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この世の終わりが君の笑顔でありますよう



足を抜こうとするけれどもできない

泥にこねまぜられた魚のようで




「サヴィニーレボーヌナルバトン」


「ポマールレヴィニョ」


「ニュイサンジョルジュ」


「シャトーデュクリュボーカイユ」


ハイネはうっとりとした表情で白ワインを口に含む


「………」


キラはワイングラスにまだ半分残っている、飲みかけの赤ワインを飲む


「僕は降りる」


赤ワインを飲み干したキラは空になったワイングラスを、テーブルに叩きつけるかのように置いた


「ハァ? ここまで来て今更何言ってんだ」


絹糸のように、滑らかだが強靭な精神力を湛(たた)えた瞳がキラを見据える


「何とでも言えば。僕はもう決めた」


そう言うと酔いが回ったキラは上半身俯(うつぶ)せの状態でテーブルに体重を預けた


「これ以上飲めない……」


「ンだよ、言ってた割には弱えな」


戦争が終わってから二年


心身ともに衰弱仕切っていたキラは、重傷を負いながらも奇跡的に助かったフレイと共に宗教家のマルキオの元へ身を寄せ、静かに暮らしていた


一年前、ザフト軍を退役し、情報を集めキラの居場所を知ったハイネは、キラを訪ねてオーブへやって来たのである


敵対しあっていた二人が、再び平和に一歩近づいた世界で手を取り合うことが出来た


平和と幸福を求めて生きる人間が、誰ひとりとして好まぬ戦をし、まるで聖なる儀式のように死と親和してしまう


それでも希望は死なない


戦争で大怪我をし死にかけたハイネも、心に負荷をかけ必要以上の傷を負ったキラも、過去や未来、そして今という瞬間(とき)を咀嚼し、その喜びを噛み締めた


ザフト軍にいた頃も、気さくでムードメーカー的存在だったハイネの提案で、双方の親睦を深める為、ささやかなパーティーが開かれることとなる


子煩悩な彼のおかげで、子供達はすぐにハイネに懐き、パーティーは大いに盛り上がった


そして子供達を寝かせ、草木も眠りについた午前一時


事も有ろうかハイネとキラはワインの飲み比べをしていた


木製の床には今まで飲み比べてた数十種類のワインの瓶が、ところどころに放置されていた


「煩い…! この………酒豪!!」


「おいおい。そーゆー言い方はねえんじゃねぇ?」


キラの唾棄(だき)でさえハイネは難無く交わす


「大体、僕はワインなんて気取った物なんか好きじゃないんだ」


酒が入ったせいか言い訳がましい愚痴を零す


「誘いにのったのはお前。だろ? キラ」


「ハイネがこんなに飲めるとは思ってなかったんだよ」


「わかった。タカ、括(くく)ってたんだろ」


憶測の発言が命中し、痛いところを突かれたキラは、それ以上何も言えなくなった


いつもより少し酔っていたキラだったが、ドアの扉が開く音を聞き取る


「あっ、フレイ」


楽しく談話している二人の邪魔にならないように、ドアをの開いた隙間からじっと中の様子を覗き込んでいた


「なんだ、誰かと思ったらフレイか」


ただならぬ様子に思わず物音を立ててしまった


音に敏感なハイネはフレイだと突き止めるには至らずも、人影が映っている、と分かっていたようだったが


「何やってんのよ。こんな夜遅くまでハイネさんもキラも」


「飲み比べ」


二人声を揃えて言うつもりなどなかったが、変なところで息が合わさってしまう


「私もやろうかしら」


「フレイ、酒飲めるのか?」


「それなりに飲めるわ」


「自信、あるんだな。俺と飲み比べしないか?」


標本台に縫(ぬ)いとめた美しい蝶を眺めるように、蒼灰色の瞳が不敵な笑いを刻んだ


「ええ、望むところよ」


心配したキラがすかさず止めに入る


「やめときなよ! フレイ」


「何言ってんのよ、キラ。酒ぐらい飲めないでどーすんの!!」


