小説
Episode 11 勉強会
「困りましたね……」
テキストに視線を落としながら、アインハルトは小さく呟く。もうすぐテスト期間に入るのだが、今回は苦手な範囲と言うこともあっていつも成績優秀な自分でもいくらか苦労しそうだ。
なんとか担任から勉強用のプリントはもらったのだが、流石に全ての問いを回答していない状態で見てもらうのには少し抵抗がある。
「そういえば……」
そこでふと、思い出す。確かクラスメートのレイスがこの部分は得意だったはずだ。ふと教室内を見回してみるが、そこに彼の姿はない。
(図書室でしょうか?)
ちょうど放課後と言うこともあって、アインハルトは校内を探し回ることに。しかし、最初に見当をつけた図書室に彼は見当たらなかった。
(どこなのでしょう)
彼は魔導師志望と言うことで、デバイスを所持していると言っていたのだが、通信端末で連絡を取る手段を交換していなかった。あまり探し回る時間もないので、次に確認したら帰ることに決める。
(確か、屋上は出入り自由でしたね)
昼休みと放課後の数時間だけ解放されている屋上。時折レイスがそこに足を運んでいると他の友人に話していたことを思いだし、アインハルトは少し駆け足になって階段を上っていく。
屋上へと続く扉をあけると、確かにレイスの姿があった。しかし、何故か彼は金網に寄りかかっている。不安になって傍に行くと、小さな寝息が聞こえてきた。胸も呼吸が安定していることを示すかのようにゆっくりと上下している。
(よくこんなところで寝られますね)
普段から真面目なレイスにしては珍しい光景だ。熟睡しているのを起こすのは忍ばれる。どうしようかと逡巡していると、レイスがうっすらと目を開いた。
「あ、レジサイドさん」
「───……ルト?」
「え?」
はっきりと聞こえた訳ではないが、いつもと違う呼び方だった気がする。呆然としていると、ぐいっと身体を引っ張られた。いきなりのことだったために、アインハルトはどうすることもできずにレイスの身体に倒れ込んだ。
抱きとめられるかと思いきや、そのまま位置を入れ替えるとアインハルトを金網の方へと押し付ける。ぼんやりとした瞳には、まだ生気が感じられない。それにしたって、寝ぼけているにしても動きが良すぎだ。いったい何事かと不安になっていると、レイスは唐突に動きを止めた。
「あ、れ……?」
「レ、レジサイドさん?」
はっきりと覚醒したのか、レイスはしばらくアインハルトを見詰め、そしてようやくこの事態を認識したようで、顔を赤くしていく。
「し、失礼します!」
そのままアインハルトに平謝りに謝ると、レイスは慌てて身を翻して去って行った。追いかけることもできず、取り残されたアインハルトは呆然と後ろ姿を見送る。
「い、今のはいったい……?」
《Excuse me?》
「は、はいっ!?」
突如足元からかかった声に驚き、視線を落とすと1つのデバイスが落ちていた。恐らくレイスのものだろう。
「もしかして、レジサイドさんの?」
《Yes.》
「では、自宅に届けた方がよさそうですね。よかったら案内をお願いできますか?」
《Of course.》
十字架の形をしたデバイスをそっと手に取り、アインハルトも昇降口へと向かう。
(それにしても、なんだか珍しい姿を見られましたね)
レイスがあんなにも取り乱すとは思ってもいなかった。貴重なところを見ることができたと思えば得した気分にでもなれるのかもしれないが、アインハルトとしては彼の態度の方が気がかりだった。生気の宿っていない瞳であり、覚醒しきっていない中で見せたあの動き──魔導師を目指しているにしても、反応が妙だ。
(もしかして、あの人も私のように鍛えているのでしょうか?)
