Wanna be…
「あの……好きです。その、えーと付き合ってください」
放課後の体育館裏。私は男子に告白された。
告白してきたのは田原幸弘。彼はクラスでは目立つほうではない。かといって空気でもない中途半端な存在。それが田原幸広。
告白をした後の田原は下をじっと向きながら髪の毛をいじっている。
ていうかその髪型なんだよ。いつもの髪型と違うし。もしかして告白するからって髪型いじって来た? 何なの? 馬鹿なの? 死ぬの? どうりでさっきから変な臭いがすると思ったのだ。甘ったるくて気持ち悪い臭い。田原は黙ったまま髪をいじり続けている。
いや無理無理。絶対無理。そもそも田原とか生理的にうけつけないし。付き合うとか本当に勘弁して欲しい。ここはぜひとも丁重にお断りしたい。
よし断ってやる。いまからこいつをふってやる。田原幸弘を失恋させてやる。
告白なんかしてくんな馬鹿。いまからふってやるから見てろ馬鹿。「ごめん。私、バスケ部の人が好きなの」とか言ってふってやるよ馬鹿。そんでふられたらバスケで全国でも目指せよ馬鹿。バスケットマンになれよ馬鹿。リバウンド王になれよ馬鹿。とりあえず君は日本一の高校生になれよ馬鹿。あきらめたらそこで試合終了だ馬鹿!
とりあえず私は大きく深呼吸。その時にヘアワックスの臭いが鼻の中に入ってきてせきこみそうになったがとりあえずそこは我慢。そして私は重い口を開く。
*
どうやら私に彼氏ができてしまったらしい。
彼氏の名前は田原幸弘。彼はクラスでは目立つほうではない。かといって空気でもない中途半端な存在。それが田原幸広。
ていうかさ。断れるわけがないじゃん。あんな告白の場に大人数で来られたら。
男だったら告白するときぐらい一人で来いよ。複数で告白しに来るのは女の特権だよ。女なのかよお前。
さっそくメアドを交換を余儀なくされ、今週末にデートの約束まで結ばれてしまった。っていうか遊園地ってなんだよ。なんでそんな人が集まるところにわざわざ行かなきゃいけないんだよ。私がお化け屋敷で「きゃー」とか言って腕にしがみつくのとか期待してるの? いいかげん現実みろよ馬鹿。
もちろん下校の時も誘われたが、「塾があるから」って言ってなんとか断ることができた。もちろん塾なんかやっていないけど。
私は学校を出て自宅のある方面へと歩き出す。
出る時間が早かったのか、丁度小学生の集団下校に出くわした。
ランドセルを背負って黄色い帽子をかぶってる小学生。その小学生はなにやらリズムをとりながら順番に固有名詞名を言い合っていた。それは私の知っているしりとりとか山手線ゲームとかマジカルバナナといった類のものではなかった。こういうゲームが今小学生の間で流行っているのだろうか。
黄色い帽子の集団を見ているとなんだか懐かしかった。といっても四年前までは私もあの集団の中にいたんだけど。四年間の間にあの集団の中にはいれない体になってしまったようだ。
連想ゲームをしている集団が通りすぎると、今度は男の子と女の子が手をつないでやってきた。二人は何にもしゃべらずに、ただ手を繋いで歩いていた。
付き合うっていうのはああいうことを言うんだろうなって思った。今の田原と私の関係とは大違いだ。
私の家に到着したのは学校を出てから十分後のことだった。自宅のドアには鍵が掛かっていた。まだ誰も帰ってきていないようだ。
私はドアを開けて家の中に入る。そこには暗くて静かな我が家が私を迎えてくれていた。 さてどうしようか。私は靴も脱がずに玄関先に腰を下ろす。このまま誰もいない家に一人いてもつまらない。しかし私にはすぐに呼び出せるほど中の良い友人もどこか遊びに行くためのお金も持ち合わせてはいなかった。
そこで私は廊下にスクールバックを放り投げると再び外に出て鍵をしめた。そうなれば行くところはひとつ。
向かった先は十メートル先の隣のお家。鍵が開いているので、黙って中に入った。そして玄関横の階段を上がり、突き当たりの部屋のドアをノックもせずに開ける。
その部屋には机に向かってなにやらぶつぶつ言っている男がいた。彼は女の子のように長い髪をして銀縁の眼鏡をかけている。やせ細った彼の体は放っておいたら今にも倒れてしまいそうだ。
