From:フィル・グリード
To:レイス・レジサイド
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レイス。お前には、信頼できる人……もしくは、自分を信頼してくれている人はいるか?
俺は最初、1人で何もかもやろうと思っていたんだけど、今じゃ自分だけでできることに限界があることを痛感したよ。それを教えてくれた、俺にとって大切な人と……いつか、レイスにも会ってもらおうと思うんだ。彼女ならきっと、レイスのこともよく分かってくれるだろうから。
ヴィヴィオとアインハルトの模擬戦を見届けてから数日後───。
(頭が……身体が、重たい)
レイスは学業に専念できていなかった。理由は簡単だ。アインハルトだけとしか接点など持たないと思っていたのに、その予想を裏切るような出来事があった。彼女の模擬戦の相手は、あろうことか聖王オリヴィエのクローンたるヴィヴィオだったために、また落ち着いてきた記憶が呼び起こされてしまう。
怨嗟の声が鈍痛と共に頭に響き渡り、レイスの気持ちをざわつかせる。もうこの怨嗟にも慣れたかと思っていたが、覇王と聖王を彷彿とさせる2人が並んだことで今まで以上の苛立ちが募ってしまう。
なんとか講義をすべて終えたレイスだったが、もう身体がくたくたで仕方がない。なんとか人目につかないであろう屋上まで来ると、金網に身体をあずけてずるずるとへたり込む。眠気に負けて目を閉じると、うっすらと植えつけられた記憶が浮かんできた。
猛き炎に囲まれ、行き場を失った1人の青年。そんな彼が手を伸ばそうとする相手は、しかし苦しそうな表情をして目を逸らした。仕方のないことだと自分に言い聞かせるように踵を返す相手の名を、青年は声を限りに叫ぶ。覇王イングヴァルト──彼の親友だった青年は右腕として苦楽を共にしてきたのに、最後は燃え盛る炎の中に置き去りにされたのだ。その怨みを抱いた彼こそが、レジサイドの家の祖になる。それからは同じように各王への怨みをもった仲間を集めて部隊を作ったのだが、結局最後は聖王のゆりかごによってほとんどの祖先が死した。
(…声が、聞こえる……?)
私怨しかない記憶の奥底で、レイスは誰かが自分を呼んでいることに気がついた。うっすらと目を開けると、目の前には碧銀の髪が垂れ下がっている。それを目にした瞬間、彼の全神経を覇王への怨みで染められた記憶が支配した。
「イングヴァルト……!」
苛立ちのあまり、レイスは相手をよく確認もせず腕を掴み、引き寄せながら立ち位置を逆転させて金網に押し付けた。だが、次第に冷静になって行くと、相手がクラスメートのアインハルトだったことに気付く。
「あ、あれ……?」
「レジサイドさん? 大丈夫ですか?」
心配そうにこちらを見詰めるアインハルト。レイスは自分が何をしているのか気づき、慌てて彼女を放す。
「す、すみません!」
ともかく離れよう──その一心で、急いで踵を返すレイス。まだ記憶のせいで落ち着いていないこともあり、アインハルトに弁明することも後回しにしようと決めるとさっさと鞄を持って校門から出て行った。
「はっ、はぁ……流石に、驚きましたね」
校門から出た後も走り続けたせいで、息が切れ切れになってしまう。深呼吸を繰り返すと、気持ちもだいぶ落ち着いてきた。だが、そこであることに気付く。
「…ペイルライダー?」
愛機のペイルライダーが、ない。いくらポケットを探っても彼女の感触を見つけることができなかった。ずっと共に過ごしてきただけあって、手元にないだけでもかなりの不安に駆られてしまう。
「レジサイドさん」
家の前で頭を抱えていると、いきなり呼ばれて驚いた。それが利き慣れ親しんだ声だと気付き、冷静に振り返る。そこにはやはり、アインハルトが立っていた。
「どうして、こちらに……?」
「あの、デバイスを落としていたので……失礼かと思ったのですが、案内をお願いしたんです」
おずおずと差し出された手には、確かにペイルライダーが静か乗せられている。彼女が無事であることを知り、ほっとする。
「すみません、助かりました」
《Thank you lady.》
アインハルトの手からペイルライダーを受け取り、ぎゅっと握りしめる。とは言え、彼女に痛みがいかないよう強すぎる力は籠めない。
「お役にたてたのなら良かったです。あの、話が変わって申し訳ないのですが……レジサイドさんに、お願いがありまして」
「と言うと?」
「よろしければ、試験勉強を手伝っていただきたいんです」
「分かりました。構いませんよ」
「ありがとうございます」
「どうぞ、上がってください」
「はい、失礼します」
レイスがアインハルトを家に上げると聞いて、ペイルライダーは念話で心配そうに訊ねてくる。
《よろしいのですか?》
