「ここ、だね」
フェイトに連れ添われてレイスがやってきたのは、ヘラクレスと言う名のバー。まだ朝早い時間だけあって、店は閉まっているように見えるが、店内にいた人物がこちらに気が付いて扉を開けてくれた。
「足労感謝する」
「シグルドさん……」
昨晩、襲撃者から助けてくれた青年シグルド。フェイトとレイスは彼が約束を守ってくれたことに安堵して警戒を和らげる。店に居たのは彼だけでなく、初老の男性も一緒にいた。
「祖父君、彼女らには全てを話そうと思います」
「うむ」
「…改めて自己紹介しよう。我が名はシグルド・エレミアだ」
「エレミアって……もしかして、ジークリンデの?」
「あぁ。彼奴の実兄にあたる」
インターミドルチャンピオンシップの優勝者として有名な少女、ジークリンデ。そんな彼女の兄と聞いて、フェイトとレイスは目を瞬かせる。
「愚妹とは言え、大切な家族であることに変わりはない。俺の存在によって彼奴に迷惑を被るわけにはいかんのでな。基本的には顔を隠し、名を明かすことはないのだが……今回ばかりは、名乗らざるを得ない故」
「堅苦しい事情は置いておけ、シグルド」
「祖父君……」
「ハラオウン執務官。実はシグルドに薬の出所を探るよう言ったのは、この私なのだ」
「それはまた、どうしてですか?」
「分家が1枚噛んでいると予想したからだ。分家……イザヤの連中に好き勝手されては、ジークリンデに危機が及ぶ可能性があると考えたのだが、いやはやご迷惑をおかけして申し訳ない」
「いえ、そんな」
「あの……ジークリンデ選手に危険があると言うのは?」
レイスの問いにシグルドは1度祖父の方を見、彼が頷いたのを確認してから口を開いた。
「イザヤの家は、力の証明に固執しているのだ。
本家たるエレミア、それも次元世界最強の少女を討ち果たす……それが今の奴らの望みだろう」
「つまり、本戦で何かを仕掛けてくる……その可能性も捨てきれないのですね?」
「あぁ。しかし家のこと、しかも愚妹だけにしか危害が及ばないとなれば大会を中止にすることはできまい。なにより、アレに思い入れのある者は多数いるのだからな。
故に、大会が始まる前に尻尾をつかめればと思ったと言うわけだ」
「なるほど……事情は分かりました。ですが、局員でもない方々に自由をされては……」
「無論、局の面子を潰しかねないことは熟知している。
が、こちらもそう簡単には引き下がれぬ」
対峙するフェイトとシグルド。2人とも譲れぬ想いがあることを分かっているだけに、2人のどちらかが折れるのは難しそうだ。
「…シグルド、お前は引け」
「祖父君……?」
「これ以上はお前もただではすまないはずだ」
「しかし……!」
「シグルド」
「…分かりました」
渋々と言った様子で頷き、シグルドは自分を冷静にするためか1度奥へ引っ込んだ。それを見送ったのち、彼の祖父が申し訳なさそうに頭を下げる。
「シグルドが失礼をして申し訳ない。妹のこととなると意固地なところがあるようで」
「いえ。兄妹なら、なおさらだと思います」
「もっとも、シグルドはもうエレミアの人間ではないが」
「どういうことですか?」
「10年以上前、分家からジークリンデを守るために出奔したのだ。
それきり、ジークリンデとは1度たりとも会っていないと聞いている」
シグルドはそれきり戻ってくることはなく、祖父から彼の存在を口外しないことを条件に、今後薬に関して関与しないと約束してくれた。
「…レイス、そろそろ病院行こう」
「あ、はい」
何か思う所があるのか、フェイトは普段より沈痛な面持ちだった。しかしレイスは何も言えず、彼女の運転する車に乗り込んだ。
「レイスは、さっきの話を聞いて……どう思った?」
「そう、ですね……兄妹間のことは早く再会できることを望みますが、やはり薬の1件は局に任せるのが適任だと思います」
「そっか」
「フェイトさんは、そうは思わないんですか?」
「うーん、そうじゃないんだけど……きっと、シグルドにとってジークリンデは兄妹以上に大切なんだと思うんだ。大切な人を守りたいって気持ちは、痛いほど分かるから。
まぁ、だからと言って彼に任せきりにするわけにはいかないけど」
歯がゆいのか、フェイトはハンドルをぎゅっと握りしめた。そんな彼女にかける言葉も見いだせず、レイスはそれきり黙っていた。
