8.ディアボラス・イン・ムジカ ビター・ピース -唯一の理由 実家への気の進まない道を、それでも手早く済ませようと早足で歩く。 すでに夜も更け、並木道は暗くなってしまった。 果てしなく続く黒の木立に、闇に覆われた葉影が、ざわざわと風に吹かれ、不快な葉音をたてていた。 暗黒のみの景色の中、プロシュートの視界に、白い影が現れる。 ボロボロのワンピースを着た純白の髪の幼い子供。 3、4歳くらいだろうか。 顔はボサボサに伸びた前髪で隠されてよく見えない。 「いや………!! いやだぁあああ………………ッ!!!!!!おうちに、かえしてよぉおお!!」 泣きじゃくる白い少女と対照的な背が高く、神経質そうな顔つきの黒服の女は、少女の手を引き無理に歩かせている。 「ねえぇ、泣かないで。 お母さん達も、きみが落ち着いたら会いに来てくれるって言ってたんだから。 きっと気に入るわァ。 友達もいっぱいいるし、美味しいものも沢山食べられるのよ。ね?」 「ママァ………!ママァ!」 (同業者か……?) 食いぶちに困った親が子供を売る。 治安の悪いこの街では、よくある光景だ。 それに一々口を出していたらキリがない。 しかし、こちらへ来る二人を見やりながら、プロシュートは何か妙なものを感じた。 頭を強く降りながら髪を乱れさせ、それでも何も出来ず連れていかれる少女。 「パパたすけてっ!パパぁァーーッッ!!」 あらわになった少女の顔。 一目見て、強い衝撃に襲われる。 心臓が強く鼓動する。 (………………………………コイツッ!?) …涙に濡れた瞳は、血潮のように真っ赤だった。 ひっきりなしに零れる涙を受け止めるかのような長い睫毛。 見たことのあるような顔立ち。 見たことのある。 見たことが、ある…………。 (………そうだ。 似て、いるんだ……。 オレ自身に…………) 眼が離せず、立ち止まってすれ違う黒い車に向かう二人の様子をうかがう。 車の前には、法衣を纏う男が待ち構えていた。 少女は車に強引に押し込まれる。 黒の車体は闇に溶け込むように消え去っていった。 「まさか、まさかだろ………。 そんな、馬鹿な……」 プロシュートは立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。 浮かんだ可能性を頭を強く振って否定する。 それよりも、約束の時間が近い。早く行かねば。 そう思い、未だ不吉に脈打つ胸の動悸をごまかしながら、彼は再び足を進めた。 それでも、少女の深紅の瞳。 女の貼り付いた笑みと、スーツの胸元から一瞬だけ見えた銀色のペンダント。 男の法衣に描かれた……雄山羊の頭部に、山犬の胴体の生物…同じ紋章が、嫌なざわめきを感じさせる。 その紋章を抱く組織がどんなものか、老人から話を聞いたばかりだったからだ。 どんな事を行うか最近聞いたからだ。 「随分立派になったな…、私は誇りに思うよ」 十年ぶりに見た父のあの媚びた笑みは、全く変わらなかった。 「…………テメェらは相変わらず、誇りに思われるような生き方は、してねぇようだな……」 横目にする部屋の光景。 埃にまみれたかつての高級家具。 おびただしい請求書と、汚い罵り言葉の添えられた立ち退き状。顔をズタズタに切り裂かれた一族の写真立て。 転がる酒瓶。 赤茶けた薬の袋。 散らばる大量の薬。 それぞれが赤、青、紫、黄、緑の様々なグロテスクにカラフルな色彩を織り成していた。 やはりだ。異常だ。何も言わずに飛び出した息子を。 連絡一つ寄越さなかった息子を。 何故怒らない。 心配したのだと殴り付けない。 親ならば、そうするだろう。 誇りに思うと、どの口が言う。 何も言わずに、金目のものをあらかた持って、自分は黙って出ていったのに。 ギャングなんてろくなもんじゃない、国を巣食う蛆虫だ溝鼠だと、常に酒気混じりで言っていたのに。 地獄の亡者の如く、その穢らわしい手で絡み付き自分もおこぼれを得ようとするのか。 あわよくば、骨の髄までむしゃぶりつくして何もかも奪う気でいるのか。 息子にさえこうだ。 こんな奴らなら、彼の脳裏に浮かぶ、最悪な考えをやりかねないだろう。 …確かめねばならない。 