【朱】エキザカムの道しるべ
……朝だ。
瞼が腫れぼったい。それはまあ、徹夜で漫画読んでたんだから当然。
なんだけど。徹夜だけが原因でない疲労感が、私に重くのしかかっている。
……しんどい。
どんな漫画でもだいたい敵キャラにハマってきて、そのせいで好きなキャラの死亡率が尋常ではないのは昔からなんだけど。
それにしてもまーしんどい。第二部、暁死にまくるんだもん。
「はぁ〜〜〜好きなキャラが死ぬってつらいわぁ……」
自分で呟いた言葉に、何か小さな引っ掛かりを感じた。
「……好きな『キャラ』……」
その引っ掛かりはどんどん深く刺さって食い込んでいって、容赦なく痛みを与えてくる。
漫画のキャラが死んだからって、こんなに苦しいことあったっけ?
……いや、苦しいのは苦しいんだけど、ここまでではなかった気がするな。
「なんだろう。暁のみんなが死んじゃって、それで……私は」
つらい。悲しい。
……ちょっと違うな。どっちかというとこれは……無力感?
色々考えながら朝ごはんを食べて、結局また漫画の山の前に戻ってきて考え込む。
私の人生史上、こんなに何かを考え詰めたことなんて初めてかもしれない。それもどうなんだって話だけど。
「名前、ちょっと良い?」
考え始めてどれくらいたった頃か、部屋の外から声をかけられた。ドアを開けると、そこには紙袋を下げたお母さんが立っている。
「これ、渡しておこうと思って」
差し出された紙袋の中を見てみると、ビニール袋に入った服やら靴やらが詰め込まれていた。
「あんたが発見された時に身につけてたものよ。警察の人が、調べるからって回収してたんだけど……。行方不明の間の記憶、どうしても思い出したいなら、役に立つかもしれないでしょ」
「どうしても思い出したいとか、言いましたっけ」
「見てたら分かる。あんたにしては珍しいくらい口数が少ないし」
「……うん」
「見たことないくらい深刻な顔してるし、いつもみたいに自分の好きなものばっかりガツガツ食べないし、食べたあとすぐにごろ寝しないし、足癖も」
「あ、もうそのへんで」
徐々に悪口になりつつあったところを制止して、私は改めて紙袋の中を見る。服も靴も、それなりに使い込まれているように見えるけれど、そのどちらにも見覚えはない。
「……お母さんとしてはね、今まで通りの生活を送れるんなら、思い出さないままでも良いんじゃないかって思うんだけど」
顔を上げると、お母さんはちょっとだけ思い詰めたような目で私を見ていた。
「でも、名前が思い出したいなら、そうした方が良いと思って」
「……ありがと、お母さん」
部屋に1人になって、紙袋の中身を床に広げてみる。服と靴。
驚いたことに、服は赤黒く汚れていた。これ、もしかしなくても血だ。お腹のあたりにべっとりと、そこそこの面積を汚している。
でも、私のお腹に特に怪我とかはなかったし、一体どういうことなんだろう。
それに、この靴。
「変な形。靴ってかサンダルみたいデスねえ」
試しにちょっと履いてみる。
大きすぎず小さすぎず、ものすごく履き心地が良い。「履き慣れた」という表現がぴったりだ。この感じだったら、長時間歩いても靴擦れなんてしなさそう。
……私が発見されたときに身に付けてたんだから、ホントに履き慣れてたのかもしれない。変な形の靴だけど。
「あれ?そういえば、この靴……」
ふと気が付いて、床に積んだままのコミックスを手に取った。何巻でも構わない。適当なページを開いて「やっぱり」と呟く。
「忍が履いてるやつじゃん!」
見た目も質感もそっくりだ。すごい、レベル高いコスプレ衣装みたい。私これ着てたの?コスプレしてたのか?
「……いや、コスプレじゃない。これって……」
何かを思い出しそうで、あとちょっとのところで引っ掛かって出てこない。そんな感覚に歯噛みしていた――その時。
かさ。
紙袋の中から音がした。かすかな音。だけど偶然立ったわけではない、明らかな意思を持った断続的な音がする。
かさかさ、かさかさ。
虫か何かが紛れていた?覗き込んでみる。虫なんていない。そこにあったのは、小さなポリ袋ひとつだけ。何か入ってる。
「これは……折り紙の、花?」
それにしては丈夫だな。紙袋の中で服やら靴やらの下敷きになってた割には、余計な折り目ひとつついていない。
薄紫色の小さな花。ポリ袋に「ポケット(右)」とメモ書きがしてある。服のポケットに入ってたってことかな。
「……可愛い」
手のひらに乗せて、まじまじと見つめてみる。可愛いのは可愛いんだけど、何でこんなものポケットに入れてたんだろう。アクセサリーでもないし、キーホルダーのたぐいでもない。ただの折り紙。
――お守り、だそうだ。
「お守り……」
そうだ。これ、お守りだ。貰ったんだ。
……誰に?
―― から頼まれてな。
……誰?
その時唐突に、本当に唐突に、色々な光景が一緒くたに混じり合って、頭の中を濁流みたいに流れていった。
手のひらの中の小さな花。薄暗い廊下。翻る黒いマント。仮面。紅い瞳。誰かの微笑み。
そして……
「小南ちゃん」
ぽたりと、ひとしずくの雨が落ちるように、その人の名前が唇からこぼれた。
私の手の中にある、薄紫色の可憐な花びら。これはお守りだ。
そうだ、これ、小南ちゃんに貰ったんだ。どうして忘れてたんだろう。
あれ?……小南『ちゃん』?
小南って、NARUTOに出てくる、暁の?
ぽたり。思い出す。キャラクターとしての彼らではなく、生きた人間としての彼らの声を、気配を、体温を。
ぽたり、ぽたり。
ひとつきっかけが流れ出したら、もう止められない。分厚い雲からこぼれ落ちる雨粒のように、欠けた記憶は次々に補われていく。
そうだ。私にとってあの人たちは「漫画のキャラクター」なんかじゃなかった。
ものを食べて、眠って、私が馬鹿なことをしたら怒ったり鬱陶しがったり、時々は笑ってくれたりもして。
それぞれの人生があって、感情があって、確かな体温があって――私にとってあの人たちは……生きた人間だった。
誰を忘れていたのか。誰を思い出したかったのか。誰に会いたかったのか。誰に会えなくなってしまったのか。
記憶が、思い出が、土砂降りのように私の脳を打ちつける。
そして、「思い出さなくて良い」と囁く声の主を思い出したとき――……
「……ああ、」
嗚咽にも似たため息だけが、吐き出された。
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