《えぇ。邪険にするわけにもいきませんし……それに、僕はレジサイドの家に従う気はありません。これくらいのことで、自分を乱しては今後に響くでしょうから》
気持ちも落ち着いているし、よほどのことがなければ大丈夫なはずだ。なにより今はペイルライダーが傍に居てくれる。それだけでも充分に気が楽になる。
レイスはアインハルトを伴って自宅に入っていく。彼女は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、何かを言うこともなく後ろをついてくる。2階にある自室へ通すが、きょろきょろと見回すこともなく案内した場所に座ってくれた。まさか家探しなどするとは思っていないが、それでもこうして何もしないでいるのはありがたい。
「アップルジュースとオレンジジュースがありますが、どちらかご所望はありますか?」
「では、アップルジュースをお願いします」
「分かりました。では、少し待っていてください」
レイスはアインハルトを残して階下へと下りていく。その間に心が乱れることはなく、学校の屋上で起こしたような失態は繰り返さずに済むだろう。
コップにジュースを注ぎ、そしてお盆に乗せてそうそうに戻る。部屋に入るとアインハルトは既にノートと教科書を出して勉強を進めていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
広げた机に雫が落ちて教科書類を濡らしてしまわないようコースターを敷いて、その上にコップを乗せる。アインハルトは1度頭を下げ、一言断ってから差されたストローを介して一口飲む。レイスもそれに倣って喉を潤してからアインハルトと同様にノートと教科書を広げる。
「そうだ。勉強を始める前に、謝っておきたいのですが」
「えっと……あ、屋上でのことですね。何か危害があったわけではないですから、謝る必要はありません」
「そう言ってもらえるのは嬉しいのですが……実の所、疲れていたせいで変に構えてしまったようなんです」
「そうでしたか……でしたら、勉強会はまた別の日にしますか? また身体に響いては申し訳ないですし……」
「いえ。もう大丈夫です」
「それなら構わないのですが……それにしてもレジサイドさん、あんなに早く動けるのですね。鍛えているのでしたら、少し手合わせをしてみたいです」
「あ、あはは。流石にそれは買いかぶり過ぎですよ」
手合わせをしたいと言うアインハルトの言葉に、しかしレイスは困惑する。過去に1度、ファントムとして彼女と相対したのだが、どうやら気付かれてはいないようだ。
「そうですか……残念です。私は敗北を然程経験したことがないので、もしレジサイドさんが強ければ、私としては良い経験になるのではないかと思って」
「残念ながら、僕はストラトスさんが期待するほどの実力はありません。
それに、今回は試験勉強に来たのでしょう」
「そ、そうでした」
レイスに言われて改めてノートに視線を落とし、そして鞄の中から宿題としてだされたプリントを取り出すと、自分が分かっていない箇所をたずねる。
「この箇所なのですが……」
「えっと、そこは……」
アインハルトの問いに懸命に応えようと、レイスも教科書とノートを照らし合わせていく。そして適した公式を見つけると、紙の切れ端に書きこんだ。
「この問いは、この公式を使って……」
「あっ、なるほど」
思っていた以上に呑み込みが早いようだ。これならテスト当日までにきちっと勉強していれば成績も上位に違いないだろう。しかしレイスはアインハルトがぐっと近づいてきたことに戸惑ってしまう。綺麗な髪から仄かに香るシャンプーの香りに緊張が高まっていく。
「レジサイドさん? 顔が赤いようですが、やはり体調が思わしくないのでは?」
「い、いえ。大丈夫です」
まさか緊張から顔が赤らんでいるなど言えるはずもない。結局アインハルトに対してドギマギしながら勉強を進めていくしかなかった。
◆◇◆◇◆
勉強を開始して2時間。18時を知らせる壁時計の音が部屋にまで聞こえてきたところで、レイスは鉛筆を置いて一息つく。
「休憩しましょうか」
「そうですね」
プリントにある問題はすべて終わってしまった。やはりアインハルトは理解が速く、最初の2、3問を教えてからは何も質問をすることもなくすべて1人で解いていったほどだ。
「そういえば……こんな時間まで外出していてよろしいのですか?」
「はい、問題ありません」
「それならば良かったです。
少し小腹も空いたでしょうから、簡単なものを作ってきます」
「いえ、そこまでしなくとも……」
「僕が食べたいと言うのもありますから。お待たせすることになりますが、失礼します」
