切ない痺れ8





“古泉一樹”にしては非常に厳しい顔をして、僕は彼の家の前に立っていた。
右手には神に渡された来月の行事案のプリントと、数冊のノートが握られている。
神は「キョンの様子を見てきなさい!」と僕に言いつけて、朝比奈みくるや長門有希とともに部室を出て行った。
残された部室で僕がどれだけ頭を悩ませたか、彼女は知らないだろうに。
しかし、彼女の言いつけに逆らうわけにも行かず、僕は妹さんか誰かに彼の様子を聞いてから、彼の顔は見ずにその場を立ち去ろうと考えていた。

「あれ、古泉君だー」

ふと、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
振り返ると思ったとおり、彼の妹であった。

「キョン君ならだいぶ調子が良くなったよ〜!今ね、果物買いに行ってたところなの」
「そうですか、それは良かった」

そう、いつものように笑って僕はプリントとノートを渡そうとする。
しかし妹さんの両手いっぱいのビニール袋を見てそれはやめた。
仕方がなく、玄関口までお邪魔になると僕はプリントとノートを差し出す。

「これ、涼宮さんからです、彼に渡しておいてください」
「うん、分かった!あ、キョン君呼んでくるね!」
「え、いや、結構ですので…!」

彼女の要らない気遣いに僕は慌てて彼女を引きとめた。
しかし、それを聞くことなく妹さんは階段を駆け上っていってしまう。
どうしようかと荷物を握り締めていると、なぜかすぐに彼女が一人だけで降りてきた。
きっと彼はまだ寝ていたのだろう、そう思ってほっとしたのも束の間。

「キョン君がいない…」
「え…?」

妹さんもびっくりしている様子で、おろおろとしている。

「果物買いに行く前にお風呂にシャワー浴びに行ってたけど…」
「それにしても長すぎですよね?」

そう尋ねると、妹さんは弱弱しく頷いた。
彼はどこに行ってしまったのだろう。
とりあえず僕は彼の自宅に上がらせてもらい、風呂場に向かった。






僕と妹さんはお風呂場の前まで行って胸を撫で下ろす。
中からは水音が聞こえて、人影も見えた。
彼は長風呂なのだろう、僕はもうこれで用はないと帰ろうとする。
しかし。

「キョン君、キョンくーん!」

いくら妹さんが中に声をかけても返事はない。
ただ、シャワーがザアアァ…と流れている音しかしないのだ。

「キョン君、中で死んじゃってたらどうしよう…!」
「そんな、」

馬鹿な、そういいかけて僕は口を噤む。
死ぬことはなくとも熱が出ていた身体だ、汗を流している途中に倒れてしまったのかもしれない。
僕は一応妹さんに風呂場から出てもらうと、深く息を吸い込んで浴室の扉を開けた。


「………ッ!!!」

僕は一瞬にして固まる。



確かに、そこに彼は居た。
倒れてもおらず、きちんとそこに座っている。

しかし、しかしだ。

彼は寝巻きを着たまま呆然とそこに座っていたのだ。
頭の上からシャワーの水を受けながら。
しかも、僕が入ってきたことにまったく気付いていない。
その手にはスポンジが握られており、ゴシゴシと腕を擦っている。
その腕はなぜか真っ赤になっていて、見ると捲くられたズボンから見える足も真っ赤だ。
きっとスポンジで擦り続けていたからだろう。

咄嗟に僕は彼の名前を大声で呼んだ。

「キョン君…!何をしているんですか!!」

そこでやっと僕の存在に気付いたのか、彼はゆっくりと僕を見上げた。
その目はどこか虚ろで、僕を見ているのかその向こうを見ているのかよく分からない。
とにかくこの異常な行為をやめさせようと僕は彼の腕を掴み、スポンジを取り上げた。
途端、びくりと身体を震わせて、彼は明らかに怯えたように眉を下げる。
そして、小さく呟いたのだ。

「汚いから触らないでくれ…!」

その、明らかに拒絶するような台詞に僕は俯く。
なぜかは分からないが、落胆した自分が居た。
しかし、そんな僕を見て彼は苦しそうに笑って首を振る。

「汚いのは古泉じゃない、俺が、汚いんだ…」

そういった途端、ポロリと涙をこぼすと彼は浴室の中を何かを探すようにぐるりと見渡して。
そして、目に付いたのであろう茶色くて硬いそれを手に取り、自らの腕に押さえつけようとする。

「綺麗に、しなきゃ…」

震えながら、口元にうっすらと笑みを浮かべて、たわしをぐいっと肌に食い込ませた。
僕はそんな光景を見ていられなくて、彼を抱き上げると無理矢理浴室から引きずり出す。

「やめろ、はなせ…!!」

じたばたと暴れる彼を無視して僕は寝巻きを剥ぎ取るとそばにおいてあったバスタオルで彼を包み込む。
そしてまた抱え挙げると、一言こういった。

「外には妹さんが居ます、気を失っていた、という設定が一番都合がいいんじゃありませんか?」

それを聞いて彼は心底悔しそうな、嫌な顔をしたが、もともと妹思いな性格からか、おとなしく目を閉じる。
僕はそれを確認するとゆっくりと扉を開けた。






続く


あきゅろす。
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