「ヴィレイサー、お願いがあるの」
カリムの執務が終わったと本人から聞かされて、仕事がなかったのでずっとぐっすり眠っていたヴィレイサーは欠伸を噛み殺しながら通信に出た。通信で起こされた時に、特に苛立ちはなかったものの、出るのに時間がかかった。それで諦めるかと思っていただけに、彼女のしつこさには少々困った。
「内容によるな」
執務室に入るなり頼みごとがあると言ってきたカリムに対し、ヴィレイサーは部屋にある本棚から適当に1冊を選んで取り出し、中をぱらぱらと捲っては面白くないものだと分かると棚に戻す。
「夕食を作って欲しいの」
「んなの、シャッハに任せればいいだろ」
「私は、貴方が作ったものが食べたいのよ」
「…まぁ、喚かれても面倒だ。作ってやる」
「わ、喚いたりなんてしないわ」
「どうだかな? 子供の頃、大事にとっておいたお菓子がないって泣き喚いていただろ」
「それはあくまで子供の頃よ。今はもう、そんなことないわ」
「じゃあ、喚かないなら夕食はシャッハが作るってことで」
「むぅ……意地悪」
子供らしく剥れるカリム。それを横目に一瞥し、彼女もまだまだ子供だなと内心で思うと、ヴィレイサーは小さな笑みを浮かべた。
「…子供だな、お前は」
「そ、そんなことないわ」
指摘されて、すぐ剥れていたことに気が付いて咳払い。今更の行動も指摘しようかと思ったが、これ以上はまた口煩くなるだけなので黙っておく。
「もし……」
「あ?」
「もし、子供らしいとしても、それはヴィレイサーにだけしか見せないわ」
「だから何だ?」
「…なんでもないわ」
ヴィレイサーの素っ気ない反応に、カリムは何度目か分からない溜め息を零す。幼少期からずっと一緒に過ごしてきた。それなりに素っ気なさには慣れてきたと思ったのだが、それでもちょっぴり面白い反応を返してほしいと強請ってしまう。
「それで、何かご所望は?」
「え?」
「献立のリクエストは、あるのか?」
「あ、えっと……脂っこい料理は、ちょっと……」
「運動していないからな、お前は」
「そ、そんなに増えていないわ」
「まぁ、俺にとってはどうでもいい話だ」
少しは元気づけたりしてほしい──そう思っては、彼の性格を憎み切れない自分がいることにも気が付いている。なんだかんだで優しいのだ、彼は。例えそれが自分の自惚れでそう思っているのだとしてもいい。こうして彼が傍に居てくれれば、それで。
「野菜炒めでいいか?」
「えぇ。あ、あともう1つお願いがあるの」
「今度はなんだよ?」
「一緒に、作っていいかしら?」
「…好きにしろ」
「ありがとう」
席を立ち、一緒に調理場まで歩いていく。食事はシャッハが作ってくれることが多いのだが、時間に余裕のある時はカリムやヴィレイサーも作る。シャッハにばかり作らせてしまうのも悪いと思い、一生懸命練習しては、ヴィレイサーに「美味しくない」と言われる日々だった。
「少しは上達しているのだと思うのだけれど……」
「お前は別に、料理なんてできなくてもいいだろ。
俺が首になったら、毎日作ってやる」
「え?」
その一言に、カリムは頬を赤くする。毎日──そこに勘違いしてしまいそうになった自分を慌てて頭を振って頭の隅に追いやる。変な期待など持たないほうがいいことは、彼とずっと過ごしてきてよく分かっている。
「どうした?」
「な、なんでもないわ」
カリムの様子を訝しんだヴィレイサーが、顔を覗き込む。小さい頃から思っていたことだが、彼の目は鋭い。少しはあったはずのあどけなさが、数年前から失せていた。
「そういえば、こうして一緒に料理するのは久しぶりね」
「そうだな」
聖王教会の騎士として正式に決まるまでは、よく一緒に料理をしていた。見習いの騎士だった時もかなり多忙だったが、ヴィレイサーは寝ずに帰りを待ってくれていたこともあった。彼は「暇だったから」といつも同じことを言っていたが、彼だって色々と忙しかったはずだ。シャッハとの戦闘訓練や、カリムの世話係もしてくれていただけに、いったいいつ寝ていたのか気になる。
「包丁は俺が使う」
「いいわよ。これくらい、もう平気だわ」
「調子に乗って怪我でもされたら、俺がシャッハからうるさく言われる。面倒を起こされると迷惑だ」
「…分かったわ」
怪我をして欲しくない──それだけ言ってくれればいいのに、どうにも彼は素直になってくれなかった。どこか影を秘めたまま育った彼に、色々と求めるのもどうかと思うが、できればヴィレイサーには笑っていて欲しかった。
「ねぇ、ヴィレイサー」
「ん?」
「ヴィレイサーは、私のこと……嫌い?」
「なんだ、突然?」
「だって、いつも冷たいし……」
言ってから、カリムは後悔した。こんなことを言ったら、余計にヴィレイサーに嫌われてしまう。それは、嫌だった。
「別に」
「え?」
「嫌いじゃない」
