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小説
Episode 3 兄





「うわあああああぁぁぁっ!?」


 崖から転げ落ちて、宙に浮かんだ小さな体躯。重力に従って落下していくまで、そう時間を要することはなかった。


(ど、どうすれば……! 考えろ、考えるんだ……!)


 肌を刺す、冷たい空気。落下をし続ける身体を芯から冷やしていき、少年の思考を寒さで妨げる。


(“アレ”を使えば……いや、ダメだ。あれはそもそも飛べないし……!)


 迫りくる激流。そこに抛られたら、間違いなく自分は助からないだろう。だが、もうその定めを受け入れるしか他にない。少年には、何1つとして助かるための手立てがないのだから。


(い、嫌だ……! 死にたくない……!)


 それまで必死に口を噤んでいた少年は、迫りくる死と、それが司る恐怖から遂に口を開いた。


「た、助けて!」


 伸ばされた手。が、無情にもそれを掴んでくれる者は何もなく、死を再認識した──その時だった。


「大丈夫?」


 誰かに受け止められ、優しく問われたのは。


「あ……!」


 助かったと認識するまで、数秒を要した少年。感謝の言葉を述べようとして、助けてくれた人物をよく見ると美しかった。紫銀の髪を、翡翠色に染められた大きなリボンで一条に束ねているのは、女性。星空と相まって、まるで姫君を助けにきた若い王のようだ。


「…隊長、要救助者を1名救助しました」

《了解した。集合ポイントを変更したから、そこで落ち合うぞ》

「はい」


 てきぱきと報告すると、女性は「しっかり掴まっていてね」と注意を促し、蒼い足場を走っていく。


「坊や、名前は?」

「名前は……ない、です」

「あら、そうなの? じゃあ、私がつけてあげるわ」


 優しい笑み。こんなにも優しくしてもらったのは、この世界に来てから初めてだ。戸惑い、もしかしたら彼女が騙しているのではないかと思ってしまう。だが、ここから逃げるすべなどない。少年は黙って頷く。


「そうだ。まだ私の名前を教えていなかったわね」

「あ、はい」

「私はね───」













「…夢、か」


 そこで夢は途切れた。

 懐かしい夢だった。懐かしくて、嫌な夢。それでいて大切な夢でもある。相反する気持ちが、その夢には抱かれている。それでも、記憶と言うのは歳を重ねていくと朧げになっていく。どんなに大切であっても、いつかは不鮮明になるのを避けられない。


「寝すぎたな」


 窓から外を覗くと、既に夕日が沈みかけていた。溜め息を零し、シャワーを浴びようとタオルと着替えを手にして部屋を出ようとする。


(そういえば……)


 そこでふと、ギンガに言われたことを思い出す。この部屋には、バスルームが備わっていると言っていた気がする。


(かなり待遇がいいんだな、俺)


 たかが傭兵なのに、優遇されすぎている気もしないでもない。だが、あまり人と交流するのが好きではないヴィレイサーにとってはありがたいことだ。扉を開くと、未使用のバスタブとシャワーが、脱衣場の先にあった。


「その前に……エターナル、ギンガにメールしておいてくれ」

《了解》


 首から下げたペンダントにそう指示すると、すぐに返事をして1度だけコアを発光させる。エターナル──そう名付けられたインテリジェントデバイスとは、古くからの付き合いだ。


