プロジェクトF.A.T.E.──通称、プロジェクトFと呼ばれるこの技術は、簡単に言えば記憶転写型クローン技術を意味する。大元となった人物にそっくりな人間のクローンを生み出すこの技術は広く知られているわけではない。だが、人工的に生命を生み出すことから禁忌と言っても過言ではないものでありながらも、手を出す者は少なくない。
情報とは常に溢れ出るものだ。高値で売りつけるものもいれば、噂として耳にする者もいる。人の口に戸は立てられない。そしてそれは、“彼”を生み出した家もそうだった。
父親と言う立場にある男が、どのようにしてその情報を入手したのかは知らない。ただ、“彼”は生まれた時から親として認識させられた男女が敷いたレールの上を歩くことが決まっていた。
そしていつからか、何をしても怒られ、そうではないと叱責される日が始まる。
『お前の兄はもっとできたんだぞ』
毎日毎日、そう言われ続けた。生まれた時からその兄とずっと比べられて、蔑まれて、それでも耐えられたのはどうしてなのか。理由は分からないが、ともかく“彼”には何もできなかった。ただ従い、ただ謝り、ただひたすらそれを繰り返して傀儡と化してまでその家に居座ることを選んだ。
『…どうしてこんなにも違うのかしら』
きっかけは、本当に些細なことだったと思う。深夜にふと目が覚めて、両親とやらが話しているのを耳にしてしまった。
プロジェクトFによるクローニングは完全ではない。記憶を転写することは可能でも、利き手や性格、素質などまではそのまま引き継ぐことはできないのだ。だから、“彼”が大元となった兄とか言う人間をそのまま引き継げるはずはなく、さりとて兄の両親はそれを認められずにいた。
『あんな出来損ない、早々に棄ててしまおう』
なんとなく、“彼”には自分の居場所がどこにもないことが分かっていた。それでも寝食の可能な場所を自ら手放す気にはなれず、ひたすらに両親と言う肩書をもつ2人が求める誰かになろうともがき続けた。その結果が、これだ。
そしていつしか、“彼”の心底にはひっそりと闇が芽生えていた。
「あー……嫌な夢だ」
開口一番そう呟いて、再び眠ろうとする。今日は仕事は入っていないので、このままずっと寝ていたい。惰眠を貪ることを決意して、ヴィレイサーは寝返りを打とうとする。だが───
「…っくし!」
───身体が妙にだるくて重たかった。
「あのバカ、うつしやがったな……」
カリムの風邪がうつったと考えて間違いないだろう。舌打ちして、一先ず水を飲みに立ち上がる。しかし、久しぶりに風邪をこじらせてしまったこともあって、少しふらふらしてしまう。
(せめて有意義に寝たかった)
水を一口飲んで、少し落ち着いた時にシャッハへとメールを打ち込んだ。
◆◇◆◇◆
「付きっきりで騎士カリムの看病をしてくれたのはありがたいのですが……ご自分が風邪をこじらせてどうするのですか」
「あー、悪い」
自室に来たシャッハの小言を適当に聞きながら、ヴィレイサーは気怠そうに返す。カリムの看病をして、その翌日には自分にうつってしまったようだ。彼女の方は完治したらしいので、特に思うことは何もない。
「お前にもうつっちゃ面倒だし、悪いけどカリムの世話は頼む」
「もちろんですよ。それに、私はいい機会だと思っています」
「何が?」
「ここ最近、働き詰めだったようですし。これを機に、ゆっくりしなさい」
「…ん」
彼女の言うとおりだ。今日はずっと寝ていた方がいいだろう。でなければ、いざと言う時カリムを守れない。
「今日も感謝日ですから、もしかしたら騎士カリムが訪ねてくるかもしれません」
「面会謝絶の札、扉に下げておいてくれ」
「そんなものはありません。自分でどうにかしなさい」
