小説
BAD END 終末 〜愛別の刻〜
●月×日
プロジェクトの発案者が死亡した。
彼の新たなプロジェクト、プロジェクトカオス(遺伝子操作による人間兵器作製)のやり方は、彼が遺した資料に事細かに書かれていた。これがあれば、新たな強者を生み出す事が出来るだろう。
問題は、他人の遺伝子によって“拒絶反応”を起こした場合の措置だ。延命措置を施すか、或いは見殺しにするか。資料にはそれについて欠落していた。
当然と言えば当然だ。このプロジェクトは、まだ誰にも適用された事が無いのだから。
まぁ、所詮はモルモットだ。人間など、そこらじゅうに転がっている。誰を使っても問題は無い。
明日からの作業は、未知なる扉を開けるようで、今から興奮してしまう。
●月◆日
最初の実験が開始された。
まずは、素体と、それに組み込む遺伝子が拒絶反応を起こさないかだが、これはやってみない事には分からない。これをクリアすれば、身体能力がどれくらい向上したかのテストを行えるだろう。
そう期待したのも束の間、1人目は拒絶反応が起こった。ベッドの上で盛大に吐血したかと思うと、激痛に襲われたのか、やたら五月蝿い悲鳴を上げた。それが収まってから数分後、1人目は死亡した。
課題は、拒絶反応が起こるかどうかを予め知る方法だろう。
●月▲日
研究者の1人が、新たな遺伝子を発見した。なんでも、古代の戦士の遺伝子らしい。全部で7種類だ 果たしてそれらを組み込める人間はいるのだろうか?
●月■日
遺伝子の拒絶反応は、素体の遺伝子を採取し、組み込む遺伝子と予め掛け合わせる事で、どうなるかを知る事が出来るようになった。これは大きな進歩と言えるだろう。
×月●日
この日初めて、拒絶反応を起こさずに他人の遺伝子を組み込む事に成功した。遺された資料にあった通り、ある程度の量を組み込まなければ、それらは素体に影響を与えないようだ。
素体の身体能力も明らかに向上していた。
×月◆日
このプロジェクトに、新たな研究者が加わった。ジェイル=スカリエッティという男だ。遺伝子の研究に興味を持ち、参加を願い出たようだ。
別の研究員に聞いたのだが、彼は記憶転写クローニング技術、プロジェクトFの理論を完成させた人物らしい。だが、それを彼が行うよりも早く、別の人間が成功させたという噂を耳にした。確か、プレシア=テスタロッサとか言ったか。女の魔導師だ。
×月▲日
新たな素体を探している途中で、成功体の1人が死亡した。
症状は、最初に拒絶反応を起こした素体と酷似していた。どうやら、拒絶反応が突発的に起きたようだ。
×月■日
この頃、ジェイルは自分の研究ばかり熱心に進めていた。戦闘機人とか言う兵器だ。
中々に面白そうだと思う。こちらが片付いたら、奴の研究も覗いてみよう。
◆月●日
突発的に起きる拒絶反応を、他の遺伝子で抑制出来る事が分かった。“抑制遺伝子”とでも名付けておこう。
◆月×日
新たな素体を捕獲した。古代の戦士の遺伝子が適合する、初の素体だった。
我々に光をもたらした少女だ。“シャイン”などどうだろうか?