制してきたアインハルトの言葉をやんわりと遮り、レイスは再び下へ降りていく。そして台所に立つと、早速冷蔵庫の中などを確認していく。昨日の残り物に加えて漬物などもあるので、おにぎりなどが良いだろう。凝ったものを作っては待たせてしまうし、なにより彼女も遠慮してしまうはずだ。
そう思って、食器棚からお皿を取ろうとした時───
「…あっ!」
───あろうことか、レイスの手から滑ってしまい、そのまま床へと落下して砕けてしまった。幸いなのは、ほとんどの破片が大きめと言うことか。
破片を拾うと屈んだところ、上の階から足音が聞こえてきた。慌てた様子で様子を見に来たアインハルトは、割れた音を聞いたのか焦って駆け込んだりはせず心配そうに見ている。
「大丈夫ですか、レジサイドさん?」
「えぇ。手を滑らせてしまっただけですから」
彼の足元に散らばった破片を見て、自分も手伝わなければと手を伸ばす。だが、慌ててしまったせいで人差し指を切ってしまった。じわりと血がにじんできたそれを見て、どくんっと鼓動が高鳴る。指先から僅かに出ているだけなのに、それだけなのに狼狽してしまうなんて──レイスは自分が憎しみにとらわれてしまわないよう注意しながら、アインハルトの手を握る。そして強引に立たせると洗面所へと連れて行った。
覇王の血だ──頭の中でそんな幻聴さえ聞こえてきそうな程、頭がくらくらする。それを必死に堪えながら、蛇口をひねって水を出す。
「こ。これくらいなら平気ですから」
「それは貴女の見解で、僕のそれとは違います。
例え強引と言われようと、従ってください」
強く言うと、アインハルトは少し戸惑いつつも頷いてくれた。彼女が傷口を洗っている間にレイスは絆創膏を探してくる。場所は分かっているのですぐに見つかったが、次第に重たくなる身体が鬱陶しくて仕方がない。
「残りは僕がやっておきますので、リビングで待っていてもらえますか?」
「は、はい」
多少訝しく思われようとも致し方ない。アインハルトはレイスが片づけるのを黙って見詰めてくるが、程なくして渋々と言った様子でリビングにあるソファーに座った。レイスは何度か深呼吸を繰り返して自分を落ち着けると、片付けよりも先におにぎりを並べて提供する。
「簡単なものですが、どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
最初はしばらくレイスを見ているだけだったが、食べないでいると急かしてしまうと思ったのか、しばらくすると手を付けてくれた。
「あ、美味しいです」
「それはなによりです」
アインハルトの言葉に安堵し、レイスは手早く残った破片を拾うと彼女の対面に座って同じものを食した。やがてそれらを食べ終わると、食器を下げてからアインハルトに謝罪する。
「先程はすみませんでした。強く言い過ぎてしまいましたし……」
「大丈夫です、気にしていませんから。それにしても……ふふっ」
「なんですか?」
「すみません。今日はレジサイドさん、謝ってばかりだなと思いまして」
本当に怒っていたり、気にしているわけではないようだ。アインハルトはいつもの凛とした表情を僅かに柔らかくしてレイスにそう言った。
「…それは、ストラトスさんに悪いことをしたから……」
「そんなに思い詰めることはありません。
レジサイドさんは、気にしすぎる傾向があるようですね」
苦笑いを見せるアインハルトだったが、しかしレイスの心中は穏やかではない。もし彼女の言う通りならば、自分は彼女を覇王の末裔として気にかけていると言うことだ。そうでなければ、ここまで気がかりになるはずがない。過去にアインハルトのお陰で1度だけ救われたことがあったとしても、それは本当に過去の一部にしか過ぎず、今を模っているとはとても思えない。
「貴女に失礼ですね」
「え?」
どうやら今の呟きが気付かぬうちに漏れてしまっていたようだ。レイスは慌てて「なんでもありません」と答える。しばらくアインハルトはじっとレイスのことを見てきたが、何も言わずに改めて食事のお礼を述べるにとどまった。
◆◇◆◇◆
軽食を取ってからまた1時間ほど勉強したところで、アインハルトは帰宅すると言った。もう外はだいぶ暗くなってしまったので、送っていくことに。最初は渋っていたが、なんとか許可してもらえた。
レイスが送りたい本当の理由は、家の人間にアインハルトが来たかどうか露呈してしまったかどうか知りたかったからだ。在宅中に仕掛けてこなかったので、どうやらアインハルトの存在には気づいていないようだが、彼女を送っていくまでは油断ならないだろう。しかしそう思って、レイスはもし襲撃された場合どうするか悩んでしまった。家の言うことに従ってアインハルトを手にかけるか、はたまた彼女を助けるか。答えがすぐに見いだせなかった。
(僕は、何故迷って……?)
