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小説
Episode 2 手合わせ

 23時───。

 仕事のない大体の者は、既に眠っている時間だろう。夜更かしをしている者もいるかもしれないが、周囲にはほとんど家がない。あったとしても、早寝早起きを心掛けているのか、既に灯りは消されていた。街頭と月明かりが降り注ぐ一本道を、数日前の碧銀の少女が歩いていく。昨日と同じバリアジャケットを着て、力強く歩く姿勢は美しい。相違点は、双眸を隠すように装着されたバイザーのみ。凛とした立ち姿が目を引くことは間違いないだろう。

 彼女は約束した場所までやって来ると、ゆっくりと周囲を見回した。


「5分前、か」

「…いけませんか?」


 決して大きな声ではない。だが、はっきりと聞こえてきた声に少し安堵する。約束を反故にされなかったことが、なによりも嬉しい。


「まさか」


 声の主は、街頭に腰掛けていた。夜風がコートを揺らすが、フードが飛ばされることはなく、やはり顔の全体像は未だに見えない。


「遅れて来るよりはずっとましだろう」


 さっと下り立つと、ハーミットは覇王の左手を見る。


「約束通り、痛みが引いたので」


 軽く振って、それを証明する。ハーミットは「ふむ」と小さく呟くと、頭を下げた。


「覇王イングヴァルト。此度は矮小の身にある自分の申し出に応えて頂き、至極光栄です」

「…あ、あまり畏まられても困ります」


 ハーミットの言葉に、覇王の少女は戸惑いを見せる。それを目の当たりにした彼は、内心で「やはり」と思った。末裔と名乗るが、恐らく表向きは単なる少女なのだろう。突然のことに戸惑うのは不思議ではないが、今の反応は彼女の若さが窺える。


「何も惑うことはあるまい。貴殿に感謝の気があることに相違はないのだから」


 腕時計で時間を確認すると、ちょうど23時になったところだった。


「覇王。貴殿との勝負、心踊るものだと期待している」

「買い被りは困ります。ですが、全力で応えましょう」


 構えを取る覇王に対し、ハーミットは直立不動を貫いていた。誘っていると分かるが、踏み込まなければ始まらない。なにより───。


(私は、強さを証明しなくてはなりません!)


 駆け出した覇王が距離を詰めるのに、3秒もなかった。彼女はしっかりと地面を踏み締め、強く身体を捻る。その速さと力強さが乗った拳が、ハーミットの顔面を捉えようと迫った。


「速いな」


 だが、拳は虚空を薙いだだけ。僅かに上半身を後ろに反らしただけでかわされたのは、これが初めてだった。しかし、驚くことはない。これくらいの攻撃はかわせて当然。それだけの実力が彼に備わっていることは重々承知していた。


「まだまだ!」


 覇王はまったく攻撃の手を緩めようとはしない。連撃を繰り返し、拳、蹴りを不規則に繰り出しては、テンポも少しずつずらしていく。だが、ハーミットも中々に強い。その攻撃のどれをも容易く躱してしまう。焦りはないが、こうも当たらないと不安がよぎる。自分が弱く、何も守れないのだと言われているみたいだ。


「どうした?」


 はっとした時には、突き出した右手の拳が真正面からハーミットに掴まれていた。ぐっと後ろに引くが、その力強さは相当なもので彼の手から抜け出せない。


「くっ!」


 左手の拳で顔面を捉えようとするが、それも少し角度をずらしただけで躱されてしまう。


「あっ……!」


 しかも、拳を引き戻すより先にハーミットは首を傾けて挟み込んできた。幾ら力強く引っ張っても、まったく微動だにしない。


「ま、まだっ!」


 少し距離が短いが、足場はしっかりとしている。蹴りを腹部に叩き込もうと足を上げるが、彼はまだ右手が自由だ。蹴りを決める前に足を掴まれてしまい、覇王は片足を残した状態で攻撃の術を失ってしまう。


