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小説
約束




 鬱蒼と茂った森林を、小さな影が3つ駆け抜けていく。一番前を走る少年は、時折後ろを振り返っては続く2人を置いて行ってしまわないように速度を緩めたりする。


「はっ、はっ!」


 この中での紅一点の少女が、段々と息が上がってきた。目的地にも近づいてきているので、少年はすぐさま件の少女の隣に並んだ。


「大丈夫か、ヴィクター」

「あ、シグ。ご、ごめんなさい」

「何故謝罪する? お前は何も悪くない」

「そ、そうね。ごめんなさい」

「…少しは謝辞を言え。その方が、俺としてもありがたい」

「分かったわ。頑張る」

「お嬢様、意気込むのは構いませんが、また空回りしてシグルドに迷惑をかけないように」

「もう、エドガーは意地悪なんだから」


 2人の会話に、最後尾を走っていた少年が追い付いた。

 3人はそれから歩いて目的地に向かい、ほどなくしてそこに到着した。流れの緩やかな小川は、森林が覆っていることもあって日差しも然程降り注いでおらず、避暑を求めてやってきてちょうど良かったと思う。


「ふふっ、一番乗り〜♪」

「ヴィクター、あまりはしゃぐと怪我をするぞ」

「大丈夫よ。その時は、シグが助けてくれるのでしょう?」

「…やれやれ、手のかかる」

「まぁまぁ、私も付いていますから」


 早速小川ではしゃいでいる少女──ヴィクトーリア・ダールグリュンは、動きやすいトレーニング服を着ていたので濡れるのも気にせずに座り込んだりして水流の冷たさにほっと一息をついている。

 ふと彼女が視線を移すと、ついてきた2人の少年──シグルド・エレミアとエドガーは持参したクーラーボックスから飲み物を取り出し、浅瀬に沈めて自然に冷やしたり、調理を始めたりしている。


「シグ、エドガー! 2人とも入らないの?」

「あぁ。俺は気が乗らんのでな」

「私は調理がありますから」

「…そう」


 1人でのんびりしているのが物凄く申し訳ない気持ちになってくる。

 ヴィクトーリアは、雷帝と謳われるダールグリュン家の一人娘だ。毎日値の滲むような努力を繰り返し、雷帝の名に恥じぬようにしつけられている。今日は日頃の労をねぎらおうと言うことで出かけることを赦されたのだが、車に乗ってどこかに行くより、修行がてら友達と共に行動したくてここを選んだ。

 その友達と言うのが、ヴィクトーリアが【シグ】と愛称で呼んでいるシグルドだ。彼の家もまた、武術家として名をはせている。格闘戦技と言う概念すらなかった時代に、己の五体を駆使することで敵を破壊する技術を追求していった一族こそエレミアにあたる。ダールグリュンの家とは古くからの交流があり、互いの子供に良好な関係を築かせて互いを支えさせているのだ。もちろん1度もわだかまりがなかったわけでもなく、大人の世界を知ってしまった彼ら3人はより互いの絆を深めていった。


(一番嫌いなのは、エレミアの分家ね)


 ヴィクトーリアは力だけを重視しているエレミアの分家、イザヤのことが大嫌いだった。毎年、インターミドルチャンピオンシップにも出場している者がいるらしいが、結局は優勝を1度も勝ち得たことがないとか。中には危険行為で出場停止になった者を拾い、更に鍛錬を積ませていると母から聞かされた。