やがてフェイトの案内で病院につき、早速怪我の具合を確認させられる。その間にペイルライダーがアインハルト達に今日の特訓に参加できない旨を伝えてくれた。診断結果もすぐに出され、数日だけ静養することを求められる。
「別段、入院の必要はないと思うのですが……」
「ダメだよ。レイスは無茶するところがあるって、コロナが言っていたし」
「今までに無茶をしたことなど、1度も……」
「ないなんて、言わせないよ」
レイスの言葉を途中で遮ってまで言い切ったフェイトに、レイスはただただ反論を呑み込むしかなかった。その後彼女は再び無理をしないよう釘を差してから、病室を出て行った。残されたレイスはしばらくぼーっとしてみるが、非常につまらなかった。
「暇、ですね」
《何か読まれますか?》
電子書籍が普及している昨今、無償で読めるものもだいぶ増えてきたと聞く。しかしレイスとしては紙媒体の方が読みやすい気がしているのでペイルライダーの申し出を断った。しかしそうなると益々もって暇になってしまう。
《せっかくの機会です。ゆっくり睡眠なさってはいかがですか?》
「…それもそうですね。起きていては、ペイルライダーも休めないでしょうし」
ペイルライダーの厚意に甘えることにして、目を閉じる。どうやら相当疲れがたまっていたようで、レイスはあっという間に眠りについた。
◆◇◆◇◆
レイスが次に目を覚ました時、既に数時間が経過していてだいぶ日が傾き始めていた。主が目を覚ましたことに気付いたのか、ペイルライダーも起動し、メールが入っていたことを伝えてくれる。コロナから見舞いに来るとの旨で届いていたので許諾の返信をしてから、乾いた喉を潤すべく水を一口。
「早く家に帰りたいですね」
《たまには静養することも必要です》
「ペイルライダーも、僕が無茶をしていると思いますか?」
《はい。残念ながら》
愛機にまで無理をしていると言われてしまっては、認めざるを得まい。彼女との付き合いは長い。傍にいる時間で考えれば両親よりも長いのだから、彼女の意見に耳を傾けないわけにはいかないのだ。
まったくもって頭が上がらない──ぼんやりとそんなことを考えていると、扉がノックされた。僅かだが少女の声が聞こえる。
「どうぞ」
「失礼しまーす」
ノックに応じると、遠慮がちにスライド式の扉が開かれた。室内を窺うように顔を覗かせたのはヴィヴィオだった。そんな彼女に続くように、リオ、コロナ、そしてアインハルトが入室してくる。
フェイトがヴィヴィオらの見舞いを想定してか、個室にしてくれたので多少は騒がしくなっても問題ない。それに気づいたのか、ヴィヴィオたちは安堵してレイスに歩み寄る。
「レイスさん、大丈夫ですか?」
「えぇ。2、3日安静にしていればすぐ退院できるらしいですから」
「あの、フェイトママを守ってくれてありがとうございました」
「寧ろ僕の方が守られてばかりでしたよ」
ヴィヴィオの謝辞に苦笑いして返すレイスだったが、彼女はそんなことはないと強く言う。もちろんフェイトの実力を知ってはいるが、それでも親子としてはとても心配したことだろう。
「そういえば、今日はもう特訓は終わったのですか?」
「はい。全体練習でしたし、アインハルトさんのデバイスのお披露目会でもありましたから」
「アスティオンもですが、クリスも可愛いですよね〜♪」
セイクリッドハート、そしてアスティオン。どちらも外装をぬいぐるみにしているだけあって、コロナやリオもだいぶ気に入っているようだ。とは言え、自分の愛機が一番と言うことは変わらないようで、愛着をもって接している。
「レイスさんは、ペイルライダーと長いんですか?」
「えぇ。お蔭で彼女には頭が上がりません」
苦笑いしながらも、レイスの表情は嬉しそうだった。ペイルライダーとの絆はとても強いものだと誰もが気付き、中でもアインハルトはそれを羨んだ。
(私も、もっと親しくなれるのでしょうか?)
せっかくのクラスメートなのだから──そう考える彼女だったが、何かその考えに違和感をおぼえる。どこかピントがずれているような気がしてならないのだ。しかし何がずれているのかよく分からない。
「そうだ。起きたばかりなら、喉渇いていませんか?
