聖王教会───。
古代ベルカの時代に生きたとされる聖王を崇拝している教会である。この教会には、修道女だけでなく多くの騎士がいる。7年前の新暦65年には、1人の司祭がある事件を起こしたものの、それ以降は安寧を貫いていた。
この教会を訪れる者は多く、信仰心に欠けていても、緑豊かなこの場所は人々にとって憩いの場でもあった。
そんな聖王教会にある、一際大きな聖堂。常に荘厳な雰囲気に包まれているそこは、美麗な装飾やステンドグラスに彩られてはいるが、あまり人気はない。そんな場所に、1人の男がいた。歳は10代後半から20代の前半と言った感じの青年。彼は長椅子に寝そべっており、ここが大聖堂であることを理解していないみたいだ。
「…あふ」
欠伸を噛み殺しながらも、睡魔に負けてもいいと思っているのか身体を起こそうとはしない。
「もう、ここにいたのね」
そこへ、大きな木製の扉が開かれて、1人の女性が静かに入ってくる。静寂で満たされた聖堂に、大きく響く足跡。その音を聞いても、青年はまったく起きる気配がない。
「ヴィレイサー、起きて」
寝そべる彼の顔を覗き込むみたいに中腰になる女性。艶やかな金色の髪が垂れて、仄かに甘い香りが漂う。それでも、ヴィレイサーと呼ばれた青年はまったく意に介さず、しかも彼女の言葉を無視する。
「…しょうがないわね」
彼を傭兵として雇ったのは、誰であろう自分だ。仕事で疲れてしまったから、こんなところでも構わず寝てしまっているのだろう。
「いつもお疲れ様、ヴィレイサー」
静かに隣に腰かけると、彼女は優しくヴィレイサーの頭を持ち上げて、自分の膝の上に置いた。いわゆる、膝枕と言うやつだ。それをした瞬間、彼は少し表情を硬くしたが、何も言わずに溜め息を零すだけだった。
「綺麗な髪ね、羨ましいわ」
紫銀の長髪は、しっかりと整えているのか綺麗で、正直なところ羨ましい。彼女は自分の髪にも触れるが、自分では今一分からない。
「…労ったのなら寝かせろよ、カリム」
目は開けずに、ヴィレイサーは溜め息交じりに呟いた。少し苛立たしげにしているが、女性──カリム・グラシアは気にせずに髪を梳く。
「いいじゃない。それとも、嫌だったかしら?」
「…別に」
ぶっきらぼうに返し、ヴィレイサーはカリムの髪にそっと触れる。指先でくるくると巻いたり優しく梳いたりする。
「お前だって、綺麗な髪をしているだろ」
「ふふっ、ありがとう」
「…世辞だ」
「嘘。貴方はお世辞を言えない人よ」
「そうだったかな?」
「えぇ。そうよ」
「…まぁ、好きに受け止めろ」
ぶっきらぼうで、素っ気ない彼。カリムは、そんな彼を嫌に思ったことはない。こうして、傍に居てくれるだけとても嬉しかった。
今から10年以上も前のことだ。降りしきる雪の中、1人の少年がふらついた足取りで敷地内の庭を歩いているのが目に入った。その時ちょうど、稽古が終わった直後だったこともあり、読書をしていたカリムは窓からずっとヴィレイサーのことを見ていた。そして急に倒れた彼を助けようと、大人たちに連絡したのも彼女だ。
「ぅ、ん……私も、眠くなっちゃった」
ヴィレイサーの前では、つい子供らしくなってしまう。彼が火事で焼失した屋敷から逃げ出してきたことが分かってから、ずっと一緒に暮らしている。普段は稽古で忙しいが、それ以外の時はシャッハやヴェロッサ、そしてヴィレイサーの4人で何度も遊び、その度に一番心配してくれたのが彼だったからかもしれない。
「…カリム?」
やがて聞こえてきた小さな寝息を耳にして目をあけると、カリムは眠ってしまっていた。溜め息を零し、彼女を起こしてしまわぬよう膝枕から逃れて隣に並ぶ。
(ったく、世話のかかる)
そう思いながらも、別に嫌じゃない自分がいることは重々承知している。だが、どうしても素直になれない。それは、自分が大罪を犯したから。
(起きないでくれよ)
心の中でそう思いながら、細心の注意を払いながらそっと自分の膝に寝かせる。男の膝枕など寝苦しいだけだと思うが、前になんとなくこうした時カリムが嫌がらなかったので今回も寝かせることに。なにより、あのまま寝かせると首を痛める可能性もある。
「…カリム」
名を呟き、ヴィレイサーもそっと目を閉じた。
◆◇◆◇◆
「ん…ぅん?」
ふと目を覚ますと、目の前に茶色の壁が目に入った。それが長椅子だと分かると、次に横向きに映っている理由を考える。なんとはなしに手を顔の前に置くと、誰かの膝だとすぐに分かった。
(ヴィレイサーの、膝?)