その少女は、組み込んだ遺伝子のお陰か、かなり冷静な性格になっていた。問題は、抑制遺伝子がまだ無い事だった。
◆月▲日
地球という世界で、秘密裏に研究を行っていた仲間から連絡が入った。抑制遺伝子があれば、古代の戦士の遺伝子を全て組み込める少年を見つけたそうだ。
今すぐ捕獲するように命じた。
◆月■日
捕獲した素体がやって来た。まだまだ幼い少年だ。
すぐに戦士達の遺伝子が大丈夫かどうか確かめた。結果はまったく問題無かった。まさか全員の適合者が見つかるとは………。しかし、遺された資料によれば、数多くの遺伝子を組み込んだ場合、拒絶反応の確率が格段に上がるとされている。
確かに全員の適合者など早々見つからないだろう。だが、だからと言って止める訳にはいかない。ここは、実験を強行すべきだ。
それに、シャインの遺伝子が抑制遺伝子として働くようだ。彼女の遺伝子を組み込めば、少しは長生きできるだろう。それでも、資料に書かれていた式から計算すると、成人する頃には拒絶反応が起こるだろう。
抑制遺伝子を組み込めばその進行は緩やかになるし、他の者の遺伝子を抑制遺伝子として追加すれば、完全に抑制できる。だが、今ある遺伝子では完全に抑制は出来ない。
■月●日
ジェイルから、新たな遺伝子を渡された。なんでも、戦闘機人のベースにした人物の物らしい。
残念ながら、シャインにも新たな素体にも抑制遺伝子としては適合しなかった。だが、新たな素体には組み込む事が出来るようだ。せっかくだから、組み込んでみるとしよう。
新たな素体は、その力で我々に牙を剥くかもしれない。シャインとは真逆として、“ディム”とでも名付けておこう。
■月×日
ディムが目を覚ました。
多くの遺伝子を一遍に組み込んだが、すぐには拒絶反応は起きなかった。冷静な判断を下せるようになっているのも、遺伝子のお陰だろう。
ジェイルと共に、彼の身体能力がどれほど向上したのかを見た。思った以上の成果を発揮した事に、我々はとても驚いた。元からの才能があるのかもしれない。
■月▲日
ディムの遺伝子を、シャインへ抑制遺伝子として組み込む事に成功した。逆に、ディムにはシャインの遺伝子を抑制遺伝子として組み込んだ。
すると、2人のリンカーコアに変化があった。2人の間に、妙なリンクが生じたのだ。もしかしたら、特別な力が2人に齎されたのかもしれない。
以上が、この施設を制圧したゼスト隊・隊長、ゼスト・グランガイツが発見したデータの全てである。
以降は、基地制圧後に保護した少年と、我が隊のメンバーの1人であるクイント・ナカジマからの報告である。会話も、覚えている限りの事だけ記載する。
クイントが基地内部に潜入した後、彼女は1人の少年と出会った。彼に気を取られた所為か、天井から落下してきた瓦礫に反応できなかったそうだが、しかし、少年によって彼女は助けられたとのことだっ。
施設関係者とは思えぬ服装だった為、保護する事となった。保護は、以前にも2人の少女を助け出した事のあるクイントがしてくれるようだ。
怪我の治療を終えた後、彼はナカジマ家に連れ帰られた。ぐっすりと眠り続けている事から、かなりの疲労が溜まっていたのだろう。治療を行った翌日、彼はナカジマ家で目を覚ました。
「あの、ここは………?」
「ここは私の家よ。私の事、覚えてるかしら?」
「はい。確か、研究所で………」
「正解。私はクイント=ナカジマ。貴方は?」
「えっと………」
「んー………」
「あ」
「って、そのままじゃあ話し辛いわね。
ほら、ギンガもスバルも早く起きなさい」
「おかーさん?」
「そうよ。スバル、起きなさい」
「もう少し………」
「ダメよ」
「うぅー……あ、おにーちゃんもおはよー」
「え? あ、あぁ………」
「朝御飯は出来ているから、お父さんと先に食べてなさい」
「「はーい」」
「…行ったわね。えっと、改めて、貴方の名前は?」
「それが、この世界での名前は無いんです。僕は、地球の出身なので」
「あら、そうなの? なら私が付けてあげるわね」
「は、はぁ」
