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☆悪の華 Fioli di ciliegio 2
数日後。ここはあるリストランテである。


「Benvenuti(ようこそ)!
お待ちしておりました」

リストランテの前に黒塗りの高級車が止まり、中から護衛と共に某企業の取締役が周囲をうかがいながら降りてきた。
パッショーネのボスがいつの間にか変わり、以前は姿を見せなかったボスが直々に自分に会いたいと連絡が来たのだ。
春の初めから噂はすぐ流れていた。
新しいボスはわずか15歳の少年だという信じがたい事実を。内部の抗争後、彼は組織内を洗いざらいして相当の数を自分に忠誠を誓わせるか、もしくは必要ないと判断したら丸々ごっそりと粛清したのだと。
かつて自分は前のボスからは麻薬での利益を横流ししてもらい、礼として彼も見返りを与えていた。
それが今はどうだ。
ほんの少し前までは金の心配もなかったのに、今となっては己の事を心配せねばならなくなったのだ。
それ程までにこのネアポリスの街では、パッショーネの新しいボスの影響が更に色濃くなってきている。
耳に入る限りでは、このボスとコンタクトした他の関係者は繋がりを継続するものもいれば、跡形もなく潰されたものもいる。


「…お召し物を」

「ああ、頼む」

巻き毛に眼鏡が似合うクローク係の青年に薄手のコートと帽子を預けて、黒髪を綺麗に肩で切り揃えたカメリエーレ(※ウェイター)に案内される。
彼は指定された席に腰を落ち着けると、ハンカチで額の汗を拭い、一息をついた様子でため息をついた。





「少し暑いな。此処は…」

「すみません、今空調が故障気味でして…。
宜しければ、お外に席をあつらえましょうか?」

「構わん、中でいい。
ここは見渡しも良い、美しい庭もここから見えるからな。十分だ」

「お客様、お飲み物はいかがなされますかな?」

「そうだな、待ち合わせ中だからな。レモン入り炭酸水をくれないか」


銀髪を丁寧に結った老齢のソムリエから受け取った炭酸水で喉を潤し、落ち着かないまま男は待つ。
気付けば何本か煙草の吸い殻が増えた頃、向かいの席に一人の少年が歩み寄ってきた。

「…お待たせしました」

少年はカメリエーレのひいた椅子に、優雅な動作でゆったりと腰をかける。
特徴的に巻いた前髪が輝く黄金の髪に、深い思案をたたえたエメラルドグリーンの瞳には余裕のある笑み。

…この男か。
その表情は実年齢と比べものにならない程落ち着いていて、彼の醸し出す空気は何処となく無言の圧力さえ感じられる。
男の頬にまた一筋の冷たい汗がしたたる。
知られてはならないと。
前のボスとの間ではまかり通っていた取引のうちのいくつかは、話を聞く限りでは、おそらくこの少年の眉をしかめる内容である事も。
しかし、それは多大な利益を男の会社にもたらす為に止める訳にはいかなかった。
秘密にしておかねば。
そして、この今の迎えいる自分の笑顔は引きつらずにいられただろうか?
この握手をした手から震えは伝わらなかっただろうかと。


「お初にお目にかかります。
僕がジョルノ・ジョヴァーナです。以後お見知りおきを」

「ああ、よろしく。
君は随分若いな…、先代はどうしたんだね?」

「病気静養の為に引退して海外に行きました。
僕は彼の跡を継いだのですよ。
さて、それでは商談…といく前に、貴方に紹介したい方がいます。

どうぞ。お入り下さい」

「はい…、失礼いたします」

ジョルノに呼ばれて現れたのは、黒髪と黒い瞳のアジア人と思われる若い女性だった。
濃い紫の地に白い花の模様された東洋の服をまとい、髪は一つに結い上げ、白い鳥の髪飾りをつけている。
うなじは白く眩しい。その伏せがちの黒い瞳はどことなく神秘的な光をたたえている。
彼女は男に深々と頭を下げると、カメリエーレにうながされてジョルノの隣の席に座った。

「彼女は僕の親愛なる友人です。
食事に花は付き物でしょう?
大丈夫です、彼女は口が硬いですし、英語しか話さないので、我々の商談はイタリア語で話せば問題ありません」

