「──て…れ! ヴィ─…サー!」
窓ガラスが強めに叩かれ、小さく声が聞こえてくる。鬱陶しそうに思いながらも、それがヴェロッサのものだと認識すると早く起きなければと懸命に目を開く。
「…悪い。何だ……?」
「急いできて欲しいんだ! 義姉さんが……!」
ヴェロッサは、目を覚まさせるのが上手だと思う。カリムのことを引き合いに出せば、こちらがすぐさま駆けつけると理解しているのだろう。もちろん、カリムの名を騙るなんてことはしないので、ヴィレイサーは早々に車を出て彼の後を追いかけた。
「騎士カリム」
「ロッサ……」
大事な場だ。カリムをいつものように『義姉さん』と呼ばないように1度咳払いしてから呼びかける。そんな彼女の周囲には、幾人かの管理局の男たちが。所謂、お偉いさんというやつだ。
「騎士カリム、このような大事にするなど……」
「私とて不本意ではあります。ですが、貴方の言葉が真実だと認めるわけには……!」
「…何があった?」
ヴェロッサにそっと耳打ちして、状況を説明してもらう。彼はカリムの真正面にいる男を視線で示し、同じく小さな声で返してくる。
「義姉さんが、彼を誘ったと言うんだ」
「見え透いた嘘だな」
「そうなんだけど、生憎と2人の会話を聞いていた者は誰もいなくてね。
かく言う僕も、残念ながら……」
肩を落とすヴェロッサに「それが当たり前だ」と言って、カリムと件の男の前に立つ。
「なんだね、君は?」
「失礼。お互いに言い争っていては平行線です。
このような場で、いつまでも水掛け論を繰り返していても不毛でしかありません。どうか、お引き取り頂けませんか?」
プライドなんてない。膝をつき、ヴィレイサーは男に向かって頭を垂れる。土下座など、容易い行動だ。目を丸くするカリムに対し、しかし男は鼻を鳴らすだけ。
「断る。それではこちらが負い目を丸々請け負ってしまうことになる。
私は騎士カリムに誘われたのだ。だが、いきなり彼女が声を荒らげた故にこの状況になった……それが、私の主張だ。それ以外にはない」
断固として受け入れてはくれないようだ。もう、頭を下げている必要はない。立ち上がり、今度はカリムを見る。
「私は、誘ってなどいません。無理矢理別室に行こうと言われ、手を掴まれたから拒んだだけです!」
「世迷言を仰るとは……聖王教会の騎士とは思えませんな」
「偽りの言の葉を述べる貴殿が言うか!」
「…カリム」
熱くなりかけた彼女を制し、ヴィレイサーは渡したブローチを外して壇上に上がっていく。その間にも、論争はヒートアップしていく。
(カリムには、触れさせない)
恐らくはカリムの肢体が目当てだろう。そんな卑しい屑を生かしておくのは腹立たしいが、好き勝手に人を殺める気はない。
「これ、スピーカーと繋がっているか?」
「あ、はい」
成り行きを見守っていた司会らしき人物に尋ねてから、ヴィレイサーはデバイスを取り出して、ブローチからチップを取り出す。
「私が嘘を言っていると……よもやそう仰るとは。
騎士カリム、貴女はまた随分と強情な方ですね」
「そんな……! 私はただ……」
いつの間にか男には、味方が幾人か増えていた。対してカリムは独り。ヴェロッサも参加したいところだが、無闇に加わっては査察官としての地位を利用していると思われかねない。そうなれば、後々になってカリムの立場が悪くなってしまう可能性だってある。
《いやぁ、綺麗な身体をしていますな、騎士カリム》
「お、出た」
そんな時だった。スピーカーから大音量で卑しい声が聞こえてきたのは。
《騎士カリム、この後お時間ありますか? 2人で、どこか静かな場所で飲み直しませんか》
《ごめんなさい。人を待たせていますし、なによりお酒は飲めないので……》
「なっ…なぁっ!?」
愕然とする男。スピーカーから聞こえてくるそれは、明らかに男が執拗にカリムへ迫っていることを物語っていた。
「…おい、そこの」
名前など知らないし、知っていたとしても呼んでやる気はない。ヴィレイサーは件の男を指さし、壇上から言う。
「騎士カリムにしつこく言い寄った罪は重いぞ」
「ぐっ……!」
他の参加者もいる前で、己が浅はかな行動を晒された男は羞恥で顔を赤く染め、苛立たしげにヴィレイサーを睨む。罪は認めるようだが、指さして反論しようと口をぱくぱくさせている様は滑稽だ。
「きっ、貴様! 騎士カリムに盗聴させていたのか!」
その一言に、場内がざわめいていく。カリムが盗聴器具を身に着けていた──それは、彼女の立場を危うくしてしまう。それは承知しているが、ここで男が悪かったと証明しておかなければ、やはりこれでもカリムは辛い立場に立たされてしまうだろう。
「…騎士カリムは、盗聴器具だったとご存じだったのですか?」
「い、いいえ」
ブローチが盗聴器の役目を担っていたとは思いもしなかった。ヴィレイサーをまじまじと見、しかしいつもと変わらず冷淡な顔つきでいる彼にどこか安心感さえ感抱いてしまった。
「…うるせぇっ!」
怒声。マイクを通じてより強く響いた声に、誰もが一瞬で黙りこくった。
「お前ら、女性を怖がらせた自覚がないのか?
