◆もう一度/千歳千里 「千里」 俺の名前を呼ぶその声が好きで。 名前を呼ばれるだけで温かい気持ちになった。 「………」 けど…もう、どうしようもなくて。 名前の口から、俺の名前を聴くことはできない…。 「名前…」 名前を呟く。 「………?」 名前は千歳に向かって小首を傾げる。 「なんでもなかよ」 千歳はそう言うと、名前の手を握りしめ笑いかける。 名前も微笑んでくれて少しだけ気が楽になった。 俺がこんなんじゃ、名前に心配かけるだけたいね…。 「それじゃ、学校行って来るけん」 うん、と言うように名前は頷く。 その様を見てから、千歳は部屋を後にした。 名前は、ある出来事で声を失った。 精神的なショックが大きく、一時的なものだが声を出せなくなった。 だが名前は、もう半年も声を出せずにいる…。 精神的ショックからきていて、一時的なものですぐに元に戻ると医者からは言われていたのだが…それが半年も続いていた。 「千歳!」 学校に行き、テニス部の部室に入るなり部長の白石に声をかけられた。 「ん?なんね白石?」 「今頃ここに来たっちゅうことは、名前のとこに行ってたんか?」 「…そうたい」 「その様子からすると、まだ治らんのやな…」 白石は、「どないしたもんやろな…」と小さく呟く。 「もう半年になるんやろ?なのに、まだ治らんなんてな…」 「医者も不思議がってたばい。普通なら治ってておかしくないって」 「そうやろな。半年なんて長すぎやろ。名前の声が治らんのは、なんか理由があったりしないんか?千歳」 白石の問いに千歳は首を横に振る。 「わからんたい…名前自身に何かあるんだろうってしか医者も言ってなかったしな…」 「なんや医者も役に立たんなぁ」 「まぁ、そう言わんと白石」 「せやけど…。つらいやろ千歳」 「………いや」 つらいのは俺じゃない。 「…1番つらいのは…名前たい」 そう。 1番つらいのは声を失った名前。 俺なんかのつらさは、名前のつらさに比べたらたいしたものじゃなか。 「……せやな」 「白石?」 ポンと千歳の肩に白石は手を置く。 「こんなにも千歳は名前のことを考えとる。千歳がついとれば名前もきっと治るはずや。諦めるんやないで?」 「そぎゃんこと言われんでも、もちろん諦めんたい」 名前の声はいつかは治る。 それがいつになるかはわからんばってん、諦めることは絶対になか。 …もう一度だけでもよか。名前の口から`千里´と俺の名前を聴きたい…それだけで俺はきっと満足できる。 名前…声が聴きたい…。 もう一度…。 END [*前へ][次へ#] [戻る] |