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小説
Episode 1 邂逅
『兄やん♪』


 大好きだった兄。彼に優しくしてもらえるのが嬉しくて、いつも甘えてばかりだった。


『ウチ、兄やんのこと大好き!』


 幼子の戯言──そう思って、本気にしてもらえなかっただろう。だが、それでいい。自分は兄が大好きなのだから。

 ずっと、一緒に居られたら──けどその願いは、唐突に絶たれた。


『兄やん、どこ行くの?』


 1人で外出する兄を見つけ、ジークリンデは駆け寄る。


『ウチも兄やんと一緒に行く!』

『ダメだ』


 意気込むジークリンデに、彼女の兄は強く否定した。振り向き、優しく頭を撫でてくれた兄。この日撫でてもらったのが最後になるとは、思ってもいなかった。


『ジークリンデ、未熟な兄を赦してくれ』

『兄やん?』

『ジークリンデ。これからお前には、苦しいことや、辛いことがしばらく続くだろう』


 まだ幼きジークリンデは、その言葉の意味が分からなかった。ただなんとなく聞いているだけだと気づきながらも、彼は続ける。


『だが決して、家族を……祖先を恨んではいけない。恨むのなら、愚かな兄を恨め』

『兄やん? 何を言っているの?』

『…直に、分かる日が来る』









「……夢」


 爽やかな目覚めとは言いづらい。先程まで見ていたのが夢だったと分かり、少し気が沈む。夢に出てきた相手は、自分の実の兄。10年以上も前にどこかへ行ってしまった彼とは結局、今まで再会できていない。


「兄やん、どこ行ったんやろ?」


 自分と同様に放浪癖があるのだろう。兄が早く帰ってきてくれることを願いながらテントの中でもぞもぞと動き、着替えていく。ラフなシャツの上からジャージを着るだけだが、一番動きやすい。


(朝食、どないしよ?)


 いつもお世話になっている食堂は、今日は店休日だ。とは言え、空腹には抗えない。何かないかと探してみるが、生憎とお菓子しか見当たらない。こればかり食べていたら、ヴィクトーリアに怒られることは必至だろう。


「ん〜、今日はとりあえず……これでええかな」


 食事は簡単に済ませてしまうことが多い。栄養は考えているから大丈夫だろう。親友のヴィクトーリアと再会した際に、彼女の執事が持たせてくれたおにぎりがある。それと、お惣菜の唐揚げや紅鮭を一緒に食べた。


(そういえば……兄やんは料理上手やったな〜)


 幼少の頃から、ジークリンデの兄は料理が得意だった。手伝おうとするが、刃物を扱っている時は凄く怒られた。


「あ〜……兄やんに逢いたいなぁ」


 所謂、ブラコンなジークリンデ。ヴィクトーリアに兄について話したことがあったが、彼女に呆れられてしまった。


「ん〜! 今日も気持ちのええ朝やね♪」


 テントから出て、大きく伸びをする。朝陽がちょうど、山の向こうからゆっくりと顔を出した。





◆◇◆◇◆





「…見当違いですね」


 まだ少し肌寒い夜。碧銀の美しい髪が風に舞い、月華に照らされて美麗に映える。彼女の足元には、1人の男が倒れていた。ただ気絶しているだけだが、その肉体はしっかりとしており、目の前の少女が容易く倒したとは思えなかった。

 白と翠を基調としたバリアジャケットには、一切の汚れがない。汗を掻いた風もなく、快勝したと見受けられる。少女はこの場を去ろうと踵を返す。だがその時、勝利を祝うかのように拍手が夜空に木霊した。


「見事な戦いぶりだ」

「…何者ですか?」


 暗闇から姿を現したのは、20代後半と思われる男。真黒なコートにはフードがついていて、それを深くまで被っているので顔は上から半分がまったく見えない。気配を隠すのがうまい。自身の力を過信しているわけではないが、近くから見ている者がいれば気づいたはずだ。件の男の実力は、自分を上回っていると見て間違いないだろう。


「何者、か……さて、俺は何者だったかな」


 ふざけているとは思えない。少女は気を引き締めたまま、男と対峙する。


「そうだな。ハーミット、とでも名乗っておこう」

「ハーミット……」


 隠者──ハーミットと名乗った彼は、口の端に小さな笑みを浮かべて問う。


「貴殿の名を聞かせてもらいたい」

「…覇王、イングヴァルト」


 覇王の名に、ハーミットは驚いたようだった。表情が全部見えているわけではないので確証はないが。


「覇王……これは、益々貴殿に興味がわいた」

「何が、お望みですか?」

「貴殿との勝負。ただそれだけだ」

「勝負……」

「無論、断ってくれても構わない。貴殿にメリットがないかもしれんからな」


 覇王の少女はしばし考え込み、思案顔になる。だが、それもほんの数秒だけ。


「お引き受けしましょう」

「…驚いた」

「そうですか? 私も、貴方に興味がありますので」


 すっと、構えを取る。だが、対してハーミットは腕を組んだまま。訝しむ覇王に、彼は歩み寄る。


「貴殿の左手、少し痛めたようだな」

「っ! 何故、それを……!?」

「これでも武術家なので、な。
 しかし、その状態での貴殿と戦うのは本意ではない。また何れ、改めて一槍願おう」

「…待ってください」


 立ち去ろうとしたハーミットを、今度はアインハルトが呼び止める。彼女の双眸はオッドアイではあるが、どちらも凛とした強さを宿していた。


「3日後、23時にここへ」

「…貴殿の不調がなければ、見えよう」


 それだけ言い残すと、ハーミットは夜天へ身を躍らせて消える。それを確認してから、覇王と名乗った少女もまたその場を立ち去った。


「ハーミット……」


 今から3日後が楽しみだ。


(? 楽しみ……?)


 楽しさを感じたのは、これが初めてだった。彼女は再びハーミットが去った方を見る。満月だけが照らすそこに、もちろん彼の姿はなかった。





◆◇◆◇◆





「覇王……覇王、か」


 3日後に勝負を契ったハーミットは適当に選んだビルの屋上まで来ると、縁に腰かけて街並みを見下ろす。見下すのではなく、見下ろすことが大事だ。気持ちを安定させるためだが、意外と難しい。

 ハーミットは覇王と名乗った件の少女を思い出し、小さな笑みを浮かべる。自分も、彼女のようにがむしゃらまでに力を求めていた時期があった。いや、もしかしたら今も求め続けているのかもしれない。かつて、愛しき者を守れなかったことから、家に背き、躍起に力を求めていたことがある。その気持ちが、今も深く根付いたままだとしたら───。


(そういえば……覇王と言えば、家と関わりがあったか)


 そのことを思い出すが、すぐに忘れる。最早、家も覇王もどうだっていい。今はただ、気ままに生きていければそれで構わない。


(しかし、期せずして覇王の末裔と会うことになろうとは……)


 偶然とは本当に恐ろしい。もしかしたら、会いたくない相手と巡り合ってしまうこともあり得るかもしれない。今も被っているフードだけでは心許ない気もする。


「…さて、行くか」


 立ち上がり、ハーミットは今日の寝床を求めてビルから隣のビルへジャンプして移動していく。その姿を捉える者は誰一人としておらず、彼の身体能力の高さを物語っていた。


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