確かに盗聴器を騎士カリムに黙っていた罪は認めよう。だが、それは騎士カリムを守るためだ」
こんな言葉が通じるなど、思っていない。それでも、カリムの立場を悪くしないで済むならどれだけ屈辱だって、惨めだっていい。
「信じるか否かの是非は、貴殿らに任せよう。だが忘れるな」
そこで言葉を切り、ヴィレイサーは再び男を指さす。
「そこの男が騎士カリムへ執拗に迫り、恐怖させた事実を」
全員の視線が、その男へと集められる。顔面蒼白となった彼は、最早何も言えずへなへなとその場に崩れ落ちた。
騒然とする場内。無音だけが支配するそこに、突如として拍手が起こる。
「中々言うじゃないか、彼は」
「あ、貴方は……!」
「レオーネ提督!?」
数度だけ手を叩いた男性は、三提督の1人レオーネ・フィルスその人だった。
「女性を怯えさせるなど、あってはならないことです。
この会場に入れない彼が守るには、あのような行動に出るしかなかったのでしょう。今回は、目を瞑りませんか?」
誰も、何も言わなかった。鶴の一声と言っても過言ではないほどに、鮮烈な声。レオーネはそれ以上何も言わず、ヴィレイサーに1度手を振って踵を返した。
「…騎士カリム、帰りましょう」
「え、えぇ」
ヴィレイサーも、周囲を一顧だにせずカリムの手を引いて歩き出す。
「あっ……!?」
が、慣れないヒールで来たことがいけなかった。カリムは足を縺れさせてしまい、危うく地面に倒れこんでしまいそうになる。
「大事ないか、カリム?」
「あ、ありがとう」
咄嗟のことだったので、ヴィレイサーも敬語ではなく普段の口調に戻った。彼に支えられたことで倒れこむことは防げたが、周囲の目もあって恥ずかしい。
ヴィレイサーはカリムを優しく立ち上がらせると、近くにあった椅子に座らせて素足をそっと撫でる。
「ひゃっ!?」
「慣れないヒールなんて履くからだ」
軽い捻挫だが、大事を取って歩かせない方がいいだろう。でなければ、またシャッハに小言を言われる可能性だってある。
「騎士カリム、ご無礼をお赦しください」
「え? きゃっ!?」
ふわっとした感覚に包み込まれたかと思うと、ヴィレイサーに抱っこされていた。所謂、お姫様抱っこというもので。
「ヴィ、ヴィレイサー、恥ずかしいわ」
「うるさい、黙っていろ」
彼女にだけ聞き取れる声で黙らせると、ヴィレイサーは早々に退散した。彼とて、このような姿を晒せるほどの勇気は抱えていない。
(ヴィレイサー……なんだか、王子様みたい)
子供の頃から、お姫様と王子様が出てくる話は好きだった。最後はハッピーエンドで終わり、幸せになる──そんな当たり前な展開ばかりだったが、嫌いにはなれない。自分もこうだったらいいのにと思う日が多かったからなのだろう。
「カリム、大事ないか?」
「えぇ、ありがとう」
車の前まで運んでもらい、カリムは優しくおろされる。
「…ごめんなさい」
「何がだ?」
夜天の下を走り出してすぐ、カリムが寂しそうに呟いた。
「私、ヴィレイサーに迷惑をかけてばかりでしょ?
