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小説
Episode 3 次なる道



 空は紅かった。大地のあちこちで巻き起こっている紅蓮の炎が、まるで鏡に映ったかのように紅い空へと変化させる。戦乱の規模が如何に大きいのかを証明する大地から上がる黒煙、炎。隆起した大地は砂煙を起こしていた。

 そんな荒地に、2つの人影。


『待ってください、オリヴィエ! まだ決着は……!』


 縋る男性に対し、目の前に立つ女性は優しく微笑むだけ。それが時折、嫌だった。自分の無力を証明してしまうような、美しい笑顔。1度たりとも曇ることはなく、また曇らせることが出来なかった笑み。


『クラウス……どうかこの荒れ果てた大地を、また草花でいっぱいにしてください』


 この夢は、よく見る夢だ。自分の──いや、覇王の最も悲しい記憶。そんなものを寄越された私は、どうすればいいのか。何も分からなかった。だから、悲願と称して戦い続けるしかないと自分を奮い立たせたのかもしれない。彼──クラウスの悲願をなすために。


「あ……」


 眩しい陽光に起こされた私が最初に目にしたのは、自宅とは違う天井だった。





◆◇◆◇◆





「…アインハルト・ストラトス。これが彼女の名か」


 いつものコートを脱いでいたハーミットは、鞄に入っていた学生証を眺める。

 覇王の少女が気絶した後コインロッカーに向かった彼は、そこに入っていた鞄と制服を引っ張り出し、自宅へ寝かせた。もちろん自分は別室で仮眠を取るだけに留まっている。


「あ、あの……」

「ん? あぁ、目覚めたのか」


 遠慮がちに開かれた扉の向こうからひょっこり顔を出した少女、アインハルトがハーミットをしばし凝視する。


「…む、そうか。貴殿の前で素顔を晒すのはこれが初めてとなるか」

「…ハーミット、ですか?」

「如何にも」


 コートと同じで上下とも漆黒で統一された衣服は、武道家として動きやすいものに仕上がっている。アインハルトは戸惑いながら部屋から出てくると、彼の前で正座する。フローリングの床が少し冷たい。


「よく眠れたか、覇王? …いや、今はストラトスと呼んだ方が正しいか」

「…………」


 黙したままのアインハルト。ハーミットは自分のしたことが彼女を少なからず傷つけていると理解している。故に彼も、アインハルトと同様に正座して向かい合う。


「貴殿の荷物を無許可で開いたこと、そして我が家に連れ込んだ非礼は詫びよう。すまなかった」

「いえ……それが、貴方が取るべき最善の行動だったと思います」

「ありがたい」


 鞄と制服を渡すと、アインハルトは念のために中身を改めた。


「何か紛失したものはないか、ストラトス?」

「何も。問題ありません」

「そうか」

「…あの、1つだけよろしいでしょうか?」

「む?」

「その……ストラトスと呼ばれるのは、慣れていません。
 アインハルトと呼んでいただければ、それで構いませんので」

「不慣れであるならば、慣れれば良いことだ」


 アインハルトの言葉を蹴り、ハーミットはそれで会話は終わりとでも言うように立ち上がる。


「…そうだ、貴殿にはまだ話していなかったな」

「はい?」

「ハーミットとは、世を忍ぶ名。いわば字。
 我が真名は、シグルド。よければ貴殿の思うように呼んでくれ」

「字……」


 ハーミット──否、シグルドは自分の字を世を忍ぶものと言っているが、それは何か疚しいことがあるわけではない気がした。


「ストラトス、小腹は空いていないか?」

「え?」

「朝食を食べていく暇があるなら、どうだ?」


 テーブルを見ると、2人分の食事が準備されていた。せっかく用意されたものを断るわけにもいかず、アインハルトはそれを二つ返事で了承した。


「…昨晩のこと、何も聞かないのですか?」


 朝食を食べ始めてすぐ、アインハルトが聞いてきた。椅子の高さがあるため、足は床に届かずぷらぷらと揺らしているのが上半身の動きで分かる。


「聞いて欲しいのか?」

「そういうわけではありませんが……」

「…では、俺の結論だけ述べるとしよう」


 箸を置いてアインハルトを見据えると、彼女も慌ててそれに倣う。


「急がせたようですまないな」

「いえ、そんな」

「…だが、ご飯粒が付いているぞ」

「え? あっ……!」


 シグルドはアインハルトの口元についていたご飯粒を取ると、微笑する。かつて、妹に同じようなことをしたのを思い出してしまった。


「改めて……覇王イングヴァルト。悪いが俺は、貴殿の拳は受け止められても、気持ちは無理のようだ」

「そ、そんな……!」


 淡い期待を勝手に抱いていたとは言え、やはり断られるのは辛かった。この人なら──そう思って託した想いは、受け止めてもらえずじまいになってしまう。その現実は、ずっと引き継がれている記憶に押し潰されてしまいそうになるほどの恐怖をより強くした。


