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小説
2人で幸せ






「暑い……」


 団扇を忙しなく動かし、微風を身体に送る。だらしなく壁に背を預け、時たま窓から入ってくる生暖かい風にあたる彼は、首が蒸れないように髪を一条に束ねていた。シャツ1枚で過ごすのは恋人に対してよくないかと思っていたが、流石にこの暑さは堪える。


「…そろそろ、か」


 壁にかけられた時計を見、彼女が帰宅する時間が近づいているのを確認すると、専用のポットから麦茶をコップに注いでおく。別にこれくらいのこと、しなくても構わないだろう。だが、ただだらけてここに居座るのは悪い気がしてならない。


「あー……だるい」


 呟き、ずるずるとその場にへたりこむ。


「ただいま帰りました」


 すると、恋人のティアナが戻ってきた。


「ちょっと、ヴィレイサーさん!? 大丈夫ですか?」


 何故か慌てた様子で声をかけてくる彼女を横目に、ヴィレイサーは短く「あぁ」とだけ返す。だが、やはり暑さに負けているのか声に覇気がない。


「何で冷房とかつけないんですか?」


 呆れ気味に言うと、彼女は窓を閉めてから冷房のスイッチを入れる。室温がかなり高くなっていたのか、すぐに冷たい風が部屋全体へと行き渡っていく。


「いや、家主はお前だし」

「それで遠慮して、私の家で熱中症になられても困るんですけど?」

「そうはならないよう気をつけているさ」


 団扇で冷たい風を送りながら返す。まったくその気がないように見えるが、彼は口約束でも守ろうとする姿勢がある。それを知っているから、ティアナはそれ以上何も言わない。


「先にシャワー浴びていいですか?」

「好きにしろ。だいたい、俺の許可なんていらないだろ」

「ヴィレイサーさんだって、汗が凄いですよ」


 新しいタオルが抛られる。それで汗を拭きつつ、ヴィレイサーはティアナを見る。執務官と言う仕事柄、服装はきちっとしなければならない。クールビズだのなんだのと言ってはいるが、それでもラフな格好には限界がある。彼女の背中には、汗を吸ってできたであろう染みがあった。


「仕事から戻ったばかりなんだから、お前が先でいいよ」


 二人きりの時も、あまり名前で呼んでくれない。そんなことを思いながら、ティアナは自分が先に浴びることに。ここで譲り合っていても、意味などない。


「なんなら、一緒に入りますか?」


 悪戯っぽく笑むティアナ。ヴィレイサーは彼女を見ないまま答えた。


「断固として拒否する」

「そうですか。残念」


 絶対に嘘だ。こんな馬鹿げたことで残念がるほど、彼女は矮小な人間ではない。


「と言うか……」

「はい?」

「そんな風に無防備になると、悪い男に騙されるぞ」

「じゃあ、その時は守ってくださいね」


 思わぬ返答だった。彼女のことだから、てっきり「そんな男、返り討ちにします」とか言うと思っていた。


「……気が向いたら、な」


 自分が当てにされているみたいで、嫌だった。だから、【守ってやる可能性なんて低い】と言うつもりで返す。なのに───


「はい。期待して待っています」


 ───なのに彼女は、笑顔で返答した。


「……前から思っていたんだが」

「なんですか?」

「お前って、相当バカだろ」


 ティアナの返しは待たず、逃げるようにして自室へ戻った。それを黙って見送ったティアナは、苦笑いしてシャワーを浴びに風呂場に向かう。


「バカって言われちゃった」


 だが、その表情には小さな笑みが浮かんでいた。





◆◇◆◇◆





「…これ、何だ?」


 数時間して、ヴィレイサーが部屋から出てきた。なるべく距離を取った状態で話すのは、まだきっと気まずいと思っているからだろう。


(相変わらず気にしすぎ)


