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小説
特別編 キスの日



「ねぇ、雑誌に書いてあったんだけど……今日はキスの日なんだって」


 昼食を食べている最中、後ろの席で話していた同僚の言葉が頭の中で繰り返される。その同僚らが席を外した後、急いでその席を陣取ったギンガ・ナカジマは、置いてあった雑誌を手に取ってぱらぱらと捲って、件の記事を見つけたのだった。

 今日、5月23日はキスの日──確かにそう書かれてあった。読み進めていくと、それはどうやら兄の出身である地球──正確に言うと日本──にあるらしい。別に特別な日でもないし、ただ気づいたら定着していた。そんな程度だと書いてあったが、ギンガは結局それについてぼんやりと考えてばかりいる始末に。

 お蔭で───


「あいたっ!?」


 ───午後からの仕事に身が入らないのだ。


「ナカジマ……?」

「カ、カルタス主任……」


 冊子で叩かれた頭に手を置き、痛みに「う〜」と悶えるギンガだったが、叩いてきた相手が上司だと分かるとすぐに立ち上がって頭を下げた。


「す、すみません!」

「まったく……体調が悪いなら休めと言ったが、そうでもないようだな?」

「うぅ……」

「はぁ……あんまり苛めると、お前の兄貴に怒られそうだから強くは言えないが……仕事に身が入らないなら、少し休め」

「…はい」


 しょげるギンガを見て、周りにいた同僚も不思議そうにしている。本来、彼女はデスクワークもそつなくこなしていくタイプだ。だがそんな彼女が仕事に行き詰まっているとなれば、体調を心配するのも当然だろう。


「でも、大丈夫ですから! いつもと同じように、遠慮なく仕事を回してください!」


 そんな同僚の視線に耐えきれず、思わずそう言ってしまった。だが、言ってから取り消すなどできるはずもなく、まして相手は上司だ。取り繕うこともできず、ギンガはにやりと笑ったカルタスに顔を引きつらせる。


「じゃあ、これを全部頼んだ」


 ドンッと置かれた書類の山。流石のギンガも絶句してしまい、ただ目を瞬かせるだけだった。


「一応、ここで処理する書類だけを選別したから、担当が決まっているものはないぞ」


 いくらカルタスがギンガの仕事が捗っていない罰を押し付けてこようと、担当者がいるものまで回したりはしない。だが、所詮ギンガの階級などたかが知れている。まだ立場が上ではない彼女に回す、担当者のいない書類だけを集めてもこれだけの山を築けるのは当然と言えた。


「そ、そんな……! いくらなんでもこれは!」

「ん〜? 何か言ったか?」

「うっ……な、なんでもありません」


 結局、ギンガは渋々と言った様子で書類の山に手を付けるしかないのであった。





◆◇◆◇◆





「…以上が、先の事件の報告になります」

「ん」


 それから数時間後───。

 陸士108部隊の部隊長室に2人の男性がいた。片や、その部屋の主である部隊長で、ギンガの父であるゲンヤ・ナカジマ。片や、その部下でギンガの兄であるヴィレイサー・セウリオン。今、ヴィレイサーはゲンヤに対して事件の報告をしていた。

 ちなみに姓がナカジマではないのは、まだ正式な養子縁組をしていないからだ。ヴィレイサーは10年以上前に戦闘機人の実験素材として地球から誘拐され、研究所から脱走している時にクイントに助けてもらい、ナカジマ家の一員となった。引き取られた順序で言えばギンガともう1人の妹であるスバルの方が先だが、年齢で言えばヴィレイサーの方が上にあたるので兄になったのだ。しかし、ギンガらを引き取ったばかりと言うこともあって、周囲から危なくないのかと指摘されていた時期だったために、ヴィレイサーは正式に養子として引き取ることができなかった。単なる居候──そんな風に周囲には話していたが、もう家族同然だったので、ヴィレイサーとしては養子縁組をしていなくても家族の一員にしてもらえてことがとても嬉しかったと、今でもはっきりと覚えている。

 しかし、残念ながらその数年後にクイントは事件に巻き込まれて殉職してしまった。それを機に、ヴィレイサーも1度地球へ戻った。それから何年か経ち、こうして戻ってきたのだ。正直、実家にいるのが辛くなったのもあるが、1番の理由はやはりギンガに──家族に会いたかったのだ。


「それでは、これで」

「あぁ、ちょっと待て」

「はい?」

「カルタスから伝言だ。ギンガの奴が、仕事に身が入っていないみたいだからなんとかしろってよ」

「なんとかって……俺に言われても困るんですが」


 そう口で返すが、表情はまったく嫌がっていない。苦笑いしつつも、妹の世話をできるのを喜んでいるようだ。

 ヴィレイサーもギンガも、互いにシスコンでブラコンな気がある。それは別にいいのだが、ゲンヤやカルタス、そして一部の同僚らは2人が好き合っているのではないかと思っていた。そしてその予想は見事に的中しており、しばしば2人をからかったりしてその気にさせようとしているのだが、ことごとく失敗していると言うわけだ。


「ともかく、行ってやれ。ギンガもお前と話せば少しは仕事を頑張るだろう」

「そんなまさか」


 一礼して、ヴィレイサーは部屋を出て行った。仕事から戻ってきたばかりで疲れているのだろうが、恐らく真っ直ぐにギンガがいるところへ向かうだろう。


「…やれやれ」


 正式な養子として引き取っていないことが、こんなことで功を奏するとはだれが予想しただろうか。


(…いや)


