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ナイトメア―Welcome to the family※不快表現注意
『栄光なき汝に讃歌(ほまれうた)の在らんことを、サタンよ』







さみしかった。
アマーロは寂しかった。
たとえどんな理不尽な理由で殴られても、人間扱いをされずにいても、アマーロはあの中に混ざりたかった。
それは自分には贅沢なことだと幼心にわかっていても。



『おいし…っ』


小さなアマーロは投げつけられ目の前に落ちた林檎の芯に微かに笑顔になると、少しずつ口にして、その僅かな甘さを味わっていた。




―おい、起きろ。


数時間前。
閉めきられた扉を開けて、父親は彼女を蹴り飛ばし早く起きろと言い、母親である筈のものは新しい服を着せて、なんでお前はそんなに動きが鈍いんだ愚図な子だと罵った。
お前なんか人様にさらせないと車の荷物置き場に放り込まれて、連れていかれた。
普段の部屋より狭くて怖かった。
だが、泣き声をあげても口には猿ぐつわをされて、苦しくて、息を必死にしながらこらえた。
そのうち明るくなり、やっと外が見えた。
バッカスとニンフの彫像が踊る華麗な装飾の噴水。
美しく咲き乱れた薔薇の花の庭園。
長い歴史を誇る名のある芸術家が設計した屋敷は威厳ある佇まいを見せる。

腕をとられ、中に入ると大勢の立派な身なりの人間が笑っていた。


それは一族の集まる日だった。
一族の誰かの誕生日、勢力拡大の祝い、様々な理由で集まりはあるのだ。


常にアマーロは呼ばれるまで動くなと鎖のついた首輪をつけられ、床に直に座らされる。
彼女はただ、一族の子供達の憂さ晴らしの為に、連れてかれる。




彼女からかなりの距離をおいて、豪勢な食事がふるまわれる。
親族たちは笑いと共に舌鼓をうつ。
両親は媚びた笑みをうかべ、おべっかを使う。
アマーロと同じ年の子、一族の当主の娘は綺麗な暖かい服を着て、口のはしに溢したスープを絹のハンカチでぬぐわれ笑っていた。

それを目にして、うつむく。
それでも、まだよかった。
近くに人がいる。





―おい、アイツを見ろよ。
相変わらず気持ち悪い野郎だな。

そう罵られても。

あの当主の娘がやってきて、きもちわるいと子犬を殺すように腹を蹴られても。



―一族に加わりたいか。
―仲間になりたいのか?

ふと従兄弟の子供たちの背後から少年が現れた。
今日の主役。
正式に親族内で宣言された、次期当主の。

金色の髪に青い目。
ただし、彼はアマーロがこの時まだ存在を知らなかった兄…彼は期待されながらも結果的に一族の敵対する組織に属した為、裏切り者とされ、いないものとされていた…とは似ても似つかない姿をしていた。

ベヘモットの脂肪の詰まった腹。
ベルフェゴールの左手。
醜い嫉妬に燃えるレヴィアタンと傲慢のルシファーを内に住まわせた、アスモダイのおぞましい色を腹の奥に孕ませた男。
生きたまま獲物の内臓をひきずりだす視線を向け、口の端からねっとりと涎を垂らす。



『ほんと…っ。

ほんとっ?』


犬のように這いつくばる少女はすがり付く瞳で少年達を見上げる。





アマーロはうなづく。
元は泣き腫らしてばかりの赤い瞳にわずかに希望で輝かせて。



彼女は食事もろくに与えられず、栄養状態の悪い為に実年齢より小さな身体で、そして今…そうしろと頭を押さえつけられ、力なく従っていた。
従兄弟達に囲まれて、見物する何人かの大人は歪んだ笑みで面白そうに笑う。




―あたしたちの仲間に入りたいの?



『うん……ッ、


なにをすればいいの……ッ。

ねぇ、そしたら、あたし、ともだちに、なかまにいれてくれる……?』




―ともだち?!

友達だってよ!!!

―あははははっ随分なまいきなヤツだな!