それなら納得できなくもないが、あの時のレイスは、どこかレイスらしくない気がする。やがてレイスの家にたどり着くと、案の定扉の前で頭を抱えていた。
「レジサイドさん」
「ス、ストラトスさん? どうして……?」
「あの、デバイスを落としていたので……」
「あ、すみません。拾ってくださって助かりました」
《Thank you lady.》
「いえ。お役にたてたのなら良かったです。
あの、レジサイドさんにお願いがあるのですが……」
「え?」
「よろしければ、今度の試験勉強を手伝っていただけないかと思いまして」
「試験勉強、ですか。僕で良ければ」
「助かります」
「とりあえず、先程のお詫びと、ペイルライダーを届けてくれたお礼もありますから、上がってください」
「あ、はい」
ペイルライダー──それが彼のデバイスの名前だった。
レイスに促され、家に上がる。てっきり誰か家族が出迎えるのかと思いきや、まったく人の気配がない。彼の後に続いて2階へ上がると、自室に通された。
「飲み物を持ってきますね。アップルジュースとオレンジジュースでしたら、どちらがいいですか?」
「では、アップルジュースを」
「分かりました。先に準備をするなり、進めるなりしていて構いませんから」
「は、はい」
レイスが出て行ったあと、申し訳ないと思いつつ部屋の周囲を見回す。机とベッド、それに本棚と洋服棚があるだけの質素な部屋だった。なにより不思議だったのは───
(家族の写真が、ない?)
───写真が一切見当たらない。1人で暮らしているにしたって、親が恋しい時があるだろうに、写真立てもなければアルバムもない。何か触れてはいけない事情があるのだろうと察し、アインハルトはそれ以上眺めるのを止めてテキストとプリントを机の上に広げた。
「お待たせしました。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
丁寧にコースターも持ってきてくれたレイスに感謝し、ストローからジュースを一口。少し緊張して火照った身体にちょうど良い冷たさだった。
「あの、勉強を始める前に改めて謝っておきたいのですが……」
「あ、そんな。私も驚きましたが、何か怪我をしたわけではないですし……」
「いえ。お恥ずかしい話、夜更かしが響いてあそこで寝てしまい、その際に嫌な夢を見たものですから、変に構えてしまったようなんです」
「そうだったのですか。
それにしてもレジサイドさん、あんなにも早く動けるのですね。魔導師志望と言うこともありますし、鍛えているのでしたら少し手合わせをしてみたいです」
「えっ……あ、あはは。流石に買いかぶり過ぎですよ。僕は大して強くありませんから」
「そうですか……少し、残念です。
実は、過去に挑戦した方がいるのですが、その方には見事に完敗でした」
「ストラトスさんが、ですか?」
「えぇ。あまり経験のないことでしたから、もしレジサイドさんが強いのであれば、私としてはまた良い経験になるのではないかと」
「すみません。期待させるほどではないですので……それに、今は試験勉強の方が大切では?」
「そ、そうでしたね」
プリントに目を写し、早速レイスに分からないことを聞いていく。彼はすぐに学校の教科書と自分のノートを照らし合わせ、公式を当てはめる。丁寧な説明だったので、アインハルトもすぐに理解できることができた。
それからも互いに分からないところを説明し合い、プリントを進めながら勉強にいそしんだ。
◆◇◆◇◆
「少し、休憩しましょうか」
「はい」
2時間が経過し、時刻は18時を過ぎたところだった。
「休憩の前に確認なのですが、こんな時間まで外出していて大丈夫なのですか?」
「えぇ。問題ありません」
「そうでしたか。では、少し小腹も空いたでしょうから、簡単なものを作ってきますね」
「そんな。そこまでしなくとも……」
「僕が食べたいと言うのもありますから。それでは、お待たせしてすみませんが失礼しますね」
制するアインハルトを聞かず、レイスは再び階下へと下りて行った。プリントにある問題はだいぶ終わっているので、残りは自宅でもできるだろう。あまり長く居るのも申し訳ない気もするので、そろそろ帰宅した方がいいのかもしれない。
だが、実を言うとアインハルトも少し小腹が空いていたりする。なので、彼に何か準備してもらえるのはありがたい。
(それにしても……私、レジサイドさんのことを全然知らないですね)
彼と知り合ったのは初等科だが、その時だって挨拶をかわすぐらいで特別親しかったわけではない。だが、先日の練習試合の痕からと言うもの、前よりは言葉を交わす回数も確かに多くなった気がする。友達と言っても過言ではないのだろう。
(友達、ですか)
幼い頃から覇王としての記憶を受け継いできたため、どうしても人付き合いにかまける余裕はなかった。だから友達と言える存在は本当に数少なく、レイスは貴重な異性の友人と言えよう。
(ですが、レジサイドさんはどう思っているのでしょうか?)