「一つ、聞いていいか…?」 扉に寄りかかりながら、真っ直ぐ父親を見つめ、有無を言わさぬ口調で問いかける。 「ここに来る前、ガキを……。 眼が赤くて、白い髪の、女の子を見たんだがよ……………。 アイツは誰だ? 妙にオレに似ているんだ」 「ああ、見たんだね……。 お前は相変わらず何でもよく分かる…………。 お前の妹だよ。 三年前に生まれたんだ。 名前はアマーロ。 …生まれ損ないのな。 あ、いやな、そう兄弟と大叔父がな、あの子を見た時、言ったんだよ………………、こんな姿じゃ政略結婚にも使えない役立たずとか酷い事を言ってな………ほら、ちょっと変わってる見た目だからね……。 決して私はそう思うものか、親だもんなぁハハッ」 相変わらず見え見えの自己防衛に走る父親の卑怯さに苛つき、プロシュートは彼の座る机に拳を殴り付けた。 母はヒッと声をあげ、それでもニヤニヤ不気味な仮面の笑みをすぐに取り戻す。 「…テメェの事はどうでもいいんだよ。余計な事は話すな!! ………あの子が連れていかれるのを行きに見た…。 お前らを何度も呼んで泣いていたぜ。 どこへやったんだ……………、答えろ…………ッ!!」 「まぁ…待て。息子よ! お前は誤解をしている……。どうか話を聞いておくれ…………」 手を挙げ、敵意がない事を示しながら、父はヘラヘラと笑う。 薬の名残か身体をゆらゆらと揺らしながらプロシュートに語りかける。忌まわしい猫なで声で。 「養子にやったんだ、この街の、ほら巷で話題になった建築家が手がけた教会があるだろ? あそこにだ。 そこの司祭様がな、ちょっとした日々の手伝いを探していてな……、その話をお受けしたんだよ…………。いずれ大人になったら神の道に捧げる事も決まっている。 うちはこの有り様だし、あの子はあんな見た目で不気味だろ………まるで悪魔じゃないか………いや私達が言ってるんじゃない。周囲が言うんだ。 とはいえ、私達だって世間の眼があるがね…。 でも可哀想じゃないか。 眼がよく見えない、何もせずに日の下で走り回れない、そんな体で、いつまでも道いく誰にも馬鹿にされていくのが眼に見えるんだ。 この辺りは特に信仰の厚い場所だからねぇ。 それに、おかしな力も持っているんだ………なおさら、そう見られるだろう。 此処にいるより、よっぽど幸せだと思うんだ。 教えを説くあの方達は平等だ。 差別というものはない。 いい話だと思わないか? 幸せになれるよ、あの子でも。 でも今のあの子は、小さいからまだ分からないんだろうね。 私達と離れるのが嫌なんだろうね。 だから、あんなに反抗していたんだよ。だが、いつか分かってくれると信じてる。 私と母さんは正しいと。なぁ分かるだ…………………………ろ…………ぁああっ!! な、何をするッ!!」 もうこれ以上聞きたくなかった。 (何もかもが嘘だ。嘘ばかりだ。何も変わらねぇ。 騙されると思うのか。お前らはその嘘の中身のような心を持っていないだろう。偽善さえないくせに。この厭らしい……嘘つきめ) 「テメェ………知ってんだろ? 本当は娘がどうなるか…………。 知らない筈がないよなぁ、え? この国で変わった色の眼、指が何本か多かったり、でかい痣とかの人間が次々に姿を消してるのをよ……。 数年前から台頭し始めた胸糞悪いカルト宗教の奴等をよ……。 浚われたそいつらがどうなってるのかよ………」 浮かぶ老人の言葉。 パッショーネの目障りになりつつある存在。 ある組織が特に力をいれているのは臓器密輸、人身売買。 特にいい値段で取引出来るのは、身体的に特殊な人間。生まれつきでも後天的なものでもいい。 そんな彼等を捕まえたり買い取っては、ある宗教団体へ売り付ける。 その団体は信者を増やしつつある。 有力者も心酔しており、協力の見返りと守りも兼ねた意味もこめ、組織に土地を提供する。 団体にもたらされた人間。 その末路も写真とビデオで説明されたばかりだ。 近日中にパッショーネから襲撃する計画で。 浚われた人間は……………、幼い子供…………、か弱い女性………、動けない者の、その待つ先は……………… 「儀式の生け贄だろ!!!! いもしねぇそいつ等の脳内だけの都合のいい神の!!!! 