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小説
Episode 34 家族のために











「ぐっ、はぁ……!」


 手合わせをしていた相手に吹っ飛ばされ、ごろごろと床を転がる少年。彼の前にいた男性は、溜め息を零すと自らが纏っていたバリアジャケットを解除する。

 ふらつきながらも、少年──シグルドは立ち上がる。口を切ったのか僅かに出血はあるが、腕で適当に拭うと相手に頭を下げた。


「手合わせ、ありがとうございました」

「シグルド、よくここまで耐えた。
 しかしまだまだお前には頑張ってもらわねばならない。理由は、分かっているな?」

「…無論です」


 男は申し訳なさそうに目を伏せるが、シグルドはそれに対して気づきながらも何も言わずに疲労しきった身体をなんとか立たせて部屋を出て行った。

 シグルド・エレミア──古代ベルカの黒のエレミアの後継者たる彼だが、受け継いだのはほとんどない。うっすらとしか思い出せない記憶に加え、未熟な戦闘技術。だのに、己に不釣り合いなほど強大な力も共に持ってしまった。そのせいで常に自分を強くしようと必死に修行に身を投じているのだが、そう簡単に強くなれるはずもなく、下手をすれば命すら落としかねないほど危険な修行にすら手を出してしまっている。

 彼がそこまで修行にのめり込むにはいくつか理由がある。

 1つは、自分が受け継いでしまった強すぎる力を制御するため。本来であれば鉄腕と謳われるエレミアが代々受け継ぎし力なのだが、シグルドはそれが両腕だけでなく両足にも装備されており、なおかつ鉄腕以上の力を誇るため、鋼腕と称されている。他のエレミアよりも鉄腕が2倍分あると言って過言はないだろう。

 そしてもう1つの理由は───


「兄やん!」

「…ジークリンデ」


 ───自分目掛けて駆け寄ってきた妹の姿に、シグルドは顔を顰めた。


「兄やん、怪我してる……」

「気にすることはない。誰だって怪我はするものだ」

「せやけど……」

「気にするなと言っている!」

「あっ……ご、ごめんなさい」


 つい声を荒らげてしまう。妹──ジークリンデは小さな身体を強張らせ、更に小さく縮こまってしまった。


「…部屋に戻る」

「で、でも……もうすぐ夕飯ができるって……」

「いらぬと伝えておけ」

「…う、うん」


 シグルドは部屋に戻ると、ベッドに仰向けに寝転がった。

 ジークリンデ・エレミアは、自分より10歳も年下の妹だ。自分が不出来な息子だったばかりに、改めて妹を産んだと言うわけではないのだが、幼い頃はそんな風に捉えてしまった節がある。そしてなにより、彼女は周りが望んだ形を体現している。ジークリンデの方が記憶も戦闘技術もしっかりと受け継ぎ、それに見合っただけの努力と才能がある。対してシグルドは、比べられることはなくとも自ら兄妹としての差を意識してしまっていた。


「くっ……」


 なにより、ジークリンデとシグルドは仲が良くなかった。いつも自分を慕う彼女が苦手なのもあるが、いくら邪険にしても翌日には笑顔になってまた声をかけてくる。正直、自分よりも優秀なだけに鬱陶しい。


(…問題があるのは俺の方だ。エレミアの人間でありながら、随分と情けないものだ)


 このままではいけないと分かっていながらも、シグルドはジークリンデに対して距離を置き続けた。どうせ、いずれは“どちらかがこの家から出て行かなくてはならない”のだから、このままでも構わないだろう。


(少し、走ってくるか)


 30分ほど身体を休めてから、シグルドはジャージに着替えて外へ出ていく。いつもなら夕食を取っている時間帯だが、今は食欲もない。体調などを考えると、少しでも食べておいた方がいいのは分かっているのだが、なによりジークリンデと顔を合わせるのが嫌だった。どうせ向こうも同じ気持ちなのだから、別段構わないだろう。

 慣れ親しんだコースをしばらく走り続けると、やがて道が悪くなってくる。それでもシグルドはスピードを緩めずに駆け抜けていく。でこぼこした道はその歩みを乱そうとするが、シグルドにとっては些細なことだ。たまにバランを崩そうとも、手をついてすぐに体勢を立て直す。やがて段差が増えると、今度は跳躍して木に掴まってから身体を揺らしてさらに先へと飛び降りる。

