「ヴィレイサー……お、お疲れ様」
「あぁ」
シャッハとカリムに報告を済ませて終わりにしようかと思っていたが、呼び止められたので部屋に残ることに。ヴィレイサーを呼び止めたのは、もちろんカリム。シャッハは自分が居てはいけないと思ったのか出ていってしまった。
(出来れば居て欲しかったな)
カリムと二人きりと言うのは、なんだか心苦しい。彼女からの信用を失ったと勝手に決め込んで、彼女の意にそぐわないことをしようとしているのだから当然と言えば当然だろう。
「…何もないなら俺は戻るぞ」
「待って!」
踵を返そうとすると、カリムは慌てて立ち上がる。その拍子に、勢いのついた木製の椅子が床に倒れて大きな音を立てる。
「…そそっかしいのも子供の頃から変わらないな」
「そ、それは……だって、ヴィレイサーがすぐ行ってしまうから……」
「そうかもな」
椅子を直して、カリムを座らせる。
「私、貴方に謝らなきゃって思っていて……」
「謝ることなんて何かあったか?」
「だって、ヴィレイサーを傷つけたから……」
「昨日のこと、か?」
静かに、そして小さくこくんと頷いた。溜め息をついて、彼女の正面に回る。顔を俯かせたまま、表情を見せようとしない。机に腰かけ、ゆっくりと頬へ手を伸ばしていく。
「俺の手が、怖いだろ?」
「…え?」
一瞬、意味が分からず呆けた顔をした。だが、すぐに理解して涙を浮かべ、再び面を伏せた。先日、カリムを叩いたこの手が憎い。気持ちに唆されるままに引っ叩いたのだ。それも、立場あるカリムを。罪の意識が強いヴィレイサーが、自分を赦せるはずもない。
「でも、私はこの手に……貴方に感謝しているわ」
「感謝?」
「だって、私を心配してくれたのでしょう?」
「そう思うなら、あの時あった出来事を話せ」
「そ、それは……」
「…別に言いたくないならいいが」
手に力を込めて、カリムの面を上げさせる。潤んだ双眸が震えている。じっと見詰めるが、威圧的な色を湛えている。
「信じて、いいんだよな」
「ヴィレイサー?」
「カリム、お前を信じているからな」
「…えぇ。信じて、ヴィレイサー」
今更、カリムを心から信じられるかは分からない。いくら信じても彼女が偽りを述べているとしたら、その信頼は既に裏切られていることになる。果たして自分は、それに耐えられるのだろうか。
「…悪いな、疑り深くて」
答えは、分からなかった。
◆◇◆◇◆
「ほれ、イストって奴の情報だ」
「相変わらず仕事が早いな」
3週間後、ディアスに呼ばれて酒場に訪れると、簡潔に纏められた資料が寄越された。適当な席に座ってぱらぱらと眺めていく。
「いやぁ、悪いことは出来ないよな。欠点が次から次へと出てくるよ」
「それはお前の仕事がいいからだろ」
「褒めると天狗になるから止めろ」
笑って、もう1つ資料を渡してくる。
「で、だ。ここからが本題なんだが……横領に裏金、違法物資の横流し、他色々っと。
これだけあるなら、決定的な証拠を得た上で逮捕した方がいいかもしれないな」
「暴力団との関係は?」
「ないとは言えないな。違法な質量兵器の見逃しをする見返りに、色々と敵対している派閥に脅しをかけているみたいだし。
ただ、繋がりが深い分、そっちを頼るのは厳しいだろう」
「なるほど。しかしそうなると、機動六課の設立に回す資金も……」
「まぁ、綺麗な金とは言い難いかもな」
しかし、やりくりしていけば必然的にそうなってしまうものだ。カリムには清いお金を使って欲しいと思っても、出所を辿ればやがては厄介なところに行きつくだろう。
「さて、それじゃあ今回の作戦について説明するとしよう」
そう言って広げた見取り図は、どうやらイストの屋敷の地図らしい。広い庭がほとんどを占めてはいるが、それでも普通の家に住んでいる身としてはかなり広く感じられる。
「来週、管理局の上層部の面々を呼んで、パーティーを行うらしい。
その日なら人は集まるが、この宴会場に密集するだろう」