『…ごめんなさいっ。
ゆるして。

なんでもするから』




笑い声。
けたたましく響く。
それは弱った犬の腹を踏み潰す時に出す種類に限りなく似た。



―おい、コイツなんでもしてくれるんだってな。


『うん』


―なら…




『なんでも…なんでも、する…っ!

…おねがい…、

もう、ひとりはいやだよぉっ』





―そうならば……





『なかまに、いれて

いっしょに、ごはんたべたいの、

いっしょにあそびたいの…

なまえ、よんでほしいの…

ねぇ、なかまにいれて…




ねぇ…あたし、どうしたら…っ……』









―なら、お前はさ………
…お前が…ッ




少年たちは少女たちは、男たちは、嘲笑う。



なんて恐ろしく曲がった笑顔だろう。
黄色い歯を剥き出しにして、げらげらと彼らは笑う。
笑う人。
いや、彼らはアマーロにとって『人』ですらなかった。






『いや……っ、
いやだっ。


パパッ、

ママ…ッ!

いやだぁあああああああッッ!』




すでに時は遅かった。
恐怖により少女の泣き叫ぶ声は笑い声と怒鳴り声にかき消された。

その後の記憶で彼等は人間ではなく獣に変わっていた。
両親は当然だと無視して口に酒に酔っていた。
逆巻く毛並みに鋭い牙を見せて息を荒げる醜い豚共に。
魑魅魍魎、ざわめく小さな妖魔の笑い声。
彼女の足を広げて涎を垂らす獣に。
アマーロと同じ小さな怪物は躊躇いもせず、無機質に笑って、鈍く光る大きなナイフを振り上げた。
手を叩かれ囃された中、釘を持った同じような姿をした怪物共は出来たばかりの傷の上から何度もハンマーをうち下ろした。
犠牲者にとりまき、耳障りに甲高く叫ぶ女の首と鳥の体をしたハルピュイアの群れ。
アマーロに巻き付く蛇体、鱗は脂ぎりアマーロの流した血にまみれ、おびただしい体液に濡れていた。








―つまんない。
こえ、すぐださなくなっちゃった。

―化け物も案外つまらないもんだ。大して体の作りは変わらねぇもんだな。


『……ッ、

あ……っ……』


―はぁ何だそのツラ。
約束守ってないってか。
いや、俺たちはそう言ったか?
馬鹿め。
なんでもするってオメーは言ったが、俺たちはそうだっての言ってないだろ?一度も。全く、微塵も。
お前が勝手に勘違いして、思い込んだだけだ。


―約束なんかしやしねえんだよ。
俺達の気高い『青い血』が汚れちまうだろ…?




人混みが開かれ、当主は現れる。
彼はアマーロを見下ろし、酷薄に笑う。







―アマーロ。
お前は私たちと同じだと思っていたのか?

自覚しろ。
お前は黒の羊なのだ。
白いお前が黒とはおかしな話だがな。



黒い羊は白い羊の群れに混ざれやしない。
ありがたく思え、スケープゴート。
お前はただ私達の罪を被り地獄へ持って行くのだ。
それしかお前のいる価値はない。





化け物のッ、

出来損ないのお前に…!



―みて、みんな。
おもしろいね。
あのこ、まだないてるよ…ッ。










…あの時、どうして壊れてしまわなかったんだろう。
そう薄れゆく意識でアマーロは自分を呪った。




















記憶は移り変わる。
あの時より時の経った後で。
浴室。
汚れた彼女の頬をぬぐって笑いかける兄の記憶へと。

何もいえなくて、縮こまる自分。
初めて会ってから、彼はアマーロを自分のアパルトメントへ連れていくとブランケットでくるみ、震える彼女の頭を撫でて、ぎゅっと抱き締めてくれた。
息をついて。
微かに力をこめて。
(それは兄が自分自身に未だ怒りを感じていた故に)


美しい青と金。
今まで少女が向けられた事のない、優しくやわらかな笑み。





―何だよ、まさか風呂に入るなんて初めてじゃねぇだろ?


