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Innamorato(インナモラート※恋に落ちた人)In Japan 1
人は見かけによらない。

桃子は目の前の男のジャガイモの皮をくるくる薄く剥く手つきに目を丸くしていた。


「なんでそんな大量に野菜があるんだ?
オメエの家族の分にしちゃ多すぎないか?」

それは桃子が用意したバタートーストとベーコンエッグに茹でた野菜の朝ご飯を食べてから、ブラックコーヒーを口にしたプロシュートが、そう聞いた事から始まる。

「うちのみんなのお弁当、お昼ご飯なんですよ。
みんな肉じゃが…牛肉とジャガイモと人参をお醤油とお砂糖で味付けした煮物が大好きだから、それを作る材料なんです。

いつも沢山働いてくれてるから12時になると、みんなお腹がペコペコになっちゃって。
今みんなのしてるお仕事は、プロシュートさんが昨日お会いになった梅子叔母さんの旦那さんがお祖父ちゃんから引き継いでる所で、女の私が出来るのはこれくらいなんですけどね。
みんな、美味しいって喜んでくれるから、作るのはちっとも苦じゃないんです。
私、もともとお料理が好きですし。

あ、あなたとお話ししながらずっと手を動かしてるのは申し訳ないんですけどね…。
今のうちに作らないと、煮物に味がしみないから」

こんな事でしかお手伝い出来ないんですけどね、と桃子は恥ずかしそうに微笑んで、そう答える。
だが、台所につまれたジャガイモ、玉ねぎ、人参、インゲンとその数は相当なものだ。
これだけでも、昨日の筋肉ダルマたちの食欲の凄まじさがうかがい知れる。

「ーーペティナイフはあるか?」

「へ?それなら、シンクの下の右の扉開けたら、ありますけど…」

「借りるぜ。構わないだろ?」

「!」

またしても一瞬桃子の頭に失礼な想像がよぎった。

『Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.(目には目、歯には歯、手には手、足には足を)だぜ。
いい的になったじゃあねえか?』

『グゥ…ッ、ナイスショット…!(ガクッ)』

それはプロシュートが投げたペティナイフが、桃子の額に見事に命中する姿。
昨日、彼女が日本刀で切りかかった仕返しだとばかりに。
だが、彼女の物騒な思い込みはすぐにかき消される。
プロシュートは桃子の隣に山積みになってた泥を洗い落としたばかりのジャガイモの山の一つを手に取ると、桃子の前の椅子に腰掛けて、ペティナイフで薄く薄く皮をむき始めたからだ。

「朝飯代の代わりだ」
と言って。

「え?そんな…大丈夫です。
私は慣れてるからいいけれど、普通の人じゃ大変ですよッ。たくさんあるんですもの」

「そんな大変な量をオメー一人でやってるのを、ボンヤリ見てるほどオレはボンクラじゃねえぜ」

チラッと見た彼は少ししかめ面をして。
朝は何かとやる家事が沢山あるじゃねえかとも言った。

「すみません…」

「謝んじゃあねえ。
言うなら礼の形で言いな。
へり下りも過ぎると相手に失礼にあたる」

「!すみま…


ありがとう…ございます」

「それでいい。

ついでに笑ってくれりゃ満点だ」

微かに笑みを浮かべるプロシュートに桃子はむず痒いような気持ちになりながらも、気を使ってくれたんだと思った。

(外国の人だから、かしら?
でも、プロシュートさんは見た目百パーセントのイタリアンジゴロで、あんな乱暴な口調のバイオレンスな人だから、てっきり泊まった家の女の人から手料理を振舞われてるイメージだったけど…。

このナイフ使いは、毎日お料理をしてる人の手だわ)

桃子が思ってたよりも、ずっと早くジャガイモの皮を剥いたプロシュートは、どんな切り方をすりゃあいいんだ?と聞いてきて、そのまま剥いたイモを大きさを揃えて切ってくれる。

他も彼が手伝いをしてくれたおかげで、予定よりずっと早く料理の支度が終わりそうだ。

「お料理をよくなさってるんですね。
きっとあなたの奥さんか彼女さんは幸せですね」

「いや、オレァ、独り身だ。職業柄、なかなか難しくてよ。
それにオレの家と職場にゃ、甘えたの白猫にグルグル巻き毛のクソ猫に、ママっ子のヤシの木に、放っておくと空腹で引っくり返るデカ犬がいるからな。そいつらの世話で忙しいんだ」

「そんなに沢山お世話なんて大変…ですね。
(ヤシの木?
…ママっ子の?え?え?)」


まだまだ知らない事が多そうだ。
おそらく、彼の言う猫や犬は本当は人間のことだろうが、今までの言動から彼の面倒見の良さが垣間見える。
見た目はモデルの様に華やかで美しい男。
指先まで整い、その唇で女に囲まれて愛の言葉を囁く姿をイメージする見た目なのに、口調は粗雑で、なのに時に必要ならば、その見た目にぴったりの態度を取って、時にその若さに見合わない老齢じみた物言いをする。
今までの話からして、毎日早起きをして家事をしつつ、周りの世話を焼いて、自分のことも仕事も完璧に。他人にも厳しいが、自分にも厳しい。
知れば知るほど、不思議な人…、そう思った。


