小説
Episode 17 敗北
『タイプゼロって、なぁに?』
幼き少女の問いに、周囲にいた少年少女たちは一斉にそちらを向いた。まだ小さな彼女には、その質問が禁句で、愚問だったと分かるはずもない。憎しみを双眸に宿した彼らの視線にも気づかず、教えてくれるのを待つ。
『…タイプゼロは、僕たちが絶対に殺さなきゃいけない存在だ』
『R……!』
代表して答えたのは、彼らの中でも最も力のある少年、Rだった。別に、少女が聞いたからと言って誰も彼女をどうにかしようと言う気はない。あるのは、タイプゼロと研究者たちへの憎しみだけ。この世界を壊しつくしたら、勝手に自爆するようにプログラミングされているのだ。誰だって、憎悪を持つだろう。
『こらこら、子供になんてことを教えているんだい、R』
『博士……けど!』
『この世に、殺していい人なんていないさ』
『人……? 何言ってんだよ、タイプゼロは俺らと同じ化け物だろうが』
研究所から脱出の手引きをしてくれたポルテ博士。彼は面倒見がよく、26人の戦闘機人を全員連れ出してくれた。その途中で、1人だけ命を落としてしまったが。
『直に分かる時が来るさ』
ポルテ博士の言うことは本当だった。現にR──ヴィレイサーは、後にクイントに助けられ、そしてタイプゼロの少女2人と知り合った。2人は、自分と同じ戦闘機人で、そして確かに人間だった。
『R……』
『なんだよ』
『タイプゼロなんて、殺したって誰も悲しまないわ』
Eの言葉を、その頃のRは信じ切っていた。
その後、追いかけてきた研究者によってポルテ博士は死亡。全員が各地の研究所に移送された。そこで、Rはクイントに救出される。移送されたことが幸いしたと言うわけだ。
『ギンガ、スバル。この子が、2人のお兄ちゃんよ』
人懐っこい2人が自分の参考になったタイプゼロと知ったのは、それから数か月後のことだ。その時には既に、タイプゼロへの憎しみなんてどうでもよかった。家族と言う温もりに触れ、そんな感情は過去においてきた。それだけ自分が温もりに飢えていたのか、それとも流されやすかったのかはわからない。だが、その時抱いたのは恐怖だった。かつての仲間は皆、タイプゼロを憎んでいる。それなのに自分だけのうのうと生きていて、それもタイプゼロの兄になって……自分は、罪深い気がした。
それからずっと、ギンガとスバルから少しずつ距離を取るようになった。聡いギンガはそれにすぐに気が付いて彼女の方からも距離を取り、スバルにもそれとなく距離を取らせた。それでも、それまでに築いた絆が壊れてしまうことはなく、クイントが任務で殉職するまで、Rはヴィレイサーとして、ギンガとスバルの兄として傍に居た。
10年の時が何を変えてくれたのかは分からない。分かった所で、変わってしまったものはもうどうしようもない。ギンガもスバルも、すっかり大きくなって見違えた。もうタイプゼロとかそんなの関係ない。大事な妹を守り抜こう──そう、決めたはずだ。それなのに───。
「そこを退きなさい、R」
Eの大剣が、今にも自分とギンガを貫こうとしている。
「R、貴方だって言ったじゃない。『タイプゼロは死ぬべきだ』って」
「え……?」
その言葉に、ギンガは兄の背をじっと見る。彼の返答と、それが真実なのか探るように。やがて彼は立ち上がり、ゆっくりとギンガの方を見た。
「Eの言うとおりだ、ギンガ。
俺は、お前が……タイプゼロが憎かった」
「に、兄さん……そんな……!」
告げられた真実が、鋭利な刃となってギンガの心を裂く。本当に切られたわけじゃないのに、凄く胸が苦しくて痛い。自然と、涙が零れた。
「R……私がタイプゼロを殺すか、それとも自分の手で殺すか……2つに1つよ」
どちらを選んでも、ギンガを殺さなくてはいけない。Eの怒りはそう簡単に収まりそうもないと如実に表していた。
「いや、それは違う」
だが、ギンガを殺させてはならない。自分は彼女の兄なのだから。大切な妹を見殺しにするほど、落魄れた兄ではない。
「ギンガは、殺さない」
「なら、私を殺すの?」
「それも、断じて否! Eも殺さない」
「…せいぜい足掻きなさい」
振り下ろされる大剣。ヴィレイサーはギンガを突き飛ばし、デバイスを起動させて受け止める。
「うっ、ぐ……!」
重たい一撃に加えて、戦闘機人特有の強い膂力。ヴィレイサーは容易く膝を着かされ、床が重みに耐えきれずへこみ、或いは軋んで乾いた音を立てた。
