小説
Episode 16 冷徹な影
静かな湖畔。夜の闇に呑まれたそこは、陽のある時間帯と違って美しい景観が失せていた。その闇に薄らと浮かぶ、2つの人影。声からして、どちらも女性のようだ。
「…ゼロ計画には参加しない……そう仰るんですの?」
「当然よ。何であたしがそんなことしなきゃいけないわけ?」
1人は、翡翠色の髪を腰まで伸ばした女性──Sだった。そんな彼女の眼前にいる女性は、だるそうに返答すると、そのまま背を向けて歩き出していく。
「X……貴女ともあろう方が、堕ちたものですわね」
「はっ、相変わらずRに固執しているあんたに言われたくないっての」
「…まぁ、いいですわ。協力を得られないのであれば、ここで死んでもらうだけなので」
「は?」
Xと呼ばれた女が振り返ると、Sは口元を歪ませて笑った。
「Subjugate」
支配を意味するその言葉が呟かれると、Xは瞠目してその場から動けなくなる。戦闘機人を自身の支配下に置く能力。それが、Sの2つ目の力だった。
「さて、どうやって殺されたいか……希望があるなら聞いて差し上げますわよ?」
「や、止め……!」
「何ですの? 聞こえませんわ」
「あっ、がっ!?」
慄くXを見て憐憫を感じるほど、Sは優しくない。もっと口を開いて話すように、強引に口の上下を持ち上げて開かせる。このまま一気に壊してしまってもいいが、怖がっている姿が滑稽なので少しの間だけ生かしておく。
「お願い……止めて」
「…今更、止めると思いまして?」
溜め息交じりに、Xの右腕を乱暴に引っ張る。
「ああああぁぁぁっ!?」
痛みに悶えても、跪くしかできない。逃げることは、Sが赦してくれるはずがない。彼女の【Subjugate】は、感度の強い戦闘機人向けの能力だ。特殊な音波を発信し、それによって動きを停止させる。EとRも、これに近しい能力が備わっているが、それぞれが別々のものに対してのみ有効で、3人とも効果のある対象が異なる。
「まったく、口煩いですわね。たかだか腕の1本ぐらいで、そんな醜い声を発さないでくださいます?」
苛立たしげにするSは、自分の能力をもっと強化したいと思っていた。彼女の【Subjugate】はあくまで動きを止めるだけであって、決して意のままに操れる訳ではない。
「それで?」
「わ、私には……その、彼氏がいるから」
「…だから?」
「だ、だから! だから、殺さないで……!」
Xの悲痛な叫び。だが───
「お断りしますわ♪」
───Sはそれを、満面の笑みで一蹴した。
「どうせ、ご自分が戦闘機人であることは明かしていないのでしょう?
そんな状態の腕で戻ったら、貴女は終わりですわ」
「くっ……! じゃ、じゃあ、協力するから彼には私のことを黙っていてよ」
その言葉に、Sはしばし考え込む仕草を取る。その様子に、僅かな望みを見出したXだったが、次に発せられた言葉に戦慄する。
「62334895GT」
「ちょ、ちょっと、待って……!」
英数字が適当に言われただけかと思いきや、Xは慌てて彼女へ駆け寄る。だが、もちろんそれは叶わない。足がまったく動こうとしてくれない。Sの能力は、未だに彼女を支配していた。
喚くXを無視して、Sはさっさと歩いていく。そして10秒も満たない内に、背後で大きな爆発が起こった。
「…あら、いけない」
振り返り、火の手が上がっている森林をのんびりと見る。
「服に煤がついてしまいましたわ」
視線の先には、何一つとして残っているものはなかった。
◆◇◆◇◆
「爆発、ですか」
「あぁ」
早朝から部隊長室に呼び出されたヴィレイサーは、必死に欠伸を噛み殺す。渡された資料に添付されている写真を1枚ずつ確認していく。
(範囲は然程広くない割に、殺傷性は高いみたいだな)
陥没した地面に、焼き焦げ、或いは薙ぎ倒されている木々。殺傷能力はありそうなのに、火の手が届く範囲は狭そうだ。派手なのか地味なのかよく分からない曖昧なものだった。
(それとも、魔導師による仕業か?)