「エキゾチックで可愛らしい方だ。
美しい黒髪のシニョリーナ、貴方のお名前を聞いてもいいかね?」

「草薙桃子と申します。
お会い出来て光栄に存じます…」

「ああ、固くならなくていい。
女性には退屈な話で申し訳ないが、どうか気楽にしてくれ。
それではジョヴァーナ君。
先日の件についてだが…」





ごく普通の、中年に見えるが、油断してはならない。
この男の為に、一体どれ程の人間が見捨てられ、使い潰されてきたかは、ジョルノから話を聞いている。

カメリエーレの運ぶ食事を味わい、ソムリエが注ぐ充分に香りが引き出されたワインに少しだけ口をつけ、桃子は男がジョルノと話すのに時折相づちをうちつつ、彼を静かに見つめていた。

(『バイオレット・ヒル』)

黒曜石の瞳を燻らせ、彼女は自身のスタンドの名を呼ぶ。
アメジストに輝く一対の蝶が現れ、ひらひらとその場を飛翔しだした。

自分はジョルノの右隣にいて目の前では男がいる。
これだけ至近距離にいれば、彼女のスタンドの精密さが必要なだけ増すだろう。
スタンド使いはいない、その前情報が入っていた為にこうして堂々と出来る事だった。

夕空の下、庭の花々は鮮やかに香りを放ち、バイオレットヒルはテーブルの周りを舞う。

ジョルノの問いかけに男は答えていく。
それはまるで誠実に、役に立ちたい、これからは協力していこう、そう聞こえる。

沈みかける太陽の最後の光が眩しい。
目も眩むほどだ。

男は語る、本心を明かし打ち解けようとする。
手慣れた口調で。
だが、唇から男の言葉が流れるごとに、桃子は男の臓腑に満ちた濁った意識が周囲に広まるように感じ、微かに吐き気を覚えて、口元をハンカチで抑えた。

「ミント入りのミネラルウォーターはいかがかね?胸がすっきりしますよ。美しい人」

いつのまにか側に立っていた老ソムリエが盆に乗せた氷入りのグラスを彼女に示す。
その人の良さそうな笑顔の奥に見える青い瞳。
一瞬だけ交わる眼差し。

「…お願いします」
桃子は控えめに微笑みかけた。


気分が楽になり、もう一度彼女は集中した。
夕日が建物の白い壁に反射されていく。
輝く光に透かされ、少しずつ飛び交う蝶の色が変わっていく。
欺瞞と悪意の闇へ身を染める。
夜明けの空を思わせる薄紫から黒の縁取りに鮮やかな琥珀色の翅へと。
男が話せば、その度にいつしか蝶が増えている。

数羽だったのが何十羽にも…。




『…ボス。
ウォーレス毒蝶が現れました…。予想通り、客は全て彼らの息のかかったものです……。
人数と手持ちの武器も今バイオレットヒルを通じてお伝えした通りです。
…「声」もお聞きになりましたか?』

『ええ。あの男が、まるでイヤホンのコードをつけ忘れたのにも気づかないで大音量で音楽を聴かせているようでしたよ…至極正確に、あの男の本心は聞こえました』


桃子は男のいる正面をみつめ、能力でジョルノと会話しながらもごくりと息をのんだ。
ジョルノの肩にバイオレットヒルがひかえていた。
男の側でも、もう一羽がヒラヒラと宙を舞っていた。
その場の彼女の役割。
それは、いつ裏切り者がいるか、腹で大蛇や蟲を飼う人間と取引をする時に、彼女のバイオレット・ヒルで悪意を探らせること。
危険を前もって察知すること。

普段はアゲハチョウの姿をしてるそれは、悪意や下心ある人間の魂を嗅ぎとると、幼虫時に毒草を食べて成長する麝香揚羽やウォーレス毒蝶の姿に変える。そうしてジョルノに害なすリスクを出来るだけ排除していくのだ。
男は毒蝶と化し、ジョルノの蝶は光り輝く黄金の羽を持つ太陽モルフォに変化している。