熱弁を奮うフレイにキラは何も言えず仕舞い


ハイネからワイングラスを受け取ったフレイは、数あるワインの中からコルトン・シャルルマーニュを選び、彼に注(つ)がせる


そして、大口を開け、一気に飲み干す


こうなったフレイは何を言っても聞く耳を持たない


黙って今後の成り行きに任せることにした


「結構強いんだな」


「フレイ……お酒に耐性があるんだ」


彼女が次々に酒を煽る間、ギブアップしたハイネと酔いに苦しむキラは、飾らない言葉の応酬(おうしゅう)を続けている


「でもさすがに限界超えてるな。部屋に連れていってやれよ、キラ」


ちょうどボトルの酒を飲み終えたフレイが、慌てふためきながら細い肢体を捻(ひね)り始めた


猛禽(もうきん)の来襲に脅(おび)えるウズラのように、千鳥足で、床に散乱した瓶からよたよたと身を躱(かわ)す


「わかった。けどハイネは?」


不安げにフレイを覗き込んでいる紫色の瞳を見上げ、ベッドに寝転がる


「俺はしばらくここで酔いを醒ます」


ひとつ息を吸い込むと、ハイネは手元の紅茶を口に含んだ


「じゃあ、おやすみ」


「ああ。襲うなよ」


ハイネは唇を悪戯っぽく綻(ほころ)ばせた


「襲わないよ。人聞きの悪い」


キラの物腰は依然、優雅で、非の打ちどころがないほどに紳士的だった




夜凪(よるなぎ)を迎えた海は漆黒の鏡めいて静まっていた


「……キラ?」


普段なら、ハサミを入れたように明確な五感の端々(はしばし)が滲んだようにぼやけ、焦点(フォーカス)が微妙にずれている


それが、たまらなく不安であると同時に、奇妙に心地好(ここちよ)く感じた


新鮮な空気に混じって鼻腔の奥を満たしたアルコールの香りに、脳細胞の一部がようやく正常に働き始める


鉛(なまり)でも流し込まれたように重いまぶたを苦心して押し上げようとする


ぼんやりと膜(まく)がかかったような視界に、フレイは意識を研ぎ澄ます


「気づいたんだね。フレイ、お酒飲み過ぎて酔っちゃったんだよ」


「……そう」


茶髪の下のその顔は、迷い子を見つけた天使のように優しく微笑んでいる


「ね、キラ」


フレイは細い両腕をキラの首に回すと、キラの首を絞め始めた


「いきなり何するんだ!?」


咄嗟(とっさ)に振り解(ほど)こうとしたキラの耳元で襲撃者は囁いた


「いなくなるって、言わないで」


「何言ってるの? 僕がいつそんな……」


苦痛に眉をしかめるキラを覗き込んだフレイは、不機嫌な表情で言い張る


「言った!」


ふいに声が細くなり、うつむいた


「びっくりしたのよ……」


キラを見つめる彼女の表情から、風で雲が流れて太陽が現れるように、狂気が流れ去って瞳に落ち着きと理性が戻ってきた


フレイは聞き違えようのない明確さで言葉を刻む


「キラが私から離れたいのかと思った」


「僕が本当に離れたいって言ったら、どうする?」


冷水を浴びせたかのようなキラの意地の悪い質問に、フレイは驚愕(きょうがく)に表情と声帯を硬直させた


「嫌! 離れるなんて嫌よっっ!!」


指の腹でキラの喉輪(のどわ)に圧力をかけ、息を妨(さまた)げるフレイは、告死女(バンシー)の哭(な)き声のような音で絶叫する


青ざめた顔をフレイは振ったが、そのときには強靭(きょうじん)な精神力は動揺を克服してしまっている


「そ、それは、ありがたいけど……」


力こそ弱いがフレイが本気を出せば、ハイエナに襲われたウサギのように風前の灯(ともしび)状態になってしまう


「首絞めないで! 頼むから」


「つまんない冗談言うキラが悪いんじゃない!」


キラはしばらくの間、背中にいるフレイと格闘してたが、結局は視線相撲(ずもう)に負けた


遠浅の海岸に打ち寄せる波が、すぐ傍らで静かな音をたてている


開いた窓からは、潮の匂いの混じった夜風が吹き込んできた


「大人しく寝たほうがいいよ。フレイ」


