小説
愛をこめて ☆
「今日の予定は……」
手帳をパラパラと捲りながら、ヴィレイサーは今日の予定を確認する。仕事先や開始時刻などはデバイスが知らせてくれるが、自分で確認出来ることぐらいは確認しておきたい。
「ん?」
ふと、来月のページに赤い丸印が描かれていたのをチラッと見つけた。
「そっか……もう、1ヶ月前か」
丸印があるのは、一見してなんでもない平凡な日。仕事の予定は何も書かれておらず、しかし仕事を入れる気は毛頭なかった。
「今年は、何がいいかな」
来月に控えているその日は、彼が愛者と定めた大事な女性──メイヤ・クロウフィールドがこの世に生を受けた日だった。
◆◇◆◇◆
「さて、どうしたものか」
結局、メイヤに欲しいものをそれとなく聞いてみたが、残念ながらこれと言って目ぼしいものはなかった。【一緒に居られる時間】──強いて言えば、それくらいだった。
(まぁ、そこがメイヤの素敵なところでもあるんだけど)
否、正確には『素敵なところの1つ』と言い換えた方が正しいか。
「お兄ちゃん!」
と、その時。前方から元気良く駆け寄ってくる小さな人影を捉える。
「リカ」
それは、ある事件で保護したリカだった。彼女はヴィレイサーの傍まで来ると、身を屈ませて待ってくれていたヴィレイサーに抱きつく。
「今日も元気だな、リカ」
「うん!」
笑みを浮かべるリカの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「リカちゃん」
「あ、お姉ちゃん」
すると、メイヤが慌てた様子で声をかけてくる。
「もう、いきなり駆け出すから心配したんですよ」
「ごめんなさい」
珍しく怒り気味なメイヤに、リカはしゅんとする。
「リカ、転んだり他の人とぶつかったりして怪我をしたら大変だぞ」
「はい」
ヴィレイサーも注意して、リカが反省したところで彼女を抱っこした。
「これからは気を付けような」
「うん」
抱っこして貰えて嬉しいのか、リカはパッと笑顔になった。
「メイヤ、行こう」
「はい」
一緒に自室に向かいながら、軽く談話する。その間も、ヴィレイサーはメイヤへのプレゼントを考えていた。彼女の誕生日まで、あと10日ほどだ。悠長なことは言ってられない。
「どうかしましたか?」
じっと見詰めていたのに気が付いて、メイヤはヴィレイサーに問う。
「いや、可愛かったから見とれていたんだ」
「あ……ありがとう、ございます」
不意に『可愛い』と言われて、メイヤは頬を赤くする。
「照れているメイヤも、可愛いよ」
お決まりの追撃を受けて、メイヤの顔は益々真っ赤に染まった。
ヴィレイサーの部屋でしばし談笑をし、しばらくして、メイヤは時計を見てしっかりとした所作で立ち上がった。
「では、私はこれから仕事ですのでここで」
「あぁ。気を付けてな」
「お仕事頑張ってね、お姉ちゃん」
ヴィレイサーとリカに見送られて、メイヤははやて達と一緒に仕事に向かった。リカと共に遊びつつ、しばらくしたら彼女を後ろから抱き締めてのんびりと時間が経過するのを待つこととなった。
「なぁ、リカ」
「う?」
「リカは、メイヤの誕生日が近いのは知っているよな?」
「うん」
「それで、プレゼントを、どうしようかと思ってさ。リカは、メイヤが何を貰えたら喜んでくれると思う?」
「んっと……可愛いネコさんのヌイグルミ!」
数瞬呆けたヴィレイサーだが、すぐに笑って「ヌイグルミかぁ」と賛同的な態度を示す。確かに、メイヤは可愛い小物が好きだ。それでもいいかもしれない。
「後は、お料理とか」
「うーん、それもいいかもな」
リカと何度か意見を交換していると、突如として「ふみぃ」と眠たそうな声が上がった。
「リカ、少しお昼寝しようか」
「うん」
早くもうとうとしているリカを微笑ましく見詰め、ヴィレイサーはリカをベッドに運んだ。そして掛布団を優しくかけてあげる。
「おにー、ちゃん」
「大丈夫。ここにいるよ」
手探りにリカの小さな手が動いたので、ヴィレイサーはそっと握った。
◆◇◆◇◆
「それじゃあ、メイヤの誕生日のためにお買い物に行こうか」
「はぁーい♪」
誕生日当日。メイヤには祝うことを隠しておきたかったので、彼女が仕事の今日、それも午前中に買い物に向かった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「あれ、して欲しい」
リカが指差した方を見ると、一組の親子が肩車をしていた。そういえば、リカを抱っこしたことはあったが、肩車はあまりしてあげたことがなかった。
「よいしょ」
「わっ!」
しっかり掴まっているように言ってから、ヴィレイサーはリカを肩車して立ち上がる。