 身体能力だけ見れば、ジークリンデと並んでいるし、応用力は彼の方が上だ。ただしそれは戦い方に置いてみると、ジークリンデの場合は技に応用でき、シグルドの場合はスタイルに応用が利くことになる。彼の場合、公式試合などただの平地では様々な戦い方をすることができない。木に掴まったり、或いは岩を放り投げたりなどその場にある多くのものを活かすのがシグルドの戦い方だ。何もなければ自分で壊して作り出せばいいだけなのだが、残念ながらそこまで力が彼にはない。


「…ん?」


 ふと、その歩みがゆっくりしたものになる。近くですすり泣く声が聞こえてきた。その声の主はまだ幼い少女のようだ。


(まさか……!)


 ここからしばらく先に進むと魔法生物が生息している区域に出てしまう。本来であれば立ち入り禁止になっているし、エレミアの家も普段は結界を張っているのだが、こんな時間にわざわざ出向く者はいないと思って警備が手薄になっている時がある。シグルドは急いでその入り口に向かうと、膝を抱えて座り込んでいるジークリンデの姿があった。一先ず大きな怪我は負っていないようで安心する。


「ジークリンデ!」

「あ、兄やん!」


 余程心細かったのか、シグルドの声を聞いてぱっと笑顔になったジークリンデは、ひざを擦りむいていることも忘れて立ち上がった。だが、その背後で怪しく光る赤い光が2つ見えた瞬間、シグルドは咄嗟に呟いた。


「…ツェアシュテールングス」


 鉄腕と解放したシグルドは、その力を存分に使って一気に距離を詰めると、ジークリンデと魔法生物の間に割って入った。


「下がっていろ!」

「兄やん……でも!」


 暗がりからゆっくりと姿を現した魔法生物は、四足で歩く獣の類だった。だが、そこらの肉食動物と一緒にできるほど可愛いものではない。なにより、シグルドは今危うい状態にあった。


(まずい……力が、御せぬ……!)


 強引に鉄腕を解放したせいで、シグルドの意思に反して力が膨れ上がっていく。ガイスト・ツェアシュテールングスと名付けられたそれは、両手と両足に甲を装備した状態で敵を殲滅するのだが、シグルドには過ぎた力だった。


(しかし、退くことは出来ぬ!)


 唸り声をあげて威嚇する魔法生物に目を付けられた以上、この場を退くことはできないだろう。下手をすれば、結界内にまで入り込んでくる可能性もある。ここで潰すしかない。

 先にシグルドが仕掛ける。魔力弾を顔面に飛ばし、怯んだ隙に距離を詰める。横につくと、脇を思い切り殴打し、そこから更に畳み掛けた。


(やはり堅いか)


 だが、そのしっかりとした身体はシグルドの強化された拳すらもあまり通さない。こちらに目を付けたので、ジークリンデが巻き込まれることはなさそうで一先ず安心する。


(…なんだかんだで、俺は愚妹に甘いのか)


 親友のエドガーとヴィクトーリアが言っていた。妹に冷たく接してしまうのは、家の掟のせいであって自身の性格がそうさせるのではないと。最初は信じていなかったが、どうやら2人の言う通りのようだ。


「くっ! しまった……!」


 だが、シグルドの気持ちとは裏腹に、彼の解放した鉄腕はその力を次第に失い始めていく。僅かな気の緩みや高揚が逆に力をより強く放出してしまったり、徐々に力を失ってしまったりするのが、彼がまだまだ未熟たる所以だった。

 その一瞬の隙を突き、魔法生物がシグルドへと肉薄した。咄嗟に身をかがめれば躱せたのだろうが、シグルドはそれすらできなかった。鉄腕に、力が吸われているせいで身体が異常に重たくなり、身動きが取れない。


「させへん!」


 だが、そんなシグルドを助けたのは先ほどまで泣きべそをかいていたジークリンデだった。彼女はシグルドの前に立つと、魔力弾をありったけぶつけて飛び掛かってきた魔法生物の飛距離を強引に縮める。そして着地する寸前に真下に入り込むと、その土手っ腹に向かって自分もジャンプして拳を叩き込んだ。着地と跳躍の相反する力だったが、制したのはジークリンデの方だった。