それなら、ある程度範囲を狭めて実験したと言う仮説が浮かび上がる。だが、場所は湖畔だ。破壊の威力を知りたいなら、もっと適した場所が幾らでもあるだろう。
「…ところで、他の資料は?」
「まだ予想の範囲を出ないんだが、恐らく関連のある爆発事件だ」
一番上に置かれていた資料の次にあったのは、108部隊の管轄外で起きた、同様の事件とおぼしき爆発事件の資料だった。
(爆発が起きた場所はバラバラ……けど、死者はなし)
この事件を起こした犯人の目的がさっぱり分からなかった。
「お前には、カルタスと一緒にこの事件を追ってもらう」
「え? 爆発事件を、ウチで?」
「まぁ、気になることがあってな」
件の気になることを教える気はないようだ。それきり黙してしまった。なので試しに聞いてみたが───
「気になることって?」
「たまには自分で考えろ」
───と、一蹴されてしまった。
◆◇◆◇◆
「そんな危ない事件を担当するの?」
朝の訓練を終えて、朝食の際にギンガに話すと、彼女はすぐに心配そうな表情になる。
「危ないのはみんな一緒だろ。ギンガだって、危険がまったくないとは言い切れない」
「そうだけど……」
「まぁ、無茶はしないって」
そう言って頭を撫でるが、彼女は不満そうに口を尖らせる。
「そんなこと言って、1度も守ってくれなかったじゃない」
「そ、そうだったか?」
「そうだよ!」
とぼけて済まそうかと思ったが、それは間違った選択肢だった。ギンガは声を荒らげ、ヴィレイサーに詰め寄る。
「いっつも……いつも私が、どれだけ心配していると思っているの!?」
「わ、悪い」
あまりの剣幕に、そう返すのがやっとだ。目尻に涙が浮かび、周囲からは何事かと視線が集中する。
「ギ、ギンガ、頼むから涙は拭いてくれ」
「嫌! 兄さんがちゃんと約束してくれるまで、嫌だ」
居たたまれなくなって、ここから逃げ出したかった。だが、今ここで離れたら、軽薄だと思われてしまう。それこそ御免だ。
「わ、分かったよ」
「本当に?」
「あぁ、本当だ」
少しの間顔を伏せてから、ギンガはおずおずと小指だけを立てた拳を差し出す。
「じゃあ……指切り、して?」
「はいよ」
彼女と同様に小指を出すと、すぐに絡められた。
(そういえば……ギンガもスバルも、よく指切りしていたな)
同胞らと過ごしていた時は、指切りなんてしなかったし、心配されることもなかった。ナカジマ家に拾われて、本当の温もりに触れられたのは凄く幸せなことだと学べて嬉しく思う。
「ヴィレイサー」
「あ、はい」
しばらく指を絡めた状態が続いていたが、ラッドから声がかかったので足早に彼の方へ向かう。
「60分後に出る。支度して玄関口に集合しろ」
「了解」
そうとなれば、急いだ方がいい。まだまともに朝食を進めていないし、愛機のエターナルはまだデバイスルームに置いたままだ。
「兄さん、無茶しないでね?」
「それは俺の台詞だ。ギンガ、絶対に無茶するんじゃないぞ」
朝食を終えたギンガとそれだけ交わして、ヴィレイサーも早々に食事を終わらせることにした。
◆◇◆◇◆
「黒焦げだなぁ」
「…ですね」
ラッドと共にやって来た現場は、湖畔にある森林だった。恐らく爆発が起きた時の中心点であろう場所まで行くと、地面は爆発の強さを物語るかのように大きく窪んでいた。
「どう見る?」
「今のところは、まだなんとも言えませんね。威力の確認だとしたら、場所が悪い上に人気もありませんし」
立ち上がり、周囲を見回す。湖があるとは言え、人が立ち入るには途中にある急な坂を登らなくてはいけない。遠目に小さなコテージが幾つか見えるものの、爆発地点から距離がありすぎる。
「カルタス主任も、何か気になることが?」
「まぁな」
資料を突き出されたので、また丁寧に目を通していく。
「…ん?」
そこでふと、あることに気が付いた。爆発物の特定が、どれも出来ていない。火薬残渣も検出されていないと言うのは、奇妙な話だ。
「欠片も採取できていないんですか?」
「あぁ。残念ながら、な」
それを聞き、ヴィレイサーは眉を顰める。この爆発物に1つだけ、心当たりがある。だが、今ここで言うことではない。それに確証がない状態での発言は、混乱を招きかねない。
「…まさか、な」
彼の呟きは、確かにラッドにも届いていた。しかし、彼はそれを指摘せずに部下へ命令を下す。ヴィレイサーもいつまでも呆けているわけにはいかないので、彼らに倣って周辺で残渣を調べていく。
