Innamorato In Japan2
ーーどうして、あの人と二人で食べた羊羹はすごく美味しかったんだろう?
桃子は残りの羊羹を大切に包みなおしながら、そう思った。
羊羹を誰かと一緒に食べるなんて初めてではなかった。それこそ組員の差し入れに持って行って、みんなで食べたり、梅子の小言を聞きながら食べたお茶の席でもそうだ。
それがどうして、あんこに馴染みのない外国人のプロシュートと二人で並んで食べた、あの時は一層美味しく感じたのだろう?
上質の小豆を丁寧に扱った濃厚な甘さ。
思わず上がる口角と幸せな気持ち。
隣を見れば、プロシュートがそんな自分をおかしそうに微かに笑っていて。
オレの国じゃあ豆を砂糖で煮るなんて聞いたことなかったな、と言いつつも、少しずつ大切に味わうプロシュートが
「嫌いじゃあない、美味かった」
と言ったのも、
お礼を彼に伝えた時の
「そりゃあ…120点満点だ」
あのふわりとした微笑みに胸の奥がくすぐられるような気持ちになったのは何故だろう。
彼女はまだ知らなかった。
それは心の中の蕾が膨らんできたからだと。
あの時の桃子は、まだ自覚していなかった。
その蕾がやがて花になるのを。
一輪ではない。
一つ咲けば、またたくまに広がって沢山の花々が咲き始めるのを。
プロシュートと出逢ってから、始まっていた。
これまで追憶の雪の下で凍り付いていた花の前身が、彼によって少しずつ芽吹かされていたのを。
それはあの時にも。
(また、あの眼をしてる…。
どうして?)
桃子の心に捕えて離さない眼差し。
肉じゃがを作っていた桃子が目にしたプロシュートは、初めて会った時とタクシーで自分を抱き締める前の一瞬に見せたなんとも言えない表情を浮かべていた。
その青い瞳は月に照らされた雪の影。
静寂と冷厳。
(ただの思い込みかもしれない…、全然ちがうことを考えていて、私のおせっかいかもしれない。
けど…でも…)
その瞳から桃子は思う。
彼が寒くてたまらないのに我慢して堪えているように見えるのだと。
似ている。
『…おとうさん…っ、
おかあさん…っ』
家族三人の最後に撮った旅行の写真立てを見つめた子供の頃の自分と。
『かわいそうに。泣かないよう我慢してるのね…。
あんな気丈に、まだ小さいのに。
ご両親なくなられたのに…』
葬式の会場で聞こえた周りの声が突き刺さる。
(泣いちゃ駄目。
強くならなきゃいけないの…お父さんやお母さんみたいに…!)
あの時写真立てに映っていた自分の瞳が、ちょうど今の彼とそっくりの色を浮かべていたのと過去の彼女の記憶が今の彼の表情に重なる。
『…桃子の肉じゃがはうまいなあ。
こういう寒い日にこんな温かい物が食べられるなんて最高の贅沢だ。嬉しいよ』
初めて作った肉じゃがを喜んでくれた父親の李一(りいち)の笑顔。
それを思い出した桃子は、思わず出来たての肉じゃがをよそってプロシュートに差し出したのだ。
肉じゃがは母の檀(まゆみ)の得意料理だった。
そして初めて教えてくれた本格的な料理。
子供の頃の桃子は作り方を教わっていて、一生懸命にジャガイモの皮をむく彼女を母は上手上手と言ってくれて、ますますはりきっていた思い出がある。
『ほんと!うれしいっ』
『また作ってくれるかい?』
『うん、お父さんっ。
わたし、お父さんのために作る!』
食べて欲しい誰かの為ならば、
「流石、俺の孫だ」
「うめぇえー!!