病人に優しくないなぁと思ったが、どうせ札をかけたところでカリムは間違いなく入室してくるだろうとすぐに考え直した。
「では、またお昼に窺います」
「あぁ」
扉が閉められ、足音が次第に遠退いていく。深い溜め息をつき、目を閉じる。
(そういえば……前にも、風邪ひいたこと、あったっけ)
自分が13歳の時だ。新暦68年の冬だった気がする。冬になると、時折夢を見る。家を焼き払った、あの時のことを。
風邪をこじらせたと言うのに、カリムは遠慮なく自分の部屋を訪れてきた。看病しようと思ったらしいが、当時の彼女は料理なんてできない。だから、結局傍にいるだけしかできなかった。
完治した後、看病を全うできなかったことを当人は少し残念そうにしていたが、ヴィレイサーは気にしてはいない。なんだか気恥ずかしかったのだ。
(…懐かしいな)
懐古に浸る歳でもないだろうに、そんなことを思ってしまった。もしかしたらそれは、彼女の元を去る気持ちが少しずつ強固になっているからかもしれない。
「…エターナル」
《シミュレーションを開始します》
「あぁ、頼む」
愛機から送信されてくる仮想戦闘データを元に、ヴィレイサーは訓練を開始していく。本来であればマルチタスクの技能を上達させるために行うのだが、今回は風邪で寝込んでいるために訓練のメニューを変更する。
(狙撃訓練は久しぶりだし、まずは初級からやるか)
ヴィレイサーが使う愛機、エターナルは太刀以外の形態を有してはいない。そのため、狙撃に使うライフルは別で用意してある。
《Mission Start.》
エターナルが設定したのは、高いビルから目標を一撃で仕留めるものだった。人込みの多い場所で、それもたった1射で仕留める特訓だ。
(…とりあえず、腕はそこまで鈍っていないみたいだな)
1発でターゲットを仕留め、また次の特訓に移る。最も難度が高いのは、2発で標的を制圧することだ。1発で斃さないのは相手のデバイスや武器を破壊してから、動きを封じるため。動く相手に対して2発の銃弾を確実に命中させなくてはならない。
(…外した)
だが、その特訓に移る前の特訓で蹴躓いてしまう。
(やっぱりデバイスを介さないと厳しいか)
一般的に、スナイパーを務める魔導師のほとんどはデバイスを銃の形態にしている。それはスポッターと呼ばれる観測手が必要ないからだ。狙撃手たるスナイパーは本来、風速やターゲットまでの距離、狙撃に必要な情報を提供してくれるスポッターと呼ばれる相棒とコンビを組む。だが、今はデバイスがそれを処理してくれる。
しかしヴィレイサーは今、愛機が手元にないような状態だ。特訓の提供をすることで忙しいのだから仕方がないが、やはりスポッターの役割を果たしてくれる愛機がないとかなり厳しい。
(寝よう)
ずっと訓練をしていると、余計に体調が悪くなりそうだ。次第に重たくなってきた瞼を逆らわせず、ヴィレイサーは安眠を求めて目を閉じた。
◆◇◆◇◆
「寝てる」
しばらくして、カリムが部屋を訪れた。ヴィレイサーは未だにぐっすりと眠っており、彼女の気配には気づいていない。ベッドの傍らに椅子を持ってきて腰掛け、じっと彼の寝顔を見る。苦しそうではないが、熱が高いのか汗を掻いていた。予め冷たい水を桶に入れて持ってきた甲斐があった。急いでタオルを濡らし、少し汗を拭きとってから額にかける。
「ヴィレイサーが風邪を引いたのって、これで何度目かしら?」
なんとはなしに呟き、思い出してみる。あまりないように思うが、それはきっと隠していたこともあったからだろう。
(いつも無理してばかりなんだから)
彼が聞いたら、間違いなく「お前に言われたくない」と返されるだろう。お互い様のようだ。
(機動六課が本格的に稼働したら、少しは休みが取れるかもしれないわね)
そうであって欲しい。自分のためにも、そしてなにより彼のためにも。