「そうねぇ……うん、“ヴィレイサー=セウリオン”なんてどうかしら?」
「ヴィレイサー……ですか?」
「古代語で、『聖なる堕天使』を意味しているの。1度でいいから、大それた名前を付けてみたかったのよね」
「僕は、別段構いません」
「それじゃあ、決まりね」
これが、夜霧襲牙がヴィレイサー=セウリオンになった瞬間である。
後見人を買って出たクイントだったが、ヴィレイサーをナカジマ姓にしなかった事を後悔していた時もあった。それでも、ヴィレイサーはクイントを母として慕っていた。
名前など、些末な問題だったのだろう。
「ねぇ、おにーちゃん」
「なんだい、スバル?」
「おにーちゃんは、“普通の人間”なの?」
「え?」
「ス、スバル!?」
「私もおねーちゃんも、おかーさんが助けてくれたの」
「そう……なんだ」
スバル・ナカジマのこの疑問は、純粋な興味からくるものだろう。彼女と、彼女の姉であるギンガ・ナカジマが、早くからヴィレイサーを兄と慕っていたのは、恐らく自分達と同じ境遇だと感じたからだろう。そこで、スバルは純粋な疑問をぶつけた。
しかし、ギンガはその行為を畏怖していた。後に語った事だが、彼女は兄が“普通の人間”だったらどうしようと、怖がっていたと言う。自分と違うから、どんな風に見られるかが気になったからだそうだ。
しかしヴィレイサーは、次のように答えたそうだ。
「“普通の人間”って、“どんな人間”だよ?」
ヴィレイサーからのこの問い返しに、誰もが黙った。
「私やスバルみたいな人の事だよ」
「それが、ギンガの答え?」
「うん………」
「僕の答えは違う。僕は僕が、“普通の人間”だと思っている。そしてそれは、君達もそうだ」
「私も、スバルも?」
「あぁ。俺は、君達の事をまだ何も知らない。
だけど、1つだけ言える事がある。2人とも………ギンガもスバルも、どこも誰と変わらない、“普通の人間”だよ」
クイントからの報告によれば、ヴィレイサーは2人の妹を抱き締めながら言ったそうだ。
この言葉から分かる通り、ヴィレイサーは自分を“普通の人間”だと思い込むようにしている。それは、変化してしまった自分を受け入れられないからだろう。しかし、自分の事は受け入れられずとも、2人の妹の事はあっさりと受け入れたようだった。
その後も順調で、ヴィレイサーはギンガとスバルの良い兄となっていた。ナカジマ家全体を信用しており、すっかり家族の一員となっていた。
しかしある時、ヴィレイサーを管理局に所属させるようにと、上層部から命令が下された。恐らくは、ヴィレイサーを飼い殺しするつもりだろう。反対意見が通るはずも無く、せめてもの抵抗にと、ヴィレイサーを我が隊に所属させた。
元々配属される予定だった部隊には、旧友がいる。彼に頼み込み、ヴィレイサーをこちらに回す事が出来た。
「ここが管理局………」
「ヴィレイサー、あんまりキョロキョロしないで」
「はい」
「ここよ。失礼します」
「来たか」
「ヴィレイサー、挨拶して」
「はい。ヴィレイサー=セウリオンです」
「ヴィレイサー……か。ゼスト=グランガイツだ」
ぎこちない敬礼ではあったが、瞳は決意に満ちていた。
ヴィレイサーは、隊の中でも亀裂を生む事は無かった。無論、最初は子供だと難色を示していた者や、特別な力を持っていると考えている者もいた。だがヴィレイサーは、ただ“力の強い少年”だった。
研究所では、簡単な身体能力のテストしかしなかった為に、まともに武器を扱えない。そのお陰か、亀裂が走る事は無く、部隊は安定していた。
「クイントが母親ねぇ」
「私が助けだしたんだからいいでしょ」
「以前にも女の子を2人引き取ったのに」
「スバルが『お兄ちゃんが欲しい』って言うから」
「ふーん……よし。クイントが母親なら、私はお姉さんと慕いなさい」
「い、いきなりですね」
「いいじゃない」
クイントと同期であるメガーヌ・アルピーノは、ヴィレイサーを弟として可愛がっていた。その光景は、隊の中でも微笑ましい物として記録されている。