「リカ、手を離しちゃダメだぞ?」
「うん」
そして、再び買い物に向かう歩みを進めた。
◆◇◆◇◆
「わぁ〜♪」
可愛い小動物のヌイグルミがたくさん立ち並んでいるのを見て、リカは顔を綻ばせる。このままだとリカの分も買ってしまいそうだが、甘やかしてしまっていいのか悩みどころだ。出来れば泣き顔は拝みたくないのだが……果たしてリカがどう動くのやら分からない。
「お兄ちゃん、ウサギさん!」
「へぇ、可愛いな」
綺麗に整えられた毛並に、円らな瞳。よくできた可愛らしいヌイグルミだった。
「お姉ちゃんにはこれがいい」
「ウサギ、か」
相談した時は確か、『ネコさん』と言っていたはずだが。
(少し他も見てみるか)
リカが欲しがるものも増えていきそうなきもするが、愛娘に甘くなるのは父親としては避けられない道なのかもしれない。まぁ、正確にはまだ父親ではないが。
(もしも……そう、もしもリカがメイヤの正式な養子になったら、俺はリカの父親になるんだよな)
メイヤと、結婚したい──その気持ちが、いつも自分の内で渦巻いていた。メイヤと2人きりで地球へ旅行に行った時、何度も何度も、彼女と将来を誓った。
ずっと一緒に居て欲しい───。
ずっと一緒に居たい───。
幾度となく、願ってきた未来。メイヤも、この手を取ってくれた。
(個人的なプレゼントで、何か考えようかな)
「お兄ちゃん、見て見てー」
「ん?」
ぼんやりと考え事をしていたヴィレイサーは、リカに呼ばれて我に返る。
「ネコさん♪」
「あぁ、こっちも可愛いな」
今度は小さめのネコのヌイグルミを見せてきた。ヌイグルミにたくさん触れられて、すっかりご満悦のようだ。
「どっちがいいかな?」
「うーん……リカはどっちが欲しい?」
「リカは、ネコさん」
「じゃあ、メイヤにはウサギさんをプレゼントしようか」
「うん」
メイヤにプレゼントしたはいいものの、リカが物欲しそうに見詰めていては、それをリカにあげてしまう可能性もあった。だから、リカにあのような選択をさせたのだ。
「あ……」
しかし、いざウサギのヌイグルミを買うと、ネコの方が気になって寂しそうに見ていた。
「リカ、たまには我慢しような」
「うぅー……」
そう言ってはみるものの、リカは中々視線を外そうとはしなかった。やがて───
「お兄ちゃん……抱っこ、して」
「あぁ」
───目尻に涙をちょっぴり浮かべて、リカはヴィレイサーに抱っこされた。
「ちゃんと我慢して偉いな、リカ」
「うん」
先程よりも少し声に覇気がない。よっぽど欲しかったのだろう。
「残りの買い物は俺だけで行こうか?」
問うと、リカはふるふると首を横に振った。メイヤのために一生懸命になる姿勢は、本物のようだ。
◆◇◆◇◆
「後は……」
大体の材料は買えたので、後はケーキを買っていくだけだ。とは言え、ホールでは流石に多すぎる。なので、人数分──つまるところ、3種類買うことにした。
「リカ、2つ選んで」
「いいの?」
「あぁ」
メイヤが食べたいと思っているものはどれだかおおよその見当がつく。なので、2つをリカに選んで貰った。
「また肩車するか?」
「ううん、歩いてく」
小さな手が、ヴィレイサーの手を握る。
「それじゃあ、帰ろうか」
その一言に、リカはこくりと頷いた。
◆◇◆◇◆
「ただいま戻りました」
「お姉ちゃん!」
「リカちゃん、ただいま」
「おかえりなさい」
夕刻には、メイヤが仕事から帰宅した。リカは待ちわびた彼女の帰宅に喜び、駆け寄って抱きついた。
「ヴィレイサーさん、ただいま帰りました」
「あぁ、お帰り」
リカに連れられてヴィレイサーのところまで来ると、一言挨拶してから着替えるために1度別室へ消える。
「じゃあ、リカはメイヤと遊んでおいで」
「えー、リカもお料理作りたいー」
「うーん……」
リカの旺盛な好奇心に、ヴィレイサーは思案顔になる。出来ればメイヤと遊んで彼女の目を遠ざけたいのだが、小さいリカにはそれは分からないようだ。
(なら、いっそのこと……)
その時ふと、ある考えが過る。
「じゃあ、3人で作ろうか」
「うん!」
聡いメイヤのことだ。とっくに誕生日を祝う計画を立てていたことに気付いているだろう。
「メイヤ」
「はい?」
「たまには、みんなで料理しないか?」
「みんなで……いいですね」
3人一緒に調理を出来るのが嬉しいのだろう。メイヤはパッと笑顔になった。
「? なんだか、いつもより豪華な気がします」
「えっ!?」
しかし、調理を開始して間もなく、メイヤは不思議そうに言う。どうやら、自分が祝われる立場にあるのに気が付いていないようだ。
(リカのためにそう振る舞っているのか?)