「ブレイブナックル!」


 思い切りの良い一撃をくらった魔法生物は、そのまま横たわってしまった。ジークリンデは相手の沈黙を確認すると、すぐシグルドに歩み寄る。心配そうに覗きこむ彼女だったが、シグルドが両手を伸ばしその肩を思い切り掴んだ。


「愚か者! 何故言う通りに逃げることをしなかった!」


 びくっと身体が強張ったのが、掴んだ肩から伝わってくる。それでも構わず、シグルドは彼女を叱責した。


「ジークリンデ!」

「だ、だって……兄やんを置いてなんて行けへんもん!
 兄やんのこと、大好きなんやから!」

「たわけ! それで己の身を危険にさらすか!」

「それでも! 兄やんが死んじゃうの嫌や!」

「……ジークリンデ」

「兄やんは、大切な家族なんやからぁ……」


 泣きじゃくるジークリンデを見て、ようやく分かった。いずれはどちらかが家を出なければならないからと冷たくあたっていただけに、彼女が家族として慕ってくれることに目を背けていることが当たり前になっていた。だからこそ、こんなにも当たり前のことに気付けなかったのだ。

 ジークリンデはまだ子供なのだ。エレミアの子孫だとか、そんなことは関係ないただの女の子。自分は後継者と言う重荷に拘り続けたことで、ジークリンデのことを見てやれなかった。


「…そうだったな。俺たちは、兄妹だ」


 そんな当たり前のことすら、忘れてしまっていたなんて──シグルドはジークリンデを優しく抱き締め、微笑した。





◆◇◆◇◆





「シグルド……イザヤが遂に口出しをしてきた。
 分かっているな?」

「…はい」


 重々しい空気の中、紡がれた言葉にシグルドは静かに頷いた。イザヤとは、エレミアの家の分家にあたる。以前は共に切磋琢磨し合う仲だった聞いていたが、いつからかその関係は崩れ、優れた武術家を何人も携えるエレミアの家に執着してきている。そして強引に取り決められた掟の中に、【兄妹が誕生した際は片方を分家に寄越す】と言ったものがあるのだが、ジークリンデとシグルドが兄妹と言うことでどちらかを寄越せと言ってきたのだ。

 こんな掟、間違っている──誰もが口をそろえて言うかもしれないが、別にイザヤが強引に結んできたわけでも、エレミアが口車に乗せられたわけでもない。遠い昔、古代ベルカの時代には既に執り成されていたことだ。戦乱の時代にあった古代ベルカの折、互いの家では子孫を次代に残すべく様々なことを協力してきた。この【2人以上の兄弟が誕生した際は相手の家に養子として明け渡す】と言う掟も、その名残だ。だが、時代の流れと共にエレミアの家はその古い掟を捨て去り、対してイザヤは掟を遺すことを選んだ。つまり、革新派と保守派の争いのようなものだ。こんなことで争うなど醜いことでしかないことは明白で、互いに譲歩しようと模索していく中、いくらかの掟を結んだままにすることで合意した。結局、エレミアは戦に巻き込まれて死んでいく自分たちの子孫を目の当たりにすることで、改めてこの掟に固執し、結ばざるを得なくなったらしい。


「我らとしては、お前たちは2人とも大切な家族だ。差し出す気はない。
 だが……古いとは言え、取決めを破ることは出来ぬ」

「熟知しております。
 が、しかし……ジークリンデは、まだ幼くあります。イザヤでやっていけるとは、とても」

「違いない。そうなると……シグルド、お前に白羽の矢が立つぞ?」

「致し方ありませぬ」

「…ともかく、まだ時間はある。何か方法を模索しよう」

「では」


 シグルドが部屋を出ると、すぐそこでジークリンデが待っていた。ずっとそこに突っ立っていたのか、シグルドに駆け寄ると抱き着いてくる。


「兄やん♪」

「ずっとここにいたのか?」

「うん」

「やれやれ……ちゃんと力を御せぬようにならねば、何れ恐ろしいことに見舞われるぞ」

「えへへ。その時は兄やんが助けてくれるよね?」


 満面の笑みで問うてくるジークリンデに、しかしシグルドはすぐに答えられなかった。イザヤからの強引な掟を押し付けられたとは言え、これには従わざるを得ない。つまり、いつまでも傍に居て守ってやることはできないのだ。だから───。


