷見、なんで分かったの?」
「もしかして俺、どこか不自然なところある?」
 清水と沢渡、両方から身を乗す出す様に口々に言われ、氷見は小さく苦笑する。
「沢渡は本物の女官に見えますよ、大丈夫です。任務遂行には十分過ぎる以上の可憐さです」
「じゃあなんで、」
 分かったんだよ?と、沢渡が言いかけた時。






「失礼します、静剣いらっしゃいますか?」
 勢い良く扉を叩く音に続いて、廊下から声が掛けられた。
「広重?」
「だね」
「ですね」
 何となく顔を見合わせた三人は、しかし次の瞬間にんまりと笑い合う。
「‥‥これはこれは」
「‥‥また良い時に」
「‥‥ちょっと試してみましょうか」





「静剣?いらっしゃいませんか?」
「はいはい、いらっしゃいますよー」
 再び響いた声に、扉へ向かって清水が声を掛ける。
 程無く開かれた扉から、舞剣副官・広重が大柄な身体を覗かせた。
「すみません、舞剣がちょっと港の事で聞きたい事があるから今から‥‥って、うわわ、すみません、お客様でしたか」


 急いでいたらしい、扉を開けながら勢い良く用件を述べ出した広重は、部屋の中に佇む護衛女官の姿に慌てて口を止めた。
「蒼川、呼んでるの?」
「あ、はい。あの、でも、お客様がいらっしゃるのでしたら、」
 言いながら改めて視線を女官へと移した広重だったが、可憐な微笑を送られ僅かに頬を赤らめた。
「私の事はお気になさらず、広重様」
 とどめとばかりに瞳を見詰めるようににっこりと微笑むと、その赤さは益々広がってゆく。


「広重?」
「、え?あっ、すみませんっっ!」
 氷見から訝しげに名前を呼ばれ、広重は慌てて振り返った。
「あ、あのでも、やっぱり、また後でお伺いします!」
「ですが、」
「いえいえいえいえ!護衛女官殿も御用がおありで、わざわざこんな場所まで来られたんだし、御用が無ければこんなむさ苦しい野郎所帯に来る事も無いわけで、‥‥いやしかし、本当にかわい‥‥って、わわわっ、すみませんっ」
 最後の台詞は無意識に漏れ出てしまったらしい、あたふたと自分の口を両手で塞ぐ広重に、清水は成功成功と声を潜めながら沢渡の肩を叩いた。


「ほら、どこから見ても女官だよ、だから沢渡は安心して任務に‥‥沢渡?」
 一緒になって成功を喜ぶとばかり思っていた沢渡が、先程から何故か沈黙を保っている。
‥‥いや、それどころか、清水が手を置いたままの沢渡の肩が細かく震えている。
「‥‥」
 そろそろと、清水は手を下ろした。
 そして氷見と顔を見合わせると、数歩、沢渡から離れる。


「‥‥‥‥‥い」
「あの、ですから、女官殿の御用をお先に、――え?『い』?」




「いい加減に気づけええっ!」




 突如、沢渡の怒声が部屋中に響いた。
 舞剣も真っ青な素早さで、自分の頭の辺りにある広重の胸ぐらをひっ掴む。
「うわあ?女官殿、ど、どうしました?どこかお加減でも?」
 身長差も体格差も無視するような沢渡の勢いに、広重は引き摺られるように身体をよろめかせた。
 しかしそれでもなお、沢渡の正体には気付かない様子である。


「だから、俺だってばっ!」
 言うなり、鬘を勢い良くばさっと外す沢渡。
「さ、さわたりいいい??」
「氷見は一目で分かったのにっ!何で広重は分からないんだよ!」
「えええっ?氷見はすぐに分かったの?」
「ええ、沢渡の顔は毎日見ていますから」
既 に上司と共に数歩離れた安全圏へ避難していた氷見は、常と変わらず穏やかに頷く。


「!広重だって俺の事毎日見てるくせにっ!何で気付かないんだよお前はっ!」
「え、え、だ、だって、こんなに可愛くて俺の好みの女官殿が沢渡だったなんて、そんな、思ってもみなくてっ、」
「それでも気付けよ、こんの馬鹿っ!」






「‥‥若いねえ」
 あーあ、とのんびりと呟きながら、清水が傍らを振り返る。
「ええ、本当に」
 上司の言葉に賛同しながら、同じように呟く氷見。
「あ、静剣、翠茶でも淹れましょうか」
「そうだね、暫く終わらなさそうだし」
 女官服を纏った一見美少女の沢渡が、体格の良い見るからに剣士然とした広重に延々と説教を垂れる様は、なかなか壮観である。
 そんな二人を眺めながら、清水は氷見の淹れた翠茶を美味しそうに飲んだ。


「でも、本当に氷見はすごいね。沢渡って一目で分かったんだから」
「大事な仲間ですからね」
 穏やかに微笑んだ氷見は、少し遠くを見る目をした。「――それに沢渡は、‥‥少し似ていますから」
「そうなんだ」
「ええ」


 誰に、と清水は問わない。
 誰だ、と氷見も言わない。
 ただ二人並んで、ゆっくりと杯を傾けるだけである。






「あの、こちらに沢渡はお邪魔してま‥‥」
 ‥‥やがて暫く後、部屋を訪れた宮古は、言いかけた言葉を飲み込むと暫く目の前の光景を眺めた後。
「‥‥また来ますね」
 どうもお世話おかけします。
 呆れ果てた表情で清水に詫びる様に告げると、ゆっくりと扉を閉めたのであった。


◆◇◆◇◆

調子に乗って、副官ず第三弾です。
本編4章「峠にて」の前のお話。
当初の予定では沢渡の相手は氷見だったのですが、どんどん広重が出張ってきています・・・うーん、どうしよう(悩)

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