支配欲と性欲を満足させる為の!!」 許すものか。 何故そんな事が分かっているのに、出来るのか。 かつてない怒りに頭が狂いそうになる。 今は、それに素直に支配されよう。 「テメェらは!!そいつらへ実の子を売りやがったんだ!! うっとおしかったんだろ!!邪魔だったんだろ!! テメェらが可愛いからよ!!たった目先の金で!! ただ他人の目を気にして!!!! 許さねぇ…………………………………………。 オレは、テメェら畜生を、許す事が出来ねぇ!!!」 目の前の、獣(けだもの)二人の首を掴み、壁に強く身体を叩き付ける。 このまま首の骨をへし折っても良かったが、それだけでは済ますつもりは微塵もない。 「朽ちて…………いくんだな………!! 醜い…老人に………。 美しく死ねると思うな!!!!決して!!」 ベコベコと音をたてて萎む手足。 干からびる。乾いていく。そのまま渇いていく。 ばさばさと抜け落ちる髪。 落ち窪む眼。 臭い腐る臭いと共に、歯茎ごと水音をさせ、ぼたぼたと抜け落ちる歯。 「あ…………あ………………あぁあ………………」 「やめて…………あぁあ!!………………あああああァア」 グレイトフルデッドで生きたまま老いていく姿に、乾いた手を見て理解した彼らは一斉に叫ぶ。 「知らねぇなら、オレが、お前等の干からびた身体を使って、あの子がどうなるか、教えてやる…………ッ」 胸元から取り出す数本のナイフ。 ひぃっとくぐもった悲鳴を二人は上げるが、無慈悲に見つめ、それを強く振り上げる。 「まず、祭壇に手足をぶっ刺して逃げられないようにするらしい」 壁に飛び散る血。 壁に打ち付けられる手足はビクビクと痙攣している。 「浚ったヤツを悪魔にみたて、ヤギの頭を被って犬の皮をかぶった変態親父を神に見立ててな、 犯すんだとよ。贖罪の婚姻とか言ってな……。 そのテメェにもついてる立派なもんと同じもんでな!!」 棚に倒れていた祖父の胸像を掴み、頭の上に持ち上げると勢いよく打ち落とし、急所を潰す。 ぐぼっと口から父だったものは血泡を噴く。 それでも彼はやめない。 「欲望を満足させながら、噛みついたり、耳を引きちぎるらしいぜ!! 片方ずつ色の違う眼のヤツだったらほじくって!! 痣や瘤は生きたまま皮ごと剥ぎ取って!! 足が多けりゃ切り落として焼きごてをあてて、信者共に回し合ってキスさせるんだって…な! 中はただの人間の癖によ。 泣けば泣く程いいらしくってな………!!」 母だったものの、あの自分に絡み付いた指を一本ずつ切り落とし、父だったものの、あの気色悪い目付きの源を指を押し当て、葡萄を潰すように力を込める。 全身を死なない程度に気をつけて切り刻んでいく。 これで最後だ。 部屋中の家具をひっくり返し、足元に散らばったゴミクズに家の裏から持ち出した灯油を満遍なくかけて濡らしていく。 「なんだこの臭いは………………………な、なにを……………………まさかぁ…………………。 やめろっ…やめてくれ…………」 唯一の出口となった扉に立ち、吐き捨てるように言う。 全ての準備はこれで整った。 「……最後に火をつけるらしいな……」 ライターに指をかけて、よく聞こえるように、一際大きな音で火をつける。 「生きたまま………。 『浄化』とか言ってな。 これで楽園への道は開ける、来世の幸福も約束される…だとな。 ああ、お綺麗な言葉だぜ………。 …有りがたすぎてヘドが出そうだ!! そんな事をよ…………………。 お前は実の娘に強制するのか!!!! ……そんな眼にあわせようとするのか!!! あんなに……泣いてたんだ……。 何も知らねえのに…………怯えるしか出来ずに………………、あんな小せえのに………………………………。ひとりぼっちで……。 親…じゃないのか……。守ってやるのが普通だろ…? オレにした仕打ちは忘れてやる。 だが、あの子になぜ親らしい事をしてやらなかった………? 何が、 何が、あの子は悪魔みたいだ……。 テメェらの方がよほど心魂腐りきった悪魔だ!!!!!! 人間の皮を被った薄汚ねぇ畜生だ!!!! 畜生以下のクズだ!! テメェが代わりに、身をもって知れ! どういう事か!!