「その間に、不正の証拠を見つけてくる……と言うことか」
「あぁ。一応潜入してきたが、多分イスト自身の部屋にあるだろ。
金庫もあったし、集まる人みんながみんな、奴に好意的なわけじゃないから、緊張から手元に置いておくこともないだろう」
「潜入って……今度は何にふんしたんだ?」
「そんじょそこらにいる清掃員だよ」
にっと笑うディアスに、ヴィレイサーは溜め息を零した。彼はカリムの執事をしていたが、彼女が聖王教会の正式な騎士となってからはヴェロッサに誘われて潜入捜査のエキスパートとして数々の事件に着手したと聞いている。時には危険なこともあったそうだが、なんとか切り抜けてやってきたらしい。
「で、次の潜入はお前に任せる。俺はバックアップを担当させてもらうわ」
「了解した」
「当日はロッサにも加わってもらおうと思っているんだが……いいか?」
「あまり巻き込みたくはないんだが……仕方ないだろうな」
ヴェロッサは勘が鋭い。恐らくヴィレイサーが動こうとすることに感づいている可能性が高い。ならば、先に伝えておいて協力を仰いでおいた方がいいかもしれない。
「…ヴィレイサー」
「ん?」
「失敗するなよ。騎士カリムのためにも」
「分かっているさ」
カリムのため──口ではそう言うが、本心がどうなのか自分でもまだ分からなかった。もしかしたら、単に憎いからなのかもしれない。だとしたら自分は、相当浅はかな人間なのだろう。
(今更、引き返せるかよ……)
歩みを止めてはならない。このままカリムを弄ばせるわけにはいかないのだから。
(しかし、面が割れているのは面倒だな)
問題なのは、イストが自分のことを覚えていると言うことだ。変装するとは言え、顔を変えることは難しい。だが、パーティーとなれば多くの人が集まるだろう。給餌をつとめるよう手配してくれる手はずになっているので、イストにさえ接触しなければなんとかなるかもしれない。
「なるべく早急に、証拠を見つけ出さないとな」
◆◇◆◇◆
翌週───。
「皆様、今日はお集まりいただきありがとうございます。
どうぞ心行くまでお楽しみくださいませ」
イストは檀上で片手にワイングラスを持ち、自慢げに言い放った。彼への感謝の意が籠められた拍手に気分を良くしたのか、満足げに笑うイスト。ヴィレイサーは彼を一瞥した後、目立たない位置へと繰り返し移動しながら、給餌のつとめを果たしていく。
《よし、そろそろ行こうか》
「…了解」
インカムから伝えられた言葉に従い、1度厨房を通ってから廊下へ出ていく。今はディアスがこの屋敷へハッキングをしているお蔭で、警報装置も監視カメラも働かない。それに気づかれる前に、なんとか急ぎたいところだ。
(…行くか)
伊達眼鏡をかけ直し、ヴィレイサーは真っ暗な廊下を歩いていった。
その頃、イストは来客者に挨拶をすませながらカリムのことを考えていた。
(さて、あの騎士を好きに出来る日はいつになるやら)
カリムの体躯を目にして、すぐに自分の好き勝手にしたいと言う欲望が渦巻いた。妻はいるが、夫婦として長く居すぎたのがいけないのか、もうお互いに慾を抱くことはなかった。
(彼奴を籠絡出来ればいい。機動六課など、あろうがなかろうが私の知ったことではない)
周囲の人間から幾らか反感は買うだろうが、そうなったらカリムの痴態を見せてやればいい。自分も含めて、男とは本当に愚かしい生き物だと思う。
そんなイストの下卑た笑みを浮かべる彼を、鋭い眼光で睨む青年がいた。彼はグラスに注がれたワインを飲み干すと、踵を返して部屋を出て行った。
◆◇◆◇◆
(…なんとか金庫まで来たか)
ディアスの誘導で金庫のある部屋まで来ることができた。指紋認証と暗証番号を突破すれば、大丈夫なはずだ。ディアスの指示を仰ぎたいところだが、声を出しては気付かれる可能性が高まる。ヴィレイサーは黙って、指示が書かれた紙を見る。
(これか?)
