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涙雨




「刹那」

背後からやわらかな声がかけられ、刹那は振り向いた

マリナが上部甲板に歩み出ながら咎(とが)める

「どうした…?」

「もう寝ないと傷に障(さわ)るわ。朝には発進するのでしょう?」

「ああ……」

答えつつ、刹那はふたたび、煌々と照る月を見上げた

刹那は左腕と頭部に、怪我を負っていた

マイスターである以上、死と隣り合わせである

外傷が思った以上に酷く、時折激痛が体を駆け抜ける

霞(かす)んでいく意識を保とうと、必死にレバーに縋(すが)りつこうとする

だが体に力が入らず、熱い泥に吸い込まれるように意識が薄れていく

次の瞬間を待たず、ふっと視界が暗くなった

事態を重くみたスメラギが地上にいる医師、モレノに連絡を入れ、エージェントである王留美の力を借りて治療を受けに来、この艦(ふね)で「3日間限定」と、いう制限つきで療養中であった

マリナがやってきて、並んで手摺(す)りに寄り掛かる

しばし、2人は気心の知れた者同士の間に流れる沈黙に浸(ひた)った

ややあって、刹那は口を開く

「……ここはこんなに静かなのに」

マリナがこちらに目を向ける

美しく輝く月

今、あの周辺では熾烈(しれつ)な戦闘が繰り広げられているのだろう

ここからは見ることも出来ない無数の生と死が、あの美しい月を取り囲んでいる

そして、明日には自分達もこの静かな場所を離れ、それに加わるのだ

「なんで俺達は、ずっとこんな世界にいられないんだ……」

思わずそんな疑問が、刹那の口から零れた

するとマリナが、考え込みながら答える

「それは、夢があるからじゃないかしら?」

「え?」

刹那はマリナの顔を見やった

マリナは気負いのない口調でとつとつと語る

「ソランだった頃も、今は刹那と名乗る貴方にも、あるでしょう?願いとか、希望とか――」

ここまでの道のりの長さ、数々の困難を思い返す

「そんなものはなかった。そして、これからもないと思っていた…」

マリナはちょっとたじろぐ

「でも、今は違う」

刹那・F・セイエイとして生きる、自分に言い聞かせるかのように言い放つ

「今はお前がいる、お前がいてくれる限り、俺は世界の悪意と戦う」
「刹那……」

何気なく訊(き)いたつもりだった

まさか、刹那本人の口から真摯な気持ちを聞くことが出来るとは――…

予想外の反応にマリナはそっと微笑む



指先に絡まる髪をいとおしく思わなかったときはない

きみが動くたびに揺れる髪を、そこから立ち上るかおりを、いとおしく思わなかった日々などない

握り締めたてのひらはやわらかだった

このまま繋いでいればとろけてひとつになるのでは。と危惧するほど心地がよかった

それとも、いっそのことひとつになってしまえばよかったのだろうか

なれていれば、彼女は泣くことを忘れずに済んだのだろうか



「…刹那」

マリナも、身を苛(さいな)む苦痛に耐えるように俯(うつむ)いたままだったが、すぐに取り繕(つくろ)った笑みを浮かべる

「私も刹那と生きる明日が欲しいわ」

マリナの瞳に悲しげな陰(かげ)が忍び込む

「マリナ」

刹那は何も言えず、黙って彼女を見つめる

「例え、それが儚(はかな)い夢物語だとしても」

答えた声は柔らかかったが、微かに痛みを堪(こら)えるような響きが混じっていた

2人の間に、しばし、沈黙が落ちる

マリナは刹那に視線を移(うつ)す

言葉は、なかった

刹那は手を伸ばし、マリナの体を抱きすくめる

衝動が自制心を押し押し退(の)けた瞬間だった

「俺も……生きてみたい。マリナと共に、生きたい」

囁くと、それに応(こた)えてマリナの手が上がり、縋りつくように刹那の背中を抱いた

その手に束の間、痛いほどの力が篭(こも)る

花は散る

人も散る

誰が決めたでもない摂理は絶対であり何処か脆いものを感じずにはいられない

時が経てば花は咲く

しかし人は咲く事はない

流転する輪廻は確実にわたしの足元に忍び寄り、いとしいひとの影を食らってゆく

崩壊は止められない

終焉もまた、然りである



「マリナさん」

キセルをくわえ、下駄(げた)を履(は)き、黒の羽織を纏った斑(まだら)模様の猫が迎えに来た

恥ずかしさからか、マリナは刹那からすぐに身を離す

刹那が地上へ降りてくると知ったのも、私がここへ来られたのも彼のおかげなのだ

名をマタムネという

「いい雰囲気のところ、邪魔をして申し訳ないが…もうよろしいだろうか?マリナさん。あと数時間もすれば夜も明ける」

「ええ、じゃあね刹那。会えて嬉しかったわ」

「ああ。今度は俺がお前のいる場所に会いに行く」

マリナは微笑んで頷(うなず)く

「楽しみにしてるわ」

マリナはもう一度、しみじみと刹那を見つめたあと、黙って踵(きびす)を返す

「刹那さんも……よろしいのですかな?」

マタムネが歩み寄り、刹那の顔色を窺(うかが)う

「ああ」

刹那は微かに疼(うず)く寂寥(せきりょう)を胸に抱えながら、それでも穏やかな笑みを浮かべた

「そうですか。では参りましょう。マリナさん、小生の手に捕まって下さい」

マタムネはマリナの手を取り、青白く輝く月へと飛び去って行った

「焦らなくていい……」

刹那は静かに呟(つぶや)き、マリナの去った方角を見送る

月は地上にいる彼の思いとは無縁に、超然と、無慈悲に美しかった



数日後、異常気象が無常にも世界を覆った

咳(せき)を切ったかのように、涙の雨が何週間も降り続いた

世界自身が悪意を後押している

努力虚(むな)しく漆黒の闇が広がっていく…



涙雨



(名前もないレクイエム、そして序章)











お題拝借、揺らぎ・9円ラフォーレ様



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