新暦60年の冬───。
ネクスとカリムは出逢った。
火事で焼けた家から逃げ出してきたネクスは、いつの間にかカリムの住まいである屋敷の敷地へと足を踏み入れてしまった。助けを求めようと、窓まで歩んだはいいが、その寸前でネクスは力尽きてしまい、その場に倒れ込んだ。
(死ぬのかな……)
これが、家を焼いた罰だとしたら死んでも仕方がない──そう思っていた矢先のことだ。
「あの……大丈夫ですか?」
カリムが声をかけてくれたのは。
慌てた様子で面を上げると、ネクスの瞳に幼さの残る年上の少女の顔が映った。心配そうに窓から身を乗り出してこちらを見ている。美しく手入れの行き届いた金色の髪に、綺麗に着こなす黒衣。どれも、ネクスにとっては新鮮だった。
思わず目を奪われてしまう。
「私、カリム・グラシア。貴方は?」
問われて、しかしネクスはすぐに返せなかった。家族を殺したのは誰であろう自分だ。そんな奴が、今更親が冠してくれた名を言えるはずもない。子供なのに、ネクスは思慮深かった。悪く言うと、極端な考え方しかできないのだ。
「名前……ない」
「え?」
それだけ呟くと、数人の大人が慌てた様子でカリムの方へと駆け寄ってくる。
「この子を、どうするの?」
「カリム様には関係ありませんよ」
にこやかに言うが、子供の頃から大人ばかり見てきたカリムにはそれが嘘だとすぐに分かった。
「私には、話せないと言うのですか!?」
「そ、それは……」
「お願いします。話を聞いてあげてください」
カリムのその一言のお陰で、ネクスは拷問されずに済んだ。
ネクスはカリムに手を握られ、先頭を歩いて屋敷の中へと戻っていく。後ろを大人たちがついてくるのは、ネクスにも見慣れた光景だった。兄にも、こうして敬意を表する人がいたから。
「…家が火事で焼けてしまって……それで、当てもなく彷徨っていたら、ここに」
椅子に座らされて、素直に総てを話すことに。隠し立てができるほど頭が回るわけでもなければ口が達者なこともない。
「…確認した。どうやら、本当のようだ」
執事らしき男が、幾人かのメイドにそう耳打ちしているのが微かに聞こえた。
「家族は?」
「それが……」
「確か、その家は最近になって名家に上がったから、身内はほとんど……」
「はい」
答える前に、他のメイドが答える。随分と有名なようだ。それと、この家から近いことも関係しているのかもしれない。大人と話すのはかなり怖い。両親以外は──否、両親さえも、兄の方を重要視していたので話す機会など皆無に等しかった。
「ねぇ」
「カリム様、今は口を御慎みください」
「でも……」
「構わん」
「だ、旦那様……!」
「カリム、彼と話してあげなさい」
「いいんですか、お義父様?」
「あぁ」
カリムの父親は彼女の頭を撫でて、連れを伴って出ていく。部屋に残されたカリムは、周囲を見回して何故か溜め息を零した。
「あの……名前、なんだけど……」
「何?」
「私が、つけてあげてもいい?」
「え?」
「ダメ、かな?」
「…いいよ」
「えへへ♪」
ネクスの承諾を聞いて、カリムは満面に笑んだ。すると腕組みをして、「うーん」と唸る。どうやらこれから考えるようだ。
「ヴィレイサー……!」
やがてそう呟いたかと思うと、カリムは笑んで握手のつもりかそっと手を差し出す。
「ヴィレイサー・セウリオン……なんて、どうかな?」
「…うん、いいよ」
正直なところ、どうでもよかった。新しい名前が手に入るのであれば、気にすることはない。だが、どうしてだろうか。
(今の、なんだろう……?)
どうしてだか知らないが、カリムに名前を呼んでもらった時、少し嬉しかった。いや、少しなんかではない。凄く、嬉しかった。ようやく、自分を認めて貰えた気がしたの。今までは感じなかった感情に、ネクス──改め、ヴィレイサーは自然とカリムから目を背ける。
「それでね、ヴィレイサーにいっぱい聞きたいことがあるの」
その様子は、別室に控えていたカリムに順ずるメイドや執事らもモニタリングしていた。予め仕掛けられている監視カメラと盗聴器によって、カリムとヴィレイサーの会話は筒抜けになっている。それを知っているから、カリムは溜め息を零したのだ。
そして、ヴィレイサーとしての人生が始まった。
◆◇◆◇◆
「カリムの世話係として、君には働いてもらう」
「…はい」
「なに、君が子供だと言うことは分かっている。そう構えることはない。
まずは簡単な仕事から覚えてくれたまえ」
「分かりました」
「それと、もう1つ」
「なんでしょうか?」
「カリムは、大人ばかりの世界で育っている。
君は年下だが、彼女と仲良くしてくれると助かる」
「心得ました」
カリムの義父から命ぜられたことを頭の中で反芻しながら、ヴィレイサーは早速カリムの部屋に向かう。
(俺は、どうすればいいのかな……)
この家に引き取られてから、ヴィレイサーは焼けた家と家族のことを考える日が毎日続いた。それは寂しさからか、それとも罪の意識からか。
(両方、だよね)
まだ幼い自分には罪の償い方などよく分からないが、このままではいけない気がした。辞書で調べたが、贖罪が必要だと思う。しかし、その肝心な贖罪の仕方が見いだせない。
「嫌だーっ! 自分で着替えます!」
「カリム様、暴れないでください」
カリムの部屋に向かう中途で、彼女の部屋からそんな声が聞こえてきた。足早に向かい、扉をノックする。
「カリム…様、どうかなさいましたか?」
敬語は慣れない。戸惑いがちに、しかしはきはきとした声で室内に呼びかける。
「あ、ヴィレイサーだ」
「カ、カリム様、その格好のままでは……!」
「ヴィレイサー!」