彼にここまで力を入れるのは、間違った道に進んで欲しくないからだ。それに、彼はまだ子供。危険にさらす訳にはいかない。だからこそ、次の任務からは外す旨を伝えた。さすがに最初は反論していたが、最後には引き下がった。もっとも、それが納得したという訳では無い事は、熟知している。
◆◇◆◇◆
上記は、我が上司であったゼスト=グランガイツのパソコンに遺されていたデータを復元した文章である。
以降の記録は、ヴィレイサー・セウリオンが行う。
ゼスト隊が壊滅した後、俺は地球に戻った。しかし、俺は地球に戻ってからも、ゼスト隊で学んだ鍛錬を繰り返し行っていた。
その後、ゼスト隊の話を聞いたデュアリス・F・セイバーと出会う。彼の話を聞き、俺は再び戻る事を選んだ。俺が18歳になったばかりの頃だ。
彼に依頼された仕事をこなす内に、後に『創世の書事件』と呼ばれる事件の首謀者、エクシーガ=スラストと出会う。彼女とは、最初は対立関係にあったが、今では良好な仲間関係を築けている。
だが、彼女との戦いの最中、俺は遺伝子の拒絶反応を引き起こし、吐血した。エクシーガの抑制遺伝子だけでは抑えきれずに、遂には発症し出したのだ。別に、今更死ぬ事に抵抗は無かった。
幾度も研究の中で死に直面したからだ。しかし、創世の書事件の際、協力関係にあった管理局の者の中に、医療に携わっている者がいた。その者の尽力もあり、拒絶反応の進行を遅らせる薬の開発に成功した。
それでも、10年に満たない間に死ぬだろう。
それから2年後─────。
妹、スバル・ナカジマが所属している、古代遺物管理部 機動六課の傭兵として活動を開始。
拒絶反応の進行は、意外と緩く、今の所は四肢の麻痺などは見受けられない。
ちなみに、資料によると拒絶反応の進行は以下の順序で起こるらしい。
吐血→麻痺→炎症、激痛→機能停止(壊死)
今現在は吐血と、軽い麻痺ぐらいしかないが、その内突発的に起こる可能性は否定できない。
今現在、俺に組み込まれている遺伝子は以下の通りである。
七星のメンバー
(ニクス ミラージュ ゲイル ヘイル ヴァン レーゲン ネブラ)
クイント=ナカジマ
抑制遺伝子としてエクシーガ=スラスト
以上の9名となっている。
〇月×日
前回、四肢が本格的に麻痺し出した。己の命が尽きるのも、時間の問題だろう。
柄にも無く、日記でも付けようと思ってしまった。恐らく、“彼女”に告白された事も少なからず影響しているのだろう。
思えば、自分はいつから“彼女”の事を見ていたのだろうか? 自分の事なのに、まったく分からない。可能性としては、エクシーガに敗れた時が挙げられる。“彼女”が俺を慰めた時だ。
しかし『創世の書事件』後は、まったく連絡を取り合っていない。だと言うのに、俺も“彼女”も、その気持ちを維持し続けた事が出来たのだろうか? 当人に聞くのが一番だろうが、生憎と俺にはそんな勇気は無い。それに、今となってはどうでも良い事だ。“彼女”が俺に想いを告げてきた─────その事だけを考えよう。
過去を振り返った所で、顧みる事が出来るのは場面だけだ。その時の気持ちを一言一句違わぬ者がいたら、見てみたいものだ。
それに自分は、“彼女”に答えていないのだから………。“彼女”が俺を好く理由は分からないが、俺は近い内に死ぬ。
誰かを悲しませるぐらいなら、孤独のまま死にたかった。
しかし“彼女”は、こんな俺に「好きだ」と言ってくれた。
○月△日
昨日から1日しか経過していないと言うのに、“彼女”はいつもと同じように振る舞っている。本当に告白されたか疑わしい程に、普段と対応が変わらなかった。別段、それを嫌に思う事は無い。寧ろありがたい事だった。
“彼女”は俺に、答えを急いたりして来なかった。心の奥底で謝辞を述べている自分がいた。
△月●日
目の前で“彼女”を攫われた。
しかも俺は、もう………。
△月×日
鏡に映る自分が嫌になる。無力を象徴しているからだ。
そして、そこから“彼女”を奪われた事を連鎖して思い出す。
この虚無感が身体を満たした時、果たして俺は、生きているのだろうか?