そんな彼が机に向かってやっているのはパズルだった。目が痛くなりそうなほど小さくて色鮮やかなピースが机全体に広がっている。
そして彼は大きなヘッドフォンをつけていて、大音量で聞いているのか音が漏れてここまで聞こえてくる。どうやら聞いてるのは一昔前に流行ったJ-popらしい。もうテレビでは見ない一発屋バンドのメロディがヘッドフォンからこっちに流れてくる。
私は彼に近づき、彼からヘッドフォンを取る。すると彼はやっと私に気づいたらしい。
「来てたの?」
彼は口を開いた。まだ声変わりしていない高い声。
「ん」
私は頷く。彼は私の声を聞くと再び机に向かってパズルと格闘していた。
このパズル野郎の名前は中沢 佑(たすく)。私のお隣さんであり、クラスメイトでもある。
「田原とつきあうことになった」
佑の背中に私は話しかけた。佑はこっちを振り返らず「田原って?」と私に尋ねる。
「同じクラス。ていうかあんたの隣の席の」
佑は天井を仰いだ。たいがいこういう時は何かを考えている時だ。
「ああ、彼か。そうか……彼は田原っていうんだ」
そうかそうか、とつぶやいた後、佑は再びパズルのピースを手に取った。
たぶん佑の頭の中は教室にいる間もパズルのピースで埋め尽くされているんだろう。その中にはクラスメイトの名前が入るスペースなんてありゃしないんだ。
佑はずっとこうだった。佑と私はお隣同士であり、いわゆる幼なじみというやつだ。
だから佑の親が深夜にならないと帰ってこないことも知ってるし、佑がいつもこの時間帯には家に帰ってて、パズルに熱中しているということも知っている。
それにしても、もうちょっと反応があってもいいんじゃないだろうか。小さいときから知ってる女の子が、同じクラスの男子と付き合うって言ってるのに。
けど中沢佑という人間はそういうやつなのだ。パズルさえやってれば人生楽しいのだろう。
佑は授業中も休み時間中も机に突っ伏している。
やることがないから机に突っ伏して回りの話を聞いているのか、純粋に寝てるのかはわからない。ただひたすら学校にいる間は突っ伏した姿勢から動かない。トイレに行くこともご飯を食べることもない。入学してしばらくは先生も注意をしていたが、今になっては完全に放置。たぶんあきらめているのだろう。
私は部屋の隅にある佑のパイプベッドに横になる。佑のベッドからは何の臭いもしなかった。普通男の子のベッドとかって汗くさいイメージがあったんだけど、このベッドからは男の子の匂いが感じられない。佑の匂いがしないのだ。こうなってくると佑が毎日ベッドで寝てるのかどうかもわからなくなってくる。というか教室であんなに寝ているから家では眠くないのか、というより家で寝てないから学校で寝ているのか。
私がそんなことを考えている間も佑はパズルに没頭していた。紙と紙をつなげるだけなのに何がそんなにおもしろいんだろう。
というより私はずっと机に向かうことなんてできない。ただでさえ一日中学校で机に縛られているというのに。
「ねえ、楽しい?」
私は佑に尋ねた。
「……普通」
目線をパズルのピースに向けたまま佑は答えた。普通って言われてもこっちはどういうリアクションをとていいものだかわからない。佑は再びヘッドフォンをつけ始めた。こうなってくると完全に自分の世界に入り込んでしまっているのだろう。私という存在も完全に彼の頭の中にあるパズルのピースに追い出されてしまう。
私はそっと立ち上がり佑の部屋から出ようとする。
「……帰り、気をつけて」
佑がぼそっとつぶやく。私に聞こえるぎりぎりぐらいの声。
「ありがと」
私は佑にお礼を言って、佑の部屋を後にする。私の声が佑に届いたかどうかはわからない。
*
朝、私が家を出ると佑が歩いているのが見えた。
いつも学校で見るような眠そうな顔だった。あの後も夜通しでパズルをやっていたのだろうか。
私はそっと佑の後をつける。佑は見るからにふらふらで今にも倒れそうだった。
「よっ」
私は佑の肩をたたく。しかし佑からは何の反応も返ってこない。
「おーい」
私は手を佑の目の前に持って行って振ってみる。
するとようやく佑も私に気づいたようで、こっちに向かって振り向いた。