お嬢の料理はうめぇよォオ!!」
喜ぶ姿が嬉しくて料理を美味しくしようと努力していた。それが今までは祖父であったり、組の皆であったのだけど、
「…こんな美味い物は初めて食った」
そう言ってくれたプロシュートの真っ直ぐに見つめた青い瞳が記憶に焼きつく。
ささやかに心に灯る温もり。
不思議だ。
プロシュートと出逢ってから、こんな風に感情が色々な形となって桃子の心を揺さぶりかけるのは。
彼が近づくだけであんなに怒ってしまうのも。
ほぼ初対面で日本刀で切りかかってしまうのも。
全く好みの顔じゃないのに、妙に心にひっかかるものがあるのも。
今はまだ、桃子は知らない。
この寒さがしみる厳しい冬の季節。
桜の花咲く日本に住む彼女は、マグノリアの樹の下で遠い眼をしていたイタリア人の男と出会ってから、その表情と感情が蕾から花が開くように少しずつ生まれ始めていた。
…今は、まだ。
彼女は知らない。
ーぽいっ、
ポイポイポイ!
「ああ、もう!
何で、こんなのしかないのォ!?」
祖母の嫁入り道具だったという年季のたった和ダンスの引き出しを桃子は漁る。
中にしまってあった服を引っ張り出しては、ああでもないこれじゃあ駄目だわとポイポイポイ周りに放り投げていた。
(お泊まり先に戻るのに、浴衣じゃいくらなんでも…
プロシュートさんのスーツはクリーニングに出さなくちゃいけないから、代わりに何か着るものがなくちゃ。
とは思ったけど、うう…どうしよう。
ろくな着替えがないわっ!)
そのタンスには組員の着替えが入っていた。
彼らがこの家で祖父と飲み会をした後に寝こけても大丈夫なようにと。
ただ、今はたまたまタイミングが悪かった。
圧倒的に服がない。
なぜなら先日近所で起きた消防車の入りにくい狭い路地の家の火事で、祖父に命じられた組員がバケツを持って消火活動をしにいってビシャビシャになって着替えたばかりだったから。
だから残っているのは、組員でも気に入らなかったヤツばかり。
桃子は今引っ張り出したばかりの、ド派手な真っ赤な花が散りばめられたド紫のシャツを手にして駄目だこりゃ…とガクッと肩を落とした。
「あ…、そう言えば…
そうだ!
アレがたしかあった筈…!」
その時、彼女の脳裏に部屋の奥にしまってあった、祖父が親友から貰った昔の贈り物を思い出した。
それは数年前のこと。
『親愛なるCiliegio チリエージォ(サクラ)。
沢山のバーチ(口付け)と共に。
…ちっ、いつまで経ってもスカした野郎だ』
祖父は英語ではないイタリア語の流麗な文字の書かれた手紙を声に出して読んでいた。
どっかりアグラをかく祖父の隣にはお洒落な長方形の箱と、封を切った封筒。
赤い蝋に押された印章がかっこいいなと手紙が届く度に思ったものだ。
手紙の相手が祖父を呼ぶ時の名のCiliegioはイタリア語で桜というらしい。
オージローは呼びにくいと言ってたそうだ。
ミラノなどイタリアの一部でも桜が咲いてるらしいが、関山桜という八重咲きで濃いピンク色をしているソメイヨシノとは違うタイプの桜で、祖父は可愛らしいバンビーナの頬っぺたのような花の名だなと随分からかわれていたらしい。
桃子は一緒に添えられていた、キスという意味のイタリアではメジャーなバーチチョコの包み紙をかしゃかしゃさせて中身を頬張り、祖父の手紙に耳をかたむけていた。
それは祖父の親友のイタリア人の男からだった。
なんでも戦前祖父がイタリアに渡った時に意気投合したらしい。
祖父が日本に帰ったあとも親交を続けて、身体がガタついた今は時々手紙を送り合っていたのだ。
その親友が不治の病で亡くなるまでは。
この時の手紙は亡くなる一年前くらいに届いたものだった。
『…よお、まだ生きてるか?