彼はいつもにこやかな笑みを浮かべているが、時折それが無理をしているのではないかと思うほどに危うげな笑みになっているように思う。彼からも友達と思ってもらえているなら嬉しいが、果たして──そんなことを考えていると、階下で微かに何か物音が聞こえてきた。料理とは明らかに違う。何かが割れた、そんなような音だ。
「レジサイドさん!?」
勘違いだったら謝ればいい。アインハルトは急いで階下におり、リビングと繋がっているキッチンへ駆ける。
「あ……だ、大丈夫ですか?」
「えぇ。小皿を落としてしまっただけで、特に怪我はしていません」
「私も拾いますね」
「え? いや、流石にそれは……」
「あっ……!」
レイスが「危ない」と言い切る前に、アインハルトは割れた欠片を拾おうとして指を切ってしまった。うっすらと血がにじむ。
「っ!」
それを見て、レイスの表情が急に険しい物へとなる。アインハルトの手を掴むと、強引に立たせて洗面所へと連れて行く。
「あ、あの……これくらいなら、大丈夫ですから」
「それは貴女の見解です。僕の見解とは違うので、すみませんが強引と言われようと従ってもらいます」
水を出し、僅かな血を洗い流させて傷口も洗わせる。その間にレイスは絆創膏を持ってきて、アインハルトに手渡した。
「後は僕がやっておくので、部屋で……いえ、リビングで待っていてもらえますか?」
「は、はい。分かりました」
有無を言わさぬ気迫に戸惑いつつ、アインハルトは素直にリビングで待つことに。残りはお皿に盛りつけるだけだったのか、すぐにおにぎりが出てきた。傍らにはたくあんも並べられている。
「本当に簡単なものですみませんが」
「いえ。ありがとうございます。いただきます」
レイスが片づけているのを横目に、少しずつ食べていく。
「…美味しい」
「お口にあってなによりです」
手早く拾ったのか、レイスも自分の分を持ってきて対面に座る。
「先程は、驚かせてしまってすみません。
それに、強引に連れて行ってしまって……」
「いえ。…ふふっ」
「なんですか?」
「今日はレジサイドさん、謝ってばかりですね」
「…それは、ストラトスさんに対して悪いことをしたと思っているからですよ」
「そこまで思い詰める必要はないですよ。レジサイドさんも私に似て、気にしすぎる傾向があるのかもしれませんね」
苦笑いするアインハルトに、しかしレイスは顔を俯かせた。
「だとするならば、貴女に失礼ですね」
「え?」
首を傾げるアインハルトに、しかしレイスは「なんでもありません」とだけ返す。
(やはり、レジサイドさんはどこか……人と寄せ付けない気配がありますね)
せっかく家に招いてもらったのだから、少しでも仲良くなれればと思っていたが、甘い考えだったようだ。
それからは特に会話もなく、ただ時間だけが過ぎて行った。
◆◇◆◇◆
「それでは、ここで」
「よろしいのですか?」
「はい。あそこが、私の家ですから」
プリントにある問題をすべて終えて帰宅することにしたアインハルト。19時になる直前だったこともあり、レイスが途中まで送っていくことに。
「あの、ストラトスさん」
「はい?」
「その……今日は、すみませんでした。
変に構えていたせいで、冷たい態度を取ってしまったようで……」
「いえ。こちらこそ、勉強を教えて頂けて助かりました。
ですから、レジサイドさんが気にすることはありません」
「ストラトスさん……貴女のような、可憐な女性が来たから緊張してしまったのだと思います」
「かっ!?」
やはり自分を褒められるのは慣れていないのか、アインハルトはすぐに顔を赤らめる。そんな彼女を見て、レイスはふっと微笑んだ。
「もう、からかわないでください」
「失礼しました。
では、気を付けてお帰りください」
「はい。レジサイドさん、また明日」
「…はい。ごきげんよう」
◆──────────◆
:あとがき
11話、お読みいただきありがとうございます。
ようやっとレイスのデバイスを登場させることができました。ペイルライダーは女性人格デバイスで、レイスにとっては家族も同然の大事な存在です。
えぇ、実はアインハルトにとって最大のライバルだったりするのです(笑)
今回は勉強を行う中で、アインハルトにレイスとの距離感を再認識してもらいました。
まだまだ距離が縮まっていない状態ですが、これが合宿でどうなっていくのか……少しでも変化を感じてもらえたらと思います。
と言うわけで、次回から合宿編に入ります。
原作では模擬戦は1回しか描かれませんでしたが、こちらでは全3戦を少しずつではありますが書いていく予定ですのでお楽しみに。
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