そのときに佑の前髪がさらりとなびく。この男は寝癖という言葉とは無縁の人生を送ってきたらしい。私はいつも学校で始業のチャイムギリギリに教室に飛び込んでくる男子達の寝癖を思い浮かべた。佑はこういう面でも他の男子とは別の人種なんだなって思う。
まったくなんだよ。その男なのにくせのひとつないその髪。私にくれよ。お願いだから。
「……おはよ」
今にも死にそうな声で佑は私に朝の挨拶。ノストラダムスも2000年問題も遠い過去になった今、世界中探してもこんなに死にそうになってるやつもそうはいないんじゃないか。
「寝た?」
「……少し」
私の問いにまたまた死にそうな声で佑は答える。佑が言う「少し」は私の言う「少し」とはまた違うんだろうなって思う。佑の「少し」は時間でも、分でもなく秒単位なんじゃないだろうか。私だと三時間でも寝たうちには入らない。
「もっと寝た方がいいよ。でなきゃ本当に死んじゃうよ? やだよ。佑死んじゃったら。葬式やったらクラスの連中が私の家見ることになるんだよ? そんなの嫌だよ」
もちろん本心ではない。けど今考えてみるとクラス中に自分の家見られるの嫌だな。干してる下着とか見らたら困る。母親の下着を見て私のだと勘違いされてももっと困る。
「死なないよ。たぶん。……わからないけど」
あいかわらず、ぼーっとした顔で佑はつぶやく。その顔で言われたら説得力のせの字もないんですけど。
けど本当に佑が死んだら私はどうするんだろう。やっぱり泣くのだろうか。
私は未だに人の死というものを経験したことがない。家族はおろか、親戚もみんな健在だ。
佑がいなくなる。なんかそんなことを考えてたら軽く泣きそうになる。別に涙もろい訳じゃない。けどなんか……。どうしてだろ。
私はそんな死にそうな佑と一緒に登校した。こうしてみるとクラスメイト同士じゃなくてお年寄りとそのヘルパーさんみたいだ。
私は佑と一緒に教室に入る。その瞬間クラス中の目線を感じた。
考えてみれば当たり前かもしれない。昨日田原に告白された私が別の男子と教室に入ってくるのだ。それもクラスから変人扱いされている佑と一緒に……だ。
私と佑に集中していた目線はいつのまにか消えてなくなった。みんな私と佑が偶然一緒に入ってきたように思ったのだろうか。
佑と私はそれぞれ自分の席に着く。私と佑の席は同じ真ん中の列に位置している。私が一番後ろ、佑が一番前の席だ。だから授業中はおのずと佑が私の目に映ることになるのだ。私が佑の後ろ姿を見るのと同時に、隣の田原が目に入る。私の恋人であるはずの田原はなんだか遠く見える。
一時間目は英語の授業だった。この英語の先生は毎回英単語の小テストやる。そして採点が終わるといつも成績上位者を黒板の左端に書くのだった。今日もいつものように左端に成績上位者の名前が黄色いチョークでかかれる。そしていつものように書かれる『満点 中沢佑』の文字。いつものことなのでクラスのみんなは別にこれといった反応を見せない。学校が始まってから今まで英語の時間の黒板に『満点 中沢佑』を見ないときはない。これは英語に限ったことではなく、佑は全科目において満点をとる。授業中は常に机に突っ伏しているにもかかわらず……だ。
そして家ではパズルしかしてない。本当にいつ勉強しているのか謎だ。そもそも常に机に突っ伏しているのにどうやってテストを受けているのかも謎だ。
結局、この日の授業で佑が起きあがる時はなかった。
*
おかしい。絶対におかしい。
なんとか今日も田原の誘いを断って佑の家に来たのだが、鍵が掛かっていたのだ。どうやら佑がまだ帰ってきていないらしい。いつも私が佑の部屋に来れば、いつもスウェットの上下を着てパズルを始めているのに。
しょうがなく自分の家に戻ろうとすると、ちょうど佑が歩いてくるのが見えた。
「佑。どうしたの。遅いじゃん。今日」
私は歩いてくる佑に駆け寄る。なんで佑のもとに走っていったのかは自分でもわからない。待っていれば佑はくるはずなのに。けど佑の姿を見た瞬間に安心してしまった自分がなんだか悔しい。
「別に」
いつものように佑は素っ気ない返事を返す。しかしなんだか佑が変だった。なんかいつもよりもふらついているような。それでいてなんだか額に紫っぽい痣が……。
痣?
