From:フィル・グリード
To:レイス・レジサイド
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何を書いたら、か。まぁ、俺もそれは思ったよ。
たわいないことでも大丈夫だから、気にせず送ってくれて構わないから。
自壊魔法のことも、しばらくだけでも同意してくれるんだな。ありがとう。
殺意は確かにあっさりと芽生えるな。俺も、相手を殺したいほど憎んだことがあるから。
けど、レイスはちゃんとわかっているじゃないか。それを実行するのとは違うって。
だから、大丈夫だ。俺はそう信じている。
薄暗い部屋からふらふらとした足取りで出ていくレイス。レジサイドの実家があるここで、今夜も記憶の植え付けが行われていた。それからようやく解放されたのだが、いつまでもここに留まっていると煙たがれるので、必死に重たい身体に鞭を打って家を出ていく。
同じ家の人間だとしても、レイスは最初の頃から王殺しに対して反感を抱いていた。それだけに、周囲からは白い目で見られてしまうのだ。唯一の味方は、愛機のペイルライダーだけ。それでも、彼女さえいてくれれば安心できる。
《マスター、せめてどこかで休まれた方が……!》
「大丈夫、です……ペイルライダーの、メンテナンスもしないと……」
夜道を小さな歩幅で歩いていく。レイスが住んでいる家は、実家からそれなりに離れている。電車を使って帰宅すべきなのだろうが、流石に夜遅い時間だと怪しまれる可能性があるので、こうして徒歩で帰宅するしかない。
(それにしても、まさかストラトスさんが覇王を名乗っていたなんて……)
互いに被害届を出されていなかったので鉢合わせることも相手を知る機会もなかったのだが、レイスは少し前に挑んだ相手が自分を覇王だと勘違いしたのをきっかけに知った。その後は何度か名のある者を見張って、昨日ようやく覇王の存在を目の当たりにできたのだ。しかし、まさかそれがクラスメートが大人の姿になっていたとは思いもよらず、流石に動揺を隠せなかったが。
自分も幼い頃から似たようなことをしてきたが、自分の場合は修行のためだったこともあり、最初は覇王を名乗っている者がいると言う話を耳にした時は同じ目的なのかと思っていた。しかし、昨日の話を聞く限りそれはないようだ。
(強さを証明するため……けど、今のままでは強さなんて証明できるはずがないでしょうね)
あの赤毛の女性、ノーヴェとの戦い方を見る限り、一撃の強さを見誤っていたと思う。なにより彼女の蹴りを受けきった時のやり方は明らかにアインハルトには似つかわしくなかった。
(今のままだと、いずれ彼女は……)
どこか危なげなように思えるのは、きっと同じように記憶に縛られているからなのかもしれない。だが、自分のことを棚に上げてまで彼女を気にする資格があるのか。レイスは、迷いを捨てられなかった。
王殺しの末裔たる自分が、アインハルトと一緒に過ごそうとすれば必然的に殺意を抱いてしまうに違いない。それを御しきれなければ、自分は本当に殺してしまうだろう。
(っ!)
その不安に、急に身体に力がこもり、震えはじめる。
《Master!》
「あ……ペイルライダー」
主の異常に気付いたペイルライダーが、すぐさま声を上げて現実に引き戻した。弱々しい笑みを浮かべ、愛機をそっと握る。
「ありがとうございます、ペイルライダー」
少しだけ普段の歩みに戻ったレイスは、家路を急いだ。
◆◇◆◇◆
翌日───。
レイスは移動教室から戻る中、今日はアインハルトが登校してきていないことに安堵しつつ、多少不安を抱えていた。
(流石に、被害届を出していますよね……)
昨晩、ファントムとして襲撃しただけあって、恐らく被害届を出していることだろう。ともすれば、今日は家に籠っている可能性もある。最初は確かに殺意をもって一撃を放ったが、その後は必死に彼女に怪我がないように動いたつもりだ。それでも恐怖を与えてしまったのは間違いない。
「…あれ?」
だが、下足箱のところまで来て、レイスはふと足を止める。ちょうど下足箱で靴をはき替えているアインハルトの姿を見かける。同行していた友人らに先に教室へ戻ってもらうよう言い、彼女に駆け寄る。
「ストラトスさん」
「レジサイドさん。移動教室からの帰りですか?」
「えぇ。それにしても、途中からなんて珍しいですね」
「少し、体調が優れなかったので……病院に行ってから来たんです」
「そうでしたか」
アインハルトが靴を履き替え終えたので、共に教室へ向かって歩いていく。
「そこまで悪いわけではないので、こうして途中から」
「そうでしたか。ですが、あまり無理なさらないでくださいね」
「そうですね。
あ、あの……1つ、よろしいですか?」
「…はい?」
何を聞かれるのか──レイスは緊張した面持ちでアインハルトを振り返った。だが、何故か彼女の頬が僅かに赤い。いったいどうしたのかと聞こうとした矢先、「なんでもないです」と言われたので、結局真意を聞くことはできなかった。
レイスは講義が始まる直前、なんとはなしに携帯電話を開く。そしてメールボックスを確認し、そこに残されているフィルとのメールをまた確認した。
彼が死しても、結局これらを削除する気にはなれずにずっと残っている。消さないのか、はたまた消せないのか。
(後者、ですよね)
彼がくれた言葉は今も鮮明に残っており、レイスを律してくれているのかもしれない。だがそれは、フィルの言葉に縛られているともいえる。いつか本当に、自分が自立できる日が来るのか──それは、誰にもわからなかった。
(……ストラトスさん?)
