『アンスラックス・マッドハウス』
「…いやぁ!!!怖いっ!」
響いた悲鳴に、リゾットはすぐさまアマーロの元へ近寄った。
「…アマーロ!
アマーロ、起きろッ!」
その華奢な肩を軽くゆさぶりながら、彼はアマーロの名を呼ぶ。
はぁはぁ息を吐きながら開いた瞳。
「……あっ…………………。
……リゾット……さん………っ」
とてつもなく恐ろしい思いをしたのだろう。涙を流しながらも虚ろな空を映す瞳。
自分自身も悪夢に苦しめられる故に、その恐ろしさは痛い程解ったリゾットは、己の肩に抱き寄せ、背中をさすってやった。
「ああ、俺だ。
…どうやら酷い夢を見てたらしいな……」
少し落ち着きを戻した様子に、静かにそう言ってやる。
彼の独特の落ち着いた声は、高まった負の感情をどこか鎮める不思議な響きがあった。
「ゆ……め…?夢?」
「夢だ……、怖がらなくていい………、唯の幻だ…」
その白い顔を更に白くした顔で、覚醒しつつある紅い瞳をリゾットに向ける。
かすかに光る銀色の髪。
フローライトの瞳は感情こそ読めなかったが、その淡い緑色を見ると、恐怖で高ぶっていた心が自然と落ち着かされた。
(………リゾットさん…っ)
安心したあまり、目頭が再び熱くなって、アマーロはリゾットの手を取って、自分の頬にそっと当てた。
伝わるぬくもり。
リゾットはそれをされるがままにしてくれる。
(あったかい……………ちゃんと…生きてる………っ)
「ふ…………っ、よかったァ……………!……よかったよぉ……ッ」
あんな恐ろしい夢、見た事なかった。
今までで一番恐ろしかった。
そして弾かれたように顔をあげる。
血に濡れた兄の顔を……………、あの夢に視た無惨な礫死体が、突然アマーロの頭に激しくフラッシュバックしたのだから。
「そうだ、お兄ちゃんはッ?お兄ちゃんはどこ!!?」
慌てるアマーロを気遣い、リゾットは抱いてた手に力をこめ、しっかり目を合わせて、ゆっくり言う。
「アイツは本部に呼び出されて出掛けた…。
大丈夫だ、昼前には終わるだろうと言っていた」
「リゾットさん…………あの、本部って……リゾットさんとお兄ちゃんのいる場所って……遠いの?
………電車を、
使わないといけない所?」
「いや、今回の集会はここから大して遠くないらしい。
それに車で出掛けたんだ。鍵を持っていくのを見たからな」
「車…………、よかった…………ッ」
ほっと胸を撫で下ろす。
あの夢は、夢だったのだ。
単に自分は怖い夢を…ちょっと生々しい夢を見ていただけなのだ。
そう思う事にした。
目の前にいるリゾットに小さく微笑むと、喉の渇きを感じたので、ベッドから起き上がろうとする。
「………っ」
おぼつかない視界。
やたら重く感じる身体。
「ダメだ、お前は熱があるんだ。
無理をするな…」
足元がふらついて、アマーロが倒れそうになるのを、リゾットは手を貸して、支えてやった。
「プロシュートから頼まれた。
…出掛けるぞ、病院に」
その言葉に、今更だが、ようやく彼が灰色のタートルネックに漆黒の黒いベルトと銀のボタンのコートに身を包んでいるのに気付く。
外へ、自分を連れてってくれるらしい。
申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
「う…ん……………………」
差し出された赤いコートを手伝ってもらいながら着て、うなづく。
リゾットの手をとり、立ち上がらせてもらった瞬間に、アマーロは再びその顔をひきつらせた。
「!!?」
凄まじい悪寒がアマーロを襲う。
何かただならない予感に、身体が震え出す。
視界に映るオリオンの星。邪悪に微笑む2×4。
それが消えてすぐ流れ込む…ここではない光景が、彼女には見えた。
『…お前は死んだ俺の心を呼び戻した…。…たった一つの俺の救い…、地獄の中に見えた希望(ベアトリーチェ)なんだ……。