そう思いもしたが、詮索するのは無用だ。どちらであろうと、中途で止める訳にもいかない。とりあえず適当な相槌を打ちながら調理をしていく。
「お姉ちゃん、出来たよ」
「はい、とっても上手ですよ」
予め切れ込みを入れてあったとは言え、綺麗に野菜をカット出来ている。怪我もなかったので、一先ずは安心だ。頭を撫でてもらっているリカは、素直にそれを受けていた。残りは火を扱うので、あまりリカには手伝わせず、時折メイヤの手を借りながら作っていく。
「はい、完成っと」
「出来た?」
「あぁ、出来たよ」
リカの背を押して席に着かせ、メイヤと一緒に料理を運んでいく。
「やはり、豪華ですね」
「リカ」
「うん」
不思議に思っているメイヤに、リカに祝いの言葉を促す。
「お姉ちゃん、お誕生日おめでとう」
「え? あ……」
リカの祝辞に、不思議に思っていた疑問が氷解していく。
「ありがとう……ございます」
目尻に、微かではあるが嬉し涙が浮かんだ。
「とっても、嬉しいですよ」
◆◇◆◇◆
夕食を終えると、リカは大好きなメイヤのお願いを全部叶える意気込みで、彼女から望みを聞いていた。
「そう、ですね……それでは、1つだけ」
「なぁに?」
「3人一緒に、お風呂に入りたいです」
危うく、洗っていた食器を落としてしまいそうになったヴィレイサー。既の所でそれを回避出来たが、かなり衝撃的だったようだ。
「ヴィレイサーさん」
声をかけられて、ヴィレイサーはゆっくりと振り返る。
「一緒に、入りましょう」
右手をリカに差し出して、左手をヴィレイサーに伸ばす。
「…あぁ」
恥ずかしくはあったが、それはメイヤも同じだろう。仄かに頬を朱に染めているのがいい証拠だ。
◆◇◆◇◆
「リカ、お姉ちゃんの背中洗う」
「それでは、お願いしますね」
メイヤとリカが湯船から出たのと入れ違いに、ヴィレイサーが入浴する。目隠しでもされるかと思ったが、それはなかった。だからと言って、チラチラとメイヤとリカの体躯を覗き見る気は毛頭ない。
「お兄ちゃんの背中も洗いたい」
「ん? いや、俺は別に……」
「私も、洗ってみたいです」
リカに続いてメイヤにまで言われ、退路を断たれてしまう。
(なんか、恥ずかしい……)
女性に背中を洗われると言うのは、あっても母親から受けるぐらいだろう。なので、結構恥ずかしかった。
◆◇◆◇◆
「たくさんのプレゼントを貰ったのに、ケーキまで……すみません」
「いいんだよ。俺とリカがしたかったことだし、メイヤに喜んでもらえるのなら、尚更」
「お姉ちゃん、美味しい?」
「はい。美味しいですよ、リカちゃん」
ケーキを頬張るリカと、婉美に食するメイヤ。そんな2人を対面にして、ヴィレイサーは自分の手近にあるケーキに初めてフォークを入れる。
「リカ」
「うみゅ?」
「ほら、あーん」
「あー……ん♪」
一口サイズに切られたケーキをフォークに乗せて、リカに食べさせる。これは、ちょっとした罪滅ぼしでもある。リカがヌイグルミを所望したものの、我慢させた。ケーキで釣ろうと考えていたわけではないのだが、泣かせてしまったようなものだから、こうして2種類のケーキを食べてもらうことで払拭してもらおうと思ったのだ。
「美味しいか?」
「うん♪」
問うと、満面の笑みで頷いてくれた。
「あ、あの……私にも、してくださいませんか?」
それを羨ましそうに見ていたメイヤが、おずおずと聞いてくる。その仕草が可愛らしくて、頬が緩んでしまう。