そして壁に埋め込まれた隠しカメラを見つけ、そこに収められた映像を再生するために部屋にあるパソコンを起動させた。音が出ないよう、あらかじめ持ってきておいたイヤホンを差しておく。型は割と新しいため、起動に時間を要することもなかった。
(あとは、これを……)
そして手早くフリーメールのアカウントを取得し、外で待っているディアスに対し、隠しカメラに収められていた映像を添付してメールを送る。
このカメラはディアスが清掃員として忍びこんだ時に設置したもので、イストが使っている暗証番号を確認するために置いたのだとか。やがて返信が来たのでそれを確認し、鉛筆を取り出すと芯を削って指紋認証の箇所にその粉をかけていく。するとイストの指紋がうっすらと浮かび上がり、その上から更にディアスが取得したイストの指紋が付着した手袋を押し付ける。
ピーッと電子音がなるが、どうやら部屋の外には聞こえなかったようだ。中を探り、証拠と思しき資料を見つけ出す。そして、再びパソコンに目をやると、こちらにも残っていた証拠類をコピーし、DVDに焼いていく。そしてそれを終えると、今度はディアスが返信したメールを開き、そこに添付されているファイルをダウンロードする。
自分が捜査した痕跡を消すための、ウイルスプログラムだ。機械類のハッキングなどお手の物だし、なによりこんなものすら作ってしまうディアスだが、悪用することは絶対にない。
フリーメールのアカウントを削除し、早速ウイルスを起動させる。1分もしないうちに、ウイルスは内部からパソコンを完全に破壊した。
(これで、カリムを守れる)
彼女は未だに貧血だと偽っているが、それが嘘だと言うことは理解している。それでも、幾ら嘘をついたのが赦せないとしても、自分から聞き出すことはできない。カリムは機動六課のために真実をひた隠しにして、嘘を突き通すことだろう。ならば、自分がすべきことはその嘘を吐き出させることではなく、聞き出さずに手助けしてやることだけだ。
(…そろそろ戻るか)
証拠を焼いたDVDを懐に忍ばせて、ヴィレイサーはゆっくりと部屋を出ていく。急いで戻ろう──そう思ったのがいけなかった。駆け出したヴィレイサーが曲がり角まで来た瞬間、ディアスが「止まれ!」と焦りをにじませた声をあげる。それに従って足を止めたつもりだったが、その足音に気が付いたのか、曲がり角の向こうから扉がしまり、誰かが近づいてくる音が聞こえてくる。
(まずいな……)
引き返すかと思ったが、それでは余計に怪しまれる可能性もある。相手が誰かは知らないが、足音がしたとイストに報告されてはどう動かれるか分かったものではない。致し方なく、ヴィレイサーは曲がり角を曲がって姿を現した。
「何をしているのかね?」
「料理長……いえ、少し休憩を」
「屋内で?」
「…えぇ」
ヴィレイサーをじろりと睨むのは、厨房で長をつとめる男だった。ここに就いて長いらしく、イストからの信頼も厚いと聞いている。よりによって厄介な奴に見つかってしまった。
「あぁ、ここにいたのか」
窮地に立たされたかと思った矢先、穏やかな声がかかる。料理長が振り返ると、そこにはヴェロッサがにこやかな笑みを浮かべていた。
「ボールペン、見つけてくれたかな?」
「…はい。こちらでお間違いないでしょうか?」
ヴェロッサが出してくれた助け舟に乗り、ヴィレイサーはポケットからボールペンを取り出す。すると彼は「ありがとう」と言って受け取ってくれた。
「すみません。彼にボールペンを探してもらっていたんです。
私のような部外者がうろつくよりはずっといいと思って甘えてしまったのですが……迷惑でしたか?」
「い、いえ。とんでもない」
「では、失礼します」
一礼し、優雅に踵を返すヴェロッサを見送り、ヴィレイサーも料理長に頭を下げてから歩いていく。そして再び人気のないところまで来ると、ヴェロッサに謝辞を述べる。
「助かった」
「お役にたてたのなら良かったよ」
「あとはディアスに頼んである」
「了解。それじゃあ僕はもう行くよ」
会場へ戻っていくヴェロッサとは違い、ヴィレイサーは玄関ホールへ向かう。そして警備室から出てきたディアスに、擦れ違いざまにDVDを渡すと、今度は彼が警備室に入った。そして制服を警備員のものへと変更し、監視カメラをチェックしていく。
これから会場でイストの犯罪の証拠が明るみとなる。スライドショーを行う予定だったので、そこで上映される映像を証拠に変更しようと言うのだ。手先の器用なディアスなら、容易いことだろう。
イストがどうなろうが知ったことではない。失敗したら、また何かしらの策を講じればいい。どれだけ時間がかかろうと、カリムに害を及ぼす者は誰であろうと屠る。そしてそれは、自分にも当てはまることだ。ならば、いつかは自分も───。
◆◇◆◇◆
「え……」
数日後の新聞記事の1つに、カリムは目を奪われた。資金提供を約束してくれたイストが、逮捕された──その記事に、頭が真っ白になる。
「あっ……騎士カリム、どちらへ?」
「すぐ戻るわ」
慌てて部屋を出、すれ違ったシャッハに謝ることも忘れて走っていく。行先は、いつも“彼”がいる大聖堂。
(まさか……そんなわけ、ないわよね!)