「カリ、ム……?」
「あ、ごめんなさい、起こしちゃったわね」
「…別に」
まだ覚醒しきってはいないようだ。黙って、彼が再び眠るのを待つ。
「こんなところに居て、いいのか?」
「えぇ。今日は感謝日だし、それに仕事も立て込んでいないから」
「…そうか」
深い溜め息とともに言うと、彼はまた目を閉じた。カリムは邪魔してはいけないと思いつつも、彼が少しでも寝やすいようにと手を握る。
「…ダメ?」
「何も言ってねぇだろ」
ちらりとカリムの方を見たが、すぐに諦めたようだ。ヴィレイサーはそれ以上何も言わない。
「汗、大丈夫?」
「…結構、掻いたかもしれない」
のそのそと起き上がる彼に、カリムは慌てて背中に手を添える。
「少し拭いちゃいましょう」
「…悪い。頼む」
「もちろん」
今更、恥ずかしがるような仲じゃない。それに彼女はあれで頑固だ。素直に従っておいた方が、体力の消費にも繋がらずに済むと言うものだ。
「…ヴィレイサーも、傷だらけね」
「いいんだよ、俺は。仕事でついたものだし、なにより浅いんだからな」
「…うん」
それでも、カリムの表情は晴れない。申し訳なさそうにする彼女の顔は、大嫌いだ。
「お前のそういう顔、嫌いなんだよ」
「え?」
「何も悪いことなんてしてない癖に、まるで自分に非があるような顔しやがって」
「だ、だって……」
「自分が赦せないか? なら俺は、“俺を赦さない”」
「どうし、て……?」
「お前にそんな顔をさせているのは俺だ。だから、俺は俺を赦さない」
「ヴィレイサー……」
昔から、彼女は泣き虫だ。責めているわけでも、何か感動するようなことを言っているわけでもないのに、今みたいに目に涙を浮かべるのだ。
「お前は悪くないんだよ。だから、笑っていればいい」
「…えぇ。でも……でもね。貴方ばかりが傷ついてしまうのが、どうしても怖いの」
不安に震えるカリムの手を取り、ヴィレイサーはその手を自分の心臓に当てた。火照った身体に、先程まで冷水に触れていた手が冷たさを齎す。
「俺は、こうして生きている」
「ヴィレイサー……ヴィレイサー!」
まるでその存在をはっきりと認識するかのようにぎゅっと抱き締めてきた。それを拒むことはせず、艶やかな金の髪を撫でる。
しばらくそうしていたが、やがてどちらともなく離れ、ヴィレイサーは背中を向け、カリムは濡れタオルで汗を拭いていく。
「…お前は昔から、心配性だな」
「どうしてか、分かる?」
「…さぁ、な」
分からないし、分かりたくもない。分かってしまったら、きっと自分は───。
「今も、ずっと不安でいっぱいよ」
「悪い。いつも心配させてばかりだな」
「ううん、それだけじゃないの」
カリムの手が、ピタリと止まる。背中にこつんと額を押し当てて、しばらく黙する。吐息があたって、正直くすぐったい。
「最近ね……夢を、見るの」
「夢?」
「えぇ。……ヴィレイサー、貴方が、遠くへ行ってしまう夢よ」
身体が強張る。いつかはカリムの傍に居られなくなるのだ。それを言い当てられたみたいで、平静を装うとして逆に緊張してしまう。
「嫌……嫌よ」
「カリム?」
「ヴィレイサー……お願い、ずっと私の傍に居て……!」
涙ぐんでまで言われるとは思っていなかった。そして、彼女の願いは守れない。だが、それでも───
「あぁ、分かった」
───それでも、守ると誓うしかない。最初から反故にされている約束だろうと、彼女を守り抜くためなら幾らだって嘘をつける。もうどうせ、罪に穢れているのだから。
「ありがとう、ヴィレイサー。───……」
一言呟き、カリムはヴィレイサーの背中にキスをした。
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