あなたの手を取って4
これで彼が職場の子どもであるのだったらもうそろそろやめないと本格的にまずいということを分かりやすく、丁寧に説明して説得していたところであろうが、彼は子どもでもなければただの友人でもない。
元・保護者なのだから無理に酒を取り上げるわけにもいかず、様子を見ていたのだがここにきてやはり止めればよかったと僕は後悔していた。
 グラスの群れの中に頭を突っ込んで伸びているのは他でもない、彼だった。
すっかり酔いつぶれてしまった様子で、意識はかろうじてあるものの何を言っても理解していない様子だ。
 とにかく居酒屋から出てしまおうと思った僕は彼の肩を支えながら外に出る。
冷たい空気にあたれば少しは意識がしっかりするかと思い、落ち着くまで近くにあったベンチに彼を座らせて休ませた。

「あなた、ご自宅はどこですか?」
「ん、ん………」

 しばらく経ってからこのように質問していたのだが、当然のごとく何を聞かれているのか分からないといった感じで首を傾げられるだけで終わる。
まったくもってだめだ。
 彼にもらった名刺には会社の所在地と電話番号、メールアドレスしか記されていないため住所は分からない。
財布の中でも漁れば分かるだろうと思ったのだが、酔っ払いの財布から現金をくすねている盗人と勘違いされてはたまらないからよしておく。
 だからと言ってこの場所に置いて帰る訳にはいかないからと、僕は仕方が無しに彼を再び立ち上がらせるとタクシーを止めて、一緒に乗り込んでいた。
彼を僕の家に泊めるつもりでいるからだ。
 どうせ明日は休みだし、と自らを励まして自宅につれて帰るとベッドに彼を横たえる。
その頃には彼は眠ってしまっていて、静かに寝息を立てるのみとなっていた。

「やれやれ……」

 眠っていてもなお悲しげに顔を歪めている彼が可哀想でつい、頭を撫でてしまう。
保育士という仕事柄、どうしても誰かを甘やかしてしまいたくなるのはもはや職業病だろうな。
 しばらく彼の頭を撫でさすった後、彼の体を締め付けているネクタイやらベルトを外しやり、僕は自らの汗を流すため風呂場に向かった。
 暖かい水流を頭から浴びながら、彼と彼の子どものことを考えていた。
彼らは本当に仲がよく、まるで血が繋がっている親子かのように愛し合っていた。
 お迎えで父親である彼が顔を見せるたびに飛び跳ねて大喜びし、胸の中に飛び込んでいっていた彼は今頃どうしているだろうか。
たった一日しか経っていないというのに、彼と過ごした時間が懐かしくて、寂しくなる。
 考えれば考えるだけナーバスになってしまうからと頭を左右に振った僕は、顔を洗い流すとバスタオルで髪の毛をがしがしと拭いた。
ごちゃごちゃ考えるのはあまり好きではないのに、いつも余計なことまで考えてしまうのは僕の癖だ。
 溜息をつきながら風呂場から出ると、髪を乾かそうとドライヤーを手に取りかける。
しかしそのとき、寝室のほうからすすり泣くような声が聞こえてきて、はっとした僕はその方向を振り返っていた。
 泣いているのは彼であるのは間違いが無いのだが、ここで行ってあげたほうが良いのか悪いのか分からない。
 どうしようか迷ってはいたのだが、泣いている人がいれば行って理由を聞いて慰めたくなるのは仕方が無いことだ。
子どもをあやす様な気持ちになった僕はドライヤーをその場に置くと、泣き声が聞こえてくる部屋へ入った。
 暗い室内の隅っこに置かれているベッドの上に丸くなっている物体があって、それは時々嗚咽にあわせて微動している。
 横に腰掛けると背中をぽん、と叩いてどうしたんですか、と尋ねた。
しかし彼は僕に返事を返すことなく泣き続けている。
慰めに行ったとき、こうやって知らん振りされるのは慣れている。
良くあることだ。

「どうしましたか?気持ち悪い?」

 ふるふる、と彼は顔を左右に振る、気持ち悪い訳ではないらしい。

「じゃあ、どこか痛い?」

 再度同じ動作を繰り返す。痛いわけでもないらしい。

「じゃあ、寂しいんですか?」

 そう聴くとぴく、と彼の方が揺れ動いて、しばらく経った後にこくり、と頷かれた。
そうだろうとは思っていたが、こんなに号泣するほどだなんて。
いや、彼は家族を失ったのだから泣きたくなるのは当然だ。
 震える彼の背中は小さくて、一児の父親だとは思えないほどのものだった。

「寂しい、寂しいんだ……」

 何度もそう繰り返して言った彼はいきなり身を起こして僕に体当たりをし、僕の体をベッドの上に転がした。
あまりにも一瞬の出来事で意味が分からず、目が点になる。
 しかし、その後すぐに彼が僕の体の上に乗っかってきて。
予想だにしなかった出来事に焦った僕は何をしているんですか、と叫んでいた。
彼はというと、小さく「お礼」とだけ呟いて、下半身を僕の腹にこすり付けてくる。
 待て、僕は確かにガチな人種だが、彼はそうではないだろう?
だって女の人と結婚して、連れ子だけれども子ども持ちで……と思ったところで気が付く。

(待てよ、結婚して最低二年は一緒にいるのに、なぜ彼は自分の子どもを奥さんとの間に作らなかったのだろう)

 ただ単にお互いが忙しくて時間が取れなかっただけかもしれない、と思いたいのだがこの状況からしてそれは考え辛いだろう。
子どもはいない、仲睦まじく見えた夫婦にいきなりの別れ、しかも旦那が他の独身男性(僕)を押し倒して、勃起した性器を布越しにこすり付けているこの状況。
 もしかして、もしかしなくても、彼も僕と同じ人種なのだろうか。聞きたい、が聞けない。




続く


あきゅろす。
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