「カリム様!?」
まだきちっと服を着ていないのか、カリムはキャミソールと下着の姿で部屋から飛び出してきた。驚き、戸惑うヴィレイサーを無視してメイド達がカリムを連れ戻そうと引き戻す。
「カリム様、まだお召替えが済んでいません。お戻りください」
「嫌! ヴィレイサーといっぱいお話ししたいです」
「…カリム様、僕は逃げたりしません。ですから、まずは服を着てください」
「…本当?」
「はい、もちろんです」
愛想笑いなら慣れている。笑むと、カリムも微笑んでくれた。そのまま引き返し、扉が閉まりきるまで「バイバイ」と言いながら手を振っている。ヴィレイサーも片手を挙げて、それに応じた。
「ヴィレイサー、カリム様を説得してくれてありがとう」
「いえ。こんなことしかできなくて、すみません」
「あら、気にすることはないわ」
メイドも、カリムの服を着替えさせるために部屋へと入っていく。室内からはカリムの楽しそうな声が聞こえてきた。なんとなく耳を欹ててしまいそうになったので、ヴィレイサーはそこから離れる。
「やぁ、ヴィレイサー」
「…ヴェロッサ様」
「だから、様を付けるのは止めてくれと言っただろ」
あきれ顔の少年は、ヴェロッサ・アコース。カリムの義弟で、彼女よりもヴィレイサーと歳が近いこともあってよく話しかけてもらっている。彼もカリムと同様に大人ばかりの世界で育ったからなのか、彼自身が既に大人びていた。
「あ、ロッサ」
「義姉さん。今、大丈夫?」
「えぇ。あ、ヴィレイサーも一緒でいい?」
「もちろん」
「じゃあ、3人で遊びましょう♪」
子供の頃は、ずっとこうして遊んでは仕事をそっちのけにしてしまいよく怒られていた。それでも、ヴィレイサーは結局カリムやヴェロッサに従うしかないのだから、何度も遊んだ。もちろん、仕事も必死に盤張りつづけたのでなんとか大目玉を食うことは減ったが。
「さぁ、ヴィレイサー。一緒に遊びましょう♪」
カリムが、自分の手を取ってくれる──それが、とても嬉しかった。それだけで、彼女の傍に居たいと思わされるほどに。
そしてそれは、ずっと変わらないのだと……そう、思っていた。
「…夢、か」
眩しい陽光によって目を覚ますと、隣から可愛らしい声が聞こえてきた。
「…ぅん」
「何でいるんだよ……」
溜め息を零した先には、自分と同様に昼寝をしているカリムの姿があった。先日、木陰で寝ていたのを気持ちいいか聞いてきたが、まさか翌日に試すとは思いもしなかったので、ヴィレイサーは彼女の行動力が無駄な方向に活かされている気がしてならない。
(カリム……)
度々繋いだはずの互いの手は、いつからかまったく繋ぐことがなくなっていた。理由は知らない──と言うよりは、知りたくない。知ったところで自分がどうするのか分からないし、なによりそれはカリムのためにならないだろう。
「眠い……」
二度寝したいところだが、自分も寝ている間にカリムに何かあっては、またシャッハに口煩くお小言を言われるのは間違いない。
(いや、本当は……)
シャッハに怒られるのが嫌なのは、決して嘘ではない。だが、それだけという訳でもないのだ。少なからず、カリムを心配する気持ちはある。それは、ずっと抱いてきた気持ちだ。なのに、カリムに悟られてはいけない気持ちとも言える。
カリムを心配するのは、カリムのことが───。
「あ……ヴィレイ、サー?」
「…何でここで寝ているんだよ、お前は」
「ん、だって、ヴィレイサーが気持ちよく寝ていたんだもの」
「理由になってない」
「そう? つまるところ、私もここで寝たかったの」
満面に笑むカリム。溜め息を零すのは、舌打ちをしてしまわないようにするため。舌打ちすると、いつもしゅんと落ち込んでいるからだ。
(ったく、手間かけさせやがって)
「それに、ここは教会の敷地内だから」
「そうやって過信すると、足元を掬われるぞ」
「その時は、助けてね」
「…気が向いたら、な」
「えぇ、期待しているわ」
信用しきっている彼女の顔が、時折憎い。自分がカリムを本当に守りきれる保証などどこにもないのに、どうしてそんなにも絶対的な信用を寄せてくるのか分からない。聞きたいが、それでいて聞きたくない問いだった。
「期待し過ぎて、裏切られたら傷つくのはお前だぞ」
「そうね。でも、ヴィレイサーは優しいから、大丈夫よ」
また笑む。そんな彼女のことを見ていられなくなり、ヴィレイサーは視線を外した。するとその手にそっと温もりが重ねられる。
「さぁ、ゆっくりできたし、戻りましょう」
「…あぁ」
繋がれたその手は、執務室に戻るまで離されることはなかった。
ちなみに───
「騎士カリム! いったいどこに行っていたのですか!」
───シャッハに明確な行先を伝えていなかったため、2人してかなり怒られてしまった。
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:あとがき
幼い頃は年相応らしさを見せるヴィレイサーとカリム。
今でこそ2人には距離ができてしまいましたが、それも避けては通れない道です。
大人につれて考えなくてはいけないことが増えていきますからね。
この2人がイチャイチャするのは難しいとは思いますが、ヴィクトーリアとシグルドみたく、大人な付き合いを志していけたらと思います。
まぁ甘さは皆無なのですが、それもこの2人の味として楽しんで頂けたら幸いです。
こんな2人からレイスとアインハルトが学べることもあるので、見守っていてください。
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