人生とは学びの連続である。
中庭は、このアジト内で唯一陽の光が射し込む場所だ。そこに寝転がり、高く広い空と外の世界に思いを馳せるのが、名前の日課になっていた。
ただ、ここ数日は生憎の空模様で、名前は止まない雨を眺めては、アンニュイな溜め息をついていた。
「はあ……頭からキノコ生えそう………」
「暇なら手伝ってくれって、再三言ってるだろ」
たまたま通りかかったカブトが、迷惑そうに言う。只今アジトは定期的に繰り返している引越しの準備中で、大量の薬品や記録書類、実験道具などをまとめるだけで、どこもかしこも人手不足という状態だった。
当然、名前は自分の荷物だけさっさとまとめた後は、ほとんど手伝っていない。
「暇なんじゃなくて、やりたいことは沢山あるのに出来ないというか、結果暇というか」
「暇なんじゃないか。これ、運ぶの手伝ってくれよ」
「うーい」
じっとしているのも精神衛生上よろしくないと考えたのか、名前は気のない返事をしてカブトの持っていた荷物の一部を担ぐ。
「この荷物は次のアジトに転送するから、転送部屋に運ぶよ。はいこれも持って」
カブトと共に、名前はのろのろと転送部屋へと歩む。転送忍術の術式を施したその一室に荷物を集め、一気に次のアジトへ送るのだそうだ。
「転送忍術ねえ……時空間忍術とどう違うんでしたっけ」
「性質は似ているけど、本質的に全く異なる忍術なんだ。時空間忍術が空間に働きかけるのに対し、転送忍術はまず物質そのものを…」
「あ、やっぱ良いデスその辺で」
薄暗く、連日の雨のせいでじめじめと重苦しい廊下に、2人分の足音と話し声が響く。
その部屋は、大蛇丸の居室のすぐ側に備えられていた。さあ着いたよ、とカブトが部屋のドアを開ける。
部屋の壁一面に書かれた術式に、名前はしばらく目を奪われていた。
冷たい灰色の壁は、その殆どが細かい墨の文字で覆われている。
「転送先に、これと対になる術式をあらかじめ書いておくんだ」
「準備めっちゃ面倒臭そうデスねえ。これ、人間は転送出来ないんですか?そしたら移動も楽なのに」
「人間の転送は、今はまだ研究中だね。試しに実験台になってみるかい?四肢がバラバラになるかもしれないけど」
「うえー、ノーセンキューです」
へらへらと性格悪そうな笑みを浮かべたまま、カブトは名前に巻物を手渡した。転送忍術の術式が記してある。
「ここと同じような転送部屋を、あと2つは作ろうと思ってる。これが書けるようになったら、キミもボクの部下として取り敢えずは合格かな」
「さっそく眩暈がしてきたんですけど、もしかしてこれ全部覚えるんですか」
「覚えるのは要所要所だけで充分だよ。あとは理論に従って組み立てるんだ、慣れれば応用も…」
応用ねえ……そんなこと言われても。
転送忍術の応用ってどんなんだろ。例えば逆転送とか、転送先を分散したりとか……
ふと考える。
(そういえば、私がこっちの世界に来たアレは、ある種の時空間忍術みたいなものだったんじゃないか?)
二次補正だのトリップだのと、既存の概念に当てはめて軽く考えていたが、つまりはそういうことなのか。
気付かぬうちに、名前は考え込んでいた。
転送忍術……時空間忍術………別世界に移動………口寄せの術と似ている?
そうだとしたら、意図的に移動することも……
……ここから、出ることも…
「逃げる算段かい?」
突然図星を突かれ、名前の肩がビクリと跳ねた。カブトにしてみれば、もしかして程度のことを当てずっぽうで口にしただけなのだろう。予想以上の反応に、少なからず驚いているようでもあった。
「なっな、なんですかいきなり!」
「あれ、図星かい」
「…………チクります?」
「わざわざそんな面倒なことはしないよ」
カブトは、しかし人の悪そうな笑みを浮かべたまま名前の頭を小突く。
「キミがいくら知恵を絞ろうと、大蛇丸様からは逃げられない。そうやって無駄な足掻きをして、失敗するたびに絶望するキミを見るのは、良い娯楽になりそうだしね」
「うわ性格悪ぅ。禿げろ」
仕方がない。世の中、そう何でも上手くはいかないものなのだ。
「ま、転送忍術を覚えるの自体は面白そうだし、手伝ってあげますよ、転送部屋作り。この術式を書けば、誰にでも使えるんですか?」
「すべからく誰にでもという訳にはいかないさ。転送忍術にも、ちょっとしたコツみたいなものがあるからね」
「とにかく書いて試して練習するしかないってことですね。ありがとございます、この巻物、お借りしますね」
運んできた荷物をその辺に放り出し、名前は巻物をポーチにしまいこむ。これでまた、しばらく退屈はしないというものだ。
「精々たくさんオベンキョーして、脱出を試みてみますよ」
「ふん、精々ね」
名前の挑発的な言葉も、カブトは全く意に介していないようだった。しょせん逃げられないとタカを括っているのか、軽く流しているつもりでもしっかり見張っていくつもりなのか。
「まあ見てて下さいよ。すぐに有能な人材になってあげますからね、名前ちゃんは」
どうだか、と肩をすくめるカブトを横目に、名前は転送部屋を出て書物庫へと向かう。本を読む時は本に囲まれて。あそこは本の保存状態を良くするためか、湿気もここほどではない……気もする。
ほんの少しだけ前向きになった気持ちとともに、揚々と書物庫のドアを開けたところ、大蛇丸と鉢合わせをしてまんまと捕まってしまったのは、また別の話である。
(そんなに驚いて、幽霊とでも思ったのかしら?)
(下手すりゃユーレイよか怖いんですよねぇ…)
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