「プロシュートさん、これご覧になって。
人参の花型に切ったものです。
特に意味はないんだけど、ほら盛り付けた時に綺麗に見えるでしょう?」

桃子が慣れた手つきで、ちょいちょいと人参に包丁を入れて、ピラッと切った一枚を見せながら微笑んだ。
あの筋肉ダルマ達には可愛すぎるんじゃないかと言えば、ヤンキーがファンシーなものが好きみたいに、皆も何故か
「お嬢が作ってくれたァア!」
「もったいなくて食えねぇ!!」
と喜んでくれるんですと桃子は言った。
「私、飾り包丁に一時期凝っていたことがあって…。忘れないように時々こうやって料理に取り入れてるんです。
中華料理のお高いお店に出てくる、きゅうりとか人参で出来た鳳凰とか龍みたいな、あんな凄いのまでは出来ないけど…。

林檎の皮を一部残して皮を剥くと、ただの丸い林檎が可愛いウサギになるんですよ。
林檎を白鳥にそっくりにも出来ます。
結局ほとんど私が食べちゃうんですが、
なんだか魔法みたいで、楽しくって」

普段は一人で黙々と料理の準備をするのが、今朝は二人で大量の材料の下ごしらえをするので、桃子はプロシュートに話しかけながら作業をしていた。

お弁当の準備はほぼ毎日していて、週に何度かは祖父と組員が酒盛りをするので、その料理も作っているという。
「梅子叔母さんから、そんなしょっちゅう宴会ばかりで大変でしょ?あんな目隠ししたら、いくらととびっこの区別もつかない奴等ばかりなんだから時々は店屋物で済ませちゃいなさい、家事は手抜きも大事なのよって言われるんですけど、半分趣味みたいなものですから。
お祖父ちゃんや皆が美味しい美味しいって喜ぶから張り切ってしまうんです」
大鍋に入れた野菜と肉に味付けと味見をしながら、言う言葉は彼女が本当に料理が好きだとわかるものだった。


『愛しい人、あなたの為に今夜は腕を振るったのよ』
そう言って、キャンドルが灯るテーブルクロスがかけられて薔薇の花の花瓶が飾られたディナーの席で、そんな事を言った女がいた。

それは盛り付けも手の込んだ料理も素晴らしいものだったが、プロシュートは知っている。それは全てデパートの高級な惣菜屋で買ってきたものなのを。

別に料理が出来なくてもいい。
ただ、嘘をつこうとしたその態度が気に食わなかった。彼女がもし仕事がらみの女でなければ、その場からすぐ立ち去っていただろう。
そういえば、その女は煮込み料理なんて野暮ったくてみっともないわとも言っていたか。



「お弁当は冷めても美味しいようになってますけど、それ以外は出来たてを食べて貰えるようにしてるんです。

私のお母さんはいつもどんなに忙しくても、出来たての温かいご飯を作ってくれました。
ちゃんと家族でテーブルについた時にぴったりタイミングが合うようにして。

お母さんのあったかいご飯を食べると、その日どんなに落ち込む事があっても、熱々のお味噌汁を飲んだら体がポカポカあったかくなって、寒々した嫌な気持ちもきれいになくなっていったんです。
ふふっ、私が食べる事が好きだからかもしれないんですけどね。

私のご飯で子供の頃の私みたいに、食べた人も同じ気持ちに出来たらいいなぁって思ってるんです」
おたまで煮汁をすくい、小皿に取って味見をする桃子の横顔は朝日に照らされて、優しい面影をその顔に浮かべていた。






『お兄ちゃあん!見てェ!
可愛いでしょ?』

あの花型の人参を見て、以前夕食の手伝いをしてたアマーロが得意げに見せた星の形に切った人参を思い出した。

『お兄ちゃん、お料理って楽しいね!』
きらきら眩しく笑いかけて。

『お兄ちゃんのご飯は大好き!

あたしの料理の味は、お兄ちゃんのご飯がルーツなんだよっ。
あたし、いつもお兄ちゃんのご飯で幸せ一杯だったの!
だからね、同じようにあたしのご飯をいつかあたしの大好きな人が美味しいって思わず口にしちゃうくらい上手になるのが、あたしの夢なんだ!』

無邪気にニコニコして言う妹の姿に、あの時も成長の芽を見た。

だが少し、ほんの少しだけ妬いてしまっていた。
彼女が美味しいと言って欲しい相手は他でもない、ただ一人なのだから。
自分ではない。
あのたった一枚だけの星型の人参をアマーロは、彼女のこの世で一番大好きな相手の皿によく見えるように盛り付けて渡していた。
幸運の星が当たったんだよ、とそう言って。

悪気はなかった、それは純粋な好意からだと分かってる。だが道理に感情は付いていけない。
あの時、その彼女の大切な男はその黒目がちの瞳に心労を浮かべていたのが、現にそのアマーロのささやかな気遣いによって、あまり感情を見せない瞳にやわらかな光を戻していた。
彼の様子にたちまち浮かべた、この世界の幸せを全て凝縮しきったような、愛らしく幸せだと物語る妹の笑顔。

