2年前の、新暦70年───。
ヴィレイサーがカリムの執事のような立場になって、10年が経過した。彼の齢は15になり、周囲からは自立してはどうかと声をかけられることも多くなった。
「…申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます」
が、回答は総て同じ。断ってばかりいる彼だが、心象が悪くなることは特になかったようだ。
「また断ったの、ヴィレイサー?」
「…カリムか」
声をかけてきた相手を振り返ると、金髪を揺らして微笑みカリムがいた。彼女の服装は、管理局に出向く時の青い理事官服を着ていて、その帰りだと見受けられる。
「ヴィレイサー、どうして仕事に就かないの?」
「別に」
いつも問われてはまともに答えてこなかった問い。ヴィレイサーは立ち話も面倒だと言って、カリムの部屋に向かう。
「ヴィレイサー、何か飲む?」
「いや、いい。カリムこそ、何か飲むか?」
「えっと……じゃあ、紅茶をお願い」
「あぁ」
長らくカリムの世話をしてきたからだろうか。それが今になっても抜けてくれない。だが、ヴィレイサーとしては別段気にすることでもなく、寧ろここまでよく身に着いたものだと自分に関心を寄せるぐらいだ。
「ほら」
「ありがとう。…うん、美味しい」
彼女だけを座らせて、自分はのんびりと壁に背を預けて見守る。いつからか、カリムにお茶を出した後はそれを飲みきるまで傍に居ることが暗黙の了解となっていた。最初はカリムが言い出したことだが、それに従う自分も大概だと思う。
「ねぇ、ヴィレイサー」
「何だ?」
「仕事、まだ探すつもり?」
「俺は探している気はない。ただ、シャッハが次々と勝手に寄越してくるだけだ」
「それはそうよ。シャッハは、貴方のことを心配しているのよ」
「心配される筋合いはない」
「もう、そんなことないでしょう」
溜め息を零し、鞄から書類を取り出す。まだ仕事が残っているのか、それとも確認だけか。どちらにせよ、これからすぐに寝るわけではないらしい。
「俺は、お前の所以外でやっていけるとは思えない」
「じゃあ、ずっと私と一緒に居てくれるの?」
「…まぁ、お前から直々に辞めるよう言われるまでは、な」
「それ、シャッハには話したの?」
「さぁ? 忘れた」
「肝心なことを忘れないで」
ふぅっとカップに息を吹きかけ、まだ熱い紅茶を少しでも冷ます。
「あのね」
「うん?」
「私にも、ヴィレイサーが必要みたいなの。
だから……もう少し、私の世話係を続けてくれない?」
「ん、了解」
カリムの問いに、逡巡せずに了承。それに了承し、彼をじっと見つめていると、ヴィレイサーはチラリと一瞥しただけですぐ視線を外してしまった。それを見逃さなかったカリムは、更に笑んだ。
「シャッハには、私の方から伝えておくわ」
「面倒をかける」
「いいのよ。私も、ヴィレイサーと一緒に居たかったから」
両手を結んでもじもじと言うカリム。それに対して何のコメントもせず、ヴィレイサーは口を閉ざしたまま。
「お前、まだ仕事をするのか?」
「簡単に目を通すだけだから、大丈夫よ」
時刻は既に0時へと差し掛かろうとしている。これから仕事をするなど、ヴィレイサーにとっては嫌としか思えない。それでも、カリムは弱音を吐かずにてきぱきと書類を確認していく。
「あ、もう戻ってくれても平気よ」
「ん」
たった一言だけ返し、しかしその場から一歩も動こうとしない。カリムもそれ以上は何も言わず、また書類に視線を落とした。
「…あ、ありがとう」
「別に」
新しく紅茶を注いでくれたヴィレイサーに謝辞を述べるも、彼は素っ気なく返す。
「あくまでついでだ」
言いながら上げた右手には、ヴィレイサーのカップがある。本当にそれだけのはずがないのは、カリムにも分かっていた。もうカリムの紅茶が切れそうだったから、自らの分を淹れるついでと称しているだけ。
「ヴィレイサーはいつも、優しいわね」
「そんなんじゃない」
そう言って、頑なに認めようとしないところも変わらない。しかし、出逢ったばかりの頃はこれよりもっと素直だった。それが、いつしか距離感を感じさせるようになるほどまでになってしまい、カリムはどこか寂しさを覚える。
「手が止まっているぞ」
「え、えぇ」
ヴィレイサーに指摘されて、また書類を確認する。たまにチラチラとヴィレイサーを見ては、彼と視線が合わさりそうになって慌てて目をそらす。それを繰り返していく内に、柱時計が午前2時を知らせる鐘を鳴らした。