(コードを知っているのは、俺とSだけ。そうなると、Sは存命ってわけか)
この爆発物を起動させるための解除コードは、彼とSのみが知っている。しかし自分は幾ら仲間を殺したいと思うほどに憎んだからと言って、そのコードを口にするはずがない。命を軽んずる気持ちは、過去に置いてきたのだから。
「ヴィレイサー、次へ行くぞ」
「了解」
今日中に、全ての爆破地点へ足を運ぶ必要がある。最後にもう1度爆心地を確認して、ヴィレイサーはラッドのもとへ走った。
◆◇◆◇◆
「あ、兄さん!」
「…ギンガ。任務、お疲れ様」
「ありがとう。兄さんも、お疲れ様」
108部隊の隊舎へ戻ってくると、出入口でギンガと合流した。報告はラッドのみで行うと言うことで、彼の気遣いに甘えてギンガと共に入っていく。
「お願いしますよ!」
「そう言われましても……」
ロビーで事件の依頼をされているのか、受付も者が困った顔で周囲の同僚に助けを求めている。放っておけない性格のギンガは、その視線を受けるとすぐに駆け寄った。当然、ヴィレイサーも彼女に続く。
「どうかしたんですか?」
「あ、ギンガさん」
「人を探してほしいんです。ウチでアルバイトをしていた女性が、急に連絡がとれなくなって……しかも彼女の家は、かなり荒れていたので心配で……!」
「その女性のお名前は? 写真などあれば、助かるのですが……」
独断で引き受けると約束できるはずもない。だが、言ってしまった以上はやるしかないだろう。ヴィレイサーはギンガの行動力に時折、頭を抱える。
「名前は、イーです」
「「…え?」」
名前を聞かされた瞬間、ヴィレイサーとギンガは目を丸くする。そして提示された写真を見て、人違い、或いは聞き違いの可能性を捨て去る。そこには確かに、Eの姿がしっかりと写っていた。
「Eが、行方不明……?」
「…そ、それでは、少し確認してみますので」
「お願いします」
呆けて、依頼主を放置するわけにもいかない。ギンガは一先ず依頼主を帰宅させ、ヴィレイサーと共に父がいる部隊長室へ急ぐ。そして早急に事情を説明して、任務に就きたい旨を伝えた。だが───。
「うーん……」
ゲンヤは難色を示す。ヴィレイサーから、Eが相当な手練れだと聞いていた彼としては、部下を、ましてや家族を危険な目に遭わせたくなかった。
「…正直、任せたくねぇんだがなぁ」
「ですが、Eを放っておくのもまずいと思うんです」
「何か、理由があるのか?」
「任された例の爆発事件に使われている爆弾に、心当たりがあります。それについては後程、詳細と共に報告します。
その爆弾を起動させることが出来る奴が存命しているんですが……Eが、その人物に唆されて計画を進める可能性があります」
計画は事前に阻止しなければならない。実行されれば、戦闘機人との戦いに不慣れな魔導師が多い今、制圧するのは赤子の手を捻るより容易いだろう、
「…分かった。けど、絶対に無茶はするんじゃねぇぞ」
「はい。ギンガも、ちゃんと守り通します」
「バカ、ギンガだけじゃねぇ。自分のことも、ちゃんと守り抜け」
「…はい」
◆◇◆◇◆
「ここが、Eが住んでいた場所か」
依頼主から地図を受け取り、やって来たのは人気の少ない丘の上にある大きな家。1人で住むにしては大きいが、依頼人曰く空きがここしかなかったとのこと。家賃を安くするなどの考慮はしたそうだ。Eは、依頼人が経営しているレストランで働いている。店主に拾われてからずっと、そのレストランで頑張って働き続けていた。無遅刻無欠席。それだけで、Eが真面目に働いていたことが分かる。
「かなり荒れているけど……」
せっかく、シエナと言う新たな名を閃いたのに、それを与えたい相手は行方不明になってしまった。消沈するギンガの気持ちを表すかのように、リボンの両端が下を向いている。
(切傷ばかり、か)
最も荒れている部屋に入っても、痕跡は切傷と機械の破片ばかり。だが、破片はどうやらAが従えているセイバーのものだけのようだ。少なくともこの場に居た時、Eは無事だったと考えていいだろう。
「兄さん」
「ん?」
「ここだけ、日焼けの後がないけど……」
ギンガが指摘したのは、壁にある大きな跡。彼女の身の丈程はあるそれに加え、床や壁にある深い切傷。
「多分、Eの固有武装が飾ってあったんだと思う。あいつ、確か大剣を使っていたからな」
「それを使ったってことは……」
「何者かの襲撃を受けたと見て、まず間違いない」