「ありがとな」


 謝辞を言ってから、ヴィレイサーはシャワーを浴びる。その背中には、大きな切り傷が。そして、両肩にはアルファベットが1文字だけ刻まれていた。


「…ダメだ、憎い」


 鏡に映ったそれを見て、ヴィレイサーは壁に拳を打ち付ける。頭から被るお湯が、熱いことも気にせずに浴び続ける。


「憎いよ……母さん……!」


 絞り出した声は、悲しみと憎悪に彩られていた。





◆◇◆◇◆





「いただきます」

「ん」


 丁寧に手を合わせて食事の挨拶をするギンガとは対照的に、ヴィレイサーは一言言うだけ。それを指摘したかったが、空腹に負けて夕食を進める。


「それにしても、相変わらずの込み具合だな」

「そう? これくらい部隊に勤めれば日常茶飯事だよ」

「…絶対に勤めたくないな、それ」

「そんなこと言わないの。兄さんなら、どこの隊でもやっていけると思うよ」

「お前は昔から俺を買いかぶりすぎだ」

「本当のことだと思うんだけどなぁ……あ、スバルがいる機動六課に勤めたら?」

「そんな最近できた訳の分からない部隊なんて御免だ」

「でも、結構人気があるんだよ」

「人気?」

「うん。フェイト執務官とか、八神二佐、あとは高町戦技教導官とか……」

「人員が人気なのかよ……」

「でも、3人とも子供の頃から難事件を解決したって噂だし……」

「あくまで噂だろ?」


 特に興味を示さないヴィレイサーに、ギンガもこれ以上語るのを止める。幾ら言っても無駄だと判断したのだろう。


「私も、ちょっとは興味あるんだ」

「…そうなのか」

「うん。フェイト執務官はね、4年前に起きた臨海第8空港の大火災で私を助けてくれたの」

「火災、か」

「その時、スバルとはぐれちゃったから不安だったんだけど、私はフェイト執務官に。スバルは、高町戦技教導官に助けてもらったんだ」

「…なら、お前も六課とやらに移ればいいんじゃないか?」

「そうなると、父さんを近くで見守れないから。
 父さんったら、まだ無茶しちゃうことがあるし……」

「なるほどね」


 溜め息を零し、ヴィレイサーはギンガから聞かされた大火災について思案していた。


(まぁ、何かが暗躍しているってわけではないと思うけど)


 もう4年も前のことだ。今更気にしたところで、意味がない。それに、その場に“彼ら”がいたとしても自分には何もしてやれることがないのだから、頭を振って忘れることにした。


「あ、明後日は予定をあけておいてほしいの」

「あぁ、分かった」


 2日後がなんの日か、ちゃんと分かっている。自分たちの母となってくれた、クイントの命日だ。


「…明日は?」

「兄さんの実力がどの程度なのか試す試験日だよ」

「聞いてないぞ」

「今言ったからね」

「ったく……」





◆◇◆◇◆





「試験って言ったって、何をどうするんだ?」

《最近、世間を騒がせているガジェットドローンを使っての試験だよ》


 言いながら、モニターに映るギンガはパネルを操作していく。彼女曰く、「機動六課から技術協力してもらった」とのことだ。だだっ広い訓練シムに、次々と岩が立ち並んでいく。


《空戦用の空間シミュレーター、展開完了》


 次いで、ガジェットU型が現れる。その周囲には、T型の姿もあった。


「…エターナル」

《Set up.》


 命じると、エターナルはすぐさま太刀の形態をとる。一振りのそれは、真っ黒な鞘に収められたままヴィレイサーの左手に持たれる。展開したバリアジャケットは、愛用している漆黒のロングコートの下で純白を覗かせていた。


(あれが、兄さんの得物……)


 兄が扱う得物を見るのは、これが初めてだ。しかし、よもや太刀を扱うとは思わなんだ。彼も戦闘機人故、その力強さを活かした肉弾戦をとるのかと推測していたのだ。


《それじゃあ、始めるよ》

「あぁ」


 1つ咳払いして、ヴィレイサーに開始を伝える。彼の準備が整ったとギンガも判断してから試験が開始される。


「…殲滅するぞ」


 たったの一歩で肉薄すると同時に、自身の周囲に魔力弾を数個形成する。そして、眼前のT型に向かって太刀を一閃。その隣にいたガジェットが迫る前に、生成した魔力弾でその胴体に穴をあける。


「次だ」


 あくまで冷静に──それを心がけるヴィレイサーは、壊したガジェットが噴き出す煙を抜け出し、U型の背後について共に空をかける。すると、先程まで岩場だった足場は水流が流れ始める。空戦を見るために、足場を消したのだろう。