どうして逆らおうと、抗おうとしないのか。これまでだって確かに従ってきた。それが今ある苦しみを少しでも和らげてくれるから。だが、付き従う理由はそれだけで、正式に保護を求めていればこの苦しみからいつだって解放されるはずなのに、レイスはそれを選ぼうとしない。
それは、家への復讐が果たされていないからだろう。
立派な魔導師として育てるためと称して成長に合わせて分相応な魔法などを教える形を取っているので、20歳になる頃には家側の目標が達成されていると思われる。そしてそれから覇王や聖王を手にかけるとの話だっただけに、レイスは20歳になったら自壊魔法を働かせて王の末裔を殺さずに自殺するつもりでいる。せめてそれを果たしたい──だから、誰にも本当のことを言えないのだ。
(フィルさんが聞いたら、くだらないと一蹴されそうですが)
しかし、なんとでも言えばいい。周りからくだらないと呆れられようが、何をしているんだとそしられようが知ったことではない。これは復讐だ。王殺しに固執するふざけた家と、そんな家に生を受けさせた世界、そしてなにより柵に囚われてしまった自分への復讐なのだ。誰にも邪魔させはしない。
「レジサイドさん、ここまでで大丈夫です」
「よろしいので?」
「すぐそこにあるあれが、私の家ですから」
「分かりました。それでは……あの、ストラトスさん」
「はい?」
踵を返したレイスだったが、やはり今回のことを謝っておこうと振り返る。こんなことをしていたら、きっと自分はアインハルトに対しどう接すればいいか見失ってしまうに違いない。だとしても、自分が自分であるために謝ろう──レイスはそう思い、アインハルトへ頭を下げた。
「今日は申し訳ありませんでした。何度も冷たい態度を取ってしまって……」
「いえ。私が急に家へ伺ったせいで緊張させてしまいましたし、こちらこそすみませんでした。
ですが、勉強を教えて頂けて助かりました。ですから、レジサイドさんが気にすることはありません」
「ストラトスさん……」
彼女の優しさが、レイスには苦しかった。彼女が見ているのは所詮、自分が造り上げた空想のものでしかない。それを知らずに接するアインハルトに、果たして自分は何をすればいいのか──レイスは何も答えを見いだせなかった。
「では、お気を付けて」
「はい。また明日」
「…ごきげんよう」
明日──アインハルトに別れ際に言われた一言は強くレイスの耳に残ってしまう。彼からすれば、明日なんて来なければいいのにと思ってしまう。
自宅に帰りつき、再び乱れ始めてきた気持ちを落ち着かせるようにコップに水を注いで喉を潤す。
「…はぁ」
溜め息を零し、コップに映る自分へ視線を落とす。疲れ切った顔色をしているのがよく分かる。だが、次第にこみ上げてきたのはあろうことか怒りだった。何に対する怒りかなんて分からない。自分を偽ることか、アインハルトへの憎しみか。
「くっ……あああぁぁっ!!」
理由なんてどうでもいい。レイスはただ怒りに任せ、その場にあった水切り籠を落下させる。散らばった食器が粉々に砕け散り、床に傷を作る。
「はぁ、はぁ……」
いったい何をしているのか──自分でも何が何だか分からなかった。ただ、アインハルトを前にすると自分が誰だか分からなくなってしまう。いつか、偽りの姿が本当の自分を殺してしまうかもしれない。それでもいいとさえ思っていたのに、アインハルトと話すと嫌になってしまうのだ。
「僕、は……僕は、誰?」
From:レイス・レジサイド
To:フィル・グリード
件名:Re:
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えらく唐突ですね。信頼でき、或いは信頼してくれる人、ですか。
貴方がその1人であるに違いありませんが、僕が最も信頼を寄せるのは愛機のペイルライダーです。彼女さえいれば、それだけでいい……そう、思います。
しかし、フィルさんの大切な方、ですか。
僕でさえ無茶が過ぎると思いますし、僕を律したいと思うのであれば、その方と是非お幸せに。
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