「R、貴方は言ったはずよ。タイプゼロが憎いと! その言葉に、仲間がどれだけ賛同していたか……それを知りながら、貴方は彼らを裏切った!」
ヴィレイサーの背後に控えているギンガにも聞かせるように、Eは声高に真実を述べていく。彼女の言う通りだ。否定はしない。気が変わったと、そんな安っぽい言葉で赦されるほど浅い怨みではないことも重々承知している。
「だとしても! 俺は、ギンガを殺させない」
「それだけの価値が、彼女にあると?」
「そんなことは、知らないさ」
太刀を斜めにスライドさせて大剣が振り下ろされる軌道をゆっくりと外へと広げていく。瞬時に抜け出し、ヴィレイサーは躍り出た。
「お前は、他人の価値観で相手を認める奴じゃないだろ」
「…ふんっ」
真一文字に振るわれた大剣の真上へ跳躍すると、彼女は急制動をかけて大剣を止め、横から縦に刃の向きを変える。
「価値なんて考えたことがない。誰がなんと言おうと、ギンガは俺の大切な妹なんだよ!」
「戯言を……! タイプゼロなんてものが出来上がり、可能性が具現してしまった……その可能性に食い殺されたのが、私達よ!」
下から上へ、一気に引き上げられた刃がヴィレイサーを真っ二つに引き裂こうとする。身を捻ってかわしたと思ったが、裂帛の音が微かに聞こえた。
「タイプゼロは……死すべき存在でしかないわ!」
ヴィレイサーが着地した刹那、Eは大剣をギンガへと突き立てて抛る。
「ギンガ!」
《Sonic move.》
呆然としていた彼女は、避けるでも防御するでもなく、ただその場にへたりこんでいた。
「おい、ギンガ! しっかりしろ!」
間一髪の所で割り込んだヴィレイサーが助け出すことに成功した。両肩を掴んで強く揺さぶるが、彼女は呆けたまま。よほどのショックだったようだ。
(それだけ、俺を信じていたってことか)
この場から逃げることは出来ない。Eを説得せずに逃げれば、彼女が他の戦闘機人と合流した際にギンガのことが間違いなく伝えられてしまう。そうなっては、守れなくなる。
「…Rも、一緒に死になさい」
眼前に立つEの双眸は憎しみを宿しており、背後にいるギンガは絶望の色を瞳に滲ませ、涙を懸命に堪えていた。
「…E、どうしてもギンガを殺すのか?」
「愚問だわ」
「そうか……なら、俺もお前を殺す」
その一言に、ギンガが小さく反応した。兄に人殺しなんてして欲しくない。慌てて面を上げた時、2人は激しい剣戟を繰り広げていた。
「はあぁっ!」
「おおぉっ!」
ぶつかり合う刃と刃。火花を散らした後、互いの持てる力の全てを乗せて、今一度肉薄する。
「兄、さん……」
自分が嫌いだった時は、子供の頃に何度もあった。周囲と違うことを強制的に分からせられていたし、研究所では性能のテストと称されて痛い想いをたくさん味わわされた。それでも、クイントに助けて貰ってからは明るく過ごせた。妹のスバルがいて。大切な母と父と過ごせて。そしてなにより、大好きな兄が傍に居てくれて嬉しかったのだ。
「E……ギンガは、やらせない!」
「タイプゼロは、忌むべき存在だと……何度言えば分かるの!?」
だけど今は、何も分からない。信じて、好きになった人は、ずっと自分を憎んでいた──その事実は、断じて受け入れられないものだった。
「私、なんだ……」
ヴィレイサーとシエナが、RとEが死闘を繰り広げている。その結果を起こした引き鉄を引いたのは、誰であろう自分。
「…──メ!」
仲間同士が戦うなど、決してあってはならないことだ。気付いたら、ギンガは2人に向かって走り出していた。ヴィレイサーの刃が、今にもEを貫こうとしている。
「ダメーーー!!」
咄嗟に、2人の間に割り込む。その行動に驚いたのはヴィレイサーだけではない。Eも、反撃のために振りかぶった大剣を止める。
「兄さん、ダメだよ! シエナさんは兄さんの仲間なんだよ?」
「ギンガ……」
「仲間同士で殺し合うなんて……凄く、悲しいことだよ」
涙ぐむギンガの言葉と、彼女の咄嗟の行動が理解出来ず、Eは一歩ずつ後ろへ下がっていく。
「貴女は……私達が憎くないの?」
「どうしてですか?」
「私は貴女を殺したいと思っているし、彼だって憎しみを宿していた……一方的に憎悪を押し付けられているのよ?」
「そうですね」
Eに同意し、しかしギンガは苦笑いした。
「でも、その通りですから」
