切ない痺れ9




浴室から出てきた僕たちを見た妹さんは泣きそうな目でこちらに駆け寄ってくる。
僕が浴室で倒れていただけだから大丈夫だと説明をし、彼の寝室まで運んでやると、やっと落ち着いたのか彼女は水を持ってくると彼の部屋を出て行った。

僕の腕の中で気を失ったフリをしている彼にもう大丈夫だと声をかけようとする。
しかし、なぜか彼は返事を返さない。
よく見ると彼は本当に気を失って眠りに落ちていた。

「都合がいい人だ…」

僕はぼそりとそう呟くと彼をベッドに横たわらせておく。
彼の寝顔を少しの間だけ見つめてから、僕はその場を立ち去ろうとした。
しかし、何かに引き止められて僕は後ろを振り返る。
よく見ると、彼は僕のブレザーのすそをしっかりと掴んでいたのだ。
僕は半ば諦めたようにベッドサイドに腰掛ける。
まったく馬鹿みたいだ、こんな手、早く振りほどいてこの場から立ち去ればいいのに。
なのにそれが出来ない。

「キョン君…」

少しやつれたような彼の顔をそっとなぞってみる。
彼の体温のほうが高いのか、僕の手が冷たいのか、心地よいぬくもりにどこかで安心している自分が居た。
それに気づいてまた馬鹿馬鹿しいと思い、僕は彼の手を振りほどき今度こそ帰ってしまおうと立ち上がる。
神には適当になにかしら伝えとけばいいだろう。
そう思って僕は扉に向かって歩き始めた。

「こいずみ…」

と、突然後ろから声をかけられる。
驚いた僕はゆっくりとそちらを振り返った。
そこにはうっすらと目を開けて、僕をまっすぐ見つめている瞳がある。
僕は高鳴る心臓を抑えながら、彼の問いかけに答えた。

「何でしょうか」
「ごめ、ん…」
「何のことでしょう」

わざと何も分かっていないように答えると、彼の眉間に皴が寄るのが見える。
僕はまだ彼のしたことを許したわけではない。
もちろん、彼も僕のしたことを許しているとは思えないが。
きっともう戻ることの出来ないあのころを思うと胸が痛んだ。

「少しだけ、話を聞いて欲しい」

そういって彼はポツリポツリと話を始めた。
話の内容はもちろん、先日のトイレでの1件だ。
彼はゆっくりと身体を起こすとまず、こう言った。

「俺は別に便所で気持ち悪くなって吐いていたわけじゃない」

泣いてたんだ、と苦しそうな笑みを浮かべて僕を見る。
なぜか僕は胸がざわざわと騒ぎ始めるのを感じていた、聞いてはいけないような気がしてならない。
それでも彼の話はどんどんと進んでいく。

「俺はお前があの女の子と話しているのを見て、嫌なことを考えて嫉妬して…そしたら涙が出てきたから慌ててトイレに駆け込んだ」
「………」
「俺はお前に嫉妬したんじゃない、あの女の子に嫉妬したんだ…!」

話はとんでもない方向に進んでいく。
これじゃあまるで、彼は僕のこと好…

「好き、なんだ…お前が」
「な、に言ってるんですか…」
「お前が俺が彼女のこと好き、みたいに勘違いしてるのが嫌で、苦しくて…!」

だから、気づいたらあんなことしちまってたんだ、と彼は言った。
僕はにわかに信じられない気持ちでいたが、これだったらすべての辻褄が合う。

僕が彼にしたことは。
とんでもなく、彼を傷つけることではなかったのだろうか。
彼は、好きな男に無理矢理犯され、た…?

「そんな、嫌そうな顔するなよ」

僕が顔を歪めて呆然としていると彼が眉を下げて、困ったように笑っているのが見える。
僕はぎゅっと手のひらに爪が食い込むほどに握り締めた。
ああ、どうやって謝ればいい。
しかし、彼は優しいからまた僕に対してごめん、と謝った。

「お前のこと傷つけちまった、ははっ、男にいきなりあんなことされたらそりゃもう仕返ししてやりたくなるよな」
「仕返し、だなんて…それに僕よりあなたのほうが傷つ」
「もう、忘れてくれ、今言ったこと…俺もこんな気持ちさっさと忘れるから」

僕の言葉をさえぎるように、強くそう彼は言った。

だから、前までの俺たちに戻ろう

これが彼の出した決着の付け方だったようだ。
僕はいまだ怖い顔をしていたのだろう、彼はまだ僕が怒っているのかと勘違いしたのか。

「だ、だめ…か?だったら気が済むまで俺を殴れ」
「そんなの、出来るわけないでしょう…!」

搾り出すような声で僕は叫んだ。
すると彼はいつものように笑って。

「じゃあまた明日からはいつもどおり、な?」
「……は、ぃ…」

僕はもう、そう返すしかなかった。






続く


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