「ジークリンデ」


 シグルドは、膝をついて幼い彼女に優しく言い聞かせる。


「いつまでも、俺に守られていてはならぬ」

「え?」

「いつか、お前自身が自分を守らねばならぬ日が来よう。きっとその時、俺はお前の傍にはいないはずだ。
 だから、少しずつでも良い。強くなれ、ジークリンデ」

「兄やん……どこか、遠くに行くん?」

「何れは、な」

「そ、そんなの嫌や! 兄やんが行くなら、ウチも一緒がええ!」

「我儘言うな。
 だが、1つだけ約束しよう。お前が本当に、心の底から俺を必要とする時、どれだけ離れていようと、お前の前に馳せ参じよう」

「本当に?」

「あぁ、約束だ。お前が怖いと思ったのならば傍に居、お前が負けそうになった時は助けよう」

「……分かった。ウチも、兄やんを助けられるようもっともっと強くなる!」


 それからジークリンデは、自らを更に強くしようと修行に邁進した。そうすればそうしていくだけ、シグルドがこの家から出ていく可能性は高くなることを知らぬまま。

 シグルドは別に、寂しくはなかった。ただ妹の傍に居て、支えてやれないのが少し残念ではあったが、自分を律することでその気持ちすら押しつぶして強くあろうと努力し続けることに専念した。

 その頃から、シグルドは友人のヴィクトーリアとエドガーに妹のことを話し始め、更には自分がイザヤの家に行く可能性を挙げては妹の面倒を頼んだ。あの2人ほど信頼でき、頼りになる者はいない。

 そして、ジークリンデが修行に励んでから3ヵ月が経過したある日、唐突にそれは訪れた。


「ジークリンデ」

「あ、兄やん」

「…今日は、互いに手合わせをする約束だったな。
 今までの成果を見るためでもある。全力で来い」

「うん♪」


 修行している光景を見たことはなかったのだが、話によれば相当な手練れになれる才能があるらしい。やはり、ジークリンデは才能に恵まれている。だが、だからと言って努力を怠るような性格ではない。だが、まだ鉄腕の解放はできても殱撃(ガイスト)の使用には至っていないらしい。家ではエレミアの神髄モードと単純に呼んでいるが、その力は未知数だと言える。ジークリンデも、まだその神髄を発揮していないとのことなので、今後才能が開花するかもしれない──と思っていたが、シグルドはその考えが甘かったことを、妹との最初で最後の模擬戦で知ることとなる。


「行くぞ」


 互いに黒を基調としたバリアジャケットを展開し、構える。ギムナジウムには自分たち2人しかおらず、見物人は別の場所にいる。頑丈な造りになっているので互いに全力で動いても問題はないだろう。


「参る!」


 シグルドが走り出すと同時に、ジークリンデがぎゅっと拳を握りしめる。どうやらその場から動かず、一手目を受けきるつもりのようだ。途中で跳躍し、身を捻って回し蹴りを見舞うシグルド。そしてジークリンデは、予想通りその場で受け止めた。そして足を掴むと、膝上に腕を絡めて放り投げた。


(やはり、才能と努力の賜物だな)


 1つの動作にはまだまだ無駄があるものの、それも磨いていけばしっかりとしたものになるだろう。シグルドはジークリンデの今後に期待しつつ、くるっと空中で体勢を立て直して壁に足を着き、そこから再び蹴りをすべく壁を蹴ってジークリンデへ肉薄する。


(兄やん、凄い!)


