小説
Episode 7 支え
「わざわざ送っていただき、ありがとうございました」
「気にするなって。運転、粗くなかったか?」
「いえ、そんなことは」
署での作業を終えて、アインハルトはケインに送られて学校まで来た。最初はティアナが車で送る予定だったのが、車を停める位置がないのでこうしてケインがバイクで送ってくれたのだ。
「じゃあ、授業頑張ってな。
あと、放課後を空けておいてくれ」
「分かりました。それでは、失礼します」
丁寧に頭を下げてから去っていくアインハルトの背中を見送り、ケインも改めてバイクを走らせた。
「ストラトスさん?」
「あ……レジサイドさん」
下駄箱のところで、ちょうどレイスと出くわす。移動教室から戻ってくる途中だったのか、脇に教科書と筆記用具を抱えていた。彼は友人らに先に行っておくよう言って、アインハルトに駆け寄る。
「珍しいですね、途中からなんて」
「今朝は少し、体調が優れなかったので」
流石に署に出向いていたなんて言えるはずもない。予め用意しておいた理由を伝えると、彼もすぐに納得した。
「しかし、それでもきちんと来るとは……偉いですね」
「いえ、そんなことは」
レイスと共に教室へ足を運ぶ。まだ3限目が終わったばかりだが、そこではたと気づく。
(急いでいたので、昼食を持ってくるのを忘れてしまいました……)
いつもお弁当を持ってきているのだが、今日はスバルの家で起床したために昼食を作る余裕もなかった。学食を利用してもいいのだろうが、あまり喧噪の多い場所は好まない。
(屋上で過ごした方がいいかもしれませんね)
空腹で倒れたりするようなことはないだろう。今朝、色々と料理を食べさせてもらったことが功を奏したようだ。
「そういえば……レジサイドさん、1つよろしいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
昨日、帰り道で言われたことをふと思い出す。彼に他意はない──そう自分に言い聞かせながら、なんとか問おうとする。だが、こちらが気にかけているみたいで恥ずかしい。もし気にしているのだと思われたら、何を言われるか分かったものではない。
「……いえ、やはりなんでもありません」
「そうですか? それなら構いませんが……」
結局、何も聞けずに2人は教室に入った。
着席すると、ちょうど通信端末にノーヴェからメールが入った。昨日手合わせして怪我ができていないかの心配と、放課後の件に関してだ。すぐに返信をしようとメールを打ち込むが、その手が止まる。
(昨日の……)
昨夜のファントムと名乗った少年からの襲撃。冷静になって思い返してみると、彼の行動はどこか不思議だった。最初の弓矢による一撃は、殺気をわざと感じさせる素振りがあったように思う。それ以降も、こちらを試すような動きを中心にしており、本当に殺意があったのかよく分からない。
(考え過ぎ、かもしれませんね)
ノーヴェやケインのように、自分に人を見る目があるとは思えない。ぶつかり合えば分かることなど数少ないだろう。
放課後に会う相手は、果たして自分の拳を受け止めてくれるのか──それだけが、気がかりだった。
◆◇◆◇◆
一方のケインは、アインハルトに話されていたことを思い出していた。
古代ベルカの諸王戦乱の時代、武器において最強を誇った王がいたそうだ。名を、オリヴィエ・ゼーゲブリヒト──ヴィヴィオの元となった人物だ。その人物に、同じ時代を生きた覇王は勝利を勝ち取ることができなかった。
だが、だからと言ってこの時代で再戦を希望するわけではない。しかしアインハルトとしてはどうすればいいのか分からず混乱しているのだ。
彼女曰く、覇王の血が時折色濃く受け継がれてしまうことがあるらしい。その際に碧銀の髪や虹彩異色の瞳、覇王としての身体資質と覇王流、そして──覇王の時の記憶。それらを一遍に受け継いだアインハルトは、自分の中の記憶にいる「彼」の悲願を叶えるしかないと自然と追い込まれた。
(大切な人を、守れなかったから……か)
強くなかったから。弱かったから。だから守れなかった──そんな後悔が、アインハルトの中には強く渦巻いているのだろう。
(俺も、ティアナを守れなかったら……)
そう思うと、ぞっとしてしまう。
しかし、アインハルトの拳を受け止めてくれる相手は絶対に居るはずだ。それがヴィヴィオだと限定するつもりはない。自分には難しいかもしれないが、きっと誰かがいる。
そのことを伝えはしたが、アインハルトの表情はやはり晴れなかった。だが、せめて答えを急いで出さないでほしい──今ケインが言えるのは、それだけだ。
「ケイン?」
「え? あ、あぁ、悪い。何だ?」
「大したことじゃないわ。何か飲むか、聞いただけだから」