頭をよぎった嫌な予感。それを払拭すべく、走る。走って走って、走り続ける。その度に、足取りが次第に重たくなっていくように思えた。
「ヴィレイサー!」
大聖堂へと続く、重たい扉。力いっぱい開けたそれは、いつも以上に重たくて、まるで自分を拒んでいるように感じた。
「ヴィ、ヴィレイサー?」
だが、そこに会いたいと思った“彼”はいなかった。がらんとした大聖堂に一歩ずつ歩いていく。響き渡る足音と、乱れた呼吸の音だけがはっきりと聞こえた。
「ヴィレイサー!」
「…そんなに大声を出すな」
再び呼び掛けた時、後ろから返事があった。振り返り、欠伸しているヴィレイサーを目に焼き付け、彼へと抱きつく。
「ヴィレイサー……!」
「なんだよ? いったいどうした?」
いつもと変わらぬ声。だが、それだけではどうしても自分を御しきれなかった。カリムはヴィレイサーを離せず、瞳を涙で濡らしていく。
「怖い夢でも見たのか? お前は昔から怖がりだったし」
「ヴィレイサー……何も、してないわよね?」
「質問の意図が分からないな」
「そう、よね……うん、そうよ」
次第に落ち着きを取り戻していく。頑張って笑んでみるが、まだ歪な笑顔。安堵がカリムの身体から力を奪う。へなへなと腰を下ろしてしまう。すると、ヴィレイサーが手を差し出してくれた。それを握ろうと、面を上げた時───
「お前は、俺を信用していないんだろ?」
───その一言が、カリムの胸を深く突き刺した。
「どうし、て……?」
「何がだ?」
「どうして……どうして、ヴィレイサーはそう思うの!」
声を張り上げ、カリムは涙の滲んだ双眸でヴィレイサーを睨む。それでも、ヴィレイサーは表情を変えなかった。
「私は、ヴィレイサーを信じているわ。貴方を信じきっているの」
縋り付くようにヴィレイサーへ手を伸ばす。彼はそれを拒んだりせず、膝を折ってカリムと目線を合わせてくれた。
「…好きにしろ」
「あっ……!」
いつもの言葉に耳を傾けていると、ぐっと引き寄せられた。華奢なカリムの体躯は優しく抱き締められる。訳が分からず、口を開いては何も言えず黙ってしまう。
「ど、どうしたの?」
「別に」
「そ、そう」
それきり、言葉が出なくなってしまう。カリムは抱き締められていることを意識しないように努めるが、それが却って強く意識させてしまう。赤くなった顔は見られていないだろうか──そんなことを気にしつつも、ヴィレイサーの温もりに心地好さと安心感を味わっていく。
「え? あ…ヴィ、ヴィレイサー!?」
だが、ヴィレイサーの身体が急に重たくなった。抱き締められている側のカリムは、そのまま彼に押し倒される形となってしまう。
「ヴィレイサー? あの……は、恥ずかしいわ」
何をされるのか分からない恐怖と、もしかしたら拒めないのかもしれないと言う緊張とがない交ぜになってカリムの行動力を奪う。しかし、彼が返事をしないことを不思議に思い、耳を欹てていると───
「ん、すぅ……」
───小さな寝息が耳元で聞こえてきた。
「ね、寝ちゃったの?」
問いかけても、それに対する返事はない。やはり眠ってしまったようだ。
「おやすみ、ヴィレイサー」
優しく頭を撫でて、眠っている彼に微笑む。
「お邪魔だったかな?」
「ロ、ロッサ!?」
扉が開かれる音が響いたかと思うと、ヴェロッサに見られた恥ずかしさですぐに亜子が赤くなってしまう。
「ダメだよ、義姉さん。いきなり動いたらヴィレイサーを起こしちゃうし」
「あ……」
彼女がヴィレイサーのことを引き合いに出されると弱いことは誰もが知っている。シスターの中にも、何名かは「騎士カリムとヴィレイサーは付き合っているのでは?」と率直に噂している者もいるぐらいだ。
「それじゃあ義姉さん。お二人でごゆっくり」
「も、もう、からかわないで」
そうそうに退散したヴェロッサにそれだけ返し、カリムは再びヴィレイサーに優しく触れた。
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