 先程の一撃も、受けきるので手一杯だった。シグルドであれば、もっと早くに投げ飛ばすことができたに違いない。ジークリンデは、自分が兄よりも優れているとは思っていない。確かに自分には才能があるが、それを活かしきるだけの身体にまだ仕上がっていないのだ。


「はあっ!」


 蹴り込んできたシグルドを後方に宙返りして躱し、着地と同時に走り出す。それは相手も同じで、ジークリンデとシグルドは互いの拳を真正面からぶつけ合った。衝撃が部屋全体に響き、僅かに振動する。そして2人とも、次なる一手は同じだった。瞬時に魔力弾を生成し、互いに射出する。次々と互いの魔力弾がぶつかっては、相殺したせいで煙が巻き起こっていく。

 そこから先に抜け出したのはジークリンデだった。それを見透かしたかのように、残った魔力弾が迫ってくる。だが、ジークリンデは後ろに下がりながらもその魔力弾からは目を離さない。そしてある程度距離を取ったところで構えると、迫りくる魔力弾を手甲で弾いた。


「せいっ!」


 そのタイミングでシグルドがあっという間にジークリンデの背後へ回り込み、肉薄する。振り返るざまに裏拳を見舞うが、シグルドはそれを受け流すと、その腕を掴んで自分の方へ引き寄せる。そして腹部を狙って拳を突き出すが、ジークリンデは足を前に持ってきて、膝と肘をくっつけてガードする。


「…甘い!」

「きゃっ!?」


 ガードの上から突き破るのではなく、疎かになった足元を狙って身体を支えている方の脚を払った。そのままジークリンデを押し倒し、再び拳を繰り出す。


「まだっ!」


 前は修行で怪我をするたびに泣いていたくせに、今は諦めが悪くなった。だが、そうでなくては困る。今回は互いに手加減をしないことになっている。今更泣きべそをかかれてもどうしようもない。

 腕を交差させて拳をガードしきったジークリンデ。このまま力を拮抗させていては、何れ彼女の方が負けるに決まっている。何かないかと頭を巡らせると、シグルドから教わった魔法のことを思い出した。


「烈吼!」

「ぐっ!」


 自分の掌に魔力を貯め、それを爆破させて相手の肉体を弾き飛ばすのだ。ジークリンデはシグルドを弾き飛ばすと、追撃せんと迫った。


「せやぁっ!」


 蹴り、突き、魔力弾と次々攻撃の手を変えてはみるものの、一向にシグルドに当たりそうもない。


(まだ、癖が抜けきってないんや……!)


 自分は攻撃の前に癖が出てしまうらしい。シグルドからそれを直すよう言われたが、一向に改善する気配がないのが、最近の悩みの種だ。


「…取った!」


 やがてシグルドが反撃で繰り出してきた蹴りを、烈吼で威力を弱めてから受け止めると、そのまま組み技に入った。このまま関節を外さないように痛めつければ自分の勝ちだ。


「取ったのは、果たしてどちらかな?」

「え?」


 組み技が完全に決まってしまう前に、シグルドは自ら身体を捻って強引にジークリンデの拘束から逃れようとする。そうはさせまいと必死にしがみつくジークリンデだったが、その選択は誤りだ。

 ジークリンデが離れないと分かると、シグルドは自由なもう片方の足で彼女を真横から殴打する。そして両足で挟んだ状態で宙返りし、背中からジークリンデを叩き付けた。


「がっ!?」

「お前が組み技を得意としているのは知っている。だが、それに拘っては今のように痛手を負うことになるぞ」

「あ、ぅ……」


 いつもは手加減されていただけに、予想以上に大きな痛みに困惑するジークリンデ。急に恐怖が全身を支配し、その場にとどまってしまう。それを好機と捉えたシグルドは、一気に決着をつけるべくジークリンデへと迫る。

 だが、彼女へ突き出した拳が当たると思われた瞬間、信じられないことが起きた。


「がっ……!」


 気づいた時には、シグルドは反対側にあった壁まで吹っ飛ばされ、壁に背中を打ち付けていた。


(な、何だ、今のは……!?)


 何をされたのか、かろうじて見えた。ジークリンデは自分の拳を回し受けで受け流した後、その動きのまま掌に魔力を集中させて烈吼を放ったのだ。だが、おかしい。今の彼女にそれをあの速さでやれるだけの実力は備わっていない。だのにこの結果はいったい───。


(まさか、神髄モードを開花させたと言うのか。このタイミングで!?)