ヴィレイサーは、その何者かが誰なのかおおよその見当はつけている。セイバーを従えられるのは、操作のプログラミングをしたAだけ。だが、彼女と数体のセイバーだけでは心許ない。他にも戦闘機人を連れ添ったのは間違いないはずだ。それが誰なのかは、まだ分からないが。
(Aの遺体も転がっていないし、Eは彼女を仕留め損ねたか)
セイバーだけなら、きっと苦戦することはなかっただろう。Eの能力は、機械の機能を掌握できるのだから。彼女とS、そしてRたる自分たちは、容易く戦況を引っくり返すことができる能力を有している。離反の意を冠されたEの能力は【Estrangement】と称され、パソコンやスマートフォンに始まり、セイバーのような機械兵器の制御をハッキングして掌握するのだ。無力化さえできればそれで構わないので、力を持続させておく必要もなく、使用者に負担が少ない場合もある。元々は、地上本部が造っているアインヘリアルを攻略するためだったとの噂も聞いた。アインヘリアルを起動させるには、もちろん上層部からの許可が必要なのだが、エネルギーの供給を絶つだけでも充分に時間が稼げるに違いない。
「…あら、まさか訪問者が居たなんてね」
「…無断で悪いな」
調査を進めていると、地下通路の出口から1人の女性が歩いてきた。Eだ。
「良かった、大怪我もなくて安心しました」
ギンガも彼女に駆け寄り、傷がないか確かめていく。
「AとFに襲撃されてね」
「また襲撃があると面倒だ。連絡先、交換しておきたいんだが」
「…彼女を巻き込んでもいいの?」
しばし考え、ギンガを見る。彼女はすぐに力強く頷き返してくれた。
「大丈夫だ。ギンガは俺が守る」
「お熱いこと」
微笑し、Eはギンガに向き直る。
「面倒にならないよう、努力するわ」
「いえ。遠慮なく助けを求めてください」
「ふふっ、貴女に助けを求めるなんて事態にならないことを祈っておくわね」
実力は、Eの方がギンガよりも上だ。彼女に助けられるとは思っていないのだろう。
「…ギンガ、後は俺が話を聞いておくから、お前は外で待っていろ」
「え? でも……」
ヴィレイサーの言葉に、ギンガは戸惑う。どうして自分を守ると言った矢先に、遠ざけるのか分からなかった。
「あ、そうだ。名前!」
ギンガは拒むように話題を変える。
「私、約束どおり名前を考えてきました」
「そう。ありがとう」
柔和に笑むEを見て、ギンガも笑みを零す。
「シエナ……で、どうでしょうか?」
「…シエナ。えぇ、悪くない響きだわ」
認めて貰えたのが嬉しいようで、ギンガは胸を撫で下ろしつつ嬉しそうに目を細める。
「だけど凄いわね、ギンガは」
「何がですか?」
「ヴィレイサーから、私のことを聞いていないのかしら?」
「もちろん、聞いています」
力強い頷きに、Eは目を丸くする。
「ならばなおのこと、私が怖くないのか疑問だわ」
「怖くなんてありません。だって、私は……」
「ギンガ!」
言葉で言葉を掻き消すように、ヴィレイサーが吼えた。ギンガもEも、2人とも驚いて彼を見る。
「…もう、いいだろ」
苦しそうに視線を逸らすヴィレイサー。兄のそんな姿を見るのはこれが初めてで、ギンガは困り果ててしまう。だが、黙っていてはシエナに悪い。心の中で兄に詫びながら、ギンガはシエナに話す。
「私も、シエナさんと同じ戦闘機人ですから」
「……え?」
信じられないとでも言うように、驚きに見開かれた目。ヴィレイサーは、ギンガに口止めしなかったことを後悔している。
「私は、タイプゼロと言うくくりで……」
「ギンガ!」
その先は、何も言えなかった。ヴィレイサーの怒声が響いたかと思うと、強引にその場から離された。それにほんの数瞬遅れる形で、先程まで自分が立っていた場所に大剣が振り下ろされる。木製の床が、音を立てて木っ端を撒き散らす。
「…そこを退きなさい、R」
呼び方すら変えたシエナは、ヴィレイサーを……否、ギンガを見下していた。冷徹な双眸に、自然と足が竦む。
「タイプゼロを、殺すわ」
憎しみに満ちた瞳が、ギンガを射抜いた。
◆──────────◆
:あとがき
前半はようやっとSの登場です。
彼女は強敵ですので、今後も色々と厄介になります。
今回はシリアスメインなので、ギンガとヴィレイサーの絡みもほとんどないです。
そこで急遽指切りなんていれてみたり。
次回はEとの戦闘になります。どういう終わりにするかは未定ですが、恐らく決着はつけないと思います。
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