「じゃ、じゃあ……!」
「好きでもないかな」
「…やっぱり、嫌いなんじゃない」
「普通ってだけだ」
「好きか嫌いのどっちかだったら?」
「………」
その問いに、ヴィレイサーは押し黙る。しばし沈黙が続き、カリムは自然と料理の手を止めてしまった。横目に彼をチラリと窺うと、いつもの冷めた表情をしたまま。しかも、自分と違って手を止めない。
「好きだ」
「豪く間があったわね」
「だとしたら?」
「そこは嘘でも、好きだとすぐに言って欲しかったわ」
「嘘で良かったのか」
「…やっぱり、嘘は嫌」
「だろ?」
「だからって、あんなに時間をかけなくても……」
「善処する」
熱したフライパンに油を少量引いていく。そこに豚肉をいれると、すぐに大きな音が響いた。
「来世には、な」
「もう」
これも彼の口癖だった。10年以上一緒に居るのに、未だに彼のことはよく分からない。自分が一番、ヴィレイサーのことを知っていると思っていた自負は、もう数年前の場所に置いてきてしまった。それでも、自分が最も彼を知ろうとしているという必死な気持ちだけは、ずっと抱いたままだ。
◆◇◆◇◆
「いただきます」
「あぁ」
カリムの部屋に料理を運び、彼女は早速夕食を始める。対し、ヴィレイサーは同じ部屋に居ながら何も口にしない。立場を気にしているのだろう。だとしたら、この場に居ないほうがいいのだが、それはカリムにとって寂しいので我儘だが引き止めた。嫌な顔1つせず、適当に本棚を漁っている。
「こないだ貸した本は、どうだったかしら?」
「普通」
「そう? 面白いと思ったのだけれど……」
数日前に貸したのは、恋愛小説だった。彼は「俺には一生縁のないものだな」と言いながらも、カリムが強く薦めたので読んでくれた。内容は、身分違いの2人が恋に落ちると言うもので、ラストでは無事に結ばれてハッピーエンドを迎える。
「お前も、ああいうのに憧れているのか?」
「さぁ、どうかしら?」
たまにはヴィレイサーのようにはぐらかしてみるのもいいかもしれない。彼のことだから、会話を続ける気はないと思うが、試しにはぐらかす。
「…聖王に操を立てたんだ。異恋なんて、赦されないだろ」
(珍しく食いついたわね)
意外だった。ヴィレイサーは、この手の話にはまったく口を出さないと思っていただけに、思わず声を上げて驚きそうになってしまう。それを必死に耐え、コホンと1つ咳払い。
「だとしても、誰かに恋慕を抱いてしまうのは人間として仕方のないことだわ」
「それを本気で言っているとしたら、お前はここに居られないだろ」
「…そうね」
幼少期から、こうなることを絶対として育てられたわけではないが、いつしか聖王教会に順ずることが当たり前になっていた。その間、誰にも恋をしたことがないと言えば、もちろん嘘だ。
「…なんだ?」
「へ?」
「さっきから俺をずっと見ていないか?」
「そ、そんなことないわ」
慌てて視線を外すが、その先には手鏡が。そこには、仄かに頬を赤くしている自分がはっきりと映っていた。
「ヴィレイサーは、どういう恋愛がしたいとかあるの?」
「俺? 俺は……別に」
予想していた回答だっただけに、カリムは少し残念そうに肩を落とす。彼らしいとは思うが、知らないで終わってしまうことが多すぎる。
「ヴィレイサー、もっと貴方のこと……知りたいわ」
「知ってどうする」
「だって、もう10年以上の付き合いなのよ? 子供の頃より、なんだか遠くに行ってしまった気がするの」
「それでも問題ないだろ」
「私は……!」
「失礼します」
反論しようと立ち上がった時、扉がノックされた。声の主はシャッハだ。
「ど、どうぞ」
「夜分にすみません、騎士カリム」
「いいえ。用件は何かしら?」
「明後日に、騎士カリムにお会いしたいと言う方が……」
「え?」
「それが、本局の方のようでして……」
「分かったわ。お通しして」
「はい」
シャッハは頭を下げると、早々に出て行った。その寸前にチラリとヴィレイサーを見たが、怒っている様子ではないようだ。
「局の人間が、何の用だか」
「…もしかしたら、新しく設立する部隊の件かもしれないわ」
「どうしてそれをお前と話す?」
「それは、明日貴方にも詳細を話すわ」
「そうか。…俺はもう戻る。邪魔になっても悪いしな」
「えぇ。おやすみ、ヴィレイサー」
「あぁ」
今日は何の本も借りずに、部屋を出て行こうとする。しかし、扉の前に立ったところで彼の足が止まった。
「…カリム」
「何?」
「…まぁ、無理はするなよ」
「…ありがとう、ヴィレイサー」
「別に」
閉められた扉の向こうから聞こえてくる足音が、次第に小さくなっていく。それが聞こえ続けるまで、カリムはずっと笑みを浮かべていた。
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