「メイヤ、あーん」
「あ、あーん」
そして、メイヤの口にケーキが運ばれた。
「こんなにも素敵な誕生日祝いをしてもらえて、光栄です」
就寝前に、改めてリカの髪を整えたメイヤは彼女を膝の上に座らせながら感謝する。
「リカちゃんのお誕生日も、これぐらい豪華にしますね」
「ホント?」
「はい♪」
上目遣いに見てくるリカの瞳は円らで、可愛らしい。メイヤは上機嫌に頷いた。
「じゃあ、リカ、妹か弟が欲しい!」
「「…え?」」
リカの期待の籠った声色と眼差し。そして、まさかの要望にヴィレイサーとメイヤは硬直してしまう。
「ダメ?」
返事がないのを不安に思ったのだろう。リカはおずおずと聞いてくる。
「ダ、ダメと言う訳ではありませんが……なんと言うか、その……」
しどろもどろするメイヤは、チラリとヴィレイサーの表情を窺う。その瞬間、ヴィレイサーと目が合った。お互いに頬を紅潮させており、どちらともなく視線を外す。
「お姉ちゃん、顔が赤いよ?」
「だ、大丈夫ですよ」
心配そうにするリカに平静を装いつつそう返し、就寝時間と言うことで寝かしつけた。
「ビックリしました」
「俺もだ」
よもやリカからあのようなことを言われるとは思わなんだ。だが、一人っ子なのだから妹、ないし弟を望むのは別段奇妙な話ではない。
「あぁ、そうだ」
リカが寝たので、ヴィレイサーは手近にあった封筒から1枚の紙を取り出す。
「こういうのを誕生日プレゼントとして送るのは、どうかと思ったんだが……」
「はい?」
少々照れているのか、頬を掻きながらその紙が渡された。受け取り、すぐに息を呑む。
ヴィレイサーに渡されたのは───。
「婚姻、届……」
「あぁ」
対面に座していたヴィレイサーは席を立ち、呆然としているメイヤの隣に座り直す。
「誕生日に託けるなんて、卑怯なのかもしれないけどさ……その、どうしても、受け取って欲しかったから」
誕生日で気分が高揚しているのを利用するつもりはなかったのだが、逸る気持ちに負けてメイヤに渡してしまった。それが結果的に、利用する形を取ってしまったのがヴィレイサーにとっては快くなかった。
「卑怯なんかでは、ありません」
「メイヤ」
「私も、望んでいましたから」
その一言に、驚いた。メイヤはこれを望んでいたと言う。即ち、それは───。
「返しませんからね、絶対に」
「あぁ。寧ろその方が、嬉しいよ」
どちらともなく抱き合う2人。好きになった人は、恋人になり、愛者となって……今や、婚約者と昇華していた。
「今度、一緒に指輪を選びに行こう。君と一緒に行って、君と一緒に、決めたいから」
「はい」
誓い合うように、ヴィレイサーとメイヤは唇を重ねた。愛に満ちた桜唇が、いつも以上に艶やかに映える。
「あの……もう1つ、欲しいものがあるんです」
「何だ?」
顔を伏せていたメイヤは、すぐに面を上げてヴィレイサーと視線を絡めた。
「貴方の愛が……貴方自身が欲しいです。貴方の総てが、欲しいんです」
2度目の口付け。今度はメイヤからだった。
「あぁ、もちろんだ。お姫様」
メイヤをお姫様抱っこして、寝室に消える。
髪がほどかれ、艶やかな黒髪が美麗に揺れる。
「メイヤ」
「ヴィレイサーさん」
名前を呼び合い、愛慾に従って身体を求める。
「愛しているよ」
「愛しています」
寵愛の籠った契りが、今一度交わされた。
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