「シグ、何か手伝うことはない?」

「いや、不要だ」


 小川から上がって駆け寄ってみたが、何もないと言われてしまった。しょんぼりとした表情はあまり見せたくないのだが、彼らしかいないとつい年相応の姿を見せてしまう。


「ヴィクター、そう気落ちするな」

「え?」

「お前が必要な時は、必ず言う」

「あ……えぇ、待っているわ」


 シグルドに頭を撫でられて、すぐ笑顔になる。自分はなんて現金なんだろうと思うが、それでもこの気持ちに正直でありたいと思っていた。


「お嬢様、シグルド。残りは私がやっておきますから、お二人は遊んできてください」

「しかし……」

「いいの?」

「もちろんですとも」


 エドガーだけに任せるのは気が引けたが、普段から執事としてダールグリュン家に従事しているので安心して任せられる。


「じゃあ、少し手伝ってから行きましょう、シグ」

「それもそうだな」

「…では、そちらをお願い致します」


 しばらくエドガーを手伝うことにしてヴィクトーリアとシグルドは指示に従った。丁寧な包丁さばきで食材を調理していくエドガーに、2人はただただ驚いてばかりだったが。


「役に立てませんでしたね」

「まったくだな」


 日陰に移動し、熱のこもっていない岩に寝そべり、生い茂った樹木のほんの小さな隙間から青空を眺める。結局、料理はほとんどエドガーがこなしてしまった。火を起こすぐらいならできるかと思ったが、それはシグルドが率先してしまったので、ヴィクトーリアは何もしなかったと言っても過言ではない。


「しかし、あれがエドガーの仕事でもある。あいつを頼るのも、あいつにとっては嬉しいことだろう」

「そう、なのかしら……?」


 ヴィクトーリアは、ダールグリュンの一人娘として既に多くの人間を見てきた。だが、エドガーのように仕事をきちっとこなし、信頼できるものはおらず、故に自分が頼ってしまうのがおこがましい気がしてしまう。

 そしてシグルドは、初めて自分の努力を認めてくれた大切な人だ。努力を見てくれたからと言って、決して甘やかすわけではない。強く、気高く、そして時折見せてくれる優しさに、いつしか惹かれていた。だが、所詮は子供だ。まだ想いを伝える勇気もなければ、それが成就するとも思っていない。こうして一緒に居られるだけでも、ヴィクトーリアからすれば幸せだったから。


「…なんだ?」

「え?」

「先程から、こちらばかり見ているではないか。ずっとお前の視線を感じたぞ」

「ふふっ、シグルドは凄いわね。どこを見ていても、視線を感じるなんて」

「お前とて、鍛錬を積めば何れはなせることだ。
 今は苦しくとも、いつかは実を結ぶ……お前が雷帝の血筋にあるからではなく、お前自身が強いから、な」


 優しく頭を撫でてもらえるのが凄く嬉しい。照れながらもそれを受け入れつつ、いつも優しくしてもらっているであろう彼の妹がちょっとばかし羨ましかった。


「そういえば……妹さん、名前なんて言ったかしら」

「あぁ、ジークリンデだ。周りからはジークと呼ばれているよ」

「ジークリンデ、ね。いつか会うことになるのでしょうけど、仲良くできるといいわ」

「お前と彼奴であれば問題ない。寧ろ心配する必要などないぞ」

「そう?」

「あぁ。だが……」

「うん?」

「…いや、また後にしよう。エドガーの方も準備が整ったようだ」

「…分かったわ」


 こういう時、強く聞いても彼は教えてくれない。素直にエドガーが作ってくれた料理に舌鼓を打つことにした。





◆◇◆◇◆





「では、お嬢様にはまだ……?」

「うむ。中々、切り出せるものではないのでな」


 食器を片づけることをヴィクトーリアに任せ、シグルドとエドガーは開けた場所に出て行った。

 2人は互いのデバイス、リベリオンとハイペリオンを起動させ、それぞれの得物を構える。シグルドは両手と両足を覆い隠すような甲を纏い、エドガーはレイピアを持って互いにぶつかり合いながら会話を続ける。

 決して手ぬるい戦いではない。その歳にそぐわぬ戦いぶりは、周囲を見ればよく分かる。巨岩は削れ、木々は薙ぎ倒されている。ありとあらゆる自然物がなんらかの損傷を受けていた。

 突きを仕掛けようとするエドガーのレイピアを掴み、放り投げるシグルド。しかし、エドガーは咄嗟に愛機を手放し、投げられる前に彼の頭に蹴りを叩き込んだ。よろめいたシグルドを押し倒し、その手から愛機を奪い返してまた起動させる。