認めてしまった──ヴィレイサーの手から愛機が零れ落ち、彼は膝を着く。ギンガには重すぎる憎悪を背負わせてしまった後悔と、何も出来ない無力な自分が彼を跪かせる。
「シエナさん……私は、貴女に死んで欲しくありません。兄さんにも、人殺しなんてさせたくないです。
だから、どうしてもと言うのなら……私を殺してください」
「ギ、ギンガ!」
「…怖くないの?」
ヴィレイサーを手で制したギンガをじっと見据えて問う。真意を探るよう、瞳が鋭くなる。
「怖いです。大好きな兄さんや、父さん、スバル達にもう会えないかと思うと、凄く」
膝が震える。恐怖に戦く姿は、演技などではなく確かなものだった。
「でもそれ以上に、兄さんが貴女を手にかける方がずっと怖いですから」
「……だから、自分を犠牲にすると?」
「…はい」
頷いた瞬間、乾いた音が響いた。左の頬が痛い。
「シエナ、さん?」
ギンガを叩いたのは、ヴィレイサーではなくEだった。驚くギンガを他所に、彼女は踵を返す。
「興醒めだわ」
「E……」
「R、1つ貸しにしておくわ。彼女を殺せたこと、肝に銘じておきなさい」
彼女の言葉に、ヴィレイサーは拳を強く握る。自分はずっと呆けていた。その隙にギンガを殺されていたとしてもおかしくない。負けたのだ、自分は。Eの気が変わらなかったら、間違いなくギンガを失っていた。
「ちくしょう……ちくしょう……!」
悔やむヴィレイサーと呆然とするギンガを一瞥して、Eは立ち去った。
(何が、守るだよ……! 俺は、ギンガを守れなかった……)
項垂れる兄に、ギンガは声をかけることも出来なかった。
『タイプゼロは死んだ方がいい……貴方だってそう言ったじゃない!』
Eの言葉が、強く耳に残って離れてくれない。自分は兄に寄せていた信頼を失ってしまった。1度抱いた恐怖は、まったく薄れてくれない。
「…戻ろう」
どちらがそう言ったのか、その時の2人には分からない。ただ、それから108部隊の隊舎に戻るまで、1度たりとも会話がなかったことだけははっきりと憶えていた。
◆◇◆◇◆
「…ギンガ、報告は俺だけで行くから。お前は、部屋で休んでおけ」
108部隊の隊舎に到着し、後ろを振り返る。沈痛な面持ちは変わらず、少し面を俯かせていた。
「ううん、私も……」
「俺のことは心配するな。今は自分のことを大事にしておいた方がいい」
「でも……!」
なおも食い下がろうとするギンガを制し、ヴィレイサーは微笑する。途切れ途切れだが、まだ話せるようだ。今の内に、ギンガを大人しく部屋へ帰らせた方がいいだろう。
「ギンガ、俺はお前が心配なんだよ。だから今は、俺の我儘を聞いてくれ」
「……うん」
納得はしていないようだが、なんとか承諾は取れた。
「ありがとう」
そう言って、ギンガを撫でようと彼女の頭に手を伸ばす。だが、それが叶うことはなかった。
「ぁ……!」
「…悪い」
ギンガは、無意識のうちにヴィレイサーの手から逃れようと頭を逸らす。自分でも、その行動に驚き、慌てて口を開くが、何を言えばいいのか分からず言葉が続かない。
「に、兄さん、私……!」
「焦るな、ギンガ。お前はお前の思うように動いてくれればいい」
本当は、寂しい。ギンガに拒まれてしまった現実が、ヴィレイサーを不安にさせる。
「兄さん……」
そしてギンガもまた、自分がしてしまったことを悔いる。無意識のことだったとは言え、兄を傷つけたも同然だ。歩き出した兄の背を目で追うしかできず、ギンガもやがては踵を返して自分の部屋へと歩いていく。
初めてできてしまった溝は、どこまでも深く、正に深淵と言っていいほどに感じられた。
◆──────────◆
:あとがき
ながらくお待たせしてしまい、申し訳ありません。
今回はEに敗れた上に、ギンガとの距離ができてしまう形となりました。当初はギンガの持ち前の明るさで距離ができることはなかったのですが、やはり好きな人に恨まれていたと言うのは相当堪えるかなと思いまして。
まぁ、一番の理由はヴィレイサーがヘタレなのがいけないんですけどね。
互いに仲直りするのも、予定としてはギンガの方から歩み寄るパターンですので。
じ、次回こそはこんなにも間を空けないよう気を付けます……本当に、すみませんでした。
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