ちょっぴり頬を赤くして、しかし嬉しさもあって起きたくない。だが、執務も残っている。懐から懐中時計を取り出して、時間を確認。まだ少しだけなら余裕があるようだ。
「…お邪魔だったかな」
「ロ、ロッサ!?」
再び目を閉じようかと思った矢先、ヴェロッサの声が聞こえてきて慌てて身を起こす。彼は斜めに位置する長椅子に座って意味ありげに笑んでいる。
「義姉さんの邪魔になると悪いし、僕は早々に退散しようかな」
「べ、別に邪魔だなんて……」
「…んー、ぅん?」
その会話でぼんやりと覚醒し、ヴィレイサーは周囲をのんびりと眺める。紫の瞳がヴェロッサを捉えると、まだ抜けていない眠気に耐えきれず欠伸を1つ。
「ロッサ、いつ来たんだ?」
「ほんの4、5分前だよ」
「…そうか」
「義姉さん、ヴィレイサーに膝枕をしてもらえてご満悦だったよ」
「ロッサ!」
「子供の頃はその義姉さんにべったりだったのに、今はロッサの方が上手だな」
「あ、あまり子供の頃の話はしないでくれるかい?」
掘り返されたくないようだ。さしものヴィレイサーも、そう言われては黙るしかない。彼も自分の恥ずかしい過去の1つや2つは知っているだろう。
「3人とも、ここに居たんですか」
「シャッハ」
たわいない話でもしようかと口を開きかけたその時、この大聖堂に繋がる扉が開かれ、聖王教会の騎士、シャッハ・ヌエラが呆れ気味に入ってくる。
「ロッサ、またここにサボりに来たのですか?」
「いやいや。ちょっと休息に来ただけさ。早々に退散するよ」
シャッハに睨まれ、ロッサは肩を竦めてさっさと出て行く。飄々としている彼だが、役職は査察官と多忙だ。彼が出ていくと、今度はヴィレイサーを見る。
「ヴィレイサー、せめて報告をしてから休みなさい。それと、大聖堂は惰眠を貪る所ではありませんよ」
「…いつかは善処するよ」
「まったく……騎士カリム、そろそろお戻りください」
「えぇ」
呼びに来ただけなのか、シャッハは先に大聖堂を出ていった。ヴィレイサーと顔を見合わせると、思わずほおを緩めてしまう。
「怒られちゃったわね」
「シャッハは堅過ぎる……まぁ、それもお前のためなんだけどな」
「そうね。私がこうしてしっかりと聖王教会の騎士を勤めていられるのは、彼女のお陰ね」
並んで大聖堂を出、執務室に歩いていく。
「でも私が私でいられるのは、シャッハだけじゃなく貴方のお陰でもあるのよ、ヴィレイサー」
「俺の? …俺は別に、お前に何かしてきた覚えはない」
「そんなことないわ」
「…お前の思い過ごしだ」
「もう、ヴィレイサーったら……」
呆れではなく、苦笑いするカリム。そういえば、彼女には呆れられたことがなかった気がする。
(まぁ、どうでもいいか)
そんなこと、ヴィレイサーにとってはすぐどうでもいいことになって忘れられていく。彼にとって、大事なのは自身とその周囲だけ。過去はあくまで、今を作り出すピースでしかない。今というのも、所詮はピースなのかもしれないが。このパズルは、決して完成しない。死ぬときに完成するか、或いは──自己完結するかのどちらかだ。
「あ、もしかして照れているのかしら?」
「それは絶対にない」
「ふふっ♪ そうやって否定すると、逆に怪しまれるわよ?」
「お前はそんな風に受け取る奴じゃないだろ」
「さぁ、どうだったかしら?」
余裕を見せるカリム。対してヴィレイサーは、文句は言わずに溜め息を1つ零す。昔から彼女はこうだった。周囲を笑わせて、自分自身も常に笑んでいる。苦しそうな表情や、泣きそうな顔を見せたことがない。だがそれは、あくまで大人数の時だけだ。
「ヴィレイサーは覚えていないかもしれないけど、よく私が疲れていた時にお菓子を持ってきてくれたり、優しく声をかけてくれたりしたでしょ?」
「例えそうだったとしても、別に俺はお前を支えたくてそうしたわけじゃない」
「えぇ、そうでしょうね」
肯定。しかしカリムは足を止め、ヴィレイサーを見やる。
「支えたいのではなく、優しかっただけよね」
「…都合のいい解釈ばかりだな、お前の頭は」
「大丈夫。貴方に対してだけだから」
「それは、本当に大丈夫なのか?」
止めていた歩みを先に進めると、カリムもその後ろをついてくる。何か言いたげだったが、これ以上は執務に支障が出てしまうので言わせる暇を与えずに歩みを速めて執務室に入る。
「待たせた」
「いえ。ありがとうございます、ヴィレイサー」
カリムを執務室に通すと、ヴィレイサーはさっさと部屋を出て行っていくために踵を返す。
「あ、ヴィレイサー」
「何だ?」
「また、後でね」
「…気が向いたら、な」
その一言は、いつも言われていたお決まりの言葉だった。
「じゃあ、待っているわね」
そう。この言葉は、『了承』を意味している。
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:あとがき
ヴィレイサーとカリムの過去話のスタートです。
今回のヴィレイサーは、かなり冷たいです。過去や出自がそうですから、当たり前と言えば当たり前ですが。
茶化しなしで、ヴィレイサーとカリムはこんな感じです。
少しずつ柔和になっていくとは思いますけど。
そして来月は12月と言うことで、今年もクリスマス小話をやろうと思っています。
ヒロインは……まだ秘密です。今回はレイスとの小話になりますが、ヴィレイサーも余裕があったら久しぶりにフェイトで書いていこうかなと思います。
まぁ後者は書けるかどうか分かりませんけど……。
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