私はまだしぶとく生きているぞ。
近頃めっきり関節が痛いが、まあ頭はハッキリ以前のままだ、女にも困っちゃいない。
脚が動かなくてもアイツらから来てくれるからな。
毎日が楽しいよ。
時々毒蛇も混じっちゃいるが、問題ない。返り討ちにしてやってる。
なあ、そうだ、例のアイツも、ますます若い頃のオレに似てきやがってな。
眼だけはあの女そっくりだが。
それが、恥ずかしいような照れ臭いようななんとも言えない気分だ。あの眼で捕まって逃げられる女はいないだろうな。
まあ昔の私の方がずっと良い男だが。
アイツの面構えは悪かぁねえ。
ところでな、話は変わるが、先日、うちの奴等に命じて我が家のあのでかいクローゼットを片付けさせていたら、まだ着れそうなまあまあ良いヤツを見つけたので、オメーに似合いそうなヤツを譲ってやることにした。
一回きりしか着てないから、ほぼ新品同然だ。
日本じゃあ馬子にも衣装って言うんだったか?
これで貴様のトチ狂った美的感覚がマシになる事を期待してる。
それを着て街を出歩いてみろ。
老いらくの恋も悪くはないぞ?
人生は死ぬまで愛に生きるべきだ…
…だとッ!!
トチ狂った美的感覚だぁ!
余計なお世話だっ、あんのスケコマシじじいがッ!!
俺の女は婆さんだけだ!
こんなチャラチャラしたもん意地でも着ねえ!!
桃子!
コイツァ誰かにやっちまえ!』
手紙を一気に早口で日本語に訳しながら読んだ祖父は、最後のあたりでピクピク手紙を読む手が動いて、読み終わった瞬間にバリッと一気に二つに引き裂いた。
いつもこんな調子なのだが、互いに憎まれ口を叩きながらも仲は良いらしい。
『着ればいいのに…。お祖父ちゃんも、たまにはイメチェンすればいいんですよ』
『わかっちゃいねえな…ッ。
コイツぁ、あの野郎流のタチ悪い悪ふざけなんだよ!!
見てみろ、ヤツは俺とヤツが20cmも身長差があったのを分かってて、わざとテメエの服を送ってきやがったんだッ。
これはな、テメーみたいな短足男でも、これが着こなせたら新たな恋が出来るっつー意味だ!
つまり答えはテメェにゃ無理だって事なんだよッ!!畜生!』
祖父は、何よりあの野郎に抱かれてるようで気色悪いから誰かにやっちまえと言っていたが、桃子は勿体ないと思って、時々風に通したり手入れをしていた。
祖父はあのスラックスの長さを嫌味なんだ!どんだけオレは裾上げすりゃいいと思ってんだ、アイツは!と言っていたのも、今のこれは幸運だと思って。
「よかった、サイズも大丈夫そう…」
桃子は出したその服をハンガーにかけていき、最後に首元にゆるくスカーフをかけた。
それは美しい上質なものだ。
「あら?
このスカーフリング…」
付属の銀製のスカーフリングをスカーフに通しながら桃子は、手を止めて首を傾げた。
それはなだらかな曲線を描き、まっすぐ下へ向いている不思議な形で、たとえるなら数字の9にも見えるし、勾玉の形にも似てる。
「これ…
最近みたことある。
…けど、どこで、だったかしら?」
けれども、その時は結局思い出せなくて、腑に落ちないまま、桃子はプロシュートの元へ間に合わせのその着替えを持っていった。
「!?
お前…これは…っ」
「え?
な、なんですか?プロシュートさんまで?」
彼も先ほどの桃子と同じように、スカーフリングをじっと見たが、
「…いや、まさかな…。
こんな所で」
と首を振って、受け取っていた。
だが、それがまさかの事態のフラグだった。
「…『ヴェローチェ・イルモルトォオ!!』
テメエッ!
この野郎!!!生きてやがったのか!!
しかも、いつの間に若返りやがったんだァアァアァアーーーーー!!」
プロシュートはまたしても、いきなり日本刀で斬りかかられたのだ。
桃子の祖父の桜仁郎によって。
プロシュートもよく知る、あの男の名前を叫びながら。
H.31.3.10
もう少し続けたかったけど、長くなりそうだから、ここで切っておきます。
これから都合上オリキャラとか兄貴のねつ造設定とか出るので、ご注意下さい。
なぜ桃子さんが夢の中で兄貴と出くわしたのかという理由になります。
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