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小説
桜唇





「そろそろ、ね」


 机の上に置いてある置時計が示す時間を確認して、カリムは書類作業の手を止めて頬を緩める。そしてすぐに作業を再開したかと思うと、またもや時計を確認するために手を止めてしまう。


「こんなことでは、彼に呆れられてしまうわね」


 自分に苦笑いして、カリムは作業に集中する事にする。


「騎士カリム、失礼します」


 しばし仕事に熱中していたカリムは、シャッハのノックで我に返る。入ってきたシャッハは、紅茶とお菓子を持ってきてくれた。


「ありがとう、シャッハ」

「いえ。
 あら? 騎士カリム、ヴィレイサーはまだ来ていないのですか?」

「えぇ」

「まったく……約束の時間を過ぎていると言うのに、いったい何をしているのだか」


 シャッハの言葉に、カリムは時計を確認する。確かに、彼が聖王教会を訪れる時間を過ぎていた。


「私が探してくるわ」

「え? ですが……」

「すれ違いになったとしても、シャッハなら私より、紅茶を美味しく注げるでしょ?」


 カリムはシャッハにそれだけ言って、彼女の反論を聞かずに部屋から出ていった。


「はぁ……カリムにも困ったものです」

「いやぁ、青春しているのならいいじゃないか」

「ロッサ」


 丁度、別件で来訪していたヴェロッサはシャッハの後ろからひょっこり現れながら言う。


「シャッハだって、あの2人の気持ちには気づいているんだろ?」

「もちろんです。ですが、カリムは立場上……」

「それを知っているから、互いに何も言わないんだろ?
 こういう時ぐらい、少しは楽しませてあげなよ」

「そう……ですね」


 ヴェロッサに頷いて、シャッハは先に室内に入ってお茶の準備をした。





◆◇◆◇◆





「…どこに居るのかしら?」


 外に出て、カリムは周囲を見回す。風が吹いて、それに合わせる様にして髪が舞う。片手で髪を押さえながらふと視線を巡らせると、1つの部屋にヴィレイサーがいるのを見つける。

 パッと笑顔になり、カリムは彼がいる部屋に向かって駆け出した。が、足音が響いてしまわない様にすぐに歩みを緩めると、静かに扉を開ける。重たい木製の扉が、鈍い音を立てて開かれる。


「ヴィレイサー」


 声をかけず、彼の名を呟く。カリムが入ったのは、大きな礼拝堂だった。彼女は入ってからすぐの場所で立ち止まり、ヴィレイサーを見詰める。彼は教壇に跪いていた。


(何を願っているのかしら?)


 ヴィレイサーは何かを願っているのか。はたまた、何かを懺悔しているのか。どちらにせよ、カリムは彼に声をかけず、不動を貫いた。


「…カリム?」

「遅かったから、迎えに来たわ」


 やがて立ち上がり、紫銀の髪を揺らして振りむいた彼の瞳がカリムを捉える。


「手間をかけさせたな」

「いえ、そんなことはないから気にしないで」


 いつもと変わらぬ微笑を湛え、カリムはヴィレイサーの隣に並んだ。


「行きましょう。シャッハが美味しい紅茶とクッキーを用意してくれているだろうから」

「あぁ」


 カリムに促され、ヴィレイサーは彼女と並んで歩いた。





◆◇◆◇◆





「そういえば、この時期になると桜というのが美しく咲くって聞いたのだけど」

「ん? あぁ、こっちにはないんだっけか?」

「えぇ。はやてから綺麗だって言われて……1度でいいから見てみたいの」

「ふーん」


 ヴィレイサーは素っ気ない反応を返すが、それはシャッハを気にしているからだろう。立場上、カリムはそう簡単に外出はできない。となると、それをシャッハが聞けば、当然ながら反対してくるだろう。