「そっか。ありがとうな。それじゃあ、麦茶を頼むよ」
「ちょっと待っていてね」
テーブルの方に視線を向けたティアナに従い、素直に着席して待つことに。すぐにティアナが2人分のコップを持ってやってきた。
「はい」
「ありがとう」
受け取り、早速一口飲む。程よい冷たさが心地よい。しかし、対面に座しているティアナの表情を見ると、そんなことを考えている余裕はなさそうだ。
「悪いな。アインハルトのことを考えていたら、ぼーっとしちまった」
「だと思った。あんたもフィルと一緒で、随分と世話焼きだものね」
「俺はあいつほどじゃないよ。けど、やっぱり放っておけないんだ」
「…分かってる。あたしだって、何もアインハルトへの世話焼きを止めろなんて言わないわよ」
申し訳なさそうにするケインの頭を撫でて、ふっと微笑みを零す。そんな笑みにもケインはドキッとしてしまう。結婚して長いわけではないが、中々恋人気分が抜けきらないものだ。
(まぁ、それだけティアナが魅力的だってことだよな)
ぼんやりとそんなことを考えていると、ティアナが「でも」と耳元で強めに言った。
「あまりアインハルトばかり構うと……妬いちゃうからね?」
「わ、分かっているっての!」
互いに相手のことをよく知っているからこそ、ケインはティアナを妬かせないよう気を付けられるし、ティアナはケインがアインハルトを放っておけないことを理解している。こんなに毎日順風満帆だが、喧嘩したらどうなるのか怖い気もした。それをスバルに相談するが、最終的に惚気になってしまうので彼女からは「喧嘩しても大丈夫」としか返ってこなかったり。
「けど、俺たちだけじゃだめだと思う」
「どうして?」
「もっとアインハルトの身近にいられる奴が、一緒に頑張ってくれた方が切磋琢磨し合えるだろ?
まぁ、ヴィヴィオやコロナ、リオたちに頼り切るのも考え物だけどな」
「それもそうね。
じゃあ、あたし達がしっかりサポートしてあげないとね」
「…そうだな」
頭を預けてきたティアナを優しく撫で、ケインも微笑む。そして、2人はどちらともなく唇を重ねた。
◆◇◆◇◆
「はぁ……」
放課後になり、アインハルトはあまり気乗りしない中支度を始める。こんな気持ちではダメだ──頭では分かっていても、つい期待と不安とが心の中にない交ぜになって気分が落ち着かない。
「ストラトスさん」
「あ、レジサイドさん」
廊下に出たところで、レイスが声をかけてくる。いつものにこやかな笑みを浮かべていたが、アインハルトに駆け寄ると心配そうな表情を見せた。
「今日は元気がないように思いましたが、何かありましたか?」
「い、いえ。そんなことは。
ただ、これから大事な用があるので、それで緊張をしているのだと思います」
「なるほど。それは、呼び止めてしまってすみません。
気を付けて行ってきてください」
「ありがとう、ございます」
不思議だった。こうやって誰かに──それも同年代に心配されるのは、これが初めてだったから。
「では、また明日」
「はい。ごきげんよう」
恭しく頭を下げられて、つい言葉に詰まる。アインハルトもすぐに「ごきげんよう」と返し、約束の場所へと向かった。
(確か、近くのカフェテリアでしたね)
ケインからもらったメールを確認しながら校門を出ると、声がかかった。
「あれ、ケインさん?」
「よう、アインハルト」
そこには、何故かケインの姿がある。彼は校門から入ろうとせず、下校していく生徒の邪魔にならないように離れた場所にいる。周囲の目もあるので遠慮がちに声をかけられたが、聞き逃さずに済んでほっとした。
「ケインさん、どうしてここに?」
「いや、せっかくだから迎えに行こうかなぁと。ここから少し離れているし、アインハルトがカフェテリアの方に来たことがないなら、道に迷うんじゃないかと思ってさ」
投げられたヘルメットを両手で受け取り、鞄を彼に預かってもらう。流石にここまでしてもらったのに断るわけにもいかない。
「すみません、お手間をとらせてしまって」
「可愛い女の子のためなんだ。手間なんかじゃないって」
「か、かわっ!?」
そんな言葉をかけられたのは初めてだ。アインハルトの顔に赤みがさすのを見て、ケインは笑った。
「意外だな。言われ慣れていると思っていたけど」
「そんなことありません。私は、然程他者と話す機会がないので」
「…そっか」
クラスメートも望み薄のようだ。ケインは内心で頭を抱えつつ、自分たちでどこまで彼女を支えられるか心配だった。
「それじゃあ、しっかり捕まっていろよ?」
「はい」
アインハルトの腕が回されたのを確認してから、エンジンをかける。ふと、ケインの視界にある男子生徒が目に入った。黒みがかった銀髪をした少年は、レイスだった。
(こっちを……いや、アインハルトを見ているのか?)