△月◆日
俺はもう……戦えない………。
△月■日
ゼスト隊長の激励により、復帰。
更に、義肢として戦闘機人タイプの手足を嵌める。これで、必ず“彼女”を救い出したい。
戦闘機人タイプの義肢を手にした際、ギンガとスバルから心配されたが、俺自身はこの力を畏怖していない。2人のお陰で、俺は新しい力を手にする事が出来た。いつまで経っても、ナカジマ家の家族には助けられてばかりだ。
本当にありがとう─────。
△月▽日
半戦闘機人になってから早数日。
ゼスト隊長と模擬戦をする事になった。あの身体では、そう長くは無いだろう。
俺との約束を果たそうとしているのだ。ならば、自分が選ぶべき道は決まっている。
その日、ゼスト隊長は逝った。本当にこれで良かったのかどうかは分からない。だが、後悔は無い。
◇月●日
明日は、七星が定めた再戦の日だ。
そこに行く前に、俺と同様に“遺された立場”にある、姉さんの─────メガーヌさんの所に顔を出そうと思う。
もしかしたらこれが、“最期”になるかもしれないのだから………。
◆◇◆◇◆
これらの資料が、ヴィレイサー=セウリオンの身体にある遺伝子詳細である。
そして、○月○日 この日彼は
「ふぅ………」
そこまで一遍に打って、フェイトは大きく息をついた。疲れた目を休めようと、何度か強く瞬く。そして、再び画面に目を向ける。
次に打たれる文字は、既に決まっている。だが、いざその文字を打とうとすると、指が凍ったように動かなくなる。打ちたくないと指が訴えていると、すぐに分かった。だが、打たない訳にもいかない。この報告書の作成は、自分が進んで引き受けた事なのだから。
「フェイトちゃん」
呆然としていると、後ろから聞き慣れた声がかかった。
「なのは………」
振り返った視線の先には、親友である高町なのはの姿があった。
「大丈夫?」
心配そうに見詰めてくる瞳には、疲労の色が濃く滲んでいる自分の顔があった。
「大丈夫だよ、なのは」
笑顔を作り、フェイトは気丈に振る舞う。
「無理だけはしないでね?」
「うん、ありがとう」
なのはは何度かフェイトの方を振り返りながら、やがて部屋を出ていった。
「皆に心配されちゃったなぁ………」
それを改めて感じながら、自分を情けなく思った。だが、いつまでも沈んでいる事は出来ない。いくら真実を受け入れたく無いと喚いた所で、変わる物など何も無い。頭を振って、再び画面に向き直る。
○月○日
この日、彼は“死亡”した。享年20歳。
終末 〜愛別の刻〜
吼号を勇気に変えてぶつかり合う2人の男。フェイトはそれを、ただ静かに見守るしかなかった。
干戈を交えるのは、ヴィレイサーとゼウス。互いの信念と願いを秘め、幾度となく得物をぶつけ合い、金属の不協和音を奏でた。
「ヴィレイサー……!」
恋人の──ヴィレイサーの勝利を願い、祈るようにきつく結ばれた手は微かな不安に震わされていて、勝利を確信しきれない自分が遺憾だ。
「らぁっ!」
「えぇいっ!」
が、それも致し方ないことと言えよう。毅勇な鳳姿はいつの間にか裂傷で紅く染まり、或いは魔法のダメージで黒く汚れていた。
紙一重の攻防が繰り返し繰り返し行われては、互いに決めきれず、再び虚々実々の戦いを始める。そんなことが永遠に続けられて、そしてこれからも続くと思っていた。
だがそれは、結局のところ幻想に過ぎないのだ。
聞こえてくる音は何一つとして存在せず、ただただ目の前に広がる光景に瞠目するしかなかった。
ゼウスの刃が、ヴィレイサーの胸部を深々と貫いている─────見間違いだと言い聞かせるも、どうあっても視線を逸らすことは叶わず、フェイトは無音のまま涙を零した。
「捕ったぞ」
勝利を得たと疑わず、ゼウスは不敵に笑う。
「……それは、テメェも、だ……!」
最後の力を振り絞って、ヴィレイサーはゼウスの頭を鷲掴みにする。
「きさ、ま……!」
その刹那、ヴィレイサーの左手に仕掛けられた砲身が火を噴いた。
「ヴィレイサー!」
ゼウスが吹っ飛んで、突き刺さったブレードが引き抜かれる。溢れる血が床を汚し、或いは彩る。
