切ない痺れ10



次の日から彼は登校してきた。
若干だるそうにしている部分はあったが、本当に三日前のレイプ事件以前の彼そのものである。
部室にも顔を出し、いつも通りに涼宮さんとやり取りしていた。
いつも通り朝比奈みくるの入れるお茶を旨そうに飲んで、いつも通り長門有希の横顔を眺めて。
そして、いつも通り僕とボードゲームをしている。
彼はオセロをパチ、と置いてくるくると僕の黒をあっという間に白に変えてしまった。
ボードの上がほとんど白のままゲームが終わり、彼は呆れたような目で僕を見る。

「お前、ほんっとうに弱いな、張り合いがない」
「え、えぇ…少しは努力しているのですか」

いつになったらお前は強くなるんだろうな、とオセロを片付けながら彼は一人で呟いた。
そして後ろの棚にゲームを片付けると次は何がいい?と将棋やチェスやらを持ち出してくる。
僕は適当に「じゃあ将棋で…」などといっていたが、内心では彼の変貌振りに驚いていた。

あんなに弱い部分を見せて泣いていた彼は、もう好きの気持ちを捨ててしまったのだろうか。

あまりにも早い気持ちの切り替えに、僕のほうが戸惑っている。
僕のほうが意識してしまっているだなんて、いつも通りに戻りたいと願っている彼に対して失礼だ。
それに、きっとお互い忘れてしまったほうがこれから一緒にすごしていく上で楽なのは分かりきっている。
だから、僕もいつも通り。
本当にいつも通りに戻ろうと、あの笑顔を顔面に貼り付けた。








僕と彼が元通りになろうと約束してから一週間が過ぎた、今日は木曜日だ。
最近、僕は彼が痩せてきたんじゃないかと心配していた。
いつも通りに笑って、怒って、呆れている彼の表情はいつも通りなのだが、何かおかしい。
僕は昼休みになると、思い立ったように席を立ち、弁当を持って九組から出る。
そして階段を上って五組の教室に向かった。
きっと彼は谷口君や国木田君と弁当を食べているに違いない。

しかし、そこの彼の姿はなかった。

聞いてみると、今週の頭くらいから「屋上で食べる」と言い残して姿をくらませているという。

「おっかしいよな、アイツもしかしたら彼女でも出来たんじゃねぇの?」
「あはは!あり得るね、確か月曜日にキョン、ラブレターもらってたし」
「な、にいぃぃいい!!!なぜそれを俺に言わない!?俺は先を越されたのか!」

あああぁ、と頭を抱えて悶絶する谷口君を見ながら国木田君は笑っていた。
しかし、僕の心中は穏やかではない。

本当に彼はもう、彼女を作ってしまったのだろうか。
僕のことなんかもう忘れて。

わけが分からない気持ちに取り憑かれて、僕は屋上に向かって走りだした。
もし、彼の隣に可愛い女の子が座っていたらどうしようだなんて、そこで僕は何をするのかだなんて考えもせず。
ただただ全速力で屋上への階段を駆け上った。



息を切らしながら僕は屋上の扉の前に立っている。
どうしようかなんて考えても居ないし、それ以前になぜ僕がこんなに必死になっているのかもわからなかった。
本当に、自分が分からない。

僕は震える手で屋上のドアノブをひねった。
カチャ、と音がしてノブが回り、ゆっくりと扉が開く。
少しあいた隙間から屋上の様子をのぞき見る。
しかし、そこには誰の姿も見当たらない。
今日は違うところで食べているのだろうか、という思いが過ぎる。
が、奥のほうで人の気配がした。
あそこは、僕が無理矢理彼を組み敷いた場所。
ゆっくりとそこを覗き見ると、彼が居た。
その彼の姿を見て、僕は情けないくらい顔が歪んだのが分かる。


彼は泣いていた。
次から次へとあふれ出す涙を必死に拭ってしゃくりあげている。
足元にはふたが開いてはいるが、ほとんど手が付けられていない弁当箱が置かれていて。
きっと彼はほとんど食べられないのだ。
確かに先週土曜日に実施された市内探索のファミレスでも彼は昼食時にも関わらずコーヒーを飲んでいたし、昨日涼宮さんが突然開催した鍋パーティーでも野菜を少しつついていただけなのが思い出される。
彼はしゃくりあげながら、途切れ途切れに僕の名前を呟いた。

彼は決して僕を好きだという気持ちを消したわけではなかったのだ。
ただ、必死に、必死に隠して。
普通通りに振舞うために自分の気持ちを押さえ込んで。
その反動として彼は苦しい気持ちを吐き出すように一人で泣いていたのだ。
僕はそれに気づいてあげられなかった。

「うぇ、ひっく…う、こい、ずみぃ…」

ぽろぽろと流れる涙を手の甲で拭いながら、本当の気持ちを吐き出す。

「好き、まだ、大好き…っ!で、も、忘れなきゃ、忘れ…」

もう、だめだった。
僕を思って泣く彼が可愛くて、いじらしくて、愛おしくて。
一気に気持ちがあふれ出す。

僕は彼の元に駆け寄って思い切り抱きしめた。
あまりの驚きに泣くことも忘れて彼が僕の胸の中で固まる。
僕は痛いくらいにその細くなった体を抱きしめて大きな声で叫んだ。

「なんであなたはそんなに可愛いんですか…!!」





続く



あきゅろす。
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