 神髄モードが開花するタイミングは、もちろん人それぞれだ。労せずして先天的に開花している者もいれば、必死に修行を積んでようやく使うことができるようになる者もいる。そして極稀に、命に危険を感じると反射的に発動してしまうと言う前例があったことを思い出す。恐らくジークリンデも、それにあたるのだろう。

 しかしジークリンデの瞳には、生気が感じられない。改めてシグルドの姿を目にすると、彼女は今まで以上に速いスピードでシグルドへと突撃してきた。


「くっ……ジークリンデ! 正気に戻れ!」


 そう声を荒らげるものの、ジークリンデはまったく耳を貸そうとしない。そして大きく腕を振りかぶった瞬間、彼女の腕に黒い魔力が集まった。


(まずい……!)

「ガイスト…クヴァール」


 竜巻となって大地を抉りながら迫る魔力。それはブレイカー級を上回る、イレイザー級の威力を誇っていた。ぎりぎりのところで躱すが、その衝撃は凄まじく、かすっただけでも命を削ろうとしているのがよく分かった。


「……ふふっ」


 だが、何故だろうか。シグルドは寧ろこの状況に恐怖など微塵も感じてはいなかった。妹にこんなにも才能があることへの喜びと、それ以上に手のかかりそうな事態に思わず笑ってしまう。


「やれやれ、お前はどこまで行っても兄の手を焼かせることだけは秀逸のようだな。
 手のかかる、愚妹だ!」


 シグルドは次の手を撃たせまいと、ジークリンデへと肉薄する。この模擬戦をただ見物するだけだった予定の家族も慌てて動き出すが、そんなことどうでもよかった。

 正拳を繰り出したシグルドだったが、ジークリンデは瞬時に背後へ回り込んだ。しかしそれはシグルドの予想の範疇だ。彼女が背後に回りきると同時に蹴りが迫る。いくら神髄モードと言っても、その戦いぶりはあくまで使用者に委ねられる。つまるところ、癖は絶対に残ったままなのだ。ジークリンデは攻撃を避け、反撃する際に相手に見つかることを恐れて必ず背後に回り込む癖があるのだ。それを知っていたからこそ、シグルドは蹴りをあてることができた。

 ジークリンデは咄嗟に両腕を交差させてガードしようとするが、蹴りの方が速かった。それでも怯まずに、繰り出された足を掴む。そのまま壁へ放り投げると、追撃しようと彼女も追いかけてきた。しかしシグルドは受け身を取らずに壁に激突する。そのまま倒れ込むシグルドへ、ジークリンデの拳が迫った。


「甘いな」


 だが、その拳は僅かに身を捻っただけで躱され、しかも倒れ込む力を合わせてジークリンデへと急接近し、顎に掌底をそっと当てる。


「烈風掌!」


 ジークリンデの烈吼と同様の技を使って吹っ飛ばすが、それだけでなく頭を揺さぶって気絶させる目的もある。だがジークリンデはまだ意識を保ったままで、宙返りしてうまく着地した。中々に手強い。

 ジークリンデは距離が離れたことで、もう1度ガイスト・クヴァールを使うべく腕を大きく振り上げた。だがその瞬間にはシグルドはあっという間に距離を詰め、眼前に迫っており、腕を振りきれずに掴まれる。


(身体強化の魔法も、もう少し学んでおかねばならぬようだな)


 ぐぐっと互いに力を込めあい、やがてどちらともなく動きを止める。しばらくその場で微動だにしない2人だったが、唐突に動いた。力の均衡が崩れる瞬間を互いに待っていたが、先程のダメージが強く響いたせいで動かざるを得ない状況に追い込まれたのはシグルドの方だった。膝をついた彼に対し、今一度ガイスト・クヴァールを放つジークリンデ。


「まだだ……!」


 だが、自分は彼女以上に諦めが悪い。腕を離して後転し、跳びあがって件の一撃をかわす。そして空中で一回転してジークリンデの頭上へ踵落としを見舞った。ガードが間に合ったようだが、それなりにダメージを与えられたようだ。そのまま畳み掛けるようにして振り下ろしたで再び蹴り飛ばす。そのまま近くの壁にぶつかり、ようやくジークリンデは止まった。