「カートリッジ」

《Load Cartridge.》


 鍔の上部にセットされたカートリッジの排出口がスライドし、1つの薬莢が飛び出す。すると白銀の刀身には似つかわしくない、漆黒の光が纏わりつく。その光は刀身を2倍の長さほどに見せ、ヴィレイサーは剣尖をU型に向ける。


「衝破!」


 剣尖を突きだすと、刀身に纏われていた黒い光が突出してガジェットU型の集団に到達すると周囲にはじける。瞬時に数機のガジェットを破壊すると、すぐに身を翻して次の敵に刃を向ける。


(兄さん、凄い)


 初めて対峙する敵に対しても、戸惑わずに冷静に対処する姿勢は、流石だと思う。それほどの実力を身に着けるのに、地球ではどれほどの訓練を繰り返していたのかは分からない。それでも、ギンガにはやはり寂しいものがあった。


(なんだか、兄さんが遠いなぁ……)


 ぼーっと思案に耽っていると、試験終了のアラームが鳴り響いて我に返る。ギンガはあくまで、試験を行う準備をするだけでいいので、ヴィレイサーの行動を見落としても構わないのだが、やはりきちっと見ておきたかった。


「カルタス主任、ナカジマ三佐……どうでしたか?」

「…俺は文句ないな」

「カルタスに同意見だ」

「では、一先ずAランク所持と言うことで申請しておきます」

「おう」

「ギンガ、後は頼むぞ」

「はい」


 ランクを決めると、カルタスとゲンヤはさっさと部屋を出て行ってしまう2人ともまだ仕事が残っていると言っていたので、恐らくそれを片しに仕事部屋へ向かったのだろう。ギンガは兄の試験結果に安堵し、訓練シムの出口で待っているように言ってから彼女は駆け足でその場に向かう。


「お疲れ様、兄さん」

「あぁ。わざわざ来なくても良かったんだぞ」

「いいの。兄さん、疲れているでしょ?」

「まぁ、な」


 久方ぶりに全力で身体を動かしただけあって、疲労感が大きい。できることなら、このまま部屋に戻ってぐっすり寝たい。


「眠いと思うけど、私の部屋で書類に目を通してほしいから来てくれる?」

「あぁ」


 欠伸をしてしまったので、ギンガがすぐさまヴィレイサーの手を取って部屋に連れて行く。その道中、同僚に目撃されたが構わない。どうせ今更変な噂など立ちはしないのだから。


「じゃあ、そこで待ってて」

「んー……」


 だが、部屋に到着して座らされたのはベッドの上。ソファーがないので致し方ないとは思うが、これでは容易く安眠を得ようと余計に睡魔に襲われてしまう。


「眠い……」


 案の定、少しだけ横になろうと思ったヴィレイサーは、さっさと眠ってしまった。疲労感が拭えなかったうえに、今朝は嫌な夢を見てしまったことも少なからず関係しているのかもしれない。


「兄さん……? もう、寝ちゃったんだ」


 返事がないので書類を諦めて様子見をすると、ベッドで静かな寝息を立てている兄の姿があった。溜め息を零し、それでも起こそうとはせずにギンガは兄の隣に座して優しく頭を撫でる。


(そういえば、小さい頃はよくこうしてもらったんだっけ)


 思い返せば、兄は毎日自分と妹のスバルが寝付くまで頭を撫でてくれていた。妹想いなのか、それとも兄自身が怖がって触れ合いを求めていたのかは今一よく分からない。だが、母がよく言っていた。


『ギンガ、スバル。お兄ちゃんのこと、大事にしてあげてね』


 どうしてだか分からないが、母はヴィレイサーのことをひどく心配していた。別に接し方や愛し方には差異があったわけではないのでふて腐れたりはしなかったが。


(兄さん……1人で抱え込まないで)


 眠るヴィレイサーの頬に優しく触れてから、ギンガも眠りについた。




◆──────────◆

:あとがき
このあと、ギンガがヴィレイサーの寝こみを襲うのです(`・ω・’)

ギンガ
「襲いません!」

とは言え、ヴィレイサーはまだまだ遠そうです。

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