「ねえ、それどうしたの?」
「それって何」
「何じゃないでしょ。ちょっと見せて」
私は佑の顔をのぞき込んだ。痣だけじゃなかった。眼鏡は不自然な方向に曲がっているし、口の先は切れて、唇がぷっくりふくれあがっていた。
「ねえ、どうしたの。ねえ」
「別に」
「別にじゃないよ。その怪我」
「転んだ」
絶対嘘だ。どうやって転んだらそんな不自然な怪我をするというのだ。あきらかに人にやられた跡だ。
「ちょっと待ってて、薬持ってくるから」
「いいよ」
佑はそういって鍵を開けて家の中に入っていった。私は自分の家に戻って、薬箱を持って佑の部屋に行った。
佑はいつも通りに黒のスウェットに着替えてパズルをしていた。昨日までと何も変わらない光景だった。
「佑」
佑は答えない。いつものようにパズルに熱中している。私はパイプベッドのところに薬箱をおいた。
佑がやっているパズルは昨日とは違うものだった。もう昨日のはやり終えたのだろうか。
佑の怪我はだぶん田原の仕業だ。本人がやってないとしても田原のまわりのやつの仕業だ。私と一緒に教室に入ったから佑は目をつけられたんだろう。もしかすると一緒に登校しているところまで見られていたのかもしれない。
佑にこれ以上怪我のことを聞くつもりはなかった。聞いたところで佑が本当のことを言わないことはわかってる。佑にだって男のプライドってものがあるだろうし、怪我のことは一刻も早く忘れたいできごとだろうし。
昨日のパズルは扉の近くのカラーボックスの上に置かれていた。パズルは気球の絵が描かれていた。あまり大きなタイプのパズルではなかったが、私がこのパズルをやったらきっと開始三分でギブアップだ。
ピースの一つに触れてみた。まだくっつける前だったらしく。ピースの破片を取り上げることができた。
なんでパズルなんてあるんだろう。なんでこんなものが楽しいのだろう。
パズルのピースを見つめると、なんだかこれが私みたいに思えてきた。
何にも言わないで、ただみんなに嫌われないように大人しくしている。みんなが笑ったら面白くなくっても笑う。隣の席の子のくだらない恋愛哲学にも相づちをうつ。教室という名前のパズルの台においては私はパズルのピースのひとつでしかない。
そんな自分が私は大嫌いだ。
私はピースをかじる。堅いパズルのピースは私の唾でだんだん柔らかくなっていった。そしてパズルのピースをかみ切る。そして私はかみ切った小さな破片を飲み込んだ。
これでこのパズルは完成しなくなった。この欠けたピースのせいで。
「佑」
返事がない。まるで屍のようだ。
私は佑の机に近づくと、佑がやっている最中のパズルのピースをひとつ取り上げてみた。
すると佑がこっちを向いた。
田原にやられたであろう口元は唇がさっきよりも腫れあがっている。
佑の唇を見た瞬間に私の頭の中で何かが弾けた。なんだか自分自身というモノ自体がよくわからなくなって来た。なんでもできそうな気がした。なんでもやってやろうと思った。誰にも私は止められないと思った。
なんでもできる、なんでもできる、なんでもできる……。
私は何がなんだかわからなくなっていた。
気づいたら私は自分の唇を佑の腫れ上がっている唇に押しつけていた。
佑の唇はすごく柔らかくて、鉄の味がした。ファーストキスはレモンの味なんて言うけど、そんなことは嘘だと思った。なんだか私の顔が熱くなってくる。なんだかそれが無性に恥ずかしい。
なんで佑にキスをしたかわからない。ただものすごい満足感で満ちあふれていた。やってやったと思った。もしかしたらキスじゃなくてもよかったのかもしれない。ただ普段の自分とは違うことをやってみたかっただけかもわからない。
私は右手に持ってる欠けたピースを見た。
こんなピースに私はなりたいと思った。いや絶対なってやると思った。
私はそう決意して、唇をさらに強く押しつけた。とりあえず今はこの満足感にいつまでも浸っていたかった。
机の上のパズルのピースが崩れ落ちる。どうやらこのピースを拾うのはもうちょっと後になりそうだ。 (了)
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