「貴殿は、真っ直ぐすぎる」

「真っ直ぐ? 私が、ですか?」

「何故疑問を感じる? 自分の行いが捻じ曲がったことだと理解しているのか?」

「そういうわけではありません。ですが、私はそんな強くなんて……!」

「ならば、貴殿のしていることは無意味だ」


 ばっさりと切り捨てるように放たれた一言。アインハルトの胸に突き刺さった冷徹な刃は、彼女を強引に俯かせる。


「強くないと自身が理解しているのであれば、貴殿は何故戦う? 貴殿は言ったはずだ。戦う理由は、強さを証明するためだと。
 ならば戦え。どれだけ惨めであろうと、敗者に成り果てようと……。貴殿が求める答えを見出すには、それしかあるまい」


 ずっと独りだった。独りで戦い続けてきた彼女が、弱いはずがない。だがアインハルトは、それに気が付いていないようだ。


(いや、気が付いていないと言うよりは……気づいていないように努めていると言った方が正しいか)


 咳払いして、シグルドはアインハルトに面を上げさせた。虹彩異色の双眸が、涙にぬれている。


「ストラトス、確かに俺は貴殿の想いを受けきれない。
 だからと言って、諦めてしまっていいのか? 貴殿の悲願とやらは、そのようなことで挫けても良いほどに脆いものではあるまい」

「でも……でも! この時代にはもう、誰も私の拳を受け止めてくれる人がいないんです!
 救うべき者も、国も! 何もかも……ないんです……!」

「…では、諦めろ」


 慰めは不要だ。必要なのは、彼女にやる気を出させることだけ。自分ができることはそれぐらいしかないのだから。


「それが嫌なら戦えばいい。貴殿の拳を、想いを受け止めてくれる者が現れるまで。何度でも、な。
 それでも何もないと駄々を捏ね続けるならば、見出せ。貴殿が守りたいと、拳を交えたいと思える者を」

「…新たに見つけても、それは……覇王の悲願とは違ってしまいます!」

「恐れるな。貴殿は何者だ、アインハルト・ストラトス?
 一昨日の夜、貴殿は俺に対してなんと名乗った?」

「私は……」

「記憶と言う鎖に縛られるのは怖いことだ。身勝手に押し付けられ、苦しくとも己のみでなんとかしなければならない……。
 だが、貴殿は紛うことなき覇王であろう? 逃れられないと知りながらも、覇王であろうとした貴殿の信念を責める者は誰もいまい」


 涙が頬を伝う。シグルドはハンカチを目の前に抛り、席を立った。


「探せ。貴殿が認めたいと思う者が見つかるまで」

「…はい」


 結局のところ、記憶の柵からは逃れられないのだ。シグルドはそれを少しばかりだが理解している。ただ、あくまでこれは彼の意見で、それを強要する形になったのは恥ずべきことかもしれない。


「…ストラトス」

「なんでしょう?」

「貴殿が必要だと思った時、俺は貴殿の傍にはいない。
 だが、暇があれば一槍交えるぐらいは出来る」

「…はい。その時は是非、お願いします」

「残念だが、期待を裏切るのは得意だぞ」

「嘘は下手なようですね」

「…曲解するのは自由だ」


 最後にはアインハルトに一本取られてしまった。シグルドは彼女が食べ終わるまで、席をはずした。





◆◇◆◇◆





「そういえば……ストラトス」

「はい?」

「学校はどうするのだ?」

「あ、今日は休みです」


 車で送ってもらえることになり、アインハルトは助手席に座っている。今日は土曜日なので学校は休みだ。


「…あ、ここで構いません」

「了解した」


 流石に自宅の場所が割れてしまうのは困るのか、アインハルトは家から近い場所で止めてもらう。


「ストラトス」

「何でしょう?」

「貴殿は、通信端末を持っているか?」

「あ、はい」

「では、気が向いたらこのアドレスにメールしてくれ」

「え?」


 渡された紙切れには、シンプルなメールアドレスがあった。


「如何せん、俺は矮小の身だ。貴殿の想いを受け止めるのは難しいが、暇潰しにはなれるだろう」

「模擬戦を、お願いできると……?」

「貴殿の気が向いたら、な」


 シグルドはアインハルトの回答を待たず、扉を閉めて車を走らせた。こちらに向かって頭を下げる彼女が、ミラー越しに見える。


「…柄にもないことをした」


 自嘲の笑み浮かべ、シグルドは自宅へと帰っていく。


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あきゅろす。
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