 言ったところで直らないだろうから、彼の問いに答えることに。


「短冊に使う紙ですよ」

「あぁ、七夕か」

「えぇ」


 七夕に関して知ったのは、機動六課に在籍していた時だ。地球にある文化で、星に願いを託すのだと聞いた。


「ヴィレイサーさんの分もありますからね」

「いらねぇから」


 あまり彼の好く行事ではないと分かっていたが、彼の分だけ持ってこないのは気が引けた。


「けど、どこでこんなことやるんだ?」


 洗い物をしていたティアナの手が、ぴたりと止まった。


「それなんですけど……」


 言い淀むなんて彼女らしくない。だが、その態度ですぐに分かった。


「元六課で、企画したのか」

「…はい」


 沈痛な面持ちの彼女に、「お前のせいじゃない」と言ってやりたかったが、言えなかった。


「六課のメンバーが集まって、ちょっとしたパーティーをやるんですよ。それで、ヴィレイサーさんもどうかなって……」

「あいつも……あいつも、来るんだよな?」


 ティアナの言葉を遮り、問う。荒らげたつもりはないが、つい強くなってしまった。


「…来ますよ」

「なら、俺が行くはずないだろ!」

「そう、ですよね」

「…悪い」

「いえ、いいんです」


 機動六課の面々とは、出来ればもう会いたくなかった。特に彼女──フェイトには、絶対に会いたくない。


「とりあえず、願い事は何か書いてくださいね。当日、私が持っていきますから」

「ん」


 青い短冊を手に取り、自分の願いを考える。最初は色々ありすぎるのではないかと思ったが、意外と浮かばないものである。


「あの……」

「ん? あぁ」


 遠慮がちに声をかけて、麦茶を目の前に差し出してくれた。どうやら、大事な話があるようだ。


「フェイトさん、もう気にしていないって……そう、言っていました」

「あいつがそうでも、俺は俺のしたことを忘れたわけじゃない」


 4年前───。

 機動六課に在籍していた時、ヴィレイサーはスカリエッティに騙されてフェイトを殺そうとしたことがある。スカリエッティは機動六課の戦力を減らそうと、プロジェクトFを使ってフェイトにそっくりな女性を造り、彼女が身売りしているように見せた。執務官を目指しているティアナにも同様のことが起きるかもしれない──そう唆されて、フェイトを殺害しようとしたのだ。なんとか一命を取り留めることは出来たが、ヴィレイサーは自分の罪に押し潰され、スカリエッティを逮捕した後は自殺をはかろうとした。ティアナの説得もあって、それは未遂に終わったが。執務官を殺害しようとし、あまつさえスカリエッティの計画に荷担した。その罪は重く、いくら逮捕した張本人と言っても、相殺できるはずもない。結局、ヴィレイサーは金輪際魔導師としての仕事に就くことを禁止された。デバイスは通信と計算など、補助以外の使用は認められなくなり、故にかつての愛機はティアナに預ける形となった。

 そんな経緯もあり、殺そうとした相手に会うのは怖くてできなかった。


「そういえば……」

「はい?」

「お前は、なんて書くんだ?」


 橙色の短冊を指差し、問う。


「そうですね。ヴィレイサーさんと楽しくいられますように……とか」

「やっぱりお前、バカだな」


 溜め息をこぼすヴィレイサーに、ティアナはやはり怒らない。本気であろうとなかろうと、この程度のことで目くじらを立てるほど自分は子供ではないのだから。


「そんなバカな人と付き合っているのは誰でしょうね?」

「…さぁて、誰だったかな」


 とぼけるのも実に彼らしい。付き合い始めた当初は、冷ややかな態度に戸惑い、不安を感じる時もあった。だが、これでもかなり柔和になった方だ。前はまともに口を聞いてもらえることすら少なかったのだから。やはり、自分が犯罪者であることを引き摺っているのだろう。


「ヴィレイサーさん」

「何だ?」

「好きですよ」

「…うるせぇ」


 そっぽを向いたのは、間違いなく照れ隠しだ。付き合って、もう3年になる。彼の仕草が何を意味しているのか、手に取るように分かった。


「物好きな女だよ、お前は」


 こんな憎まれ口にも慣れた。


「ヴィレイサーさんは私のこと、どう思っているのか言ってくれないんですか?」

「絶対に言わない」


 思い返してみると、彼に好きだの愛しているだの言われた記憶がない。だが、嫌いだったらこの家から逃げ出しているだろうし、ましてや恋人と言う関係が続いているはずもない。言わなくても分かるだろう──そう思っているらしい。


「たまには正直に言ってくれないと、拗ねちゃいますよ?」

「……拗ねたお前、可愛いかもな」

「か、可愛い!?」


 いきなり言うから、本当に困る。こうして顔が赤らむのは、どれくらい振りだろうか。


「…まぁ、嘘だ」


 その言葉も、既に決まり文句になっているほど聞いた。だからそれが嘘ではないことも、なんとなく察している。


「嘘をつく人は嫌いです」

「あっそ」


 なんとも淡白な反応だった。





◆◇◆◇◆





「さて、どうするかな」


 扇風機から送られてくる風をのんびりと浴びながら、ヴィレイサーは渡された短冊に何を書こうか未だに悩んでいた。ティアナの願いはなんなのか聞いてみたが、「当ててみてください」の一点張りで教えてはくれなかった。


「結局、あいつに甘えてばかりだな」


 ティアナには何度も世話になってきた。彼女に甘えることはあっても、甘えさせてやる機会は少ない。


(いや、甘えさせてやった時なんてあったか?)


