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小説
愛妻の日 ☆





「…ふむ」


 新聞のある一面を読んで、ヴィレイサーは小さく呟く。そんな彼の背後では、洗い物をしている女性が。艶やかな黒髪をポニーテールにした彼女は、洗い物を終えるとヴィレイサーに歩み寄り、隣の席にそっと座る。


「何か面白い記事でも見つけましたか?」

「…いや、なんでもないよ」


 寄り添うようにして隣に座してくれた彼女に微笑みかけると、そっと手を繋ぐ。

 彼女の名は、メイヤ。つい数ヵ月前に、ずっと願ってきた約束を果たすことが出来た、最上の愛者だ。子供の頃に、名ばかりだが婚約を交わした。それからは両親の都合で引越しを余儀なくされ、しばらく離れ離れになっていた。だが、高校生になって再会した2人は、当時の約束が成就することだけを願い続けており、こうして結婚することが叶ったのだった。


「…メイヤ。今日の夕食、せっかくだからメイヤの食べたいものを作りたいんだけど……何がいい?」

「どうしたのですか、急に?」


 小首を傾げるメイヤ。優しげな瞳と、柔らかそうな肌。潤いに満ちた桜唇が目に入り、彼女とこうして、夫婦と言う形で一緒に居られる時間が堪らなく愛おしい。


「まぁ、無性にそうしたくなったんだ」

「では、今日は寒いですから、お鍋にしましょう」

「好物じゃなくていいのか?」

「はい。ヴィレイサーさんと温まるものが食べたいです」

「分かった」


 彼女は本当に、素敵な女性だと思う。こうして結ばれて、自分以上に幸せな男はいないと思わせてくれるほどに。もちろんそれは、過信や慢心などではなく、心の底から感じていることだ。


「では、買い物に行きましょう」

「そうだな」


 どちらともなく立ち上がり、防寒具に身を包んでから歩き出す。外は日差しのお蔭もあって日向は大分温かい。それでも風は冷たく、メイヤは時折身震いする。


「メイヤ、もう少しこっちに」

「あ、はい」


 深紅のマフラーを自分にかけてから、ヴィレイサーはメイヤと距離を縮める。密着とまではいかないにしても、ぐっと縮まった距離に僅かながらも温もりを感じて安堵する。


「苦しくないかい?」

「はい、平気です」


 1つのマフラーが、ヴィレイサーとメイヤの仲をより強固にするみたく、互いに巻かれる。恋人同士だった時に彼女が懸命に編んでくれたのだが、一生懸命になりすぎて長くなってしまった。しかし、ヴィレイサーにとっては寧ろありがたく、こうして1つのマフラーを一緒に使えるのは非常に嬉しい。


「それじゃあ、行こうか」


 差し出された手は、手袋がされていない。予てより、手を繋ぐ時はこうして手袋を外すことにしている。もちろん、寒さが厳しい時には致し方ないが、なるべくなら互いの温もりを感じていたい。

 ヴィレイサーとメイヤが仲睦まじい夫婦だと言うことは、商店街の人達は誰もが知っていた。有名になるほど、周囲にはお似合いの夫婦だと認知されるまで、大した時間はかからなかった。それは、メイヤが素敵な女性だからだと思っていたヴィレイサーだが、それを話すと、彼女は首を振って否定した。

 『私だけでなく、ヴィレイサーさんも素敵な男性だからですよ』──そう、まっすぐに見詰められながら言われて、嬉しくないはずがない。いつもメイヤの夫であろうと努力し、時には空回りしたこともあった。しかし、決して無駄ではなかったのだと、今なら言い切れる。


「メイヤ」

「はい?」

「愛しているよ」

「あ……はい、ヴィレイサーさん」


 嫣然と微笑む彼女と、そっと口付けを交わす。婚約を決めて、再会して、改めて婚約を誓って……ずっとずっと、交わしてきた口付け。もう何回目か分からないが、いつもと変わらぬ愛が、そこには確かに籠められていた。