「…しかし、早く言わねばお嬢様が悲しみますよ?」

「分かってはいるのだが、いざ話そうとすると躊躇いを覚えるのだ。致し方なかろう」

「お嬢様も、貴方を慕っていますからね」

「…『も』とは、どういう意味だ?」

「さぁ、何故でしょうね」


 小さな笑みを浮かべ、エドガーはレイピアを戻した。彼は先に走り出し、ヴィクトーリアが待つ場所に戻っていく。シグルドはしばしその後ろ姿を見送った後、すぐ走り出した。


「あ、シグ」


 シグルドが姿を見せると、すぐ笑顔を見せてくれたヴィクトーリア。しかし、それに対してシグルドの表情はどこか晴れない。


「どうかしたの?」


 それを敏感に察し、ヴィクトーリアは遠慮がちに訊ねてきた。シグルドはエドガーに目配せし、彼にしばらく離れていてもらう。


「ヴィクター、大事な話があるのだが」

「え?」


 そう言われて、ヴィクトーリアは固唾を呑んだ。期待からではなく、不安からくる緊張に、すぐに頷けない。頭を振って自分を少しでも冷静にさせる。


「分かりましたわ」


 笑顔でそう返したつもりだったが、彼にはきっと、それが作りものだとばれているだろう。それでも何も言わずにシグルドは少し歩き、やがて唐突に立ち止まった。

 小川のせせらぎが、耳に強く残る。シグルドがこれから言う言の葉を聞き逃さないよう細心の注意を払いたくなるほど、ヴィクトーリアは緊張していた。


「ヴィクターは、エレミアの家とイザヤの家が不仲なのは……知っているな?」

「えぇ。そういえば、ついこないだもイザヤの側といざこざがあったと聞きましたわ」

「そのことで、俺は家を出ることにしたのだ」

「え……? い、家を出るって……どういうことなんですの?」


 嘘だと言って欲しい──そう切に願いながら、ヴィクトーリアはシグルドの腕を掴んで次の言葉を待つ。


「イザヤとは、お前の家、ダールグリュンよりも古い付き合いなのだが、そこである決まりを交わしていてな。
 兄弟姉妹が生まれた時、より強い方を引き渡すことになっているのだ。故に、10日ほど前にジークリンデと手合わせしたのだが……俺が、敗れてしまった」

「そんな……シグが負かされるなんて、そんなはず!」


 絶対にない──そう思っていた。なのに、まだ8歳の少女に敗れてしまった現実が、彼から突き付けられる。


「だが、俺はあの危なげな愚妹をイザヤに回す気になれぬのだ。それは、両親も同じ思いなのでな。
 そこで、俺を勘当することでそれを避けようと言う魂胆だ」

「か、勘当って……! 何もそんなことまでしなくとも!」

「ヴィクター、落ち着け。これは俺が言いだしたことだ」

「シグ、が?」

「いくら愚妹とは言え、俺にとって大切な妹に変わりはない。
 あの危うい妹を守ってやれるなら、俺の人生など容易く棄てられる」

「でも……」


 つまり、シグルドを勘当して兄妹と言う関係を消し去ることでジークリンデをイザヤ家に渡さずに済むと言うことらしい。だが、それを簡単に納得できるはずもない。ヴィクトーリアは沈痛な面持ちを見せられず、俯かせてしまった。


「…お前の言い分も分かる。さりとて、これは避けられぬこと故、な」

「なら、私の家に来て」

「ヴィクター……」


 小さいヴィクトーリアの身体が、シグルドに抱き着いた。少し涙ぐんでいるものの、彼女の言葉は本気に取れる。


「お前の申し出はありがたいが……それだけは、せぬ」

「シグ……」


 そんなことを言われると、変に期待してしまう。ダールグリュンの家へ招いてしまえば、彼とは兄妹の関係になる。それは、ヴィクトーリアからすれば絶対に認められない関係だ。