 いくら思い返してみても、やはりそんなことは1度たりともなかったようだ。


(あいつ絡みのことを書くと、色々と面倒な気もするが、まぁいいか)


 今更、恥ずかしいなど言っていられない。


(それに、たまには正直にならないと拗ねるとか言っていたしな)


 ボールペンを走らせて、願い事を短冊に書き込む。


「書けましたか?」

「まぁ、な。ほら、これでいいだろ」


 風呂上がりに開口一番問われた。そこまで気にならなくてもいいだろうに──そう思っても、口にはしない。


「……何ですか、これ?」


 しかし、ティアナの反応は今一だった。


「悪いかよ」

「まぁ、ちょっとだけ」


 記した願いは、【ティアナが幸せになりますように】だ。それのどこが気に入らないのか、まったく分からない。


「どうして、自分のことも一緒に書かないのかなって」

「いいんだよ、俺は」


 自分は犯罪者だから──ずっと、思っていた。それはこれからも変わらず、そして薄れないと信じていたのに。


「よくありませんよ」


 なのに彼女と付き合い始めてから、その気持ちが掻き乱される。赦されてはならない自分と、赦されたいともがく自分。果たしてどちらが、本当の自分なのか。迷い、もがき、苦しんで、その度にティアナに甘え、赦されている気がする。このままでは、自分が犯した大罪を忘れてしまうかもしれない。そんな焦燥感が、少しずつだが、確かにティアナとの距離を開けようとしていた。


「っ!」


 苦しい。お前の愛が苦しいと叫びそうになる。そうしたらまた、甘やかされるだろう。


(黙れ!)


 自分を御すしかない。素直な気持ちなんて、捨てるしかない。そうすれば、彼女を傷つけなくて済むから。


「…ヴィレイサーさんって……」

「あ?」

「バカですよね」


 満面の笑みを浮かべ、ティアナは言い放った。


「な、なんだよ、いきなり」

「いえ。単に本当のことを言っただけですよ」


 口を開こうとするヴィレイサーの前に人差し指を立てて、言葉を呑み込ませる。


「私、ヴィレイサーさんのことが好きなんですよ。それだけじゃあ、ダメですか?」


 ダメなはずがない。寧ろ、凄く嬉しい。こんなにもおちぶれた自分を愛し、必死に支えてくれるのだから。だが、周囲はそんな風に見ない。犯罪者と執務官の恋愛沙汰など、厄介な種でしかない。だから、自分とティアナ、2人の幸せを願えなかった。大切だから。大好きだから。愛しているから。


「…ティアナ」

「何ですか?」

「……キス、してもいいか?」

「…もちろんですよ」


 そっとお互いの唇を重ねる。潤いのある桜唇は、とても甘かった。


「あ、あの……そろそろ離してくれませんか?」


 だが、キスが終わっても、ヴィレイサーはティアナを抱き締めたまま離そうとしない。


「なんだよ。嫌なのか?」

「そ、そんなことはないですけど……」

「少しでいい。少しだけでいいんだ」


 その時、ようやく気が付いた。彼の声に、僅かだが嗚咽が混じっている。


「…分かりました。少しと言わず、ずっとでもいいですよ」

「……やっぱりお前、バカだな」

「えぇ、私はバカですよ。ヴィレイサーさんの次に、ね」


 翌日、ティアナはヴィレイサーが短冊を書き直したことに気が付いた。

 【バカな2人が、ずっと幸せでありますように───。】










◆──────────◆

:あとがき
珍しく、デレ率の強いヴィレイサーに仕上がりました。
それでも、フェイトに対してよりはツンツンですが。

結局、ティアナの願い事は秘密のままですが……実は単に思いつかなかっただけです(爆

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あきゅろす。
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