「ヴィレイサー、しっかりして! ヴィレイサー!」
名前を叫び、彼の生を必死に願う。
「フェイ、ト……」
「うん……うん! お願い、ヴィレイサー……しっかりして、死なないで!」
手を取り、温もりが失われていく恐怖と戦う。死んで欲しくないと願って握ったのに、死していくのを感じさせられて怖い。
「なぁ……お前、さ………俺の、こと……好きだ、って、言って……くれた、よな?」
「喋らないで! それ以上話したら、余計に………」
今更、応急処置の魔法が効力を発揮する訳がない。フェイトが出来るのは、ヴィレイサーを看取るだけ。近くに外へと通ずる出口があることにも気が付かず、ヴィレイサーの名前を呼び続ける。
「今、言ったら……俺、は……お前を……縛、る………だけど、さ」
「ヴィレイサー………」
「言いたい、んだ、よ………」
死する直前だと言うのに、ヴィレイサーは笑っていた。当人がそれに気がついているかは分からないが、フェイトも懸命に微笑する。
「フェイト……─────………」
か細い声。それでも、確かにフェイトに届いた。
「ヴィレイサー……私が、貴方を殺すね」
最期の際、フェイトはヴィレイサーと唇を重ねた。せめてこうして、自分の手で息の根を止めたかった。
「ヴィレイサー……?」
そして─────。
「ねぇ、早く起きてよ」
彼は─────。
「意地悪……しないでよぉ………。
ねぇ、起きて……起きてよ………ヴィレイサー! ヴィレイサぁぁぁっ!」
泣きわめき、血で汚れるのも構わずヴィレイサーの体躯にすがり付く。
ずっと一緒に居ると思っていた人が、死んでしまった─────それはかつて、手を伸ばしてもこの手を取ってくれなかった、あの人のようで、悲しみしか沸き上がって来なかった。怒りは、ないと言えば嘘になる。だが、どこにぶつければいいか分からない。行き場を無くした怒りは早々に悲しみへと変わり、更にフェイトを闇へと誘った。
それでも、不思議と死を選ぶことはなかった。あの後、凄咽を聞き付けてやって来た親友らに支えられたことが最たる要因だろう。
だが、フェイトが泣かない日は1日としてなかった。毎夜毎夜、独りでヴィレイサーの部屋に入り浸り、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて…………ともかく、泣き続けた。
「……以上が、ヴィレイサー=セウリオンが死亡した経緯である」
ゼウスとの死闘を苦悶しながらも思い出し、懸命にキーボードを打っていたから、気付いた時には部屋の中は真っ暗だった。
「ヴィレイサー……」
フェイトは、傍らにある分厚い本に触れる。この報告書を書く時に使った、ヴィレイサーの手記だ。フェイトは彼の温もりを求めるようにそれをそっと抱き寄せ、そして最初のページを開き、読み進めていった。
◆◇◆◇◆
「ぁ……寝ちゃった」
いつの間にか寝てしまったようだ。ゆっくりと身体を起こし、傍にある日記に手を伸ばす。最後のページまで読んだフェイトは、それをもう1度読み直そうと、パラパラと最初まで捲っていく。
ヴィレイサーが書いた文字を見ていく内に、それが霞む。
「ヴィレイサー………」
嗚咽が漏れて、涙が零れる。日記にも零れるが、あっという間に吸い込まれて乾燥した。まるで、泣く事は意味が無いと言っているようだった。
やがて落ち着きを取り戻し、またページを捲る。
「やっぱり……書かれて無いや………」
読み直しても、やはり探していた言葉は見つからなかった。
「本当に、言ってくれたのかなぁ」
ヴィレイサーが死す直前に言った、あの言葉。それを確かめたくて、フェイトは幾度も日記を読み返していた。しかし、それが見つかる事はなかった。
「もう1度、ヴィレイサーの口から聞きたかったな………」
だがそれは叶わない。そんな事、本当は既に分かっている。それでも、簡単には認められなかった。ヴィレイサーが─────好きな人が、死した事を。
また泣きそうになり、誰にも見られないように慌てて手で隠そうとした時、日記に手を引っかけてしまった。日記は、勢いよく床に落下した。急いで拾おうと、フェイトは立ち上がり、目を見開いた。日記の裏面側の表紙が外れていたからだ。