それを目にした時の、
あの思いをなんと言葉にしたらいいのだろう?
この胸に出来た隙間の様なものは…。
その空いた場所から流れ込む寒さがある。
今も、ずっと。











「ーーさん、

プロシュートさん?」

「ああ、悪いな。
少しぼんやりしちまっていた」

あの時の感情を思い起こしてたプロシュートは、桃子の声にやっと気付く。

「よかった…

昨日の、私のせいで風邪ひいちゃってたらって思っちゃいました。

あの、せっかくですし、今出来たてだから、少しいかがですか?
肉じゃが、お口に合えばいいのですが…」

桃子は白地に青い花模様の小皿に、出来上がったばかりの煮物をよそい、両手の上に小皿を置いてソッと差し出してきた。


彼は口にする。



醤油と日本の酒、慣れない調味料を使っていたが、
あたたかくて、優しい味。


桃子の言う通りだ。
確かに、あたたかい出来たての食べ物は、口にするだけで、つい先程までの寒く胸に空いたような感情
を充たしてくれる。




「あの…


お味は?」

何も言わずにゆっくり味わうプロシュートの様子に、もしや苦手な味だったかしら申し訳ないことをしたと不安になって、桃子は我慢できなくて聞いてみる。

それに彼は伏せ目がちだった瞳を桃子に向けて、何も嘘偽りなく答えた。



「…こんな美味い物は初めて食った」
と。




その言葉でホッとして良かった…でもちょっと大げさですと桃子の
はにかむ微笑みに目を奪われながらも。


美食の国と言われる故郷の、仕事上の取引で行った最高級のレストラン、
名士ばかり集まるパーティーで振舞われる、あらゆる珍しくて高級な食材を最高の料理人が惜しげもなく使った美食の数々、
美しい女達と席を連ねた場所で食べたなによりも、







桃子の作ったそれは、ずっと美味しかった。










「お疲れ様でございました…。
お茶にしましょう」

組員へのお弁当の支度もこうして終わり、桃子は濃い赤紫の艶やかな羊羹ふた切れを乗せた青磁の小皿と黒文字を添えたものを、プロシュートの前にそっと置いた。

「どうぞ。
これが『夜の梅』です。
昨日は何だかんだバタバタして出せなかったけど、やっとゆっくり食べられますね」

淹れたてのお茶を二人分並べて、桃子はプロシュートの前に座り、いただきますと言った。
それから待ち焦がれたものがやっと食べられると言った様子を隠さずに自分の分の羊羹を黒文字にさして、口に運び、その甘さが口に広がると、本当に幸せそうに口の端がキュッと上がる。

「美味しい…!
たまたま奮発して買ってよかったァ…ッ」

欧米では豆を砂糖で味付けしてデザートとして食べるのを奇妙だと思うのが普通だ。
フランスのパリでは、とらやがパリ支店を出して、羊羹の中にフルーツのコンポートを入れるなど、フランスの人々の好みにあうように工夫をした結果、少しずつ受けいれられて、季節によって変わる生菓子の美しいと言われて親しまれるようになっている。

イタリアでも、砂糖で甘くなった豆をデザートとして食べる習慣はない。
だが、あまり甘過ぎる物を好まないプロシュートは、桃子が嬉しそうに食べる様子と、ねっとりした甘さと口に広がる感触が美味いものだと不思議と思えた。





「あ、プロシュートさん」

「どうした?」


桃子は何かに気付いたように、羊羹を食べる手を止めて、口にする。
プロシュートに言いたかった言葉を。




「ありがとうございます。
お手伝いして下さって。
おかげでこうして、ゆっくり出来ました。

それともうひとつ、感謝したいんです。



自分が好きな物を、
一人で食べるより、二人で食べる方がずっと美味しいんですね。

お祖父ちゃんは辛党で、周りのみんなはケーキ派ばかりだからなんですけど、

不思議ですね、
今はじめて気づかせてもらえました…。

ありがとうございます」


礼を言う時は笑顔で、ですよね?と付け加えて。

先ほどプロシュートから言われた言葉を思い出した彼女は、心から、そうしたいから、瞳を逸らさないで、やわらかな笑みと共に言葉にした。




「ああ、そりゃあ…、
120点満点だ」




その笑顔が好きだ。
恥ずかしそうな控えめな微笑みが。


そうして、今プロシュートは自分が感じていた寒さが温もりに変わるのを、はっきりと自覚してしまった。


この近付いただけでハレンチと叫んだり、突き飛ばしたり、刀で切りかかったり、失礼なんだか慇懃なんだか分からないゴチャ混ぜの態度を取る、おかしな日本人の彼女に言われた事で…。


その淡い気持ちで、彼女の側にいるのは、とても心地が良かった。



















H.31.3.4
Innamorato→イタリア語「恋に落ちた人」
今回からの題名は、ColdplayのLovers In Japanが元ネタ。


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あきゅろす。
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