そして相手の魂を蝶に変えられれば、彼女の好きなようにその魂の持ち主の本音を望んだ相手…今はジョルノ…に聞かせることも行える。

ジョルノはあくまで冷静だった。
男に質問をし、彼の答えを聞きながら、イルーゾォとホルマジオが前もって調査していた報告書と男の話す経営の内容が合ってるか、男がジョルノに信頼して正直に話しているか試していた。

今まで毒蝶の姿をしたバイオレットヒルを通じて、男の吐き気を催すような過去の行いと、自分へ向ける馬鹿にしたような恐れたような悪意のこもった男の本心を、まるでスピーカーのように丸々聞かされながらも。

ジョルノの笑みはやわらかなものだったが、その眼は笑っていなかった。

やがて互いの話が一息つくと、ジョルノはゆっくりと席から立ち上がり、口の端を綺麗に歪ませ、この上なく優しい声色で男にこう告げる。

終わりだと。


「すまない、取引は中止だ。
貴方と話して分かった。

我々の間にはどうやら『信頼』が足りないらしい…。
即お引き取り願おう。

僕は正直な心で話すよう約束した筈だ。
なぜ僕が、直接貴方の前に現れたか分かるか?
それは僕の目で直々に相手を見定めたかったからだ。
その為には信頼を僕が先に示さねばならない。
僕は貴方を信頼しようとしたんだ。

僕は正直を求めた。
僕がしたように信頼を僕に寄せてほしかった。
だが、お前は僕の信頼を裏切ったんだ。
だからもういい。



君!この方は随分酔いが回ったらしくお帰りのようだ!!
丁重に!お送りしてやれ!」

カメリエーレに呼びかけると、ジョルノは桃子の手を引き、帰る姿勢を見せようとした。


ジョルノから唐突に言われた言葉に男はあわてて取り繕おうとした。
何か誤解をしているようだと。
男は立ち去ろうとするジョルノの腕を掴み、必死に弁解をしている。
だが、ジョルノはとりつくしまもなく、男の腕を払いのけると冷ややかな眼差しで見つめてきた。
隣の女性はハラハラするような心配そうな表情をして。

ジョルノのその声色はゾッとする程冷たかった。


「無駄なんだ、僕は無駄が大嫌いだ。
貴方の全てが僕には無駄なんだ。
つまり僕は貴方が大嫌いなんだ」

ジョルノは男にあるものを取り出して見せる。


「その理由を教えてやろう」



それは一瞬何かの棒状のものにみえたが、そうではなかった。
それは2本の人間の腕であり、
それは男にとってあまりに見慣れたものだった。

「この男は、お前の会社で働いてる人間が露頭に迷うと言って、僕の仲間が何をしても最後まで全く口を割らなかった…。
他のお前の仲間から聞いた情報によれば、この男は会社への働きに見合うだけの評価がされないながらも、先代に恩があると居続けたらしいな。

彼は信頼できうる人間だった。
お前と違って」

特徴的な痣のついた男の腕を男の正面に置く。

「それに比べて、この彼女はお前と同類のようだな。
命だけは助けてくれるのかと、余計なことまでぺらぺら喋ってくれたらしい。
恥知らずもいい所だ。
イブの蛇。
裏切り者は銀貨にさえ目が眩む。

お前の金の卵の数々も話してくれたんだ。
すでに僕の手の者が、それを全て僕たちの組織で差押えたと連絡が来たばかりだ。
お前が彼女に湯水の様に注いだ投資は、どうやら無駄に終わったらしい…」

ジョルノは若い女と思われるハリのある肌の腕を掴み、男の前に見せつける。
その薬指には、昨夜男が腕の持ち主に睦言と共に与えたばかりの、血のように真っ赤なルビーの指輪が生々しく光っていた。