ふと隣の席に座る彼女を見ると、落胆している様子が見えた。何か忘れ物でもしたのかもしれないが、レイスとしてはしばらく彼女にかかわることを止めようと決める。
(そう、ですよね……関わっても、何もいいことなどないでしょうし。
その方がお互いのために違いないはずです)
レイスは彼女から視線を外し、授業に集中した。
◆◇◆◇◆
やがて全ての授業を終えて、各々が帰宅の準備を進めていく。レイスも早々に帰宅しようかと思ったが、何気なく隣で同じように鞄の中に教科書類をしまうアインハルトを見る。
(授業に身が入らないなんて……)
だが、ファントムとして襲撃したこともあってアインハルトの動向がどうにも気になってしまう。そのせいで授業に身が入らなかった。
とにかく、今は忘れよう──そう思って鞄を手に欠けた時だった。
「はぁ……」
アインハルトにしては珍しく、弱々しい溜め息を零していた。これ見よがしに──そう言った感じではなかったが、やはり聞いた方がいいと思い、廊下に出てきたところで声をかけることに。
「どうかなさったのですか?」
「レジサイドさん……」
「今日は元気がないように思いましたが、何かありましたか?」
「い、いえ。そんなことは。
これから大事な用があるので、緊張してしまって……」
「そういうことでしたか。
でしたら、呼び止めてしてしまってすみません」
「いえ。ありがとうございます」
レイスに頭を下げ、アインハルトは先に下足箱へ向かった。それを見送り、最後に教室を出るので鍵をかけてから出ていく。職員室によって、件の鍵を返却してからレイスも靴を履きかえて正門を出た。
(あれ? あれは……)
だが、何気なく正門の向こうに見えた人影に気付き、じっと見やる。ちょうどアインハルトが男性にバイクに乗るためのヘルメットを渡されていた所だった。
(そういえば、今日は何か用があるとか言っていましたね)
内容までは分からないが、昨日の夜のことを思い出して次第に予想を付けて行く。
ノーヴェとの戦闘の後、アインハルトの後をつけることはしなかったが、恐らくあの様子では途中で倒れてしまった可能性が高い。そして今日、遅刻してきたことを考えると聴取か厳重注意でも受けていたのだろう。
(もしかしたら、彼は……)
アインハルトは、ノーヴェが聖王と炎王の所在を知っていると言っていた。しかも他を当たるとも。つまり彼女はある程度行方に見当がついていると推測できる。その所在を知るかもしれない人物──それが、今アインハルトが会っている男性なのかもしれない。
じっと2人の動向を見ていると、ふと男性の方がこちらに気がついた。レイスは慌てて視線を逸らし、バイクが向いてるのとは逆の方向に歩き出す。
(追跡は無理ですね)
最初からその気はなかったが、やはり気がかりだ。
(っ! あ、頭が……!)
いや、気掛かりだったのはレイス自身ではなく、彼に植え付けられた記憶の方だろう。
聖王や炎王のことを思い浮かべたせいなのか、急激に頭痛がひどくなっていく。痛みに顔を顰め、ふらふらと壁に寄り掛かる。帰宅を急ぐ生徒が何事かとこちらを見やるが、誰も声をかけてこない。
(寧ろ、その方がありがたいですが……)
王に裏切られた。
王の命によって家族を失った。
王の侵攻のせいで国を追われた。
様々な恨みつらみが、騒がしい怨嗟となってレイスを頭の中から襲う。
(…あぁっ、鬱陶しい……!)