「まぁ、写真でいいのなら今度撮ってきてやるよ」

「それじゃあ、それを気長に待っているわ」

「待っているよりも、直接見に行ってきてはいかがですか?」

「え?」


 シャッハが新しく紅茶を淹れる中、彼女はカリムに微笑んだ。


「…いいの?」

「貴方の我儘を聞くのは、これが初めてではありませんからね」

「ありがとう、シャッハ」

「ただし! ヴィレイサー、貴方はちゃんと、騎士カリムを見守って頂きます」

「まぁ、言われずともそれは承知しているよ」

「結構」


 ヴィレイサーにカリムを必ず守るように言って、シャッハは柔和な笑みを浮かべる。


「では、後ほど日程を調節しますね」

「えぇ、お願い」


 シャッハは一礼して、部屋を出ていく。扉が完全に閉まりきって、足音が遠退いてから、カリムは笑む。


「ふふ」

「どうした?」

「いえ。ただ、シャッハには隠し立て出来ないのだと改めて思ってね」

「まぁ、それだけの信頼なんだろ?」

「そうね」


 湯気を立てているカップを両手で包むように持って、カリムは息を吹き掛ける。


「楽しみだわ」

「頼むから、エスコートは期待しないでくれよ」

「あら、残念」





◆◇◆◇◆





 シャッハに日程を調整してもらい、1日だけ自由な時間をもらったカリムは、ヴィレイサーと一緒に地球に来た。


「にしても、カリムの私服って初めて見たな」

「それはそうよ。私達は、仕事以外で会ったことはなかったし。そう言うヴィレイサーの私服こそ、初めて見たわ」

「普段と代わり映えしないけどな」


 ヴィレイサーの言う通り、彼の服装は普段とあまり変わらず、黒を基調としたものだった。対してカリムは、紫色のシャツに黒のラフな上着を羽織り、スカートを着用していた。


「あんまり短くなくて良かったよ」

「貴方のことだから、他の方の目に留まるのが嫌と言うかと思ったけど、どうやら当たったみたいね」

「はいはい、独占欲が半端なくて悪かったよ」

「そこまで言っていないのだから、拗ねないの」


 ヴィレイサーの頬を指でつついて、カリムは笑みを見せる。


「行きましょう、ヴィレイサー」

「あぁ」


 カリムから手を取ったので、ヴィレイサーは数瞬だけ呆ける。が、すぐに頷き返して歩き出した。


「本当に綺麗だわ」


 適当に桜並木のある場所に連れてきただけで、カリムは感嘆していた。ここは並木通りと言うこともあって、花見の会場にすることが禁じられている。ただし、こうして見上げたり写真を撮るのは承認されていた。つまり、どんちゃん騒ぎは御免なのだ。


「ヴィレイサー、見て」


 まるで子供のようにはしゃぐ彼女は、両手で受け止めた花弁を彼に見せる。


「綺麗だわ」

「お前も、な」

「も、もう! 急にそんなこと言わないで」

「思ったことを言っただけだ」


 頬を朱に染めるカリムは可愛らしく、ヴィレイサーは笑った。


「でも、貴方に言われるのなら、悪くないわ」

「だったら、もっと言ってやるぞ?」

「それはダメ」


 胸の前で【×】を作り、カリムは拒んだ。


「たくさん言われたら、貴方の言葉に有り難みを感じられなくなってしまうもの」

「お気遣いどうも」


 ヴィレイサーは恭しく頭を下げる。そして顔を上げると、カリムの頬に手を当てる。


「だけど、俺にはお前が愛おしいんだ。だから、離したくないと必死になってあんなことを言うんだぜ?」

「知っているわ、貴方が寂しがり屋だということは。だけど、だから言われたくないの。もしこのまま言われ続けたら、私は間違いなく、貴方に駆け寄ってしまうから」


 カリムは両手を伸ばし、ヴィレイサーの頬を包む。瞳が揺れているのが、自分でも分かった。


「カリム」

「ぁ……」


 咄嗟に、ヴィレイサーは彼女を抱き締めた。そして頭を後ろから優しく撫でる。綺麗な金色の髪が、流れるようにしてヴィレイサーの指を通す。


「これなら、見えないだろ。だから、泣いちまえよ」

「ヴィレイサー……」

「あぁ、俺はここにいるぜ」


 カリムは必死に嗚咽を抑えて涙を零した。





◆◇◆◇◆





「すっかり遅くなってしまったわね」


 辺りは夜の闇に呑まれて暗くなっており、街灯と家の灯りだけが少しだけ光を残していた。


「今日はありがとう、ヴィレイサー」

「別に。カリムが楽しめたのなら、俺はそれでいい」

「…それじゃあ、おやすみ」

「あぁ」


 頭を下げて、カリムは踵を返す。が、すぐに歩みを止めた。


「カリム?」

「今更になってもまだ、私は戻りたくないと思ってしまうわ」


 振り返った彼女は、儚げな笑みを湛えている。


「騎士カリムに戻りたくない……1人の女性として、貴方に恋する女でいたいの」

「…待っている」

「え?」

「俺は、永久にカリムを待っている」

「…ありがとう」


 瞳から一筋の雫が零れ、頬を伝う。

 2人とも、この恋が叶えがたいものだと分かっている。だからカリムは、ヴィレイサーと接する自分に【騎士としての自分】と言う名目の仮面を被せ、ヴィレイサーは彼女を愛した自分を懺悔した。


「これは、今日のお礼よ」


 言って、カリムはヴィレイサーと唇を重ねた。


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