「遠慮なく、やらせてもらう」

「がっ、は……!?」


 がら空きとなった腹部に、ハーミットの蹴りが叩き込まれる。それでも、彼はまだ覇王を離そうとはせず立て続けに蹴り込む。


「あっ、ぐっ……!」


 再びハーミットが蹴りを決めるより早く、覇王は頭突きで怯ませ、緩んだ首の拘束から逃れた左手を開き、掌底で顔の側面を強く押した。


「…ふっ、やるな」


 距離を取って対峙した2人。覇王の少女は呼吸を僅かに乱しており、汗を手荒に拭う。対してハーミットは、まったく動じていない。


「…覇王、貴殿は何故に戦いを望む?」


 いきなりの問いかけ。覇王は戸惑いの表情を見せ、俯いた。


「噂を耳にした。覇王イングヴァルトを名乗る少女が、夜半時に出向いては戦いを望んでいると。貴殿で相違ないか?」

「……はい」

「ならば今一度問おう。何故貴殿は戦う?」

「…私の中で、終わらぬ戦いがあるのです」


 俯いた面は上げない。強者の前では、絶対に見せてはならない弱さがある。覇王の少女が受け継いだ記憶に眠る“彼”が、その姿勢を強制する。


「列強の王達を斃し、己が強さを証明しなくてはならないのです」

「…それは、貴殿の本意なのか?」

「っ!」


 揺れる髪。動揺しているのが手に取るようにわかる。ハーミットは言葉を続けず、彼女の回答を待った。


「…無論です!」


 多少の距離も、覇王独特のステップを活かして一気に縮めてくる。突き出された拳を、ハーミットは半身だけ後ろに体躯を反らしてやり過ごす。彼女が繰り出した拳が空を薙いで力を出し切ったところで、ハーミットが動き出す。


「もらった!」

「あっ……!」


 反った体躯を戻さず、そこから後転すると両足で覇王が突き出した拳を挟み込む。絡んだそこから脱しようと、空いている手でハーミットが捉えている足首を掴もうとする。


「ならば!」


 それより先にハーミットは拘束していた覇王の手を放し、開いた両足で蹴りを見舞う。


「覇王、列強の王は既に死しているのではないか? それでもなお、貴殿は戦おうと言うのか?」

「もちろんです。弱き王であるならば、屠るまでです!」

「…そうか。では、貴殿の全力を見せてもらおう」


 ハーミットは構えを解き、覇王の一撃を待つ。対峙した少女は、彼の厚意に戸惑いつつも力強く拳を握り直す。


「この身は、いつも後悔でいっぱいです……! 彼女を……聖王、オリヴィエを守れなかった後悔が!」

「苦しいか? ならば吐き出せ! 貴殿の後悔も、覇王イングヴァルトから寄越された後悔も、総て!」

「あっ……はあああぁぁっ!」


 走り出し、覇王は後ろに引いた掌を強く押し出す。


「覇王……!」


 ぎゅっと握り締めた拳に、彼が言ったように総ての後悔を乗せて───。


「…断空拳!」


 打ち出した拳は、しっかりとハーミットへと届いた。


「…っ、く……!」


 ノーガードと言うこともあって、流石のハーミットも苦痛に顔を歪める。直撃した腹部を押さえ、しかしすぐに笑んだ。


「これが、覇王断空拳……か」

「…足先から練り上げた力を、拳足から打ち出す技法そのものが『断空』です」

「ふむ……」


 しばし先程の覇王と同様の動きを繰り返し、そして───


「“こう”か?」


 ───距離を詰めると、覇王の腹部に掌底で叩き込んだ。


「がっ!?」

「…おっと」


 不慣れな技ほど危険なものはない。覇王に致命傷がないように力はコントロールしているが、よく知りもしない技を使ってはどうなるか分かったものではない。ハーミットは覇王を離して、その場に座らせる。


「貴殿の拳、確かに受け止めた……と、言いたいところだが」

「は、はい」

「その前に、すまぬ。貴殿にいきなり手を上げたこと、心より詫びる」

「い、いえ」


 覇王の少女はそう返答するものの、先程の一撃はかなり堪えたのか意識が朦朧としている。頭を押さえ、ハーミットへの答えも覚束ない。


「…む?」


 やがてダメージに耐えられなくなり、彼女はその場に伏してしまった。そして次の瞬間、光に包まれたかと思うとバリアジャケットから普段着に戻った。


「これはまた、随分と幼い覇王だな」


 溜め息を零し、ハーミットは幼くなった覇王の少女を抱き抱える。その拍子にポケットから小さな鍵が落下した。どうやらコインロッカーのもののようだ。


「…確か、近くにあったな」


 この鍵を使うコインロッカーなら見たことがある。ハーミットは少女を抱えると、コインロッカーへ歩き出した。


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