小説 エレミアになれなかった男 『兄やん、どこ行くの?』 『すまない、ジークリンデ。未熟な俺を赦してくれ』 彼はそう言って微笑し、頭を撫でてくれた。それがその日で最後だったから、今までよく覚えている。 『ジークリンデ。これからお前には、苦しいことや、辛いことがしばらく続くだろう』 ウチはまだ幼かったから、その時言われた言葉の意味が分からなかった。せやから、ただなんとなく聞いているだけ。 『だが決して、家族を……祖先を恨んではいけない。恨むのなら、愚かな兄を恨め』 『兄やん? 何を言っているの?』 『直に分かる日が来る』 そう言われたのに、結局ウチは未だにその真意が分からないままや。兄やんは──シグルドは、ウチに何を伝えたかったんやろうか? 《ご利用、ありがとうございました。首都、クラナガンへ向かう方は、8番ゲートより……》 スピーカーを通して、空港の全体へ響くアナウンス。旅行鞄につけたローラーがガラガラとあちこちで音を立てていた。 「失礼ですが、フードを外して頂けますか?」 「あぁ、失礼」 飛行機から最後に降りてきた1人の男。フードを深くまで被っていた彼は、パスポートを提示しておきながらフードを外していなかった。 「はい、確認しました」 覗かせたのは、蒼い双眸に黒い長髪。大人びた顔にはあどけなさはないものの、柔和な表情があった。 「色々な世界を旅しているのですね」 ミッドチルダから他の世界に行くには、専用のポートがある場所まで飛行機を利用する場合がある。出港記録を一瞥した受付の女性は、その多さに驚く。 「暇なもので。ミッドチルダに帰って来たのは、10年振りです」 「でしたら、地図を用意しましょうか?」 「いえ、結構です」 パスポートを受け取ると、彼はさっさと歩き出した。フードを再び深く被り直し、両手はポケットに突っ込む。一切の荷物を持たずに各地を転々としたのだと分かるが、それにしてはまったく何も持たないと言うのは奇妙な話だった。 「流石はチャンピオンだな」 「あぁ、10代最強のエレミア選手には憧れるばかりだぜ」 フードの男は、急にその歩みを止めた。会話が聞こえてきた方に目をやると、ちょうど大型のモニターにしどろもどろしている少女の姿が映った。艶やかなツインテールの黒髪が、慌てる彼女に合わせて大きく揺れている。取材に慣れていないのだろう。 《チャンピオン、今回の戦いで苦しかったところは?》 《えっ!? えっと……》 《チャンピオンの鉄腕を維持する秘訣はなんですか?》 矢継ぎ早に繰り出される質問に慌てふためく少女から、彼は視線を外せずにいた。 「ジークリンデ……そうか、お前は……」 だが、やがて小さな笑みを口の端に浮かべ、彼は歩き出した。 「覇王イングヴァルト……いや、今はアインハルト・ストラトスとお呼びした方がよろしいか?」 月華を背にする男に、アインハルトは目を見開く。ただそこに佇んでいるだけなのに、彼から放たれるプレッシャーは相当なものだったから。それは、後ろに控えているヴィヴィオとノーヴェもはっきりと感じていた。 「貴殿に1つ、頼みがある」 フードを深く被った男は、ゆっくりと街灯から降り立つ。揺れるコートは黒く、彼の背後にある闇と同化しているように見える。 「貴殿と手合せをお願いしたい」 「お断りだ」 男の願いに返答を返したのはノーヴェだった。アインハルトとヴィヴィオの師匠でもある自分には、2人を守る義務がある。鋭い視線を向ける彼女を意に介さないかと思いきや、彼はノーヴェを見た。 「そちらは?」 「ノーヴェ・ナカジマだ。アインハルトとの勝負は認めない。素性の分からない奴と戦わせられると思っているのか?」 「…尤もな意見だ。だが、俺には顔を晒せぬ理由がある。 貴殿らからすれば、些細な理由かもしれぬが」 「何故、私と手合せをしたいと思ったのですか?」 「…ジークリンデ・エレミア。彼女と戦った貴殿からならば、何か学べることがあるのではないかと思ったのだ。 無論、無理強いはしない。無抵抗の者と戦えるほど、俺は落魄れていないつもりだ」 「…ノーヴェさん、戦ってもいいと思います」 「アインハルト!? けど……!」 「ご厚意、痛み入る」 アスティオンに命じて、アインハルトは武装形態へと姿を変える。対してフードの男は、バリアジャケットを展開した光に包まれても、その服装に変化は見受けられなかった。 「1つ、お聞きしてもいいですか?」 「無論だ」 「…名前を、教えてください」 「名……さて、どうしたものか」 「なんです?」 「いや。名は、何処かへと置いてきてしまった。 そうだな……ハーミット、とでも名乗っておこう」 「ハーミット……」 隠者──ハーミットは、構えも取らぬままアインハルトと対峙した。 駆け出すアインハルト。ハーミットはしばらく構えることもなく、肉薄してくる彼女が繰り出す連撃を紙一重で躱していく。拳、蹴り、どちらも素早く、また重たい一撃だ。 「ふむ……見事だ。 まっすぐな気持ちの乗った一撃……俺が遥か昔に捨て去ってしまったものだ」 「貴方は何故、チャンピオンを気にかけるのですか?」 「俺が?」 「そんな気がします。私の見当違いであれば、申し訳ありません」 しばし黙する2人。ヴィヴィオもノーヴェも口出し、そして手出しもしない。緊迫した表情の彼女らを見て、ハーミットは如何に絆が深く結ばれているのかをなんとなく察する。 「俺は別に、ジークリンデ・エレミアを気遣った覚えはない」 その返答に、しかしアインハルトの方は納得していなかった。 (どことなく……似ている。チャンピオンが醸す、あのプレッシャーに……!) 冷や汗が頬を伝う。それを拭うことはせず、ハーミットの出方を待つ。 「参る!」 一歩、強く踏み出す。その素早い行動を証明するかのように、ハーミットのフードとコートが何度も靡いた。 「兄やん……兄やんは、どうしてウチと仲良くしてくれへんの?」 ハーミットこと、シグルド・エレミア──ジークリンデの実の兄にして、彼女よりも高みに上り詰めた男。いつの間にか開いてしまった彼との距離に、ジークリンデは戸惑いを隠せなかった。 「ジークリンデ・エレミア……俺のために、死んでくれ」 エレミアの少女と、エレミアになれなかった青年の物語。 ◆──────────◆ :あとがき ジークリンデは、この作品では重度のブラコンにしたいと思っておりますw ただ、シグルドの方は彼女を気にかけているものの、あくまで妹として、ですかね。 シグルドは幼少期の頃、ジークリンデよりも弱いです。 彼女に負けたことで、彼女よりも強くならなくてはいけないと言う使命感に駆られている毎日です。 エレミアによる望まぬ破壊を強いられ、その鎖に縛られているジークリンデ。 エレミアに関わることを禁じられながらも、ずっと束縛され続けているシグルド。 そんな2人を描きたいものです。 [*前へ][次へ#] |