「まだ戻らないの?」
「その内」
それを聞いて、今日もヴィレイサーは仕事が終わるまで傍に居てくれるのだと分かった。先程は距離が開いてしまったと言ったが、それは果たして正しいのかどうかカリムにはよく分からなかった。優しいところは変わらず、素直じゃなくなっただけ。それを理解しているのは自分だけな気がして、ちょっとした優越感も芽生える。
「ヴィレイサー」
「ん?」
「ううん。ちょっと、名前を呼んでみたくなっただけ」
「…あっそ」
特に怒るでもなく、相変わらず冷たく返す。カリムにとっては、名前を呼べただけでも満足なので彼女も気にしない。
「ヴィレイサーは、好きな人とかいないの?」
「人間的な意味で?」
「恋愛感情よ」
「なら、いないな」
「そうなの。もう少し努力すれば、モテそうなのに……勿体ないわ」
「じゃあ、お前が俺をもらってくれよ」
「えっ!?」
突拍子もない提案に、カリムの方が驚いてしまった。本当はヴィレイサーが動じるところが見たかったのに、見事に打ち負かされる。
「む、無理よ。私は聖王に操を立てているのだし……」
「本気で言ったわけじゃない。お前も、本気に受け取るな」
「へ……?」
試されたのだと分かり、カリムは頬を膨らませた。彼はいつも意地悪だ。だが、どうしても嫌いになれなかった。小さい頃からずっと一緒に居たから、色々な面を知っているカリムには、ヴィレイサーの意地悪など些細なことでしかない。
「だが、恋慕ぐらいは抱かせてくれないのか?」
「それくらいなら、いいと思うけど……私も、騎士の端くれだから」
カリムが聖王教会を統べている訳ではないのはヴィレイサーも知っている。彼女はあくまで騎士団の中の1人でしかない。
「でも、やっぱり結婚とかになると……その、政略とかそういうことが絡んでくると思うわ」
「嫌なら、騎士なんてやめちまえ」
「え?」
「ただし、お前がどうしても一緒に居たいと願ってやまない相手を見つけた時だけだからな」
「…えぇ」
「まぁ、俺は騎士でいて欲しいと思う」
「どうして?」
「その方が、お前らしいからな」
「そう、かしら?」
恐らくヴィレイサーの言葉は本心ではない。そこに真意を見出すことは残念ながら厳しいようだが、後でまた聞いていけばいいだろうと思って言及はしない。
「ヴィレイサーも、生き遅れてしまわないよう気を付けてね?」
「年上のお前に言われたくはない」
「そ、そんなに変わらないのよ?」
「それは知っているが、お前が年上だってことも変わらないだろ」
やはりヴィレイサーは意地悪だった。
◆◇◆◇◆
「ん…すぅ……」
「…寝たのか」
午前4時───。
結局、会話などを挟んだせいであれから2時間も要してしまった。その間、ヴィレイサーは眠らずにずっと壁に寄り掛かっていた。
カリムの傍まで歩み寄り、書類を見る。どうやら、最後まで読み切ったようだ。それが汚れてしまわないよう、しっかりと纏めてから机の端に寄せておく。
「おい、そこで寝るな」
「ぅん……」
揺すってみるが、早くもぐっすりのようで中々起きようとしない。
(ったく、手間かけさせやがって)
幸いにしてここはカリムの私室。ベッドも備えらえているのでさっさと寝かせることが出来る。
(こいつ、ちゃんと食べているのか?)
上着を取り、ハンガーにかけてから彼女を抱っこしてベッドに運ぶ。カリムは意外と軽く、特に労することもなかった。だが、華奢な身体ではこれからより多忙になっていく仕事についていけない可能性もある。
(後でシャッハに話しておくか)
ヴィレイサーは最後にカリムの耳元で「おやすみ」と囁いてから、部屋を出た。彼女が仕事を終えるまでの間、ずっと付き添ったのはこれが初めてではない。最初の時はカリムも度々帰った方がいいとか言っていたが、最近ではそんな言葉は1度も出て来なくなった。諦めたのだろう。
「眠い……」
だが、流石に眠くて仕方がない。早々にベッドに入り込むと、ヴィレイサーも目を閉じた。
◆──────────◆
:あとがき
ヴィレイサーは結局カリムの傍を離れず。
彼にとってはそれが当たり前で、寧ろ勝手に離れることの方があり得ないですね(笑)
そんな彼に対して、カリムはもう想いを寄せている訳ですが、くっつくかどうかは……まぁもうお分かり頂けているとは思いますが。
そろそろバレンタインネタを書きたいところですが、相変わらずネタがありませんが。
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