 ゲンヤの脳裏に、1人の女性の顔が浮かんだ。そうだ。彼女ならきっと、このことも予見していたに違いない。時折、ギンガとヴィレイサーがどうだの言っていたことがあったのを鮮明に思いだし、その女性の写真が収まった写真立てを見て目を細める。


「本当、お前は大した女房だよ。…クイント」





◆◇◆◇◆





「ギンガ、いるか?」

「に、兄さん!?」


 ほとんどの隊員が定時に上がってしまったが、まだ取り残されていたギンガは兄の突如の登場に驚いた。ほとんど休みを挟んでいないのか、少し疲れが顔に出ている。


「どうして……」

「部隊長から聞いて、な。少し休んだらどうだ?」

「でも……」

「ほら、そんな顔していたらせっかくの可愛い顔が台無しだぞ」

「あぅ……」


 可愛いと言われて、顔を赤くして俯いてしまう。そんなことにも気づかず、疲れが溜まっているのだろうと思ったヴィレイサーは椅子に座らせて、持ってきた飲み物を渡す。


「ほら」

「あ、ありがとう」

「それにしても……こんなに仕事を任されて、どうしたんだ?
 カルタス主任がいやがらせでこんなことするとは思えないんだが」

「ちょ、ちょっと、身が入らなくて……」

「ふーん?」


 理由を言おうとしないギンガだったが、ヴィレイサーは特に言及せずに書類の山を適当に分けていく。


「な、何しているの?」

「これくらいなら俺にもできるからな。お前は少し休め」

「え、でも……」

「これでも、心配しているんだぞ」


 なおも食い下がろうとするギンガに、ヴィレイサーは彼女の頭を優しく撫でて宥めた。子供の頃から、頭を撫でられると急に何も言えなくなってしまう。撫でてもらえた嬉しさと、好きな人にされていることで緊張してしまったことが言葉を呑み込ませているのだろう。


「じゃあ、少しだけ……でも、すぐ手伝うからね!」

「あぁ、分かった」


 離れた場所にある休憩スペースに座り、兄が代わりに書類を片づけていくのをぼんやりと眺める。母と同じ髪色は、ギンガと似せるかのように長く伸ばされていて、一条に束ねられている黒い髪留め用の紐が時折揺れている。


(兄さん、私がプレゼントしたの、つけてくれたんだ)


 嬉しさがこみあげてきて、自然と頬が緩む。何気なく後ろ姿を堪能していたせいか、次第に瞼が重たくなっていく。寝てはダメだ──そう思いはするものの、仕事疲れが思っていた以上にたまっていたらしく、ギンガはいつの間にか眠気手に屈してしまった。


「あれ? なんだ、寝たのか」


 いつも使っているロングコートを部屋から持ってきて、ギンガにそっとかけてやる。しばし妹の寝顔を眺め、ふっと笑った。


(本当、可愛い奴だな)


 責任感の強いギンガのことだ。起こせば、きっとすぐにでも仕事を手伝ってくるだろう。まだ疲れているだろうから、ヴィレイサーは静かに仕事を再開した。





◆◇◆◇◆





「あ、あれ? 私、寝ちゃった!」


 それから数時間後。ギンガはふと目をさまし、自分が寝てしまったことを認識すると慌てて立ち上がった。だが、室内は既に真っ暗で、ヴィレイサーがいると思っていた仕事部屋にも灯りがともされていない。


(あ……)


 あまり眩しくならないように、ゆっくりと灯りを付けて行く。そして、自分の対面にぐっすりと寝ているヴィレイサーの姿があった。


(兄さん、終わらせてくれたんだ)


 先程までギンガが寝ていたすぐ傍に、紙切れが1枚ある。そこには仕事が終わった旨と、お疲れ様と労いの言葉が添えられていた。


(ふふっ、それは私の台詞だよ)


 微笑み、寝ている兄の隣に腰かける。いつも自分のために頑張ってくれている彼を、もう兄として見られなくなっていることには自覚がある。それでも、兄妹と言う枷が強く口を閉ざさせてきた。それに抗うかのように、ヴィレイサーへの気持ちは膨らむばかりで───。

 今、この瞬間だって、兄に想いを告げたい感情があふれ出てきているほど、彼のことが好きだった。


(…大丈夫、だよね?)


 周囲を見回し、この場に自分とヴィレイサーしかいないことを確認すると、ギンガはぐっすり眠っている彼へと顔を近づけていく。これからするのは、ただ感謝の気持ちを表すためだ。だから───


(だから、“本命”は……いつか)


 ───自分に言い聞かせながら、ギンガはヴィレイサーの頬へ口付けした。










◆──────────◆

:あとがき
なんでも、先日5月23日はキスの日だとか。
いろんな日があるんだなぁと思いつつ、それが定着しそうな気配はなさそうですけど。

インターネット上では取り上げられそうなものではありますが、それ以上進展なさそうですし。

さて、今回も以前の特別編と同様にギンガが最後に決めて──と言う形になりました。やはり積極的ですね。描いた本人もびっくりです(ぉぃ

ちなみにカルタス主任が鬼みたいに思われるかもしれませんが、彼は別に「今日中に仕上げろ」なんて一言も言っていませんよ(笑

つまるところ、ギンガとヴィレイサーが勝手に早とちりしただけです。こんなおっちょこちょいなギンガもいいですよね!(落ち着け


それでは、次の更新もこれをネタとした話になると思いますので、お楽しみに。

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あきゅろす。
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