「ヴィクター、お前にどうしても頼んでおきたいことがある」

「何?」

「ジークリンデのことだ。先も言ったが、彼奴はまだ己の力を見極めきれていない。
 だからこそ、支えが必要になる。それも、お前のような年の近い友が」

「私が、支えに……?」

「あぁ。お前ならば必ずや、彼奴の良き理解者であり、友になれる」

「…分かりましたわ、シグ。貴方と、約束します」


 涙ぐんでいたヴィクトーリアだったが、やがて面を上げて微笑んでくれた。やはり彼女ほど芯の強い女性はいない。だからこそ妹のことも安心して任せられるのだ。

 この翌年、シグルドは放浪の旅に出た。ヴィクトーリアが9歳、ジークリンデが8歳の時だ。シグルドはジークリンデよりも10歳も上なので、その時には既に18歳になっていた。

 ジークリンデと初めて会ったのは、この時だ。慕っていた兄が急に行方を晦ませたことで、普段の明るさを急激に失っていったと彼女の両親から聞いた。家に出向くと、ジークリンデは部屋の隅っこでぽつんと1人、縮こまっていた。全てを寄せ付けたくないと拒んでいるオーラを感じながらも、ヴィクトーリアはそれを抛っておくことが出来なかった。それはシグルドとの約束があったから──いや、なくてもきっと声をかけていただろう。そしてそれは、今も友好な関係を築いているジークリンデも同意見と言っていた。

 望まぬ破壊の力を持ってしまったジークリンデ。そんな彼女を支えるヴィクトーリアだったが、今はかなり多くの親友が出来た。ジークリンデはいつしかインターミドルチャンピオンシップに出場し、次元世界最強の称号を得た。その中で得た親友、ミカヤ・シェベル、そしてハリー・トライベッカは、いつかジークリンデに再挑戦することを胸に秘めている。

 命の危険を感じると、本能的に発動してしまう【エレミアの神髄】状態。それに魅せられた2人だったが、ヴィクトーリアは2人の再挑戦をあまり快く思っていない。力を恐れているジークリンデにそれを使うことを強要しているわけではないのだろうし、なにより【エレミアの神髄】とやらがなくとも、みなジークリンデのことを受け入れてくれるはずだ。それでも、どうしても不安になってしまう。

 いつか、ジークリンデが力に呑まれてしまうのではないか──そんな嫌な予感が頭をよぎってしまうのだ。





◆◇◆◇◆





「ヴィクター? ヴィクター!」

「……へ?」


 聞き親しんだ声に我に返ると、綺麗な黒髪をツインテールにした少女──ジークリンデが目の前にいた。心配そうに見詰めているが、ヴィクトーリアはふっと微笑んで彼女の頭を優しく撫でた。


「もう、急に黙ってもうたから心配したんやよ?」

「ごめんなさい。ちょっと、昔のことを思い出していただけだから」

「ふーん?」


 再び飲み物に口を付け、ココアを堪能するジークリンデ。その嬉しそうな表情を見ているだけで、こちらも和んでくる。


「…ヴィクター」

「何?」

「もしかして、兄やんとの約束のこと、考えていたん?」

「ど、どうして?」

「なんとなく」


 時々、ジークリンデはこうして見透かしてくる。本人は本当になんとなく感じ取っただけなのだろうが。


「正解よ」

「ウチに優しくするのが、兄やんに言われたからしていることじゃないか──ヴィクター、いつも悩んでいるんやね」

「だって、2人とも私にとっては大事な友達なんだし……」

「それ」

「へ?」

「ヴィクターが友達って言うてくれた時点で、ヴィクターがウチのことを友達として心配してくれているって、分かるんよ♪」

「ジーク……そうね。ありがとう」


 微笑み、ヴィクトーリアも自分の飲み物に口を付けた。

 何気なく髪を縛っているリボンに触れる。それは、シグルドが自分に送ってくれた初めての誕生日プレゼントだ。まだまだリボンの方が長いかと思っていたが、いつの間にやら自分に見合うものになったと思う。

 あれから既に7年が経過しているものの、いまだにシグルドは戻ってきていない。

 いつか彼が戻ってきた時、こんなにも可愛らしく、元気な姿を見せるジークリンデの姿を見せ、そして言いたい。

 『貴方との約束を守りましたわ』──と。










◆──────────◆

:あとがき
ヴィクトーリアはシグルドのことが好きです。シグルドも多少は意識していますが、まだ両想いではないですね。

ジークリンデも好きですが、それは本編で……やれればいいですね(遠い目

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