だから、謝りたくて……」
今日だってそうだ。彼に守ってもらわなければならない自分が、情けなくて、弱くて、悲しくて……ヴィレイサーに迷惑をかけるしかできないなんて嫌だから、聖王教会の騎士団騎士にまでなったと言うのに。
(全然、変わっていないのね)
涙が頬を伝う。
ヴィレイサーは黙っていたが、ふと小さく呟く。
「…寄り道するぞ」
「え?」
カリムが答えるより先にヴィレイサーは車を右折させ、聖王教会への帰り道から遠ざかっていく。
「どこに寄るの?」
「お前が気に入っていた場所」
「私が……?」
窓の外を、流れるようにして過ぎ去っていく景色。それを眺めてみるが、既に夜の闇が降りた街中でどこに向かっているのか分からない。
「ほら、着いたぞ」
やがて停車すると、ヴィレイサーは再びカリムをお姫様抱っこして星空の下へ連れ出す。夜風が、肌を露出した彼女を包む。
「あ……綺麗」
満点の星空が広がる夜空を見上げ、感嘆の声を上げる。ずっとヴィレイサーに抱えられているのも悪いので、近くにあるベンチに座らせてもらう。外気に晒され続けたそれは冷たかったが、構わず身を預ける。
「お前、ここから見る景色が好きだって前に言っていただろ」
以前、何度か仕事の重圧に耐えられなくなって教会の敷地内から抜け出したことがある。その度にヴィレイサーに見つかっては、彼に連れ戻されるばかりだったが。ただ、連れ戻すのはしばらく街を回った後だ。
「これでも着ていろ」
「あ、ありがとう」
渡されたのは、ヴィレイサーが愛用しているロングコート。カリムの義父が、彼へプレゼントしたものだ。
「そういえば……昔もよくこうして貸してもらっていたわね」
「そうだったかな」
とぼけるのも相変わらずだなぁと思いながら、そんな彼に最も心を許している自分にも気が付いている。
「前はだぼだぼだったのだけれど……今も、少し大きいみたい」
袖口から少しだけ顔を覗かせているのは、白磁のように綺麗な手。ほっそりとした腕と同様に、しなやかな指。毎日仕事ばかりの癖に、それにしては華奢な身体だ。あんな多量な仕事、投げ出してしまいたいと思ったことはないのか不思議だ。
「お前、さっき俺に迷惑をかけているとか言っていたな」
「え? えぇ」
「俺は別に、それでも構わない」
「でも……」
「お前は俺に迷惑をかけ続けろ。それが、お前の為すべきことに繋がるのなら構わん」
「ヴィレイサー……」
「俺に迷惑をかけたくないと言うのなら、騎士なんて辞めちまえ」
「そ、それは……」
そんなこと、できるはずがない。義弟のヴェロッサだけでなく、妹同前のはやての役に立つこともできなくなってしまう。それは嫌だった。
「出来ないだろ、お前には?
だからお前は俺に迷惑をかけていい。それが、お前の為になるんだ」
「…ヴィレイサーは、嫌じゃないの?」
「嫌だとしたら、迷惑をかけろなんて言うはずがないだろ」
会話はそれきりで終わってしまう。カリムは黙ってヴィレイサーの言葉を頭の中で反芻する。ヴィレイサーに迷惑をかけたくはない。だが、ならば騎士を辞めるしか方法がないのも本当だ。
「…身体を冷やしたらシャッハがうるさい。そろそろ帰るぞ」
「ぅん…えぇ」
少し眠たそうに返答するカリム。ヴィレイサーは優しく彼女を抱き抱え、車に乗せてシートベルトをしてやる。まだ聖王教会まで距離があるので、送迎している最中に寝てしまうだろう。
「手間をかけさせてくれる」
声は至って普通。呆れも、恨みもない。カリムの世話にも、慣れたものだ。
「…シャッハ、カリムの着替えを頼む」
《分かりました。他に、何かありますか?》
「ヴェロッサから聞いていると思うが、軽い捻挫をしたぐらいだ。
既に処置はしてあるから、悪化することはないだろう」
《ありがとうございます、ヴィレイサー》
「…いや、悪かったな」
《何故謝るのです?》
「怪我をさせたからな。ヒールを止めさせてやればよかったんだが……」
《致し方ありません。時間もありませんでしたから》
「…愚痴るのは面倒だ。通信はもう終わる」
《気を付けて》
通信を終えて数分後には、聖王教会に到着した。
「カリム」
「ん、ぅん」
軽く揺すってみるが、カリムは眠ってしまっていた。ヴィレイサーは起こしてしまわないよう細心の注意をして、抱き上げる。
「ん…ヴィレイ、サー」
(寝言か)
「ありが、とう」
寝顔に笑みを浮かべるカリムにつられて、ヴィレイサーも微笑した。
◆──────────◆
:あとがき
カリムを守るため──この一心から、例え自分に罪ができようとも構わないヴィレイサー。
前話で僅かに触れましたが、カリムが口にした「傷」がヴィレイサーのこの気持ちをより強くしています。
次回ではそんなヴィレイサーの罪に触れるお話になります。
結構シリアス目に書いたので、重たかったらすみません。
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