ベッドにフレイを下ろしたキラは、安堵のため息とも戦慄の呻きともつかぬ吐息を漏らした


眠りと覚醒の狭間(はざま)で、フレイは意識を眠りの海の底に沈めようとした


「いいのよ、キラ」


「?」


キラの憂愁(ゆうしゅう)が伝染したのだろうか


フレイの表情は、けっして明るいものではない


「ほんとにいいの」


蒼灰色の瞳から疲労の色が拭(ぬぐ)ったように消える


「貴方が離れたくなったらその時は、私から離れていってもいいのよ」


ソファーに横たわるフレイの言葉は一点の乱れもなく、凛と澄んでいる


フレイは酔いに輪郭を溶かしかける


彼の右手に自分の手を触れさせた


キラは触れさせた刹那、確かにフレイを傷(いた)ましく思う眼差しを向けてきた


その眼差しは一瞥だったにもかかわらず、フレイは羞恥と悦(よろこ)びに震えた


「そういう時もいつかは来るって……私だってちゃんと考えてたりしてるの」


キラにではなく、まるで自分の中の誰かに告解(こっかい)しているように、しばし、彼女は口をつぐんだ


「…………」


短い沈黙の間に、キラの胸中に去来した思いは何なのか


「わかっているわ」


憂愁(ゆうしゅう)を含んだ麗貌(れいぼう)は、不用意に触れただけで砕け散ってしまいそうな危うさと繊細さを感じさせる


「フレイ……僕は」


何か言いかけたキラの唇の前に指をたてると、フレイは笑った


――力のない、泣きたくても泣けないときに涙のかわりにこぼすような、そんな微笑だった


フレイはキラの首に腕を巻きつけ、顔を寄せると、アルコール臭の混じった唇をそっと塞(ふさ)いだ


「でも……これでキラは離れられない」


熱っぽく、うるんだ瞳と林檎みたいな色の頬でキラを見上げた


「でしょ?」


さきほどまで彼の心を覆っていた根深い倦怠(けんたい)とそれによる退屈と、悲しみのような怒りのような、行き場のない灰色の感情がどこかに消えていった


花の香りに吸い寄せられる蝶のように、幻惑させられ、爆ぜる恋心は慎ましい愛のまま、色で染められる


キラが染めていく


息せぬ私たちの約束


狂おしい恋情は必滅の歌しか歌わせてくれず、盛んな命の行為は潰(つい)える時を目指してしか燃え立たないのだ




伝わる心音はまるで揺り篭のよう――……


フレイの香りに包まれて惰眠の底へ沈みたい


キラはフレイの額にかかる髪を梳(す)いた


静かな、それでいて寂しげな視線で夜の海を見ている


思えば色褪せた哀しみだけ飼い馴らしていた


「でも……もう喝采とは無縁の人生だよ」


安息日のない追放者として生きることを科せられたようなものだ


僕は……君に望まれなくなっても、ついていくつもりなんだ――と言いそびれた




眠れば、悪い現実から醒(さ)めることができる


いっそ悪い夢の世界に逃げ込みたい


虚構でも幻でも嘘でもいい


現実の方が嫌だ


現実の方が怖い


現実の方が痛い


戻れないほどに深い夢を見て、その奥底でずっとあなたと居て


ひっそりと朽ち果てるまで、この世が終わりと嘆くまで、かたくかたく指を絡めあって


目蓋をおろして、瞳を隠して、くちびるを閉ざして、舌をしまって


触れ合うてのひらでぬくもりを伝えあいながら、ずっとじっと、眠れないほどの深い夢をみて


言葉に鍵をかけて、笑顔を檻に放り込んで


感情に杭を打ち込んで、思い出をふたりで食べてしまって


戻れないほどの深い闇に足を浸そう


苦しいほどに輝く光でこの喉を潤そう


朝と夜と昼とすべての狭間をふたりに閉じ込めて、深い深い眠りへ


深く深く、ただのふたりで


夜の向こうにキラは私を探し当てて、至福の暗渠(あんきょ)にともに墜(お)ちる








(それを願うぼくは確かに人であったのだ)





お題拝借、ニルバーナ様


あきゅろす。
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