気づいて9.5
仕事なんて捗るわけがない。
今日は自分でも信じられないほど上の空で仕事をしていた。
課長から「今日仕事が終わったら明日の会議で使うレジュメを一緒に作りましょ?」などと言われた気がする。
しかし、ぼんやりしたまま生返事しかしなかった。
だから、定刻通りに片づけなんて始めてしまうんでしょうね。
「古泉君、どうしたの…今日は残ってくれないの?」
また始まった、だなんて思ってしまう。
それほどまでにこの女はしつこい。
僕は気づかれないようにため息をつくと、にこやかに笑った。
「申し訳ありません、家庭の事情で帰らなければならないので…」
「あら、だったら尚更帰したくないわね」
女上司は不機嫌そうに顔をしかめると、僕にまとわりついてきた。
本当にやめてくれ、気持ち悪い…と思っても口には出さない。
とにかく、僕の頭の中は紙切れ一枚をどうするべきかで頭がいっぱいだ。
レジュメなんて作ってる場合じゃない。
「申し訳ありません…大事なことなので」
「これ、打ち出しておいて」
僕の意見は一つも聞き入れられず、返されたものはレジュメの下書きだった。
あまりの憤りに言葉がでない。
脱力したように椅子に腰掛けると、レジュメをパソコンの上に投げた。
代わりに鞄から離婚届を取り出す。
僕の実印のところはまだ空欄だ。
だって、別れたくないから。
「くそっ…!」
頭を抱えてその書類と格闘する。
もう、どうしたらよいのか分からなくて泣きたくなった。
辛い、苦しいだなんて言える相手が誰もいない。
本当はキョン君に言うべきことだったが、いらない心配をかけたくなくてこの件に関しては黙っていたのだが。
「苦しい…」
ぽつり、と呟いてやけに情けなくなった。
リセットボタンがあればすべて最初からやり直せるのに。
人生と言うのはその点不便だ、やり直しがきかない。
一度誤った選択をしてしまっても、そのまま進まないといけないのだ。
(これじゃあ、彼との結婚も選択ミスみたいじゃないか…)
ふ、とそう思ってさらに泣きたくなった。
決して誤りであったとは思いたくないのだ。
しかし、最終的には離別の方法を取ろうとしている。
結局は、彼は離婚という形のリセットを望んだのだ。
「惨めだ…」
頭を抱えてそう呟いたとき。
「おーい古泉!」
休憩室から携帯電話を振り回しながら谷口君が出てきた。
何とも暢気なものだ、羨ましい。
「お前、もう帰るのか?」
「え、えぇ…レジュメ打ち出し頼まれたのですが、今日どうしても外せない用事があって…」
「そうか、でももうちょいと会社にいてくれ」
「はい?」
なぜか彼からも足止めを食らっている。
僕は早くこの紙についてどうするべきか考えたいのに。
続く
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