自動販売機が近くにありましたし、何か買ってきます」
「あ、じゃあ私も」
このまま考えを巡らせていても仕方ないので、アインハルトは飲み物を購入してくることに。ヴィヴィオとリオもそれについていくことに。
「では、お茶をお願いします」
「はい」
「コロナはどうする?」
「私は待っていようと思うんだけど……いい?」
「もちろんだよ」
「行ってくるね〜」
そう言って3人が出ていくと、コロナはレイスが座すベッドの傍に椅子を引き寄せ、そこに座る。
「あの、本当にもう大丈夫なんですか?」
「えぇ。心配させてしまってすみません」
「……それ、おかしいです」
「え?」
「私はレイスさんのことを友達だと思っているんですから、心配するのは当然です。
だからレイスさんも、もっと私を信じてください」
ぎゅっと手を取り、コロナは優しく微笑みかける。レイスも彼女も、しばらく言葉を発することができずそれきり黙っていたが、手を握っていることに気が付いて慌てて離した。
「ご、ごめんなさい」
「あ、いえ……」
顔を真っ赤にするコロナとは対照的に、レイスは戸惑うだけだった。そうこうする内にヴィヴィオらが戻ってきたので、コロナは慌てて椅子から立ち上がり、彼女らを迎える。
「レイスさんとペイルライダーって、どれくらいの付き合いなんですか?」
「5年ほどになりますね。姉弟同然で育ってきました」
「長いんですね」
「ただ、少し頼り気味……いえ、依存気味なところがあるのも確かです。
信頼しているのは間違いないのですが、必要以上に頼ってしまって……」
ケインにも指摘されたことだが、レイスはペイルライダーに頼りがちで、またペイルライダーもレイスに対して過保護だとか。自覚があるだけになんとかしたいと思っているのだが、どうやら改善されるのにかなりの時間を要してしまいそうだ。
「だから、彼女が傍にいないとどうにも不安と言うか、本調子になれないと言いますか……」
苦笑いするレイスに、しかしヴィヴィオたちはそれを笑うことはなく、寧ろ受け入れてくれた。
「なんだか、初めてレイスさんが年相応に見えました」
「え?」
「いつも大人びているので、ちょっと驚きましたけど……でも、ペイルライダーからすれば頼ってもらえて嬉しいと思いますよ」
「そうなんでしょうか?」
「そうですよ、きっと!」
ペイルライダーは特に何も言わなかったが、彼女らの言うことを信じることに。もしそうなら、本当に嬉しい。だがその反面、自分がペイルライダーに何をしてあげられるか、気掛かりでもあった。
「それじゃあ私たち、そろそろ失礼しますね」
「あ、はい。今日はありがとうございました」
「レイスさん、お大事に」
「ありがとうございます。皆さんも、お気をつけて」
4人は立ち上がると、扉を閉め切る前に全員で手を振ってから病室から出て行った。扉が閉まりきり、彼女らの声が聞こえなくなってから深く溜め息を零す。先程言っていたことの真偽をペイルライダーに聞こうかと思ったが、教えてくれなさそうな気もするので敢えて何も話さないことに。
そしてしばらくのんびりしていると、再び扉がノックされた。すぐに返事をすると、今度は男の声で一言断ってから扉が開かれる。
「身体の具合はどうだ?」
「シグルドさん……!」
見舞い用の花を持ってきたのは、シグルドだった。まさか彼が見舞いに来るとは思っていなかったので、レイスはただただ驚いてしまう。
「どうやら、元気はあるようだな」
「あ、はい。2、3日安静にしていろと言われましたが……」
「そうか」
「あの、どうしてここに?」
「む? 単なる見舞いだ。それ以外の目的はない」
「そ、そうでしたか」
「意外そうな顔だな。確かに然程の接点はないが……そこまで冷血ではないつもりだ」
「いえ、そこまでは考えていませんが……あの、1つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「その……シグルドさんは、ジークリンデさんのことをどう思っているのかなって」
「妹を……?」
「はい」
何故そのようなことを聞くのか──そう問おうと思ったが、レイスの表情は少し不安そうにしている。シグルドは窓辺に向かい、やがて訥々と語ってくれた。
「そう、だな……口では愚妹だと言っているが、これでも心配はしている。
もっとも、彼奴は俺のことを憎んでいるだろうが、な」
「どうしてですか?」
「そうするように伝えたからだ。彼奴が武にどれだけのめり込めるかは知らぬが、優しすぎるだけに不向き故、な。
だから俺を憎ませることで、多少なりとも強引に前を向かせようと思ってのことだ」
シグルドは自嘲の笑みを浮かべたまま、空を見上げ続ける。レイスはただ黙っていたが、やがてその口を開いた。
「羨ましいですね……僕にも兄が1人いますが、そんな風に考えられません」
「それが普通だ。寧ろ俺の方が狂っているのだろうな。
俺は彼奴が強くなる糧にさえなれれば、それでいい」
「どうして、そこまで考えられるんですか?」
「…俺は、空っぽだからな。故に迷わず、揺るがず……」
「いったい、イザヤと何があったんです?」
「それを聞いてどうする?」
「……正直な所、分かりません。ですが、貴方の言葉を借りるならば、それを知って糧としたいんです」
相変わらずシグルドは前を向いたままで、レイスの方を見ようとしない。だが、程なくして溜め息が聞こえてきた。どうやら話してくれるようだ。
「糧となるとは思えぬが……まぁ、良かろう。
そうさな……あれは、10年ほど前になるか」
懐かしさの色を秘めた声色の中には、確かに嬉しさが滲んでいる気がした。
◆──────────◆
:あとがき
前半はシグルドの事情をちょこっと説明。
公判ではレイスとコロナがちょこっといちゃつきました(笑)
次回はシグルドとジークリンデの過去話を挟んでから、またレイスの短い入院生活の話に戻ります。
ちなみにその時見舞いにくるのは、アインハルトの最大のライバルである彼女になります(笑)
では、次回もお楽しみに。
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