気になったが、今は約束がある。ケインは後程アインハルトに聞くことにして、バイクを走らせた。
一方、ケインとアインハルトを見送ったレイスは、不思議そうに首を傾げる。
「意外ですね。ストラトスさん、もう彼氏がいたのですか」
が、導き出したのは見当違いの答え。しかも自分の回答に何を思うでもなく、家路を歩き出す。しかし、その足取りが次第に重たくなっていく。痛みを抱え始めた頭に手を当てるが、なんの効果もなさない。
(……あぁ、鬱陶しい)
普段の彼を知る者が聞いたら、耳を疑うだろう。それほどまでに、レイスが内心で呟いた言の葉には苛立ちと憎しみが籠められていた。
◆◇◆◇◆
「ここをまっすぐ行けば、ノーヴェ達が待っているから」
「はい、ありがとうございました」
ケインがバイクを所定の位置を置いている間、待っていようかと思ったのだが、彼は先に行っていていいと言うのでその言葉に甘えさせてもらう。しばらく歩いていくと、程なくしてノーヴェ達の姿が見えた。
「ノーヴェさん、皆さん。アインハルト・ストラトス、参りました」
一礼すると、すぐに1人の少女が駆け寄ってきた。自分と同じ虹彩異色の瞳には、確かに“覚えがある”。
「初めまして。ミッド式のストライクアーツをやっています、高町ヴィヴィオです」
緊張気味だが、はきはきとしていて彼女の明るさがよく分かる。差し出された手を握り返し、アインハルトも名乗った。
「ベルカ式古流武術、アインハルト・ストラトスです」
その温もりを感じるよりも先に、アインハルトは思わずヴィヴィオのことをまじまじと観察してしまった。小さな手に、脆そうな身体。まだ華奢な彼女だったが、紅と翠の瞳は間違いなく、覇王から受け継いだ記憶に焼き付いている聖王女の証だ。
「あの、アインハルトさん?」
「あ……し、失礼しました」
ヴィヴィオに呼ばれて我に返る。こうも品定めするようなことをして、自分はいったい何をしているのかと内心で呆れてしまう。
「あれ、まだここにいたのか?」
と、ケインがバイクを停めてやってくる。
「2人とも緊張しているだろうから、手合わせでもして少し気楽になろうぜ。
それに、その方が話すより早い場合もあるし、な」
「場所は押さえてあるし、早いとこ行こうぜ」
ノーヴェに促され、全員が区民センターにあるスポーツコートに足を運ぶことにした。
◆──────────◆
:あとがき
今回もレイスの出番は少なめでしたが、ケインくんがアインハルトを支えることを決める大事な話でもあります。
ただ、ケインくんの場合は自分だけでなんとかしようとすることはしません。
ティアナや、アインハルトと歳の近い人たちにも協力を呼びかけるでしょう。
次回はアインハルトとヴィヴィオのスパーリングに、ファントムがある方と手合わせする予定です。お楽しみに。
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