『やだっ…やだよっ。
だって、あたし、


…きたない、もんっ』


―何言ってんだ。
こんな美人が汚いわけねぇだろ。

そんな冷えちまってんだ。
風邪ひいちまうぜ。


『いやだぁっ!』

手を出し拒絶するその瞬間。






―…ッ!!





兄は絶句する。
目を見開き、アマーロの出した手を握る。


彼のアマーロの一族の焼き印…二対の剣を十字に重ねあったそれ。
四肢を打ち付けた痕を。
まだ新しい背中の大きな十字傷を。
異常に怯える彼女の様子を。










―誰に…、やられたんだ……

『…』


―他の奴等は…どうした?
見ていただけなのか…?


『…だって、
あたしが、わるいから…
ちがあおくないから、
くろいひつじ、だって、
ばかな、わるいこだから…っ』




瞬時に彼は察する、全てを。





『あたし、ばけものだから…っ

わるいこだからッ。』





少女は泣きじゃくる。
要領を得ない、とぎれとぎれの言葉で…、兄に告げる。


仲間にいれてほしかっただけ。

そうしろと言われた、

だが、駄目だったと。
自分は…自分は仲間じゃないと笑われたと。





―いい!…いいんだよッッ!

彼女は強く抱き締められた。


―テメエはあんな奴等の仲間にならなくていいッッ!!!


抱き締められたせいで、彼の表情は見えなかったが、彼の声は怒りに満ちていた。





―…こいつが…一体何を…何をしたっていうんだ…。

青い血?
そんなもんある訳ねぇだろうがッ!









その後は定かじゃない。
だが次の記憶は、身体中に傷を作り、黒い炎を冷たい瞳をぎらつかせる兄の姿だった。
彼女には視えた。
兄の背後に青黒い顔をした干からびた人間や、あらゆる部分を切り刻まれた大勢の人間が叫び横たわるのを。






『おにい、ちゃん』


体が震えた。
恐ろしくて動けなかった。
だが、兄の強い瞳の青さの奥に見えた感情を知ってしまった。

ただ彼女の恐怖はなりをひそめ、アマーロはかすれ声をあげて泣いた。
泣いて泣いて、泣いた。

…自分のせいだと。
自分のせいで兄は手を染めたのだと。


兄は両膝をつき、アマーロの手をとる。


『…ねぇ…』


―何も、聞くな。


握った手を己の額にあてて、圧し殺した声で兄は言う。


傷にキスをして、手を握る。






―血、家族か…。





ずっと、欲しかったんだな…。



お前も。



自身を嘲るように目線を下げて微笑み、彼は言う。


彼女に告げるため。
自身に言い聞かせる為に。





『おにいちゃん…っ』






―オメーの…お前の……血の繋がった人間は…家族は、
たった今からオレだけだ。



オレだけで、いい……ッ。



もうお前の『家族』はお前を傷付けないッ!』





悲痛に叫ぶ兄の声。
自分の手のひらを握り、顔を歪めて、悲しみに怒り叫んでいた。


『ふっ……ふえっ……ぐすっ…』

何が起きたか分からない。
だが、彼女は、自分から兄に抱き着いて泣きついた。
生まれて初めて振り払われなかった。

あたたかった。
頭を強く兄の胸に押し付けられ、気が済むまで泣き、疲れるとそのまま腕の中で眠りについた。


兄の心臓の鼓動がひどく心地よかった。
自分の鳴る心臓も耳にする。
互いに響きあってるように、アマーロには聞こえた。

『同じ血が、二人を繋ぐのだと』
その時から、アマーロは、彼は、プロシュートは、二人は家族になったのだ。




















『お兄ちゃん……ッ』

気付いたのは真紅の夢の中。
アマーロはそこで気がついた。

『あたし…また、寝ちゃったの…』





『…私自身よ。
自身の過去を思い出したか。
お前のいまここにいる理由を…』

無感情な己の声が背後から聞こえた。


『…どうして、

みせたの…ッ、おもいだしたくなかった…』
『これからの為だ。
お前は間もなく目覚めるのだから』

己の分身は笑みを浮かべ、身体でかくしてた背後を見せる。




『いやぁっ!!』


あの赤い男がそこにいた。
銀の十字が組合わさり、牢獄となり、更にそれの両手両足も十字が突き刺さり、逃がすまいとする。
だが、逃げ出そうともがく赤い男『サイコパシーレッド』のあがきは強く、十字のいくつかはヒビが入っていた。