(そういえばこの日記、表面に比べて裏面の表紙が分厚かった)
膝を折って、外れた裏面の表紙を手に取る。
「あ………」
そこに書かれていたのは─────
【Dear Fate】
―――――ヴィレイサーの文字だった。
恐る恐る手を伸ばし、中を開く。
『フェイト……お前がこれを読む時、俺は間違いなく死んでいるだろう。
こんなに分かり辛い形にしていてすまない。もしかしたら、ただお前をまた悲しませるだけかもしれないと思ったら、な。
それでも、伝えたいって気持ちが勝ったから、ここに記す。フェイト、俺は君の事が───── 好きだ。
もっと早くに、この気持ちを伝えるべきだったと、今は後悔している。だが、伝えたい衝動に駆られて、つい………。 分かってくれなんて言わない。だが、俺の気持ちが偽りでは無い事だけは信じてほしい。俺は本当に、君の事が好きだ。
最後に………幾つか願いがある。
1つ目は、俺の後を追うなんてしないこと。酷だと思うが、な。だから、君がその気持ちを持つのは構わない。俺の事を未だ好いていてくれるのなら、尚更。それでも、俺はお前に生きていてほしいんだ。
2つ目は、エターナルを使ってほしいと言う事だ。補助専門にすれば、お前でも使いこなせるはずだ。
そして、最後の願いは………願わくは、そこにある指輪を嵌めてほしい。
フェイト………共に歩めない事、本当にすまないと思う。身勝手ではあるが、俺はお前を助けられたのなら満足だ。
これから辛いとは思うが、お前は1人じゃない。悲しかったら、泣いていいんだ。泣くのを我慢して、涙を零さない事が普通になったら、それこそ悲しいぞ。泣きたい時に泣けないほど、辛い事はあるまい。
俺を好いてくれてありがとう、俺の愛するフェイト』
《フェイト執務官、支援願えますか?》
「はい、すぐに向かいます」
仕事の連絡が入り、フェイトはてきぱきと準備を整えていく。愛機のバルディッシュを手に、玄関へ向かうかと思いきやある一室の扉をノックする。
「どうぞ」
素っ気ない返事も気にせず、フェイトはそれに従って入る。
「フレイヤ」
「これ、調整終わりましたよ」
深紅の髪を伸ばし、左側の一部だけ三つ編みにした少女、フレイヤは振り返ってもう1つの愛機(デバイス)を渡してくれた。
「うん、ありがとう」
「あ……い、いえ」
頭を撫でてあげると、少し頬を朱に染める。
「ごめんね、私、今から仕事に行かなきゃいけないの」
「大丈夫です。フェイトさんこそ、気をつけてください」
「うん、ありがとう」
リンディにフレイヤの世話を頼んで、急いで現場に向かった。
フレイヤは、機動六課の解散直後に訳あって保護した少女だ。初めて会った時と比べたら、感情豊かになったと思う。
「フェイトさん」
「アルティス」
途中で、アルティスと合流する。彼女もまた、自分が保護した女の子だ。彼女は、フェイトがプロジェクトFで誕生した際の遺伝子を培養して生まれた。
フェイトと同じ金色の髪をポニーテールにしているアルティスは、貫通力のある槍を携えていた。
「もうすぐ見えてきますね」
更に気を引き締めて、スピードを上げた。J・S事件の後、ガジェットは管理局の一部の人間が裏ルートを通じて横流ししている事態があった。結局、その横流しに使われたパイプは判明せず、それを赦してしまった。今回の任務は、そのガジェットの破壊だ。ガジェットは更に改良を加えられているらしく、中々に強敵だったりする。
「アルティス、無理はしないでね」
「はい。フェイトさんも」
「うん」
出来ればアルティスには無理をさせたくないので、先行して叩くことにした。
「バルディッシュ!」
《Yes,sir,》
一瞬輝きを見せ、それが収まった時、フェイトは真・ソニックに姿を変えていた。
「あれだ」
二刀流に構えたライオットブレードで虚空を一閃し、改良されたガジェットに斬りかかる。
「はあぁっ!」
駆ける金の光芒。それに貫かれたみたく、ガジェットはたちまち火をあげて爆散する。
「フェイトさん!」