「…お前は、どこまで俺の手を焼かせるのだ……愚妹が」


 シグルドも限界だったのか、すぐその場にへたり込んでしまった。


「兄、やん……?」

「ジークリンデ……身体は、大丈夫か?」

「う、うん。痛むけど、それ以外は……でも、なんや途中から頭がぼんやりしてもうて……」

「今は、気にするな。何れ話す。
 いいか、ジークリンデ。お前も、ちゃんと向き合わねばならぬ時が来た」

「え? 兄やん、何を言っているの?」


 まだまだ幼い彼女に話すには酷と言うものだが、それでも仕方がない。シグルドはジークリンデの頭を優しく撫でながら、彼女が強くなることを願った。





◆◇◆◇◆





「シグルド。お前にはこの家を出てもらう……本当にそれでよいのか?」

「…はい」


 イザヤの手から逃れる術を先に見出したのは、誰であろうシグルドだった。聞かされた時は耳を疑ったが、今はそれしかないと分かったのか肩を落としながら家主は命じる。


「では、私から命じたことにしよう。それだけしかできないが……」

「構いませぬ。何より、俺がいては愚妹はこれ以上自身を強く出来ぬでしょう。
 彼奴の神髄モード……あれをしっかりと制御するために、俺は彼奴の糧となることを誓います」

「…すまぬ」


 ただ謝るばかりの家主に、シグルドはそれ以上何も言わずに部屋を出ていくことにした。イザヤは掟に固執して誰かを養子に寄越せと言ってきたが、それは兄妹がうまれた時に限られる。つまり、どちらかが家を出ればいいのだ。勘当と言う形で。こんなのは、揚げ足の取り合いでしかないだろう。だが、少なくともジークリンデをイザヤの家に渡さないと言うことは約束してくれた。それだけでも、充分だ。


「兄やん……」

「…ジークリンデ」

「兄やん、どこ行くの?」


 身支度を整えたシグルドを見て、ジークリンデは首を傾げる。これからどれだけ辛くあろうとも、もう自分を頼りにはできない。きっと、彼女は過酷な身に晒されたのが兄のせいだと思うかもしれない。だが、それでも構わない。ジークリンデがしっかりと強くなってくれれば。それは精神的な面でもそうだ。

 だが、少し不安でもある。強くあって欲しいと言うのは、単なる押しつけでしかないのではと。このまま、力を持て余すのは危険だと思っていても、それならば使わなければいいだけだ。普通の女の子として過ごさせたっていいはずだろう。

 きっと自分の選択は間違っているかもしれない。だがその時は、これからできるであろう友人らが絶対に支えてくれるはずだ。


「ウチも兄やんと一緒に行く!」

「ダメだ」


 意気込むジークリンデに、しかしシグルドは強く否定した。もう優しくしてやることもできない。内心では申し訳なく思うが、それを面に出してはならない。


「未熟な兄を赦してくれ」

「兄やん?」

「ジークリンデ。これからお前には、苦しいことや、辛いことがしばらく続くだろう」


 せめて頭を撫でるだけはしてあげたい。シグルドはこれが最後になってしまうかもしれないと思いつつも、いつもと変わらず優しく撫でた。


「だが決して、家族を……祖先を恨んではいけない。恨むのなら、愚かな兄を恨め」

「何を……言っているの?」

「…直に、分かる日が来る」


 そしてシグルドは、家を出ていく。振り返ることもせず、ただ真っ直ぐに歩いていく彼の背を、ジークリンデはただ黙って見送った。










◆──────────◆

:あとがき
ジークリンデとシグルドの過去編になります。

シグルドはジークリンデと違って記憶などはほとんどと言っていいほど受け継いでいません。その代わり強大な力を持っており、努力によってそれを補おうとしています。

なによりジークリンデとは仲が良くありません。
記憶がないからこそ、ジークリンデに総てを押し付けてしまっている自分がどうしても許せないのです。

それでもジークリンデはかなりのお兄ちゃん子で、シグルドにとっては心配が尽きませんが(苦笑)

次回は再びレイスに視点を戻し、アインハルトのライバルたるユミナとイチャイチャさせる予定ですので、お楽しみに。






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