◆◇◆◇◆





「…っと、どの花にするかな」


 メイヤと一緒にある程度の買い物を済ませ、ヴィレイサーは花屋を覗いてみる。彼女が好きな花はなんだったかとぼんやり考えていると、背後から優しく手が繋がれる。それが誰なのか、すぐに分かった。


「何かお買いになるのですか?」

「あぁ。メイヤに、プレゼントしようと思ったんだ」

「? 何か祝われるようなこと、あったでしょうか?」

「こういうのは、思った時にやらないと忘れちゃうんじゃないかな、なんて」

「ヴィレイサーさんに限って、それはありませんよ」

「ありがとう、メイヤ」


 信じてくれているメイヤに、ヴィレイサーは頬を緩める。彼女のそれが過信だとは思いたくない。メイヤは、きちっと自分のことを評価してくれているのだから。


「…では、スターチスを買いましょう」

「変わらない心、か」

「はい。私達2人に、ぴったりだと思うんです」

「…そうだな。これからも、メイヤとの幸福を築いていこう」

「えぇ、ヴィレイサーさん」


 メイヤの幸せを願い、その幸福が永久に続くことを切に願うのは、何も夫婦になってからではない。この気持ちもまた、恋人同士になったあの日から、ずっと誓い続けてきた愛だった。

 束として購入するのは、金銭的な余裕がなかったので諦めた。それでも、メイヤは残念に思ったりしない。こうしてプレゼントしてもらえるだけでも、とても嬉しいのだとか。


「荷物、持つよ」

「ありがとうございます」


 当然、買い物袋はヴィレイサーが持つ。しかし、それで両手が塞がってしまうと手を繋げないので、軽い方はメイヤが持ってくれた。


「帰りましょうか。私達、2人の家に」

「あぁ」


 二人きりで住むには、少し広い家。だが、とても大事な居場所だ。高校生の時から同棲をしてきたものの、いざ夫婦としての形を築いてから住んでみると、また違った感じを味わった。


「今日は、一緒に料理しましょう」

「そうだな」


 時間が合う日は、毎日一緒になって調理する。どちらかが待ち惚けしているなんてのはつまらないし、ちょっとでも傍に居る方がいいから、こうしている。高校生の頃からずっと続けてきたことだが、未だにそれは続けられている。


「メイヤ、お皿を頼む」

「はい」


 こうして2人で料理すれば、時間もそれなりに短縮できる。なにより、愛者が傍に居てくれることがとてつもなく嬉しい。


「では、いただきます」

「いただきます」





◆◇◆◇◆





「ヴィレイサーさん」

「ん?」

「今日は、どうして私に優しくしてくれたのですか?」


 食後。メイヤに問われて、ヴィレイサーは頬を掻く。正直なところ、こういったことをするのに抵抗はあった。いつも感謝すべきなのに、こんな時だけ必死になるのもどうかと思ったのだ。


「今日は、愛妻の日って、言われていたからさ」

「え?」

「1月31日……月の1をアルファベットのIに見立てて、『あい』。で、日の31をシンプルに『さい』と語呂合わせで読むと……」

「愛妻……」

「そういうこと。新聞の記事で、たまたまそれを見つけて……」

「そうだったんですか」

「けどさ、正直に言うと最初はどうしようかと思ったんだ。こういう時だからこそ、メイヤに感謝したいって思った反面、こういう時にしか感謝できないのかなって」

「そんなこと、ありませんよ。ヴィレイサーさんはいつだって、私のことを誰よりも愛し、大切にしてくださっているじゃないですか。
 それだけで、私は充分に嬉しいです」

「メイヤ……」

「ヴィレイサーさん、ありがとうございます。こんなにも、私のことを愛してくださって」

「そんな、別に」


 照れてしまい、思わず顔を背ける。嫣然と微笑み、メイヤはそっとヴィレイサーの手を取ると、一緒に立ち上がる。


「ヴィレイサーさん。これからも貴方のお傍で、貴方の妻として、貴方を支えていきます」

「…あぁ、メイヤ」


 抱き締めあい、唇が重ねられる。愛に満ちた口付けは、改めて婚約を誓ったあの日から、より一層の愛が籠められていた。



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