俺のせいで、死んだらいけない…、死なせはしない…』
『憐れみも同情も慈悲も向けなくていい。どんな理由があっても、許されないものがある……俺はそれを犯してしまった。
地獄へ落ちても、俺は俺自身を永久に許さない。
…俺は罪深い人殺しだ。エゴに満ちた惨殺者だ。
その事実は変わりないのだから』
『…何も後悔しない。
最後に…守れたんだ………、たった一人の女の子を。
こんな、俺が……。
人殺しの俺でも』
赤く染まる視界。
見知らぬ腕はリゾットの身体を貫き、脈打つ心臓を握り潰す。
崩れ落ちる身体に、信じられない表情で泣いて叫ぶアマーロ。ひどくゆっくりしたように見えた。
涙で滲む視界。それでも見えた。
彼が口から血を吐きながら、あの優しい笑顔で見つめていたのを。自分はそれでよかったのだと……。
……たった一人で、死を選んでいた。
巻き戻される時、場所。
彼が『死んだ』瞬間から、アマーロの視界は広がり、その場がどこなのか光景が段々と見えてきた。
白い床。白い天井。
きつい消毒薬のにおい。
緑のソファー。その上に倒れる人々。
受付の女性は何かから逃げようとして背を向けたまま、頭を潰され、壁に血と脳奨をぶちまけて倒れている。
(ここは…、
…………病院っ。
いつもの、病院だッ)
夢の中で2×4は言っていた、視る力を倍増する能力だと、予知の悪夢と戦えと、幸福を望むなら苦難を受け入れろ、と。
今、見えたものがそれなのか。
あの血塗れの、大勢の死んだ人達。
灰色の瞳を陰らせ、彼女に向き合い、死を選んだ、彼の姿も。
これが、予知。
これから訪れる未来なのか。
だが、この未来から逃げられないのか?
あの大勢の死人を、リゾットが死ぬのは、今自分が病院に行かなければ、もしかしたら起きないのではないか。
(大丈夫だって、リゾットさんに言おう。
部屋で寝てれば治るって………………………………ッ!!?)
「…アマーロ!!」
大丈夫だと声に出そうとした、その喉を青ざめた十字の組み合った指が締め付ける。
背後に、いる。
彼女自身が。
操り人形さながらに、体が宙に浮かぶ糸に吊られたかのように、動けない。
リゾットがその様子に気づき、救急車を呼ぼうと電話をかけようとする。
(駄目…………っ、ダメ……………病院に………いっちゃ……………ダメ……!)
そう言いたくても、喉から出るのは、ひゅうひゅうと空気を震わす呼吸だけ。
「…プロント。
子供が急な発熱で苦しんで、危険な状態なんだ。
動けそうにない。すぐ来てくれ。
住所は……………」
リゾットの声と、入れ替わるように、アマーロの頭の中へ、刻みつける2×4の声。
ただ聞くしかない。
『…星宿は定位置と為した。
天の導きに、本能の正しき選択に、お前は逃げられない…。
いくら拒否しても、苦難にお前は引き寄せられる。
逃げられない。
逃げてはならない、戦え、戦うしかない。
向き合え。泣いても、怯えても、見据えろ。
…既に、お前は、望んでしまった』
(いや…………リゾット、さん…………………………)
その声を最後にアマーロは、身体の力が抜け、泥沼に溺れるように、死と恐怖を呼ぶ未来に怯えながら、眠りに無理矢理堕ちてしまった。
意識の向こうで、2×4の甲高く嘲笑う声が聞こえた気がした。
『お前の望みが美しく叶うと思ったか?
馬鹿め。
子供のないものねだりは、もうお仕舞いだ。
お前の望みは、大勢の他者を踏みにじって、他者が譲った道により、他者の血と肉と骨の築いた城塞の上に在るものなのだ。
それが、死と絆を為す許されざる者と裏切り者達を救う代償となる…………………』
それは、高く、高く、嘲る醜い笑い声だった。
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