自分と同様にスピードの速いアルティスも追いつき、次々とガジェットを破壊していく。
「あ………!」
誰かが驚きの声を上げた。視線を巡らせると、飛竜を模したと思われるガジェットが見えた。U型を改良したものだろう。
「アルティスは負傷している人を守って」
「はい」
幸いにも、ガジェットの数は少なくなっている。アルティスに防戦を任せても大丈夫なはずだ。フェイトは魔力弾を放ち、飛竜型のガジェットの注意をこちらに向けさせる。そうしてから、彼女は懐にあるもう1つのデバイスを手に取った。
「……“エターナル”!」
《Yes,sir.》
ヴィレイサーが遺したデバイス、エターナルを手に、フェイトは宣う。
「天帝の女神(プロヴィデンス・ミネルバ)!」
《Providence Minerva.》
それは、ヴィレイサーが使っていたヴィーナスシステムの物真似にしか過ぎない。だが、一定時間の間に増幅させられる力はかなりのものだ。
金色の光が、幾度も??。やがて急にそれが終わったかと思うと、再び一際大きな閃光が走った。
フェイトの背には、淡い金の羽が左右合わせて16枚。ツインテールだった髪は一条に束ねられ、真・ソニックの上から袖だけ切り取った黒のロングコートを羽織っていた。
二刀流だったライオットブレードは、両刀の柄を連結させて両頭刃に切り替えられ、フェイトは静かに構えてガジェットと対峙する。だが、その時間は本当に一瞬だけ。件のガジェットが迫撃しようと口を開いて内部の砲身に光を集束させつつ迫る。
「遅い!」
しかし、フェイトはあっという間に背後に回り込み、剣尖を突き立てる。
「くっ………!」
だが、ガジェットの装甲は思いの外硬く、軽い一撃では容易く弾かれてしまう。フェイトが後ろにいるのを察知して、長い尾がしなやかに動く。叩き落とそうと迫る尾に対し、フェイトは動じることもなくライオットブレードを一閃。その時、ガジェットの尾は繋ぎ目を狙われて断たれた。背後に斬り飛ばされた尾が爆発を起こす。風が走り、髪が揺れた。それでも迫撃を止めようとしないガジェットに対し、フェイトはヴィレイサーが着ていたこのロングコートから数本のナイフを取りだして放る。装甲の繋ぎ目にそれぞれが突き刺さった瞬間─────
「ルミナス!」
─────ナイフが全て爆発を起こす。遠隔操作で爆発したナイフに怯んだガジェットを見逃さず、フェイトは碧宇に身を踊らせて近づく。それに気がついたガジェットも、フェイトの接近を赦さぬように腕を振るい、或いは口内にある砲身から集束された砲を放つ。
「無駄だよ」
しかし、フェイトは急制動を駆けて立ち止まる。だがそれは一瞬で、そのまま一気に後退してやり過ごすと、再び急速に速度を速めて高らかに命じた。
「ファランクス!」
《Phalanx.》
瞬間、フェイトの背にある羽が光彩陸離を2、3回繰り返し、分離した。エクシーガが使うフラグメントと同様に、デバイスが操作してくれる機動兵器だ。
次々とファランクスから光芒が繰り出され、ガジェットの体躯を易々と貫いていく。
「これで終わりだよ」
そして─────フェイトはいつの間にか手にしていた高出力集束銃(バスターライフル)の引き鉄を引いた。
眩い光華が収まった時、ガジェットは塵芥と成り果てていた。
「……ふぅ」
緊張感が解け、フェイトは一息吐く。
ヴィレイサーから譲り受けたものは総て使いこなし、フェイトは確かに強くなっていた。
「フェイトさん、戻りましょう」
「うん」
それは、決して肉体的な強さだけではなく─────。
「あ……」
幽風の中に“彼”の声を聞いた気がして、背後を振り返る。だが、そこに“彼”が居るはずもなく、そよぐ風に微笑する。
「大丈夫。無茶はしてないよ、“ヴィレイサー”」
浮かべた笑みは、儚げでもなければ無理に笑った訳でもなく、本当の笑顔。
「だって、貴方が見守ってくれているから」
虚空に伸ばしたのは、“彼”がくれた指輪を嵌めた左手。その手を取るように微風が撫でた。
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