どれだけ恐ろしいか思いしれ!!これで!!」 「や………やめろ…………やめてくれ………………………………………… 殺さないでくれ…………… あ、ぁあ……………ッ!! ぎゃああああああああああああああッ!!!!!!」 …全ては燃え尽くされた。 死の臭いに満ちる教会。 外見は通常と変わらないが、その中は異形の彫像が鎮座し、何度も血を吸った祭壇と祭具が転がり、腐った肉と膏薬の臭いが漂っている。 誰が見ても分からないだろう、大量の干からびた老人達の死体。 その中には、黒いスーツ姿の老女と、法衣を乱れさせた老人も含まれていた。 (全員片付けた……………。 後はあの野郎の言う通りなら………………ッ) 倒れた死体を蹴飛ばしながら、プロシュートは少し乱れた金髪も気にせず、息を切らせて最上階へ向かう。 バールで抉じ開け、堅く閉じた扉を勢いよく押し出す。 金属の扉は悲鳴をあげながら、その中をさらした。 いた。 少女は無事だった。 ただ虚ろな目をして。 背後に目を潰された女性を立たせて、側に倒れた黒スーツの女は口から血を吐いて死んでいる。 「おい……っ、しっかりしろッ」 駆け寄り、肩を揺さぶって声をかけると、僅かに視線をプロシュートへ向ける。 衣服に汚された後はない。 ただ、そのボロボロの染みだらけのワンピースから覗く白すぎる手足は、あまりにも筋ばって細かった。 顔もよく見れば小さな傷だらけだ。 頬には殴られたばかりの青痣が、何度も叩かれた痕が見えた。 こんなに小さい身体で、どれだけ理不尽に傷付けられた……。 手を伸ばして頭を撫でようとするが、少女は凄まじく拒否をする。 なぐらないでごめんなさい!と叫びながら。 顔を歪め俯き、激しい後悔の念に襲われる。 これまでのギャングとして生きるのに夢中だった自分を責める。 (オレは…………馬鹿だ。何、テメェ勝手に生きてやがった!! 何故もっと早く気付かなかった!! こんなになる前に守ってやらなかったんだ……………肉親じゃないか……) 頭をふって、少女の側にもっと寄る。 頬に手を伸ばして、額と額を合わせる。 これ以上怖がらせないように。 背中を撫でてから、冷えきった手を握りしめる。 びくっと震える体。 おそるおそる、蚊の鳴くよりも細い声が喉から絞り出される。 「おにいちゃんは……だれ?」 真っ直ぐその赤い目を見つめ、静かな声で答える。 「オメーの……… 兄貴だよ……これでもな………。 出来損ないのな……。 怖い奴らはいなくなったぜ…………もう大丈夫だ」 その言葉に目に僅かに光が戻るも、プロシュートの青い眼が真っ直ぐ自分を見てるのに気づき、少女は信じられないと驚き、おそるおそる聞く。 「なにも…いわないの?あたしの、め、かみも、 きもち、わるくない…………? パパもママも、いつもいってる…………のに…。そう、でしょ……」 震えの止まらない声色。 言いながら、自分の言葉が自分を傷付けていく。 見ていられなかった。 その姿があまりに痛々しくて、強く抱き締めながら叫んだ。 「馬鹿いってんじゃねぇ!!!! 綺麗だ!!オメーは可愛いよ!! そんな事言うんじゃねぇよ!!!!」 抱き締められた腕が痛い。 でも、プロシュートの腕は力強くて優しかった。 少女の虚ろだった眼にはっきりと光が戻った。 澄んでいく瞳。 プロシュートの背に、小さな手を伸ばし、涙と嗚咽を漏らしていく。 「…………そんな…………はじめて…………………。 うそつき………うそ……………うっ……………………あぁあああっ。 うあぁああああああッ!!!!ああああああ!!」 泣きじゃくる。 それをプロシュートはただ背中をずっと撫でて、泣かせるままにした。 「もういい、いいんだ…。 いくらでも泣いちまえ………」 非情だと思ってたのに、こんな感情があったのかと自覚する。 窓から覗く弓月を眼にやり、少女の首に自分も顔を埋める。 「もうオメーは一人じゃねぇ。 泣いていてもオレがいる。ついていてやる……。 これからは、ずっと一緒だ……………………………」 …この小さな、たった一人の妹を守る。 それを、自分自身に固く誓った。 [*前へ][次へ#] |