苛立たしげに舌打ちし、懸命に記憶をねじ伏せる。この身体は誰であろう自分のものだ。誰にも渡さない。それが例え王への強い恨みであろうと。
(奪われるくらいなら……自分で、壊します)
もう彼は──フィルはいないのだ。ならば迷わず自壊魔法を使って死んでしまえばいい。そう思っているのに、何故か今もこうして生きている。それはきっと、“彼女”のせいなのだろう。
(……落ち着いてきたようですね)
怨嗟が鳴りを潜め、重たかった身体も次第に軽さを取り戻していく。周囲にはもうあまり生徒の姿もないので、どうやら気を遣わなくても大丈夫そうだ。立ち上がり、家路をのんびりと歩いていく。その道中、次第に散り始めた桜を見て、ふと思い出す。
今から2年前のことだ。あの時も桜が陽光に照らされていて、その可憐な姿を見せていたが、レイスには儚いようにしか見えなかった。
この頃、フィルが亡くなったことを少しばかし引き摺っていたと言うのもあるのだろう。記憶を植え付けられ、それに浸食されていく自分が怖くて、誰に対しても本当の自分を見せたことなんて1度もなかった。それほどまでに追いつめられていたレイスは、その日もいつもと変わらず放課後になっても誰かと話すこともせず、学園内にある大きな桜の木の下でのんびりと過ごしていた。
ずっと変わらない、形だけの関係。変わっていくのは、自分が王殺しためにしか生きていけなくなると言うことだけだ。きっと、その時の苦しさが顔に出ていたのかもしれない。だから、“彼女”が心配そうに声をかけてくれたのだろう。
『大丈夫ですか?』
桜の木にもたれかかっていたこともあって、“彼女”は心配そうにレイスを見、そっと手を差し出してくれた。だが、彼はそれを握ることはせず、ただ消え入りそうな声で『大丈夫です』とだけ返す。
すると彼女は何を思ったのか、レイスの隣に座り彼の手をそっと握る。
『何を……?』
『こんなにも震えていて……大丈夫なはずがありません』
『あ……』
そう言われて、初めて気がついた。自分はいつからか、震えていたようだ。そんなことにすら気づけないなんて、よほど自分は間抜けのようだ。
『何か、あったのですか?』
『……いえ、何も』
記憶のことを話すことも、自分が自分ではなくなっていくことも話せない。レイスはただ、“彼女”に申し訳なさそうにするしかできなかった。
『そうですか……では、貴方がいつか信頼できる方に出会えたら、話せるといいですね』
『信頼できる方、ですか……』
『えぇ。私のこの左手が、いつか貴方の想う方に繋がれますように……そうしたら、私がその人の手を握り、貴方と繋いで見せます』
“彼女”はレイスの手を握る右手をそっとあげ、そして左手を彼方へ向けながら静かに微笑む。その姿は、舞い散る花弁と相まってとても美しかった。レイスは思わず見惚れてしまうが、放課後を証明する2度目の学校の鐘が鳴らされ、2人は手を放した。
『では、私はこれで』
『あ、あの……名前を聞いても、いいですか?』
立ち去ろうとする“彼女”を慌てて呼び止めて、それだけ言う。本来であれば自分から名乗るべきなのだろうが、妙に緊張してしまってそれすら忘れてしまった。
ややあって、“彼女”は振り返る。碧銀のツインテールが、その優しさと温もりを象徴するようにして揺れ動いた。
『アインハルトと言います。アインハルト・ストラトスです』
From:レイス・レジサイド
To:フィル・グリード
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分かりました。気が向いたら、メールします。
あまり、信じないでください。
グリードさんは僕を美化しすぎですよ。
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:あとがき
レイスに主眼を置いた話、如何でしたか?
文頭と文末にフィルくんとのメールのやりとりがありますが、ちょこちょことやっていく予定です。
この時のレイスは極力アインハルトとの関わりを避けています。そうすることが互いにとって1番だからと言うのが理由ですね。
次回は本編に戻ってコロナとの話になります。
ちなみに次に裏話を書くなら11話になりますね。お楽しみに。
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