『…サイアナイド、拒否。

かろうじて、捕らえた。

お前は精神を奪われずに済んだのだ。
だが時間がない。
お前は目覚めてしまう。

拒否を強めて弾き出す為には、これからの試練に向き合う為には、お前が、お前が…自身を知り、

そして、敵を知る為に私は見せた。

お前の、彼の敵は残酷なのだ』


『なに、それ…。
それって、どういうこと…』

『敵の正体を知れ。
そして、お前の行動の理由を、お前の生きる源を、理解しろ、動け。

お前が彼を助けたいならば』


2×4はアマーロに額を合わせ、後頭部から生える触手がアマーロの頭をつかむ。
額を飾る組み合わされた青十字がアマーロの額に合わさり輝く。


頭の中を光景が断片ながらも駆ける。

ポロライドカメラから出てきたアマーロの写真に悪意ある笑みを浮かべた男。

それはまるで脳が血が詰まったように、ちぐはぐな左右非対称の不気味な笑い顔で。

兄に銃をつきつけられ、恐怖に染まる顔。

茶色の髪と瞳。
少し曲がった鼻。
若い、まだ若い男。
少年といっていいか。

いや、これは目尻の皺を見れば、年齢がいってるのだ。

子供の顔をした、大人。

目を潰された彼は、あっけなくその命を終えた。
恐怖に叫ぶ脳内にでも兄の声をしっかり刻み恨み、そして、リゾットの憎悪を倍増して。
必ずこのままで終わってたまるかと。







『覚えておけ…その男の顔を。
お前が兄に触れた記憶の過去を引き出した。』

額を放し、淡々と口にする。
アマーロの目の前にスクリーンのように映像が現れる。


そこにいたのは血まみれのリゾットと、


『どうして…!





どうして生きてるのっ!』


あの男が向かい合っていたのだ。


『それを教える為に、今お前に答えの断片を与えたのだ。
全てを知らせる理は我らには許されていない』


そしてこれが最後だと2×4は言った。







『これからだ。

お前の記憶、過去が、未来が、不幸が、幸福が、お前を構築していくのは。

…お前は…これから何をするべきか…何を捨てるか…選ばねばならない』





夢と記憶の両方で2×4は囁く。
銀の十字が組み合って作られた運命の輪。
黄金階段。
その天は輝き、地には無数の死体で埋め尽くされている。

夢は崩れ、粉々の鏡となり闇に覆われる。







最後に消えゆく2×4が一瞬だけ見せた。








『シュガー…マグノリア』



命を落としたあの時の兄の姿と。

















『アマーロ』



初めての光景。


未来の、リゾットの姿を。

彼は黒いスーツを脱ぎ捨て、全身から血を流した見知らぬ男を見下ろしていた。




『リゾット…ッ。

いや、だめ、そんな、駄目…!』





それはおそらく未来の自分であろう少女が首をふる。

だが、リゾットは手にしたバッジを死体に投げつけると、彼女にこう言った。

覚悟と、憂いに満ちた暗い瞳で見つめて。















『アマーロ

…お別れだ』






確かに言った。
手を伸ばし、未来のアマーロを抱き寄せてキスをして…。
















『…いつか来るその時、選ばねばならないのだ』











崩れゆく世界。

2×4のその声は、悲しげに響いた。














H.26.9.1(月)


※注:青い血(ブルーブラッド)は、先祖代々高貴な人間の血を指す言葉。
青い血管が透けるほどの白い肌を持つ者だそうです。



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