「お前の失敗は、
信頼を見誤ったことだった。
お前が正直に話してくれれば、お前の財産は消え失せることもなかっただろう。

…それも今となっては、無駄だがな」

その優雅な笑みは、残酷な響きの嘲る笑い声に彩られ、恐ろしくも美しかった。



その瞬間、シンと波が静まるように場が鎮まる。



苦しい愛想笑いさえ消え失せた男は、
顔を真っ赤に歪め、
懐に手を伸ばし、
そして。









「『バイオレットヒル』!!』


「『スティッキィ・フィンガーズ』ッ!」


それは一コマ一コマ映画のフィルムを再生するように酷くゆっくりと視界を変えていった。
さながら死ぬ間際の走馬灯のように。

桃子の目付きが刃の光を化す。
その細腕を彼女自身の頭上にかかげて空中より現れた銀色に光る日本刀を掴むと、男に向かって勢いよく振り下ろす。
そして彼女の目の前に立ちはだかった黒髪のカメリエーレ。
振りかぶる拳。
男の真後ろで応戦しようとして壁に叩きつけられたボディガードたち。
血の一滴も出ずに男の足元に落ちる彼らの首、腕、胴体。
飛び散る食器、花瓶から飛び出す薔薇の花、テーブルクロス。
カメリエーレの背後にいた男たちも同じように見えない何かの手により、床に叩きつけられる。

『「バイオレット・ヒル』!!」

先程彼女が口にしていた謎の言葉が再び響き渡る。
それは先程のあの女ではなく、別の男の声だ。
その声と同時に彼女の姿は突然消えて、ジョルノとカメリエーレは足元のパックリ割れた床に吸い込まれるように飛び込み、彼女と同じように一瞬で姿を消す。
二人がいなくなると、あの割れた床は割れ目など何事もなかったように元に戻っている。



そうして男はようやく自分の目に映るものに気がついた。

「あ…、あ…っ、そんな…っ」


拳銃を握ったままの自身の右腕が床に転がっているのを。

そうした一瞬一瞬が刹那のうちに繰り広げられた後、その場をつんざく男の絶叫。

それに出遅れて客のふりをしていた男の他の部下たちが一斉に立ち上がり、男の周りを囲い込むが、彼らの各々の表情は何が起きたか分からない戸惑いと警戒の色に染まっていた。

しかし、時はすでに遅かった。

男の部下たちが一斉に膝から崩れ落ちるように倒れこんだ。
一体どうしたことだと、ある部下が頭をかいた瞬間にゴッソリと抜け落ちる白髪。
おそるおそる手のひらの髪に驚き、その手が皺に寄った誰かのものだと気づく。
歯が抜け落ちる者がいた。
胸を押さえて苦しむ者もいた。
走ろうにも、自身の足や大腿骨の骨が勝手にぽきぽき折れていき、あまりの痛みに呻き声が響き渡る。
周りの見知らぬ老人たちに恐怖に慄く。
急に音が遠くなっていく。
視界が霞んで見えなくなる。
呼吸すら息苦しくなる。



この暑い、空調がききすぎたこのリストランテで。




「『ザ・グレイトフル・デッド』」


その場には、いつのまにかいたのか、あの銀髪のソムリエが特徴的な笑みを浮かべて、老人の死体が積み重なるその場を平然と立っていた。



その中には、たまたま冷たい飲み物をとっていた為比較的老いの進行が遅かった者も数名いた。
彼らは仲間の様子に恐怖でパニックを起こし、窓やドアに駆け寄って逃げ出そうとした。
だが、窓も扉も前もってソムリエとカメリエーレが接客をする合間に全て出入り口を封鎖していたので、男達がいくら泣いても怒りだしても出る事は叶わない。
その上だ、その場にいたのは、






「ブチ割れちまいな!!」


あのクローク係の眼鏡の青年、つまりグレイトフルデッドの能力が唯一効かないギアッチョが、生き残りがドアノブや窓に触った場所から冷気を迸らせて凍りつかせると、残党を残らず始末していたのだから。











「終わったか…」


その場に動く者がいなくなると、再び地面がジッパーによって開き、ジョルノとカメリエーレ…に扮したブチャラティが姿を現した。
ブチャラティは、しっかりスティッキィ・フィンガーズで男の首を切り離すと、それを皮袋に入れて、男の残りの胴体は縛って動けないようにした。


「ブチャラティ 、桃子は?」

「ああ、またアイツが呼んだんだろう」

カメリエーレの制服の焦げ茶色のネクタイを緩めながら、そうブチャラティは呆れたようにフウとため息をつく。
あの永久に気が合わないであろう男のことを思い出しながら。
今ごろアイツにギッチリ捕まってアワアワ赤面しながら困ってる桃子の姿が簡単に想像出来てしまい、ブチャラティはおかしくてクスリと笑みを浮かべた。
















H.30 10.31
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